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狼侯爵と愛の霊薬  作者: 橘 千秋
第二章
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36話 出戻りの学院

本日2話目



 半年ぶりに戻ったエレアノーラ学院に大きな変化はなかった。

 学生たちは忙しく過ごしながら勉学に励み、講師たちもまた、自分の研究に心血を注ぐ。そんな当たり前の風景だが、ロザリンドには少し緊張していた。



(今度は学生じゃなくて、講師としてここに来たんだ……)



 知識を与えられる側ではなく、教える側になる。

 自分があまり社交的ではないことは十分理解していたので、不安がないと言えば嘘になる。



「……大丈夫。だって、わたしは天才だから」



 愛する師匠、ファリスの口癖を呟けば、不思議と自信が湧いてくる。

 ロザリンドは荷物の入ったトランクを強く握りしめると、講師の住まう研究棟へと歩き出す。



「やあ、ロザリンド君。聞いていたよりも早い到着だね」


「……学院長。お久しぶりです」



 研究棟に入ってすぐ、まるで待ち伏せていたかのようにロザリンドは学院長に出迎えられた。

 彼はロザリンドが冷遇されていた伯爵令嬢だったときも、ファリスが死んで取り憑かれたように研究に没頭していたときも、ヴァレンタイン侯爵夫人になった今も変わらぬ態度で接してくる。


 それがロザリンドは嬉しかった。

 学院長はロザリンドを守ってはくれない。だが、彼はロザリンド自身を見てくれるのだ。



「ロザリンド君が講師になってくれればと思っていたけれど、本当に実現するとはね」


「……そんなに驚くことですか?」



 学院長はロザリンドの頭を撫でると、そっとロザリンドのトランクを取った。



「君はあの・・セルザード伯爵家の令嬢だったからね。ただの研究者でいられるほど軽い身分じゃない。それに今は結婚して、ヴァレンタイン侯爵夫人になった。僕ではもっと手の届かない存在になったと思っていたよ」


「わたしは……わたしでしかありません。どんな身分になったって、わたしは研究を止められはしない」


「それでこそエレアノーラ学院が生んだ天才、ものぐさ――じゃなくて、黄金の聖女だね!」


「……今、ものぐさ姫って言おうとした?」



 じっととした目で見れば、学院長ははぐらかすように微笑んだ。



「研究室に案内するよ。……お帰りなさい、ロザリンド君」


「……ありがとうございます」



 ただいま、と言おうとしたが、それは口に出ることはなかった。

 心に浮かんだのは、ウィリアムとヴァレンタイン侯爵家の使用人たちだ。

 ロザリンドの帰りたい場所はもう、学院ではなくなっていた。









 ロザリンドの講師生活は、思っていたよりも順調に進んだ。

 与えられた研究室は、以前ファリスが使っていた場所で、かっても知っている。

 他の講師も元から知り合いだったし、授業もファリスの手伝いをしていたからある程度の流れは理解していた。


 ウィリアムのことは女王から今は距離を置くべきと言われているので、じっと我慢している。

 ただ一つ問題があるとすれば、事あるごとに授業を妨害する『彼』の存在だった。



「では、次回までにこの本の材料を暗記してくること」


 今は一回生の基礎薬学の講義中だ。

 この科目は地味で尚且つ教科書を読めばだいたいの知識は得られるため、ロザリンドが学生の時はあまり人気がなかった。しかし、教室は溢れんばかりの生徒で賑わっている。

 それはひとえに、恐ろしい死灰毒の解毒薬を開発し、女王から『黄金の聖女』の称号を賜ったロザリンドをひと目みたい学生が殺到したからだ。



「ああ、試験も行うから、付け焼き刃ではダメだよ」



 学生がたくさん居ても、ロザリンドのすることは変わらない。

 淡々と自分のするべきことを成し、薬学の素晴らしさを広めるのだ。


 しかし、ロザリンドの情熱は理解されないようで、教室内は不満顔の学生が多い。

 すると、生徒の一人――栗色の髪に琥珀色の少年が意地悪く大きな声を上げた。




「暗記、暗記、暗記、馬鹿の一つ覚えだ! つまんねーよ!」




 この少年はロザリンドが気にくわないらしく、授業の時はささいなことで噛みついてくるのだ。



「薬作りは危険を伴う。だから、しっかりと材料の知識を頭に叩き込まなくてはならない。それに道具の扱いも。薬は時に毒にもなる。実験が早くできないことに憤りを感じるかもしれないけれど、必要な回り道。わたしも経験したからこそ、死灰毒を解毒することができた」


「はんっ。そんなに言うなら自信があるってことだろう? 本の初めから暗唱でもしてみろよ」


「目次からでいい? たぶん、二時間ぐらいかかると思うけどいいの? 授業時間終わっちゃうよ」


「はあ!? 一言一句覚えてるっていうのかよ!」


「もちろん。薬学の基礎だよ?」



 ロザリンドがあっけからんと言うと、少年は面白くないとばかりに頬を膨らませた。



「で、でも、授業がつまらないことは変わらねーよ!」


「……ふむ。確かにそれも一理あるね。簡単な傷薬を調合する実験を近々やってみようか。ありがとう、



 君のおかげで自分の至らなさに気づけた」

 素直にロザリンドがお礼を言えば、少年はますます眉を釣り上げる。

 すると今度はロザリンドの眼鏡を指さした。



「変な眼鏡!! お前に良くお似合いだよ!」


「えへへ……!」


「なんで照れてんだよ!」


「これは師匠――黄金の錬金術師のファリス教授からもらったものだから」



 ウィリアムという伴侶を得た今も、研究の時だけは眼鏡をかけていた。

目を保護するためという意味合いもあるが、この眼鏡をしていた方が、研究がはかどる気がするのだ。

 ロザリンドにとっては授業も研究と同義だった。

人に教えることは、時に新たな発見をもたらしてくれる。ファリスが授業の時に行っていた言葉だ。


 ロザリンドは愛しそうに眼鏡の縁を指で撫でると、はっと思い出したように少年を見た。



「ところでずっと思っていたのだけど……君は誰なの?」



 ロザリンドは少年の名前を知らなかった。

 おそらく少年はロザリンドが卒業した後に入学した新入生で、この授業に登録もしていない見学の学生だ。



(そんなに薬学に興味があるのなら、授業に登録すればいいのに。熱意があるのなら、学院長にわたしから掛け合うよ)



 少年の琥珀色の双眸をじっと見れば、彼は耳まで真っ赤にさせ、溢れんばかりに目を涙でいっぱいにして激昂する。



「……う、うるせーよ、ブス!!」



 掠れた声で叫び、少年は引き留める間もなく教室を出て行った。



「あ、行っちゃった。名前、知りたかったのに」



 ロザリンドが肩を落としてそう言うと、学生のひとりがおずおずと手を上げた。



「……あの、ヴァレンタイン先生。本当に彼のことを知らないんですか?」



 まるでロザリンドが知らないのが信じられないとばかりに、教室内は戸惑いをふくんだ空気に満ちていた。



「……残念ながら知らない。この授業に登録している子は全員顔と名前を覚えているけど、彼は違うみたいだから。有名な子なの?」


「……か、彼はシリウス・セルザード伯爵令息。……ヴァレンタイン先生の弟ですよ……」


「………………え?」



 衝撃の事実に、ロザリンドはピシリと石像のように固まった。





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