意地悪令嬢、術中に嵌る
「喜べエレナ!」
教室に足を踏み入れた瞬間、ルトガーの大きな声に出迎えられた。
私を大声で呼び捨てにしたことによりパースリーさんとペルセルさんの顔が引きつったが、ルトガーはそれに気付かずにいる。知らぬが仏というやつだ。
「どうしたの?」
パースリーさん達に問題ないから大丈夫、とアイコンタクトを送りつつルトガーに声を掛ける。
「ほらこれ、俺からの贈り物だ」
そう言って取り出されたのは、なんと呪文学の授業で使う教科書だった。
「え!?」
「なんてな! エレナが呪文学に興味持ってるみたいだったからさ、呪文学の先生に相談してみたら余ってるやつがあるから持っていってあげなさい、ってさ」
実は教科書を貸してくれと頼む前にそれとなく興味があるアピールをしていたのだがどうやら伝わっていたらしい。
ありがとうルトガー。ありがとう呪文学の先生。
本当に貰ってもいいのかと尋ねると、呪文学の先生が直々に持っていってあげなさいと言ったのだから遠慮はいらないそうだ。
これは大きな収穫だ、と思っていたら担任が教室に入ってきたのでルトガーから教科書を受け取って席に着いた。
そして放課後。
私はロルスを連れて図書館に来た。ルトガーと呪文学について話をするために。
私達三人はルトガーと最初に出会った、貸し出し禁止の本が並ぶ棚の近くにある席に着いた。ルトガーお気に入りの席なのだそうだ。
「それにしてもエレナ、呪文学に興味を持つなんて変わり者なんだな」
「呪文学に興味を、というか魔法全部に興味があるだけよ。自分で選択した治癒魔法の教科書はもう全部読んだし占術魔法の教科書もほぼ読み終えているし、レーヴェに見せてもらってる防御魔法の教科書も半分は書き写したところよ」
私の言葉に、ルトガーは目を瞠った。
「また随分と勉強熱心なんだな」
軽く引かれている気がしないでもない。
「魔法を勉強だと思ってないの。でも助かったわ、ルトガーが呪文学の教科書を提供してくれて。呪文学を選ぶ知り合いが居なかったから困ってたの。ありがとう」
「まぁうちのクラスじゃ俺だけだったからな。他のクラスからも多いとは言えない人数だった」
ルトガーはけらけらと笑いながら立ち上がり、貸し出し禁止の本の棚から一冊を手にとって席に戻ってくる。
「将来あまり役に立たないから不人気だとは聞いたけれど、そんなにも人気がないとは思わなかったわ」
私のそんな言葉を聞いたルトガーはうーんと小さく呻る。
「確かに騎士を目指すなら攻撃か防御を選ぶし、就職口が広いのは占術だ。俺だって手堅く占術も選んでいるわけだし」
「治癒は花嫁修業の一環、みたいなところもあるものね。私も占術は選んだわ」
貴族の令嬢達に待ち受ける未来は大抵家と家を結ぶ政略結婚だ。もちろん恋愛結婚がまったくないわけではないけれど、だ。
そして結婚すれば就職よりも跡継ぎを産むことが最優先となる。なので家庭内で何かと役に立つ治癒魔法はおのずと令嬢達にとっての必須科目となるのだ。
もちろん騎士の補佐として治癒魔法を学ぶ者も居るけれども。
就職口が広いという占術魔法は、国家の行く先を占う王宮専属占術師団というお堅いものから占星術なんかの日本でも馴染み深い占いまで、とにかく幅が広い。
それから予測が必要なもの、例えば天気予報なんかも占術の一つだったりする。気象衛星がないから。
あとは人々の目を楽しませるパフォーマンス的な占術として宝石を用いた石占いや花を用いた華占いなどもある。これは学園に通う令嬢達が挙って習いたがるものであり、私もやってみたいものだったりもする。
「役には立たないが、面白いんだけどなぁ呪文学」
ルトガーは手元の本をぺらりと捲りながら言う。
「確かに、面白そうね」
私は私で、ルトガーに貰った呪文学の教科書をぱらぱらと捲りながら言う。
流し読んでみたところ、呪文は主に千年近く前の人々が使っていた魔法なのだそうだ。
近代になるにつれ呪文の詠唱が必要なくなり、消えていった古の魔法。それを解読するのが呪文学だと書かれている。
考古学的なものなのだろうか。
「今では禁止されている魔法があったりするらしいが、その手の呪文はまだ解読されていないそうだ」
「禁止されている魔法? 死者の蘇生とかかしら」
「解読されてないからなんとも言えないが、もしかしたらあるかもしれないな。人の複製とか、悪魔の召喚とか」
面白そうにも程があるな。
きらりと瞳を光らせながらルトガーを見ると、くつくつと笑われた。
「そんなに興味深そうな顔するかー。呪文学の先生がその顔見たら喜ぶだろうな」
なんて言いながら。
「興味深いもの」
禁止されている魔法だなんてファンタジー中のファンタジーじゃないか。
「先生がその教科書をくれたのも、興味持ってくれそうだったら呪文学の世界に引き摺り込むつもりでくれたんだからな」
「そうだったの?」
「まぁ半分は数年かけて結構な数になった余りの教科書を押し付けたみたいなもんだけど」
教科書余り過ぎだしそもそも引き摺り込もうとするほど生徒が確保できていないのかと思うと少し可哀想だ。
「興味を持って一緒に研究してくれると助かるんだってよ。研究する人の頭数は多ければ多いほどありがたい」
なるほどねぇ、と呟きながら呪文学の教科書を眺める。
しかし大人の力を持ってしても解明出来ていないという呪文は、どう考えたって子どもには難しすぎる。
