寂しいのは、下僕だけじゃなかった
ロルス視点です。
一体俺はなぜここに居るのだろう。
先生の「お出掛けしましょう」という言葉を聞いたと思ったら馬車に乗せられ、気付けばもう二度と来ることはないと思っていたアルファーノ家のお屋敷に来ていた。
俺はこのお屋敷に足を踏み入れる資格などないのだと先生に何度も訴えたがそれらはすべて聞き流された。
そうしてお屋敷の中に連れていかれた俺は、応接間の前で待機することとなったわけだが、しばらく待っていると侍女の方や使用人の方々がわらわらと集まってきて捕獲されてしまったのだ。
そのまま応接間へと連行され、どんな顔をすればいいのか分からず下を向いていたら、お嬢様が俺の名を呼んだ。
顔も見ていないのに。おそらくお嬢様から見えているのは俺のつむじだけなのに。
駆け寄ってきたお嬢様はもう一度俺の名を呼ぶ。その声が涙声だったことに驚いてハッとしたところでお嬢様と目が合った。
混乱して何も言えなかった。そんな俺を見たお嬢様は声を上げて泣き出してしまう。
そしてやっとの思いで絞り出した声でお嬢様と呼ぶと、お嬢様は「寂しかった」と、そう言った。
その言葉を聞いた瞬間、心臓を鷲掴みされたような気分だった。
寂しかったのは、自分だけではなかったのだ。
こんなに泣かせてしまった罪悪感と、それでも感じてしまう安堵とがごちゃ混ぜになってどうしたらいいか分からなくなっていたのだが、一番近くに座っていたハンス様が俺の手首を掴み、俺の手を使ってお嬢様の頭を撫で始めた。
一体何を、と問いかけようとしたが、ハンス様の無言の圧力を感じたので黙っておいた。
その後、俺の混乱をよそに奥様や先生がどんどん話を進めていき、結局はお嬢様と俺が結婚する話がまとまっていた。
どうしてこうなった。
や、やはり俺があの時あの浄化の水晶に願ってしまったからなのだろうか。もう二度と離れたくない、と。
「ロルス? 大丈夫? やっぱり、わたしとの結婚は嫌?」
未だに俺の膝の上に居るお嬢様が、そう言って小首を傾げている。
「嫌ではありません。ただ……ただ、私は盾で、盾ごときがお嬢様を」
そもそも俺は望まれて生まれたわけではない、ごみのように扱われていたただの男で、そんな男が大切な大切な存在であるお嬢様の結婚相手になるなどありえないのではないだろうか。
「その話ね!」
と、口を開いたのは奥様だった。
「私がエレナに呪文を唱えてると思われてたんでしょ? 失礼しちゃうわよね」
「えっ」
呪文の件は旦那様やハンス様の勘違いだったらしいし、俺の知らない間に解決していたそうだ。
「お父様もお兄様も、ロルスに再会するたびにロルスの体調の心配してるから何を考えてるんだろうと思っていたけれど、あれって盾のつもりだったからなのね」
お嬢様がふくれっ面でそう言っている。
そういえば俺は何度か体調を崩したはずだ。でもあれは呪文が原因ではなかったのか。
「ということは、ロルスは体調を崩すたびに呪文のせいかもしれないと思っていたってこと? 可哀想に」
お嬢様は「よしよし」と言いながら俺の背中を撫でている。
しかし、ごみのように扱われていた時でさえも特に体調を崩さなかった俺が弱るくらいだから呪文と言われても疑わなかったな。
「ロルスくんが体調を崩していた原因は安心感よねぇ」
「安心感?」
先生の言葉に、お嬢様も俺も首を傾げる。
「しばらくロルスくんのことを見ていたけど、緊張の糸が緩むことは一度もなかった。でも今、エレナちゃんが側に居るだけで少しだけ緩み始めてる」
「本当? やったー」
というお嬢様のつぶやきを聞きながら考える。
確かに、明確な理由こそ分からないけれど、お嬢様が居るというだけでどこか安心感を覚えている自分が居る。
守るべき対象が健やかであるという安心感、だろうか。
「エレナちゃんが側に居ると安心するでしょう?」
「……はい」
「そうよねぇ。だって、何度も何度も失っているんだもの」
俺は先生が何を言っているのかが分からなかった。ただ、俺の胴体を掴んでいるお嬢様の手の力が増したことは分かった。
そして、お嬢様が「見えるんですか」と先生に尋ねているその声がどこか震えていることも分かった。
「亡霊が教えてくれたの」
「余計なこと言わなくていいのよ亡霊」
何を言っているんだ二人は。
「とにかく私の疑いは晴れたかしら?」
ふと、奥様がこちらを見ながらそう言った。
「は、はい。申し訳ございません」
