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狼侯爵と愛の霊薬  作者: 橘 千秋
第一章
26/57

26話 いざ戦場へ

 夜会当日まで、ドレスや装飾品の調整やダンスレッスン、侯爵夫人の仕事、研究、研究、研究と目まぐるしい速度で日々は過ぎていく。


 ロザリンドは支度部屋で侍女たちと選び抜いたオーダーメイドのドレスを纏っていた。



「とってもいい色だね、この熟成した生肉色のドレス」


「ワインレッドでございますね、奥様」



 シンシアはロザリンドの髪を器用に結いながら微笑んだ。

 ロザリンドは鏡に映る、普段とは別人の自分を食い入るように見つめた。



「ねえ、シンシア。わたし、強そう?」


「もちろんです、奥様。どのご婦人、ご令嬢方よりも強いです。出会った瞬間、粉微塵です、心が!」


「泣く子も黙る狼侯爵の隣に立つんだもの、戦闘力は高くいかなくちゃね」


「ええ。ふっふふ……わたくしたちの愛と技術が爆発寸前まで濃縮された奥様に、愚民共は平伏せばいいんです!」



 ロザリンドとシンシアは同時に深く頷いた。



「奥様、結い終わりました。これで完成です」


「ありがとう」



 ロザリンドはくるりと回転し、姿見の前で自分の姿を確認した。

 ワインレッドのドレスはフリルが多く、美しいドレープを描いていてロザリンドの少女らしさ仄かに引き立てている。輝く金髪は複雑に編み込まれ、真珠と赤い薔薇の飾りで纏められていた。頬はほんのりと桃色に色づいていて、初々しさも感じる。



「……本当に強そう?」


「最強ですよ、奥様!」


「シンシアがそう言うのなら、強いんだね」



 ロザリンドが納得していると、部屋にノック音が響く。現れたのはウィリアムだった。



「準備はできたか、ロザリンド」



 ウィリアムはいつもの軍服ではなく、黒色の正装を纏っていた。シンプルで装飾が少ない装いだが、ウィリアムの鍛え上げた肉体と姿勢の良さで美しく、着こなしている。鋭い眼光はいつものままで威圧感満載だが、歩くたびに揺れるウィリアムの黒髪がしっぽのように見えて、ロザリンドは可愛らしいと思った。



「ウィリアム様、かっこいい!」



 ロザリンドが抱きつくと、ウィリアムはたっぷり一分間ほど硬直した。そして我に返ったかのように硬直を解くと、片手で顔を覆う。



「……辛い」


「大丈夫、ウィリアム様!? どこか痛いの!?」



 ロザリンドは慌ててウィリアムに問いかける。

 ウィリアムは小さく首を振った。



「いや、なんでもない。そのドレス、とても似合っているぞ、ロザリンド」


「そうでしょう? この健康的な成人男性の血の色みたいなドレスなんて、ウィリアム様に負けないぐらい強そう!」


「奥様、ワインレッドですよ」



 シンシアがやんわりと訂正した。



「……ああ、可愛すぎる。ロザリンドをこのまま閉じ込めておきたい」


「旦那様、いけません! わたくしたちが日夜溢れんばかりの興奮を源に磨き、飾り立てた最強の奥様を閉じ込めておくなんて人類の損失、美への冒涜です! 『これがヴァレンタイン侯爵家が誇る珠玉の宝石だ!』とばかりに見せびらかしましょう」


「……シンシア、普段と性格が違いすぎないか……」


「いつも通りだと思うよ?」



 ロザリンドがそう言うと、ウィリアムは小さく溜息を吐いた。



「もう時間が差し迫っている。ではロザリンド、夜会にいくぞ」


「いざゆかん、戦場へ!」


「夜会だ、夜会」



 ウィリアムは愛しそうに目を細め、ロザリンドの腰を抱く。そして紳士的に夜会へ行く馬車にロザリンドをエスコートするのだった。











 夜会会場はオーレリアの生家、スペンサー公爵家だ。重厚な門扉と広大な庭を抜け、馬車から降りると、色とりどりの薔薇で作られた華やかなアーチがロザリンドとウィリアムを迎える。


 スペンサー公爵家の使用人に案内されながら、ロザリンドはウィリアムに小さく耳打ちをした。



「ねえ、ウィリアム様。いくら夜会に綺麗な人がいるからって浮気はしないでね。もちろん男性もダメだから!」


「……君は大人しく私の腕に捕まっていなさい」


「楽にしていていいの? 分かった」



 ロザリンドはウィリアムの逞しい腕に抱きつき、嬉しさで花が咲くように可憐な表情で笑った。



「……とても心配だ……」


「別に夜会が初めてだっていう訳じゃないし、オルトンの淑女強化合宿も乗り越えたわたしに死角はないよ!」


「そういう意味ではない。……ロザリンド、私の傍を離れるなよ?」


「威嚇すればいいんだね。分かった!」



 ロザリンドとウィリアムは夜会の会場へと足を踏み入れる。

 あちらこちらから聞こえる驚きの声と、好奇の視線がロザリンドに一斉に向けられた。



(怯んじゃダメ。わたしはウィリアム様の妻なんだから!)



 ロザリンドはオルトンに教えられた通り、上品さを意識して淑女らしく微笑んだ。夜会すると大勢の人々によって、一斉に取り囲まれる。



「ヴァレンタイン侯爵、そちらが噂の奥方ですかな?」


「まあ! わたくしたちと一緒にお話いたしませんか?」



 老若男女、名前も知らない人々に話しかけられ、引きこもり気質のロザリンドは慌てふためいた。



(お、おかしいよ。夜会ではウィリアム様に近づく人はあんまりいないって聞いていたのに!)