正直これは将来の役に立つか立たないか以前の問題な気がするようなしないような。私の頭がファンタジー脳だったから興味を持ったが、その辺の子どもにとっちゃ禁止されている魔法だの死者蘇生だの悪魔召喚だのピンとこないだろうし釣れもしないだろう。
なんて、顎に手を当てながら考え込んでいると、ルトガーが持っていた貸し出し禁止の歴史書をずい、とこちらに寄せてきた。
「呪文学の話に興味持ったんなら、こっちにも興味を持ってくれたりはしないか?」
そう言いながら、本を指でとんとんと叩く。
「この国の歴史?」
ルトガーが指しているのは、この国の歴史年表だった。教室で習う歴史の教科書には載っていない、細かい年表のようだ。
「そうだ、この国の歴史。初代国王から現在の国王までが並んでいるんだが、違和感はないか?」
日本では語呂合わせで年代を覚えさせられたりしていたが、そういえばこの国ではそこまで詳しい歴史を教えてくれるわけではなさそうだったのだ。歴史の教科書に書いてあったのは初代から現在までの国王の名前だけだったから。
教科書が配られた日にぱらっと見てみて年代覚えなくていいならテスト楽勝だなと思ったからなんとなく記憶していた。
しかし、ルトガーが持っているこの歴史書には詳しい年まで書いてある。
「パッと見た感じはー……ん? あれ、この六代目国王とんでもなく長生きじゃない?」
とても小さな字で、注意して見なければ見落としてしまいそうだったが、どう考えてもおかしい。六代目国王、160年生きてる。
「気付いてくれたか!」
ルトガーはとても嬉しそうな瞳で私を見た。
「160年はさすがに気が付くわね」
この世界の人の平均寿命は大体80年といったところだっただろう。
100年生きる人はそう多くないし、160年はまず無理だ。いくら魔法があるとしても。
「年表の見方を教える前に気付いてくれる相手に出会えるとは思わなかった!」
「あぁ……習わないものね、教科書にも載っていなかった」
何故分かったのかと聞かれたらどうしようかと思ったけれど、ルトガーはそれどころではないようだったので言い訳を考える必要はなさそうだ。助かった。
「この六代目国王の時に色々と歴史が動いているんだ」
「どういうこと?」
そう尋ねると、ルトガーは嬉々として語りだした。今までこの話に興味を持ってくれる人が居なかったのだろう。その姿はさながら同士を見つけたオタクのようだった。
「ここに書いてあるとおりこの年代、丁度六代目国王が戴冠する頃までは今よりももっと多くの国があって、戦乱が絶えなかった。けれどこの国王の時代に国の数が六つに減るんだ」
吸収合併でもされたのだろうな。
「それ以降は戦争がなくなっているのね。六代目国王が平和な世を築いたみたい」
「そう、歴史書を見る限りは平和になっている。だがその頃突然国王を守る六方の魔法騎士というものが作られている」
六方の魔法騎士、現在はあの魔力量が多いと強制連行されてしまうという近衛魔術師団と呼ばれているあれだ。
「平和になったのに、何から守るためなのかしらね? というか、何故平和になる前に作らなかったのかしらね」
タイミングがおかしい。
いやまぁ平和だからといって国を統一したわけでもないので戦乱の危機がまだあったのかもしれないけれど。
「何かから国王を守ろうとしているのは確かなんだが、それは今のところ解明されていない」
「あら、そうなの」
国王を守る六方の魔法騎士、か。なんかよくわかんないけどファンタジー感が強くてテンションが上がる。RPGみたいだ。
「そしてこの頃だ、呪文の時代が終わるのは」
ふと気付けばその言葉と共にルトガーのドヤ顔がキマっていた。
つい、真剣に聞き入っていたがこれは罠だったのだ。いつの間にか完全に呪文学に引き込まれていたから。
知らず知らずのうちにルトガーの術中に嵌っていた。呪文学に引き摺り込もうとしているルトガーの術中に。
面白かったから別にいいけど。
「つい聞き入ってしまったわ。ルトガーってお話が上手ね」
私がそう言うと、ルトガーはちょっぴり照れくさそうに笑った。
「エレナが楽しそうに聞いてくれたからだ」
「楽しかったもの。呪文学を選んでおくんだった、と思ったわ」
なんて言いながら、私達は二人で笑いあった。
「お嬢様、そろそろ迎えの馬車が」
ロルスのその声で私達はかなりの時間話し込んでいたことに気が付いた。
「あらもうそんな時間? それじゃあルトガー、わたし達は帰るわね」
「おう、また明日な!」
お互い手を振って、私はロルスを連れて図書館から出る。
「ごめんなさいね、ロルス。放っておいて」
「私は下僕ですので問題ありません」
「あら、ルトガーは貴族だの下僕だの気にする人ではないから話に入ってきても大丈夫だったのよ?」
二人で話すより三人で話したほうが楽しかったと思うのだけど、と呟けば、ロルスはふるりと首を横に振った。
「……僭越ながらお嬢様、もしも私が下僕でなかったとしても、先ほどの会話に入っていける気はしませんでした」
「なぜ?」
「大人同士の話のようでしたので」
言われてみれば、クラスメイトと話している気分ではなかったな。
「確かにそうね。ルトガーは頭がいいみたいね」
「お嬢様も」
私は中身がファンタジー脳なだけである。
翌日、廊下ですれ違った呪文学の先生から期待を込めた目で見られていた。
おそらくルトガーから私が呪文学に興味をもっていたという話を聞いたのだろう。
今度時間を見つけて課外授業でもお願いしてみよう。