「疑いが晴れればそれでいいんだから謝らなくたっていいのよ。疑われるようなことをしていたのは確かだし。うん。いや、そんなつもりはなかったけれど」
と言う奥様を見たお嬢様が「ふふ」と笑いを零している。
「でも、お母様が疑わしかったおかげでロルスがうちに来たのよね」
「確かにそうね。オスカル様が突然男の子を連れてきたときは驚いたけれど、まさか盾にしようとしていただなんて」
「す、すまない」
「というか、娘の従者にって男の子を連れてきたってだけでも驚いたわ。侍女ならともかく、なんで娘の側に男の子なのよ」
そう言われた旦那様は、眉間にしわを作ってううんと小さな唸り声をあげている。
「俺が、娘を持つ親だったから、かもしれない。正直な話、娘を守るためなら誰でもいいと思っていたが、心のどこかで呪文の盾などという危険なことを女の子に強いるのは気が引けたというか……」
「なるほど。分からなくもないわ。でも、だからって身寄りのない男の子に危険を強いるのもどうかと思うけれどね。いや別にあれは呪文でもなんでもなかったんだから危険じゃないんだけど?」
結局、俺は運がよかったのだろう。
こんなに温かな家族に拾われていたのだから。
「どちらにせよわたしとロルスの出会いは必然だったのよ」
「そういうことね。あなたからこの家を出たいって言われた時は正直驚いたけれど、あの時確信したのよ。エレナのこと好きだって自覚したんだなって」
「えっ」
「そりゃあ四六時中一緒に居たら好きになっちゃうわよねぇ! あの時はまだエレナも学園を卒業する前だったし、うっかり手を出されたら危ないなって思っていたし、丁度いいから先生に預けようってことになったんだけどね」
今なんて?
「丁度いいから?」
俺の膝の上から、奥様へ向けての疑問が飛ぶ。
「先生から縁談が来たでしょ? その後私が先生に会ってエレナの幸せについて相談したの。そうしたらやっぱり先生のとこにお嫁に行くのが一番だって出てね?」
どうやら奥様が言うには、随分前からこの話は進んでいたらしい。
結論から言うと、俺が従者を辞めたいと相談することも先生の占いで粗方分かっていたのだそうだ。
そして、その時奥様が言っていた、先生にもう一度占ってもらいたいだとか使用人を紹介すれば占ってもらえるかもしれないだとか言っていたのはすべて嘘だった。
そう言えば俺が素直に従うと分かっていたから。まんまと騙された。
先生には、すべてお見通しだったのだ。
「じゃあお母様はずっとロルスの居場所を隠していたのね!? わたしはロルスが居なくなって心配で心配で死にそうだったのに教えてもくれないで……!」
「教えたら絶対会いに行くじゃないの」
「行く」
「行ったらその子は逃げちゃうって先生が」
お嬢様と奥様の視線が俺に注がれる。
あの時俺がお嬢様と遭遇していたら……確かに逃げていたかもしれない。
「無言ってことは逃げる気でいたわね。ずーっとずーーーーーっと探していたのに!」
「も、申し訳ございません」
「いいのよ! 元気にしてたんなら!」
あからさまな怒気を感じる。
怒られていることは分かっているのだが、内心ほっとしている自分が居た。
ほっとしている……違うな。喜んでいるんだ。
お嬢様が、俺を忘れないでいてくれたことに。
「ロルス、ちょっと笑ってない?」
「……いえその、お嬢様が私を忘れないでいてくれたことが、う、嬉しくて……」
「忘れるわけないじゃないの何言ってるの」
その時、俺の胴体を掴んで離さなかった手がふと離れた。
そして、その可愛らしい手は俺の頬を摘まんでいる。
「いい? わたしはね、ずっとあなたを探していたの。行く当てなんかないはずのあなたがどこかに行ってしまって、頼る人もいなくて怖い思いをしてるんじゃないかとか、お腹を空かせているんじゃないかとか、一人ぼっちで倒れてるんじゃないかとか、もしかしたらもう、もうっ」
「な、泣かないでくださいお嬢様」
「泣くわ!」
……あからさまな怒気を感じる。当然か。
泣きながら怒るお嬢様をどうしたらいいのかと思っているのだが、奥様も先生もにこにこしながら眺めているだけで助け舟は出してくれない。
旦那様とハンス様に至っては遠い目をしているだけで助け舟を出すどころか助け舟を必要としている人のようになっている。
「ロルス、私の娘を幸せにしてあげてね」
ふと、本当に優しい声でそう言われた。
もちろん、幸せにします。と、答える前にお嬢様が口を開く。
「わたしがロルスを幸せにするのよ」
さっきも言ったが、逆では?
