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狼侯爵と愛の霊薬  作者: 橘 千秋
第一章
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29話 未来への一歩

 死灰毒を受けたオーレリアは、担架で別室に運ばれた。


 純白のリネンで整えられたベッドに寝かせると、オーレリアは身体の先から全身に走りゆく痛みと、肉体が灰へと変換される恐怖に耐えながら、息を乱して呻く。


 着実に死灰毒はオーレリアの精神と肉体を蝕み、死へといざなっていた。



「思っていたよりも進行が早いね」



 矢傷を負ったオーレリアの腕は、もう肩と指の先まで灰色に染まっている。ロザリンドは、オーレリアの僅かな異変も逃さないように、丁重な動作で触診をしていく。



「ヴァレンタイン侯爵夫人。頼まれておりました、道具をお持ちいたしました」


「ありがとう」



 ロザリンドはスペンサー公爵家の主治医にお礼を言うと、オーレリアから離れ、治療補助の侍女たちが運んできた道具の確認をする。


 医術道具と薬剤の大半はロザリンドがあらかじめ馬車に積んでいた道具だが、足りないものはスペンサー公爵家が用意してくれたようだ。調合の道具一式までそろっている充実ぶりである。



「では、私は貴族たちの手当をして参ります」



 主治医はよそ者のロザリンドに嫌な顔をせず、深々と頭を下げた。その様子にロザリンドは目を瞬かせる。



「……オーレリア様の主治医は貴方でしょう? ぽっと出のわたしに任せてしまっていいの?」


「かまいません。ジェイラス王太子殿下がヴァレンタイン侯爵夫人に任せると言ったのなら、それが最良の選択ということです」


「そうだね。死灰毒の解毒薬を作るため、わたしはこの4年間を生きてきた。わたし以上にオーレリア様を助けられる存在はいない」



 ロザリンドは深く深呼吸をすると、主治医に強い意志の籠もった琥珀の双眸を向ける。



「安心して。わたしは……天才だから」



 自分を奮い立たせるように、偉大な師匠の馬鹿みたいな口癖をロザリンドは口にした。



「……オーレリアお嬢様を……どうぞ、よろしくお願いいたします」



 主治医は柔らかく微笑むと静かに退室した。

 ロザリンドは白衣に袖を通すと、部屋に残った侍女たちへ視線を移した。



「オーレリア様の体温を下げないように、部屋を温かくして。それと今から調合を行うからその補助をお願い」


「「「はい」」」



 侍女たちは素早く動き、ロザリンドの指示通りに動いていく。

 ロザリンドはトランクの中から、フラスコボトルに保存していた解毒薬のサンプルを数本取り出す。これらは、すべて失敗作だった。


 しかし、ロザリンドは膨大な実験記録から結果から、新たな解毒薬の構想を導き出した。



(……実験鼠で経過を調べた訳じゃないけれど、わたしの中では、この薬の配合以上に死灰毒に有効だと思えるものは無かった。だから……わたしは自分を信じる)



 ロザリンドはサンプルを混ぜていくと、ドレスをたくし上げた。



「ろ、ロザリンド様!?」



 調剤補助をしていた侍女が、悲鳴にも似た驚きの声を上げる。ロザリンドはそれを気にもせず、太ももに付けられたガーターリングに差し込まれている試験管を一つ取り出した。

 試験管の中はには、紫黒色の破砕された死霊花の粉末が入っている。


 ロザリンドは死霊花の粉末とサンプルを溶け合わせていく。すると不思議なことに、薬液は輝くような琥珀色へと変化していった――――



「……後はろ過したら完成」



 ロザリンドはろ過作業を侍女に任せ、オーレリアの傍へと急いだ。



「オーレリア様! 起きてください、オーレリア様!」



 意識をなくしていたオーレリアの耳元でロザリンド叫んだ。


 すると、オーレリアの銀色の睫毛が僅かに上がる。



「ろ、ロザ、リンド、様……?」


「オーレリア様、気を確かに! 死灰毒になど、負けてはいけません」



 オーレリアの瞳は依然として焦点が合わない。胸のあたりまで灰色に肌だ染まっている。一刻の猶予もない状態だ。しかし、意識はゆっくりと覚醒しているらしく、オーレリアは断続的に唇を震わせる。



