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狼侯爵と愛の霊薬  作者: 橘 千秋
第一章
36/57

番外編2 ヴァレンタイン侯爵夫婦の見回り

※書籍化のお知らせ※

11/15にビーズログ文庫さんから『狼侯爵と愛の霊薬』書籍が発売します。

詳しくは活動報告にて。

皆様、ありがとうございます。




 真っ暗な廊下をぼんやりとした橙の光が揺れ動いた。

 コツコツと規則的な足音が同時に響く。



「奥様の夜会用ドレスの会議をしていたら、すっかり遅くなっちゃった。仕事を終わらせて、さっさと使用人棟に戻ろう」



 手に持った燭台の光で照らしながら、奥様付き侍女のシンシアは戸締まりの確認をしていく。

 物置部屋の扉を開けると、涼しい秋の夜風がシンシアを包み込んだ。


 

「うわぁ……誰? 物置の窓開けっ放しにしたのは……まったく」



 シンシアは燭台をテーブルの上に置き、窓に手をかける。

 すると、一際強い風が吹き込み、燭台の明かりが消えた。



「あーあ、消えちゃった。まあ、いいか」



 シンシアは物置部屋を出ると、真っ暗な廊下を迷わず進む。

 ヴァレンタイン侯爵家に代々仕える使用人一族の娘、シンシアにとって侯爵邸は自分の庭も当然。目を瞑っていても歩けるほどに、その構造を熟知していた。



 ――ギィ……ギィ……ギィーコ……ギィーコ……



 エントランスホールへと出る階段を降りていると、シンシアは恐ろしい声を聞いた。

 まるで化け物が笑っているようだ。シンシアの背筋は凍り付く。



(どうしよう!? どうしよう!?)



 焦るシンシアだったが、侍女服のエプロンを握りしめ、じっと耐える。

 旦那様は仕事で屋敷にいないが、奥様は今眠りについている。珍しく夜更かしをしないで寝てくれたのに、シンシアが大声を出して奥様が起きてしまったら一大事だ。



「……奥様とまだ見ぬお嬢様と坊ちゃんを着飾るまで……私は死ねない……! 死んでたまるもんですか……!」



 震える足を叩き、シンシアは背筋を伸ばして階段を降り始める。


 しかし、ゴトンッガッシャンと何かが落ちて割れる音と同時に、シンシアの足の間をゴワゴワとした物体がすり抜けていった。素肌でそれを感じたシンシアは溜まらず喉を震わせる。



「ぎゃぁぁああああああ! 誰か助けてぇぇえええ! 食われる死ぬぅぅううう!」



 未婚の乙女とは思えないほど色気のない大声を聞き、優秀なヴァレンタイン侯爵家の使用人たちはどこからともなくエントランスホールへと駆けつけた。



「大丈夫ですか、シンシア!」


「う、うっ……おどうざぁぁん」



 執事長のオルトンは我先にシンシアに駆け寄ると、ぐずぐずと泣いている彼女にそっと上着を被せた。そしてエントランスホールの奥へと明かりを向け、眼鏡の縁をくいっと上げた。



「……これは、由々しき事態ですね。ヴァレンタイン侯爵家の危機です。……報復を考えなくては」



 エントランスホールには無残な木枠の残骸と、ビリビリに破られた絵が散っている。


 この絵は、ヴァレンタイン侯爵家の象徴とも言えるものだ。

 何故なら、絵に描かれている人物はこの屋敷の主。戦争の英雄にして、フランレシア王国の軍務大臣。泣く子も黙る恐怖の狼侯爵、ウィリアム・ヴァレンタインなのだから――――









 明くる日の夜。

 ウィリアムは夫婦の寝室で己の嫁の可憐さに悶えていた。



(可愛い……なんて、可愛いんだ、ロザリンド!)



 ロザリンドは純白の夜着に身を包み、ソファーに寝ころんで本を読んでいた。

 艶めいた黄金の髪は無造作に下ろされ、白く細い二の腕と素足がウィリアムの前に晒されていた。その無防備な姿が些か不安になるが、見ることができるのは自分だけなので、ウィリアムはそれを良しとした。



「何を読んでいるんだ、ロザリンド」


「動物の臓器全集」


「……そうか。おも、しろ……い、のか……?」


「すっごくおもしろい! えっとね、動物によって臓器の構造が違うの。ウィリアム様も読む?」



 キラキラと輝く琥珀色の瞳に、悪意は何一つ感じられない。

 ウィリアムはそっとロザリンドから視線を外した。



「そ、そうだ、ロザリンド。私のいない間に何かあったか……?」


「何か……? そうだ、ウィリアム様に報告があったんだ」



 ロザリンドは本を閉じて起き上がった。



「今、バレンタイン侯爵家はシンシア派とオルトン派に分かれて争っているみたい」


「な、なんだそれは……」


「昨日、エントランスに飾られているウィリアム様の肖像画が何者かに破壊されたの。シンシアが言うには、恐ろしい化け物が破壊したらしい。でもね、オルトンの見解は違う。ヴァレンタイン侯爵家に恨みのある貴族が襲撃したんだろうって」


「わ、私は聞いていないぞ!」



 思わずウィリアムは叫ぶが、ロザリンドは不思議そうに首を傾げるだけだ。



「オルトンはちゃんと報告していたよ?」


(まさか、そんな重要なことを忘れていた……だと……?)



 ウィリアムは急いで帰宅してからの記憶を探った。



(そういえば、夕食の前にオルトンが何か言っていたな。いつもの小言だと思って聞き流していたが……あれがもしや……襲撃の話か!?)


