40話 欲しかった温もりは
本日2話目
シリウスは生まれてからずっと、姿も見たことのない異母姉――ロザリンドと比べられてきた。
史上最年少、最多得点でエレアノーラ学院に入学した彼女を、実母は殊更憎んでいた。
そのため、息子であるシリウスへ過剰なまでの期待をかけ、厳しく接した。
それはまるで自分を飾る宝飾品を見るような目で、決してシリウスを愛しているから言っている言葉ではなかった。
ロザリンドを憎んだときもあった。だがそれは逆恨みというのも知っている。
彼女はシリウスの母に冷遇され、毒殺されそうになり、追い出されるようにエレアノーラ学院へ入れられたのだから。
父親であるギクラス・セルザード伯爵は、ほとんど家には帰ってこず、家族のことなど顧みない。
ある意味、とても貴族らしい男だった。
(……もしかしたら、異母姉なら……僕を理解してくれるかもしれない)
そんな身勝手な期待がシリウスの力となり、ギリギリの成績であったが、十歳の若さでエレアノーラ学院の入学試験を突破することができた。
ロザリンドに会えると期待したが、学院に彼女の姿はなかった。
何故なら、ロザリンドはもうセルザード伯爵家の人間ではなく、ヴァレンタイン侯爵家の人間となっていたから。
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個人自習室の中で、シリウスはロザリンドに勉強を教わっていた。
彼女の指導は丁寧で分かりやすく、それがさらにシリウスを苛立たせる。
「――ここは引っかけ問題。だけど、基礎がしっかりしていれば解けないはずはない。まずは基礎固めからだね。暗記は嫌いみたいだけど、土台がなければ応用ができないから諦めて」
「なんで勉強を教えてくれるんだよ。どうせ、こんな成績をとる僕なんて馬鹿だと思っているんだろ」
恨みがましい口調で言ってしまうが、本当は嬉しかった。
ここ最近、ロザリンドがシリウスの周りを嗅ぎ回っているのは知っていた。あれほど自分に関心のなかった彼女が、シリウスのことを気にしている。自分だけを見てくれている。
……否応なしに期待してしまう。
しかしそれも、ロザリンドの一言で一気に下降した。
「勉強を教えるのは、学院長に頼まれたから。でも、馬鹿だとは思っている」
「ふざけんな! どうせ、頭の出来が違う……あの母親から生まれたから……! アンタみたいな天才とは違う!」
「……だから馬鹿だって言っている」
小さく溜息を吐くと、ロザリンドはシリウスの通知表に視線を落とす。
「経済学や政治学の授業ばかりを取っているのは何故?」
「それは……!」
「本当は、天文学が好きなんでしょう?」
ドキンと心臓が鷲掴みされるような心地だった。
(……母上にも言ったことがないのに……)
寂しい夜は、いつも夜空を眺めていた。
愛されない自分、出来の悪い自分に嫌気が差し、シリウスは現実を逃避するように星を見た。
星座に関する神話や、星の配置と暦の関係、季節が変わるごとに変化する幻想的な空、すべてがシリウスを魅了した。
でも、それは誰にも言えなかった。だってそれは、望まれていないことだったから。
「通知表を見れば分かる。経済学と政治学は赤点なのに、天文学の授業はとても良い成績を取っている。あのね、シリウス。人間は好きなことじゃないと努力するのも辛くなる。本気になれないんだよ」
「……だって、文官になるには……王族の側近になるには……政治や経済に詳しいほうがいいって……」
「王族の側近になりたくて勉強しているの?」
人の気持ちに疎いように思えたロザリンドは、どうやら学問のことになると、途端に鋭くなるらしい。
彼女に自分の本当にやりたいことを隠すのは無理だと察し、シリウスは涙目でロザリンドを睨み付けた。
「そうだよ! 本当は天文学者になりたいんだ!」
「それなら、知り合いの天文学者を紹介してあげる。彼は老齢だけど、とても知識が深い。それに貴族だから、シリウスのこれからの生き方の参考になると思う」
思いがけない言葉に、シリウスは瞠目する。
「……どうして、そこまでしてくれるんだよ。僕のこと、憎いだろ」
「憎い? 何故?」
「だって、僕の母にアンタは冷遇されて毒殺されそうになった! セルザード伯爵家にだって、僕が生まれてから一度も帰っていない! 憎まれていないと思う方が不自然だ!」
本当はロザリンドにずっと会いたかった。
息苦しいあの家で、自分を理解して欲しかった。
ただシリウスは……ロザリンドと家族になりたかったのだ。
でも、ロザリンドは戦争が激化して混乱していたときも、セルザード伯爵家へ帰ってくることはなかった。
彼女にとってセルザード伯爵家は――シリウスは家族ではないという事実を行動で見せつけられた気分だった。
(……僕ばかりが心配して……求めて……馬鹿みたいじゃないか)
挙げ句、知らないうちに狼侯爵なんて恐れられている侯爵との結婚を強要されて侯爵夫人となり、薬師としての腕を認められて女王陛下直々に『黄金の聖女』の称号を賜った。
漸く近づいたかと思えば、ロザリンドはどんどんシリウスの手の届かないところへと行ってしまう。
それが悔しく、腹立たしく、何より寂しかった。
「憎むとか、憎まれるとか、わたしは興味ないよ。それにセルザード伯爵家から出たからこそ、わたしはファリスの弟子になれた。ウィリアム様の妻になることができた。こうやって、弟に勉強を教えることもできる」
ロザリンドはまるで幼子にするように、シリウスの頭をポンポンと叩いた。
いつもなら憎まれ口の一つや二つ言ってしまうシリウスだったが、自分のことを弟として認めてくれているロザリンドに、今は甘えたくて仕方なかった。
「うっ……うう、うっ……」
「いいよ。おいで、シリウス」
涙を目尻一杯に浮かべ、恐る恐る差し出したシリウスの手を、ロザリンドは優しく掴むとそのまま強く抱きしめた。
柔らかな感触と、甘い花の香りに絆され、シリウスは堰を切ったように泣き出した。
「うぁぁああん、ごめんなさいっ、ごめんなさい、姉上!」
「わたしの方こそごめんなさい。すぐに弟だと気づけなくて。瞳の色、そっくりなのに」
潤み歪んだ視界の先に見える琥珀の双眸は、確かに自分とロザリンドの血の繋がりを示すものだ。
それがどうしようもなく嬉しく感じるのはロザリンドも一緒らしく、聖女のように優しい笑みを浮かべる。
「……姉弟って温かいんだね」
ロザリンドのその言葉に、寂しかったのは自分だけではなかったことにシリウスは漸く気がついた。
遅い始まりかもしれない。
それでもシリウスは、ロザリンドの家族になりたいと強く思ったのだった。