「……ジェ、イ、ラス……殿下は……ご無事、です、の……?」


「無事です。今は襲撃者を捕まえるために、王太子として動いております」


「良かっ、た……ですわ。そ、れでこそ、未来、の、賢王……」



 オーレリアは心底嬉しそうに、目を細めた。


 しかし、眉尻から一筋の涙がこぼれ落ち、シーツに小さな染みをつくる。



「……約、束は、半分だ、け……果たせ、ま、したわ……」



 オーレリアの言う約束がなんなのか、ロザリンドには分からない。しかし、それがオーレリアにとって、心から大切な思い出であることは、鈍いロザリンドにも察せられた。



「半分だけならば、それは約束を果たせたとは言えません」



 ロザリンドはオーレリアの頭の下にクッションを敷き、薬を飲みやすい体勢にした。そして侍女からろ過をし終えた解毒薬を入れた水差しを受け取り、オーレリアの口元へと運ぶ。



(良かった。オーレリア様は、ウィリアム様みたいに薬が苦手な訳じゃないみたい)



 オーレリアが解毒薬を2度3度と嚥下するのを見届けると、ロザリンドは小さく息を吐く。



「……できることは、全部、全部やり尽くさなくちゃ……!」



 ロザリンドが作り上げた解毒薬は、自分の中で最高峰の出来だ。だが、だからといって、それが必ずしも効くとは限らないし、解毒薬を飲んだからといって、すぐに効能が現れる訳ではない。



「絶対に助けてみせる……!」



 ロザリンドは即席の保湿剤をつくると、乾燥して今にも灰になりそうなオーレリアの腕に優しく塗り込む。聴診器で胸の音を確認し、オーレリアの傍を片時も離れず、凄まじい集中力で治療を続けていった。



 そしてオーレリアの容体が安定したのは、空が白み始めた時だった。



「脈拍正常、呼吸も安定している。矢傷も化膿していないし、肌もほぼ元の色に戻っている。成功だね」



 ロザリンドは贖罪の気持ちから死灰毒の研究をしている節があった。しかし、こうして親しくなったオーレリアを救えたことで、過去の呪縛から大きな一歩を踏み出すことができたような気がした。



「ロザリンド様。お疲れでしょう? オーレリアお嬢様のことは、私共が責任を持って見守っております。ですので、少し休息をお取りください」



 安らかな顔で眠るオーレリアを一瞬だけ見ると、ロザリンドは口角を上げた。



「じゃあ、お言葉に甘えて少しだけ」



 ロザリンドは白衣を脱いで背を伸ばすと、なるべく音を立てないように部屋から出た。

 すると、穏やかに微笑むクリスティーナがロザリンドを出迎えた。



「……クリスティーナ? どうしてここに?」


「わたくしはエレアノーラ国学院で薬学を勉強しているでしょう? 何か手伝えることはないかと思って来たの。だけどその必要はないみたいね」


「クリスティーナのいう通り、オーレリア様の容体は安定したよ。手伝ってくれようとした気持ちだけでも嬉しい」


「それにしても凄いわね。あのベルニーニの死灰毒を解毒してしまうなんて」



 ロザリンドはクリスティーナの言動に僅かな疑問を持ったが、疲労が色濃かったこともあり、思考するのを止めた。



「ロザリンド、顔色が悪いわよ。気分転換に外の空気でも吸いに生きましょう?」


「そうだね」



 ロザリンドはクリスティーナに促されるまま、庭園へと歩を進めるのであった――――




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