 ウィリアムは咳払いをすると、余裕のある大人の笑みを浮かべた。



「も、勿論覚えている」


「そうだよね。ちなみにわたしはシンシア派。化け物って未発見の動物だよね? とってもワクワクする! 新薬の材料になるかもしれない」



 ロザリンドは恋する乙女のように頬を染め、まだ見ぬ化け物に思いを馳せていた。

 それとは逆にウィリアムの内心は凍てついていた。



(……ちょっと待て。シンシアの言うとおり化け物がこの屋敷に入り込んだとしたら、大変なことじゃないか? 何より、私の肖像画が破壊されたんだぞ。数多ある肖像画の中からなぜ私を選んだ! 私を狙っているのか!?)



 ウィリアムは眉間の皺を深くさせると、唸るような声を出す。

 

「私はオルトン派だ。化け物や幽霊などは架空の存在に決まっている」


「幽霊? 薬の材料になるかな……」


「だだだ、断じて存在しない!」



 ウィリアムが涙目になってしまうのは仕方のないことだ。

 なにせ、ウィリアムがこの世で一番嫌いなもの。それは幽霊や化け物などのオカルトだからだ。


 しかし、未知を求めるロザリンドにはそれが伝わらない。



「ウィリアム様、確認しに行こう。だってこの家を守るのは、わたしたちの仕事」


「…………分かった」



 可愛い妻に腕を引っ張られ、ウィリアムは断れるはずもなく、真夜中のヴァレンタイン侯爵家を探索することとなった。









「わぁ……暗くて不気味!」



 ロザリンドは、いつもと違う屋敷の雰囲気がいいのか、楽しそうな声を上げた。



「……ロザリンド、何故明かりをつけない?」


「だって、シンシアが化け物と遭遇したとき、明かりをつけていなかったから」


「怪我をしたら本末転倒だろう。私たちは屋敷の安全を確かめるために見回りをしているのだから」


「分かったよ、ウィリアム様」



 ロザリンドは口を尖らせつつ、燭台に火を灯した。

 ウィリアムは周囲が明るくなったことに、ホッと胸をなで下ろす。



「化け物に遭遇したらどうするんだ?」


「うっふふ。わたしには秘策がある。これを見て!」



 ロザリンドは得意げに薬瓶を取り出した。



「シンシアのオカルト雑誌に載っていた、化け物をメロメロにする秘薬を作ったの! ウィリアム様のことも、わたしが守ってみせるよ」


「……それを試したかったのか」


「うん」



 ロザリンドがやけに乗り気だったのは、どうやら胡散臭い新薬を試したかったらしい。

 ウィリアムは溜息を吐くと、薬瓶ごとロザリンドの左手を握った。すると、ロザリンドはみるみる顔を紅潮させる。


 その初々しさにウィリアムは悶えながら、ふたりっきりの廊下を歩いて行く。








 

「エントランスホールに着いたが、特に変わったことはないな」



 肖像画が外されている以外は、特に変わりは見受けられない。

 しかし、ロザリンドは遠くを見つめて首を傾げた。

 


「……ねえ、ウィリアム様。何か聞こえない……?」


「そんなことあるわけ――」







 ――ギィ……ギィ……ギィーコ……ギィーコ……






 恐ろしい化け物の声がウィリアムの耳朶を打つ。



「うわぁぁああああ!」



 否定の言葉は飲み込まれ、ウィリアムの喉から出たのは情けない叫び声だった。



「よくもウィリアム様を……ええい、化け物! メロメロになりなさい!」



 取り乱すウィリアムを残し、ロザリンドは薬瓶を開けると秘薬を辺りにぶちまけた。





 暫しの沈黙の後。

 ついに化け物がふたりの前に現れた。





「ギィーコ、ギフフ」


「猫か……?」



 不気味な声を上げながら、煤けた色の大きな猫が秘薬の染みこんだ絨毯を舐めていた。

 どうやら秘薬はこの猫が気に入る味らしい。




「か、かわいい~!!」


「ロザリンド!?」



 ロザリンドは猫を抱き上げると嬉しそうに頬ずりした。


 猫は太っているし、毛並みは最悪で、何より目つきが悪く、人を馬鹿にしたような顔つきをしている。ウィリアムはとても可愛いとは思えなかった。

 今だってロザリンドの腕の中から、『おら、羨ましいんだろ? おらおら』と小馬鹿にしたような目線を送ってくる。



(なんて不細工で可愛げのない猫なんだ……!)

 


 ウィリアムは鋭い眼光で猫を睨み付ける。



「見て、ウィリアム様。この猫、ウィリアムに少し似ている。すっごく可愛い!」


「ぐはぁっ!」


 ウィリアムはあまりの精神的衝撃に、膝から崩れ落ちた。

 ロザリンドは猫を抱いたまま撫でている。猫も気分がいいのか、喉を鳴らし、気持ちよさそうにしていた。



「……ねえ、ウィリアム様。この子どうするの?」


「野にでも放てば……って、ロザリンド?」



 ロザリンドは悲しそうに目を伏せると、そっと猫の右目の古傷をなぞった。

 猫は『ギフフ』と野太い声で鳴く。



「この子、右目に傷があるの。野生動物の世界は弱肉強食。右目が見えないハンデがあるこの子は、生き残れるのかな……?」



 まるまるとした体型やふてぶてしさから、この猫はロザリンドが心配するような弱者ではないことをウィリアムは分かっていた。

 しかし、ロザリンドの潤む瞳にウィリアムは降参する。



「…………分かった。このブサ――もとい、猫はヴァレンタイン侯爵家で飼うことにしよう」


「ありがとう、ウィリアム様。……それとよろしくね、猫様!」



 この日、ヴァレンタイン侯爵家に新たな家族が加わった――――






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