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狼侯爵と愛の霊薬  作者: 橘 千秋
第一章
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27話 華やかな夜会

 ダンスホールにワルツの曲が流れ始めた。

 それと同時にパートナーの男女が手を取り合い、優雅にステップを踏んでいく。ロザリンドとウィリアムも彼らに倣う。



(良かった。そんなに難しい曲じゃない)



 ロザリンドはほっと安堵の息を吐きながら、ウィリアムを見上げた。

 ウィリアムは眉間の皺を緩ませ、愛しそうにロザリンドへ微笑みを向ける。



「ちゃんと踊れるじゃないか、ロザリンド」


「お、オルトンにしごかれたからね」



 気恥ずかしくなったロザリンドはウィリアムから視線を逸らした。

 顔だけじゃなく、ウィリアムと繋いでいる手も火照りだす。結婚をして正式な夫婦となったのに、ロザリンドはウィリアムの前では初恋に焦がれる少女のようになってしまう。



「……ウィリアム様、好き……」



 ロザリンドは思わず心の声が漏れてしまった。

 するとウィリアムの眉間に再び深い皺が刻まれる。



「ぐうっ……不意打ちか……卑怯な!」


「不意打ちは立派な戦術の一つだと思うけど……?」


「ぐ、軍人として、そう言われると反論ができないな……」



 曲が山場になり、ロザリンドとウィリアムはより密着してダンスを踊る。

 ダンスなんて大嫌いだったのに、ロザリンドはウィリアムとならば好きになれる気がした。言葉を使わずに、心が一つに溶け合うような心地になる。



「ずっとこうして、ロザリンドとふたりで踊っていられたらよいのにな」


「……そうだね」



 ウィリアムもまた、ロザリンドとのダンスを楽しんでくれていることを嬉しく思ったが、曲には終わりがある。

 ワルツの調べは響き終わり、心を通わせていた男女は別のパートナーの元へと去って行く。



「ヴァレンタイン侯爵夫人、私と一緒に踊りませんか?」



 若い令息や老齢の紳士たちがロザリンドの元へやってきた。



(ふっ……わたしからヴァレンタイン侯爵家の――ウィリアム様の弱みを握ろうって腹だね。そうはいかないよ)



 これほどの申し込みがあるのだ。体面もあるし、酷く面倒だと思っても、普通ならばロザリンドは誰かしら選んで踊らなくてはならない。だがロザリンドには彼らの誘いを断る良い口実があった。



「ふわぁ……」



 ロザリンドはついに耐えきれなくなり、ウィリアムへもたれるように倒れた。ウィリアムは慌ててロザリンドの身体を支える。

 ロザリンドの顔は真っ青になり、体調が優れないことは明白だ。ロザリンドが貧弱なのを忘れてはいけない。



「ロザリンド、大丈夫か!?」


「ウィリアム様、支えてくださりありがとうございます。……皆様、申し訳ありません。ダンスはまたの機会にしていただけますか……?」



 目を潤ませて儚くロザリンドが言うと、彼らは目を見張り、頬を朱に染めた。

 しかしウィリアムが威嚇するように睨むと、彼らは蜘蛛の子を散らすように逃げてしまう。

 ロザリンドは息を乱しながら、ほくそ笑む。



「さす、が、わたしとウィリアム様。息の合った撃退法……」


「無理をするな、ロザリンド。体調が悪いのは本当だろう」



 そう言うと、ウィリアムはロザリンドを優しく支えながら、壁際に備え置かれたソファーへと向かう。そしてロザリンドをソファーに座らせると、ウィリアムもロザリンドの隣に腰を下ろした。



「すごいでしょう、ウィリアム様。笑顔のままダンス一曲踊れるようになったんだよ」



 ロザリンドは鼻高々に自慢した。



「頑張ったな。だが、これからも体力作りに励みなさい」


「え……これ以上を求めるなんて、ウィリアム様は貪欲すぎる! わたしに死ねと言うの!?」


「……そういうことは、せめて人並みの体力をつけてから言いなさい」



 ウィリアムは立ち上がると、ロザリンドの頬を撫でた。



「飲み物を取ってくる。ここで大人しくまっていなさい、ロザリンド」


「分かった。誰に話しかけられても、このソファーに座る権利は渡さないから安心して!」


「ああ、よろしく頼んだぞ」



 ウィリアムは人混みに呑まれていき、やがてロザリンドは彼の姿を見失う。

 ソファーの肘掛けに軽く身体を預け、時間を有効に使おうと研究のことを考えていると、ロザリンドの前に桃色のドレスを身に纏った令嬢が現れる。クリスティーナだ。



「ロザリンドがパーティーに参加しているなんて、夢にも思わなかったわ。どういう風の吹き回し?」



 ロザリンドは居住まいを正し、クリスティーナを見上げた。

 クリスティーナの隣には、純朴そうな青年が控えている。



「クリスティーナ? 王宮で会って以来だね、久しぶり。隣の男性は誰……?」


「わたくしの婚約者。貿易会社を経営しているアリックよ」


 家名がないということは、アリックは平民なのだろう。子爵家以上の貴族の中で平民と婚姻を結んだ例はないが、男爵家では時折あることだ。クリスティーナも男爵令嬢だから、おかしいことではない。



