33話 取り残される者たち
がたんがたんと馬車は揺れる。
手足を縛られ、馬車の床に転がされているロザリンドは、その衝撃を直接的に感じていた。
(相当な悪路だね。整備された道じゃない……。スペンサー公爵家を出てからどのくらいの時間が経ったのだろう?)
ロザリンドは痛む身体に鞭を打ち、必死に思考を巡らせる。死ぬことができなかった今、ロザリンドはクリスティーナから逃れる術を考え、情報収集を行っていた。
「ああ、つまんないわ。ねえ、ロザリンド。お話しましょうよ」
ロザリンドの口から布がとられる。
そのとき、馬車が大きく揺れてロザリンドは危うく舌をかみ切りそうになった。
「やっぱり、死ぬことは止めたのね。臆病なロザリンド」
「なんとでも言って」
ロザリンドは先ほど自害しようとしたが、少しだけ頭が冷えた今は愚かな選択だったと思っている。
(……わたしが死んだら、ウィリアム様が悲しむもの。足掻いて、足掻いて、足掻いて、それから死を選択したって遅くはない)
心が通じ合い、本当の夫婦となった今、ロザリンドはウィリアムを失うことなんて考えられない。それはきっと、ウィリアムも同じはずだ。自惚れではなく、確信的にロザリンドは思う。それほどまでに、ロザリンドとウィリアムは強固な絆で結ばれている。
「継母に殺されかけ、父の伯爵にも愛されず、研究にのめり込む変人令嬢。わたくしね、ロザリンドの噂を聞いたときに思ったの。恵まれているはずなのに、なんて可哀想な子だろうって」
「……初めて会話したときも言っていたね。わたしが可哀想だって」
「でも、それもすぐに思い直したわ。だって、わたくしが恋したファリス教授に一番愛され、割り込めない信頼関係を築いていたんだもの」
「……わたしとファリスは、クリスティーナが望んだような関係じゃない」
ロザリンドとファリスの間にあったのは、師弟の絆だ。お互いの身分の隔たりは嫌というほどに感じていたし、決して恋情のたぐいではない。
「そうでしょうね。でも、わたくしは貴女が羨ましかった。可哀想なはずのロザリンドに嫉妬していたのよ……!」
クリスティーナは顔を見にくく歪め、未だ床に転がっているロザリンドを見下ろした。
「わたくしはね、ファリス教授が叙爵された後に彼と結婚するつもりだったの。貴族になったからには、貴族の妻を娶らなくてはいけないわ。新興貴族の相手ならば、伯爵令嬢みたいに身分が中途半端に高いよりも、男爵令嬢であるわたくしが適任だもの。ファリス教授も断りはしないでしょう?」
「……ファリスは貴族になりたいなんて、微塵も思っていなかったよ」
「でも、優秀者を積極的に登用し、貴族の身分を与えている今の女王の政策ならば、ファリス教授は貴族になることを拒むことができなかったはずよ」
「……そうかもしれないね。でも、ファリスは黄金の錬金術師として死んだ」
クリスティーナが言った通り、ファリスが死んだのはロザリンドのせいだ。それは紛れもない事実。
ロザリンドは唇を噛みしめた。
「……その顔が気に入らないのよ。ファリス教授に心を愛され、国に才能を愛された、ロザリンド。貴女は可哀想なはずなのに、ことごとくわたくしの欲しいものを手に入れていく」
「クリスティーナの欲しいもの……?」
「ロザリンドと狼侯爵の結婚が整ったと聞いたとき、わたくしはとっても嬉しかったわ。親に強制され、恐ろしいと噂の残虐非道の狼侯爵の妻になる。身分があるのに、なんて可哀想なのかしら! ……最初はそう思って、貴女の噂が社交界に流れるたびに、心を躍らせていたわ」
なんとも言えない告白にロザリンドは顔を顰めた。
しかし、クリスティーナはロザリンドのことなど気にせず続けて話す。
「でも、しばらくして、お父様からわたくしに平民との結婚命令が下された。知らず知らずのうちにゴートン男爵家は苦しい財政を強いられていたわ。隣に領地を賜った新興貴族の領地開発によって、商人たちがゴートン男爵領から撤退し、主力商品だった農作物もまた、別の新興貴族の領地のほうがいいものが収穫できるようになって、見向きもされなくなった。お父様たちは周りの貴族たちに落ちぶれた姿を見せないように、宝飾品を漁り、外見だけは取り繕っていたのよ」
「……それは」
「ねえ、わたくしたちって努力が足りないのかしら。それとも身の丈にあった質素な生活をすべき?」
クリスティーナは自虐的な笑みを浮かべ、ロザリンドは何も言えずに黙り込む。
「わたくしね、いくら才能があっても、決して叙爵されることのない商人と結婚することになるって聞いたとき、身の毛がよだつような感覚だったわ。ずっと貴族として生活してきたのに、平民になるなんて考えられない。だから、わたくしの研究で領地を富ませようと思ったの。でも、わたくしに領地を富ませるだけの資金も、才能も無かったのよ。だって、わたくしの知識は他人の受け売りでしかないのだもの」
「クリスティーナ、学院は・・・・・・」
「辞めさせられたわ。ゴートン男爵家には学費を払うこともできなかったし、わたくし程度の才能を買ってくれる人もいなかった。……そして、やっと気づいたの。才能ある者を積極的に登用し、国力を高め、いち早く戦後の復興を遂げる。女王の政策は素晴らしいものだわ。だけど、わたくしのような、貴族の身分しか誇れることのできない人間には、とても生きにくい世界なのよ」