俺が幸せにするべきなのではないのか?
お嬢様は逆ではないと言うけれど。
「そう。じゃあ二人で幸せになりなさいね」
「はい!」
……と、お嬢様と奥様の二人は楽しそうだが、旦那様とハンス様の二人はあれで大丈夫なのだろうか。
二人の大切なお嬢様を奪っていくようで少し心苦しいのだが。
そんなことを考えながら旦那様たちに視線を送っていると、それに奥様が気づいたらしい。
「オスカル様もハンスも、そんな顔してないでエレナの幸せを祝福してあげなさいな」
「うう……」
「ううっ……」
お二人そろって唸るだけなのだが、やはり祝える状況ではないのだろうな。
「いいのよ別に。お父様とお兄様が祝福してくれなくたってわたしは勝手に幸せになるもの」
「エレナ!」
お二人は「酷い」と非難の声を上げている。
「わたしの幸せを願ってくれない二人のほうが酷いわ。わたしは二人の幸せのために自分の幸せを犠牲にしなければならないの?」
「違う、違うんだよエレナ。エレナの幸せは願っている。ただ、やっぱり寂しくて手放しで喜べないんだ」
「うん、まだ喜べない。でも、エレナが幸せならきっと僕も幸せだ」
旦那様とハンス様は滲んだ涙を拭いながらそう言っていた。
「じゃあ、寂しいだけで祝福してくれないわけではないのですね。よかった。わたし、嬉しい!」
「エレナー!」
……か、完全な男泣きが始まってしまった。
「これでみんなの祝福のもと結婚出来るわね、ロルス」
「は、はい」
「フローラたちにも報告しなくちゃ。二人で妄想していた結果とは違う形になったけれど、これはこれで楽しんでくれるはずだわ」
「今なんて?」
「なんでもないわ」
この人たちは一体何を楽しもうとしているのだろう……
「弟子入りの話も結婚の話もまとまってよかったわ。それじゃあ新居の準備は整えてあるから、お引っ越しが済んだら魔法技術の継承をしていきましょうね」
と、先生が言う。
「新居?」
「そう。私の屋敷の隣に住んでもらうのよ」
先生の屋敷の隣?
わーい、と喜んでいるお嬢様を尻目に、俺は思考を巡らせる。
先生の屋敷の隣には、先生の親族が来るはずなのでは?
「……先生?」
「うん? あ、親族が来るから掃除をしてって言ったはずでは? って思ってる?」
「はい」
「来るじゃないの、親族。私の息子とそのお嫁さん」
嘘は言ってないわ、とすっとぼけているけれど、俺は完全に騙されていた。
まさか自分のために掃除をしていたとは思ってもみなかったのだから。
ただまぁ、お嬢様が「楽しみね、新しいお家」と、とんでもなく嬉しそうだったから、もう全てどうでもよくなった。
お嬢様が嬉しいのなら、それでいい。
しかし、だ。
「……僭越ながらお嬢様、いつまで私の膝の上にいらっしゃるのですか?」
「もうちょっと」
もうずっといるのだが。
そろそろ一周回って恥ずかしくなってきた。
今更だが、とても密着している。
「わたしね、もう二度とロルスと会えないのかもって思ったら怖かったのよ」
「はい」
「ロルスと離れ離れになって寂しかったの」
「はい」
「だからもうちょっとくっついていさせて」
「……はい」
よかった。
寂しいのは、俺だけじゃなかった。
次週最終回です!今度こそ終わる終わる詐欺じゃなく!
もうしばらくお付き合いいただけると嬉しいです。
ブクマ、評価、拍手等いつもありがとうございます。
そしていつも読んでくださってありがとうございます!
こんなに長く続けてこられたのも読んでくださる皆様のおかげです。
まぁ番外編等でまだまだ続けていくつもりではあるのですが!
そのうちスピンオフ的なこともやりたいので掘り下げてほしいキャラとかが居たら感想や拍手なんかに投げてくれるとありがたいです。