「クリスティーナの婚約者のアリックと申します」


「ロザリンド・ヴァレンタインです。クリスティーナの婚約者ですから、アリックはとても優秀なんでしょうね」



 女王が身分を問わずに優秀な者を重用する人なので、アリックがスペンサー公爵家のパーティーに来ていても自然な流れだとロザリンドは思った。



「僕なんてまだまだですよ。クリスティーナには助けられてばかりです」


「わたくしだって、アリックに助けられてばかりだわ」



 お互いを尊重し合うふたりは、とても良い組み合わせに見えた。ロザリンドは、腐れ縁のクリスティーナが幸せになれそうなことに嬉しくなる。



「結婚式にはいつ? クリスティーナがエレアノーラ国学院を卒業してからだろうから、来年?」


「それはまだ決まっていないわね。決まったらすぐにロザリンドに教えるわ」



 クリスティーナは微笑むと、ロザリンドの瞳をじっと見つめた。



「それにしても、びっくりしちゃったわ。長い付き合いだけど、ロザリンドの素顔を初めて見たもの」


「うん。まあ……色々あってね」


「大丈夫? 無理していない? ヴァレンタイン侯爵に大切にされているの?」


「ウィリアム様は、わたしを大切にしてくれているよ。とっても頼りになって、かっこいい旦那様なの!」



 ロザリンドは両頬に手を当てて、身体をくねらせながら惚気た。

 クリスティーナは呆れるように溜息を吐く。



「心配はいらないみたいね」


「ヴァレンタイン侯爵夫人とお話ししていたいでしょうけど、そろそろ時間ですよ、クリスティーナ」



 アレックが懐中時計を見ながら言った。



「あら? 本当ね。他の貴族にも挨拶をしなくてはならないから、これで失礼するわね、ロザリンド」


「うん。またね、クリスティーナ」



 クリスティーナたちに手を振り見送ると、入れ違いにウィリアムが戻ってきた。彼の手には蜂蜜色の飲み物が入ったグラスがある。



「今のは誰だ?」


「学友だったクリスティーナと、その婚約者」


「そうか。私も挨拶すればよかったな」



 ロザリンドはウィリアムから飲み物を受け取ると、ちびちびと飲み始めた。



「……お酒じゃない」



 てっきりお酒だと思っていた飲み物の正体は、レモンスカッシュだった。



「君がお酒を飲んでいいのは、私と二人きりの時だけだ」


「ぶう……ケチ……」



 口を尖らせてロザリンドは抗議するが、ウィリアムは頑として譲ろうとしなかった。

 不満に思ったロザリンドだったが、レモンスカッシュが予想以上においしく、次第に笑みを浮かべ始める。それに安堵したウィリアムも給仕からワインを受け取り、ロザリンドの隣で飲み始める。


 壁際のソファーから、まるで傍観者のように煌びやかな夜会の様子を眺める。

 こうして華やかな社交界に身を置いていることを、ロザリンドは他人事のように思っていた。



(でもやっぱり楽しめないな。研究のほうがずっとずっと楽しい)



 華やかに見えても、それは見せかけだけだ。ロザリンドですらそう思う。貴族社会は怖い場所。しかし、ウィリアムの妻として、ロザリンドはここで生きていかなくてはならない。その覚悟はとうにできていた。



「……なんだ?」



 ウィリアムが唸りながら、ロザリンドたちから離れた一角を睨み付けている。ロザリンドもウィリアムの視線の先へと目を向けるが、特に変わったところは見られない。



(あそこにいるのは……オーレリア様とジェイラス王太子?)



 会話をしているふたりの元へ、中年の貴族男性が近づいていく。


 挨拶だろうか?


 ロザリンドがそう思っていると、ウィリアムが血相を抱えて駆けだした。



「君は安全な場所へ避難しなさい!!」


「ウィリアム様!?」



 突然のウィリアムの行動にロザリンドは困惑した。

 しかしロザリンドのことなど置いて、事態は進展していく。



「フランレシアに神の鉄槌をぉぉおお!」



 そう叫ぶと、貴族男性は隠し持っていたナイフでジェイラス王太子に斬りかかった――――



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