決意をしたのは、下僕
ロルス視点です。
もう、限界だった。
いや、限界などもうとっくの昔に迎えていたのかもしれない。
俺は気が付いてしまった。自分がここに居てはいけないということに。
俺はお嬢様の盾となるためにここに居るはずだった。それなのに、ここに居ることが心地よくていつの間にか忘れてしまっていた。
お嬢様の隣が自分の居場所なのだと勘違いしていた。
いつも、いつまでもお嬢様の隣に居られるのだと思い込んでいた。
そんなはず、ないのに。
己を意地悪な令嬢だと思い込み俺を下僕だと呼ぶくせにその下僕を人一倍気に掛けてくれるところも、下僕を巻き込んで楽しそうにゲームをしているところも、怖い小説を読んだせいで眠れなくなって下僕のベッドにもぐりこんでくるところも、いつの間にか全部全部大好きになっていた。
そう、盾の分際で守るべき大切な相手を大好きだと思ってしまったのだ。
お嬢様が例の呪文のせいで危険な状態かもしれないというのに、俺は盾であることを役得とさえ思ってしまった。
こんな身の程知らずの俺は、盾であるべきではないのだろう。
幸い……幸い、ハンス様がまたお嬢様の側に戻ってこられたので、後戻り出来るうちに、俺は盾を退かなければならない。
「可愛らしい……」
いつもこっそり夜更かしをするせいで朝に弱いお嬢様は、起こす前のこの時間だと絶対に起きない。
俺が声を出そうと、こうして前髪を撫でようと。
俺を見つめてくれるどんな宝石よりも美しい瞳も、俺の名を呼んでくれる優しい声も、温かく柔らかい小さな手も、艶やかな髪から香る甘い花のような香りも、すべて忘れなければならない。
どう足掻いたって、俺のものにはならないのだから。
そう、だって俺はただの盾なのだから。
「……俺が、もっとまともな家に生まれていれば」
そう呟いて、ふと考える。
もっとまともな家に生まれていたとして、貴族の子として学園に通っていたとして。
俺とお嬢様の年齢差であれば当然学年が違うわけで、俺とお嬢様が出会うことはなかっただろう。
皮肉なものだが俺はあの屑から生まれたお陰でお嬢様と出会うことが出来たのだ。
こうしてともに過ごせた思い出をもらっただけで幸せだったのかもしれない。
「さようなら、お嬢様。愛していました」
どうか、どうか俺のことは……
お嬢様の元から離れることを決意した俺は、奥様に声をかけることにした。従者を辞めさせてほしい、と。
お嬢様には言えない。そもそも顔を見てしまえば決心が鈍りそうだったから。
ハンス様にも言えなかった。もしも辞める理由を聞かれたら、どう答えたらいいか分からなかったのだ。
嘘はつけない。けれど、正直にお嬢様のことを好きになってしまったと言えば、恩を仇で返すことになってしまう。
大切なお嬢様に盾ごときがそんな気持ちを向けているなど、ハンス様は不快でしかないだろう。
俺のことを居ないものだと思っていたであろう奥様になら辞めさせてほしいとも言えるし、おそらく簡単に辞めさせてくれるだろう。
「あなた、この家を出なさい」
案の定、奥様は簡単に辞めさせてくれた。
しかしこう言われた瞬間、胸を突き刺されたような、頭を殴られたような気分だった。
辞めたいと願ったのは自分なのに、やはり心のどこかでは辞めたくなかったのだろう。
盾の分際で聞いて呆れるというもの。
「ただ、突然辞めるのだから、少しだけ私の言うことを聞いてもらってもいいかしら?」
「はい」
俺が頷くと、奥様は近くにあった紙にさらさらと地図を描き始めた。
「あなた、先日エレナに来た縁談の話を覚えてる? ほら、この国随一の石占い師」
「は、はい」
「私ね、あの人に一度占ってもらったのだけれど、また占ってもらいたいの。ただあの方はとっても忙しい人でなかなか占ってもらえないのよ」
「はい」
「で、どうにか占ってもらう方法はないかなって考えてたら、どうやらあの方は使用人を増やそうとしているらしいのよ」
「……はい?」
「だからね、あなたが使用人としてあの方のところへ行ってくれないかしら? あなたはあの奔放なエレナの従者を務めていたのだから有能な使用人になれるわよね? 有能な使用人を紹介したとなれば、私とあの方がお近づきになれるかもしれない、と思わない?」
「なるほど」
なるほど?