 予想と違う自体にわたわたと焦り、ロザリンドは対応に苦慮する。するとロザリンドを守るようにウィリアムは一歩前に出た。



「失礼。まだ主催者に挨拶しておりませんので」



 ウィリアムがそう言うだけで、ざっと人垣が分かれて道ができる。ロザリンドは内心でびくびくしながらウィリアムと共に会場の奥――主催者の元へと向かった。



「なんて美しいんだ、オーレリア! 今宵の君は、蒼海でたゆたい男たちを魅了する人魚のように蠱惑的だ。もう我慢できない、僕と結婚して一生捕らえてくれ……!」



 以前も見た、ジェイラス王太子とオーレリアの求婚劇が繰り広げられていた。先日見たスーツ姿とは違い、オーレリアは落ち着いた青のドレス姿を身に纏っているが、女性らしい肢体と美貌、そして本人の放つ存在感によって誰よりも輝いて見える。



「嫌ですわ。あ、ロザリンド様、来てくれたのですわね!」



 容赦なくバッサリと求婚を断ると、オーレリアはジェイラス王太子を放置してロザリンドの元へ駆け寄った。



「お、お久しぶりです……オーレリア様……」



 自分の王太子執務室での失礼な振る舞いを思い出し、ロザリンドは尻込みする。しかし、オーレリアは少女のように屈託なく笑うと、ロザリンドの手をそっと握った。



「色々吹っ切れたようですわね、ロザリンド様。貴女の素顔を見られてとても嬉しいですわ。それに今日のドレスは、東方の寒冷地に咲く滅血花めっけつかという植物から滴り落ちる、血――ではなくて蜜のように甘やかな深紅で素敵ですわ」


「オーレリア様のドレスも、青草と希少な馬糞石、人形人参、晶石を一週間休まず煮込んだ胃腸薬のように鮮やかな青色で素敵!」


「わたくしたち、とても仲良くできそうですわね」


「そうだね!」 



 ロザリンドとオーレリアは微笑み合うと、ぐっと握った手に力を入れた。



「あー、そのオーレリア。取り込み中、悪いがスペンサー公爵は……」


「父なら体調を崩して屋敷の奥で休んでいますわ」


「そうか。お大事にと伝えてくれ」



 そう言うとウィリアムはオーレリアからロザリンドを奪い返した。

 オーレリアは目を鋭くさせる。



「生意気にやきもちですの? 捨てられないように土下座して泣いてすがって、靴を舐めてでも引き留めようと本気で思っていた駄犬とは思えない成長ぶりですわね」


「お、オーレリア!」


「二度目はありませんわ。絶対にロザリンド様を手放してはなりませんわよ」



 オーレリアはふんっと小鼻を鳴らすとそっぽを向いた。



「……駄犬? 靴は皮だから美味しくないけど、ジャムでもついていたのかな?」


「君はそのままでいてくれ、ロザリンド!」 



 ウィリアムは酷く慌てた様子で言った。



「オーレリアと仲良くなれたみたいだし、ウィリアムとの夫婦仲が良好のようで安心したよ、ロザリンド嬢」


「……ジェイラス王太子殿下」



 オーレリアに求婚を断られたことから立ち直ったジェイラス王太子が、ロザリンドとウィリアムに近づき微笑んだ。その笑みからは、祝福の感情以外が読み取れない。



(あんなに警戒させることを言ってしまったのに、ジェイラス王太子殿下は何故、わたしに笑いかけられるの……?)



 ロザリンドは訝しむが、それに気づいたジェイラス王太子は真剣な顔をロザリンドに向けた。



「君のことを調べたよ。もちろん、ウィリアムからではなく僕個人の力でね。……ロザリンド嬢の功績は無視できるものじゃない」


「……はい」


「だけど僕は次期フランレシア王として無理強いはしないことを誓うよ」



 ロザリンドは目をぱちくりとさせ、ジェイラス王太子の群青色の双眸をのぞき込む。

 ジェイラス王太子はくすりと笑うと、優しく目を細めた。



「あのね、ロザリンド嬢。僕は母のような才覚を持たない凡人さ。だから一人でも多くの信頼できる有能な人材が必要なんだ。できることといえば、僕に協力してくれる天才たちが能力を遺憾なく発揮できる環境を整えるだけ。ウィリアムの隣で笑っているロザリンド嬢が一番だよ」


「わたし……頑張ります。ウィリアム様の隣でずっと……!」


「ありがとう、ロザリンド嬢。それとオーレリアだけではなく、僕とも仲良くして欲しいな」


「ええ、よろしくお願いいたします!」



 ロザリンドが弾む声で言うと、ぐいっと腕をウィリアムに引っ張られた。



「よろしくね、ロザリンド嬢。……ああ、となりの狼侯爵が不機嫌になってきたね。面白い面白い」



 見上げれば、ウィリアムがむすっとした顔をジェイラス王太子に向けていた。



「男の嫉妬は見苦しいですわ。そんな非生産的なことをする暇があるのなら、ロザリンド様にダンスの一つでも誘えばよろしいものを。このカビの生えた唐変木」


「うっ……」



 ウィリアムは一瞬オーレリアの言葉でよろめくが、すぐに立ち直るとロザリンドの手を取り口づけを落とした。



「私と踊ってくれるか、ロザリンド」


「はい!」



 手を取り合い、ロザリンドとウィリアムはダンスホールへと躍り出た。




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