「だから、ベルニーニと手を組んだ?」
ロザリンドが問いかければ、クリスティーナはこてんと首を傾げた。
「あら、気づいていたの。そうよ、ロザリンドを手土産にしてベルニーニでわたくしはやり直すのよ。子爵の身分をくれるって約束も取り付けた」
「……そんなの上手くいくと思っているの?」
「少なくとも、フランレシア王国よりは居心地がいいと思っているわ。ベルニーニの思想は、わたくしの肌に馴染むみたい」
「……アリックは?」
あの純朴そうな青年の名を出せば、少しはクリスティーナの心が動くかもしれない。ロザリンドの思惑は大きく外れ、クリスティーナは無表情で言葉を紡ぐ。
「意外に役に立ったわ。わたくしがおねだりすれば、なんでも買ってくれたし、色々な利権を貸してくれた。今はせいぜい、わたくしの代わりに王太子暗殺未遂の犯人として拘束されているでしょうね」
「……酷い」
「どうして? だって彼は貴族ではないもの」
真顔で言うクリスティーナに、ロザリンドはたじろぐ。
(クリスティーナは貴族の身分に執着している。それがアリックとの結婚で、押さえられなくなったんだ……)
王太子を暗殺しようと企み、ロザリンドを誘拐したクリスティーナはもう後に引けない状況だ。そして憎しみの対象であるロザリンドが何を言ったって、彼女は聞き入れようとはしないだろう。
「……わたしたちの道は結局、交わることはなかったんだね」
ロザリンドがそう呟くと、クリスティーナの瞳が僅かに揺れた気がした。
――キィィイイイイ
確認する間もなく、馬車が大きく揺れる。
馬車は突如止まり、外で御者をしていた男たちが騒ぎ出す。
(目的地についた……って訳じゃないみたいだけど)
「一体何事な、の……」
クリスティーナが馬車の扉を開けて言い放つが、後半は尻すぼみに小さな声となった。
「そう……わたくしはここまでなのね」
何が起こったのか分からず、ロザリンドが身を捩れば、誰かに持ち上げられ、そして抱きしめられた。顔は見えないが、この温もりは既視感がある。
「……ウィリアム様。また会えた……」
「ああ、私はここにいる。君を守ることができて、本当に良かった……」
ウィリアムはロザリンドの手足の拘束を剣で引き裂くと、再びロザリンドの存在を確かめるように強く抱きしめる。
「はーい、3秒で終了だよ」
ジェイラス王太子が、無理矢理ロザリンドからウィリアムを引きはがした。
「何をする、ジェイラス!」
「僕がオーレリアと3秒しか抱擁を交わせなかったのに、君たちが幸せそうに抱擁を交わす姿を許容できると思う……?」
「惚気るのはいいから、卿と殿下も手伝ってくださいよぉぉおお!」
聞き慣れない叫び声を聞き、ロザリンドは御者台の近くにいる男を見た。オレンジ色の髪が特徴の彼は、軍服に身を包み、涙目でこちらを見ている。
(……どこかで見たことがあるような?)
ざぁーっと記憶を探り、ロザリンドはポンッと手を叩いた。
「死にかけたウィリアム様を頑張って担いできた軍人さんだね」
「そうっすよぉ。お久しぶりっす、恋のキューピットラッセル少佐っす!」
ラッセルはきゅいっとクリスティーナの配下の男たちを見事に縛り上げると、へたり込んでいるクリスティーナの元へと向かい、彼女も同じように縛り上げた。
「クリスティーナ・ゴートン。何故、拘束されているのか分かるよね?」
「ふふっ。わたくしを捕まえたからといって、現体制をよく思っていない貴族は多くてよ」
クリスティーナは挑発的な目をジェイラスに向けて言った。
「確かに革新的な王は、敵が多いよね。でもさ、堅実な王にも、傀儡の王にも、政敵はいるものだよ。万人にとって良い王なんて存在しない」
「そうですか。では、適応できないわたくしたちは淘汰されるべき存在なのですね」
「極論だね。君はやり方を間違えた。ただそれだけの話だよね?」
「ジェイラス王太子殿下の考えをわたくしが認めることができないのと同時に、わたくしの考えもまた理解されないのでしょうね」
クリスティーナは薄く笑うと、ロザリンドへと視線を移した。
「ねえ、ロザリンド。わたくしに何か言うことはないの……?」
ロザリンドは口汚くクリスティーナを罵る気も、憎む気もなかった。
クリスティーナはロザリンドを憎んでいたし、ロザリンドもそれを知っていた。けれど、ロザリンドが憎しみの感情を抱かなかったのは、クリスティーナだけがずっと懐かしむようにファリスの話をしてくれて、尚且つ、ファリスと同じ研究に取り組んでくれていたからだ。
「……わたしは、クリスティーナのことが嫌いじゃなかったし、クリスティーナの作る薬が好きだったよ。果物ジュースの中に薬を溶かして飲みやすくする研究は失敗ばかりだったけど、最終的には薬の効能をそのままにジュースと溶け合わせることに成功していたよね。研究に協力してくれていた子どもたちも、クリスティーナも笑顔だった」
そう、きっとあの笑顔は偽りではない。クリスティーナには才能があった。ただそれが、クリスティーナの求める人たちが見つけられなかっただけだ。
「ロザリンド……貴女って、わたくし並に性格が悪かったのね」
クリスティーナは小さく呟くと、空を見上げて一筋の涙を流した。