お嬢様がたまに突拍子もないことを言い出すところは奥様似だったのだろうか。
「まぁあなたが別の働き口を見付けているんだったら無理にとは言わないけれど」
「……あ」
「え、もしかして働き口もないのに辞めようとしていたの? 路頭に迷うつもりなの?」
「……」
お嬢様のことしか頭になかったせいで自分のこの先のことなど一切考えていなかった。
「じゃあ丁度いいじゃない。あそこなら住み込みで働けるわ」
「いい、のでしょうか」
「いいのいいの。むしろそうしたほうがいいじゃない。私だって悪魔じゃないんだから働き口も住むところも見付けてなさそうな子を放り出したり出来ないわ。じゃあ私が諸々の手続きをしておくからあなたは荷物をまとめてこのお屋敷に行きなさい」
「……はい」
貰った地図を眺めてみると、どうやらここからは少し遠いらしい。
お嬢様と偶然鉢合わせる心配はなさそうだ。
「エレナには、何も言わずに行くの?」
「え?」
「言ってないのよね? というか、あの子に言ったら絶対引き留めるでしょうし」
「……」
「あの子、絶対に悲しむわよ」
悲しんで、くれるのだろうか。
「まぁ、あなたのやることに口出しはしないし邪魔もしないわ。エレナにも、私からは言わない」
「……ありがとう、ございます」
「いいのよ。じゃ、頑張ってらっしゃいね」
奥様はそう言って俺を送り出してくれたのだった。
そして俺は今、地図に描かれていた屋敷の前に居る。
お嬢様と離れてからほんの数時間しか経過していないというのに、もう心配だ。何かおかしなことをやらかしてはいないだろうかと。職業病、だと思うことにするけれど。
「ごめんください」
呼び鈴を鳴らして声をかけると、中から出てきたのはとんでもない美丈夫だった。
……この人が、お嬢様の縁談の相手だったのだろうか。
「アルファーノ伯爵夫人のところから来たロルスと申します」
「あぁ、君が新しい使用人ですか。どうぞ」
とんでもない美丈夫は俺を応接間に通して座らせ、「少し待っていてください」と言ってどこかへ行ってしまった。
そうしてしばらく待っていると、部屋の外から足音が聞こえてきた。
誰が来るのかは分からないが、とりあえず立ち上がって待っていると、今度はとんでもなく妖艶なご婦人が現れた。
深海のような青い髪と瞳がとても印象的だ。
「あらあらあなたがアルファーノ家からいらっしゃった子ね。よく来てくれたわね」
見た目こそ妖艶だったけれど、声色は温和そうだった。
「初めまして、ロルスと申します」
「ええ、初めまして。それにしてもあなた、随分と魔力量が少ないようね」
「わかるのですか……?」
「名誉男爵の称号をいただくくらいの占い師ですもの、そのくらい簡単よ」
お嬢様も石占いを習っていたが、一目見ただけで相手の魔力量が分かったりはしていなかったはずだから、この人は本当にすごい占い師なのかもしれない。
「それで、使用人さんとして来てくれたってことは何を頼んでも大丈夫なのよね?」
「はい」
「助かるわぁ。それじゃあ、このお屋敷の隣にもう一つお屋敷があるのだけれど、そこの掃除を頼めるかしら?」
「分かりました」
「しばらく誰も住んでいなかったから大変だと思うけれど、大丈夫?」
「大丈夫です」
「よかった。一年以内に私の親族が住むことになるから、それまでにお願いね。案内はその子がしてくれるから」
彼女がその子と呼んだのはさっきの美丈夫だ。美丈夫は俺のほうを見てぺこりと頭を下げている。
「よろしくお願いいたします」
俺は深々と頭を下げた。
そうして連れられてきたのは、先ほどのお屋敷よりもほんの少し小さな、とはいえそこら辺の家と比べれば大きなお屋敷だった。
「あれを丸ごと隅々まで掃除するのがあなたの仕事です」
「はい」
「しかしまぁ今のところあなたの仕事はそれだけなのでのんびりしていてください」
「え」
「あまり張り切ると仕事がなくなってしまいますからね」
美丈夫はそう言ってくすくすと笑っていた。
「これが一日の日程表です。というかまぁ食事の時間表です。夕食の時間になったらさっきの屋敷に戻ってきてください。詳しい自己紹介等はその時間に行いましょう」
美丈夫が去って、俺は掃除を頼まれた屋敷の中を見て回っていた。
しばらく誰も住んでいなかったと言っていたし汚れているのだろうかと覚悟していたが、思ったほど汚れていない。
これはさっきの美丈夫が言っていた通り、あまり張り切ると仕事がなくなってしまいそうだった。
仕事は、出来るだけ多いほうがいい。
やることがあったほうが、思い出さないから。忘れなければならないことを。
今頃学園に着いた頃だろうかとか、ルトガー殿と歴史の話をしているのだろうかとか、レーヴェ様とゲームで遊んでいるのだろうかとか。
お嬢様の周りにはいい方がたくさんいらっしゃるのだから、俺一人いなくなったところでどうということはないはずだ。きっと。
お嬢様が寂しい思いをしていませんように。
悲しい思いをしていませんように。
「……埃が、目に入った」
先週の更新で再来週あたりに完結しますと言いましたが、ロルス視点が想定以上に長くなったのでまだ終わりません。終わる終わる詐欺でした。申し訳ございません。
ブクマ、評価、感想、拍手等いつもありがとうございます。励みになっております。
そして何よりいつも読んでくださってありがとうございます。
少し伸びてしまいましたが最終回までお付き合いいただければ幸いです。
来週もロルス視点です。
ロルス~~~!




