運命に抗おうとしていたのは、母
母、マリーザの過去回想からのスタートです。
思えば運のない人生だった。
生まれた瞬間から死にかけて、生後間もない頃には父の不注意で水没、母の不注意で階段から転げ落ちたりもした。
誕生日は毎度毎度風邪をひき、大半の学校行事はことごとく体調不良で欠席をした。そのくせマラソン大会なんかの参加したくもない行事の時はぴんぴんしていたりして。
修学旅行には一度も行ったことがない。なぜなら小学生の時はおたふく風邪、中学生の時は水疱瘡、高校生の時はインフルエンザで寝込んでいたからだ。
友達と並んで歩いているのに自分だけ犬の糞を踏み、鳥の糞が降ってくる。
普通に歩いているだけなのに信号無視した車が突っ込んでくる。
買いたいものがあって並ぶと必ず私の目の前で売り切れる。
挙句の果てに、数十万人に一人がかかるかかからないかの奇病を患って高校の卒業式前日に死んだ。
それが私の前世の記憶だった。
思い出しただけで涙が出そう。
自分が転生したことに気が付いたのは、学園に入学して間もない頃のことだった。
魔力の使い過ぎで倒れて、昏睡状態に陥った時に夢を見たのだ。
夢の中には、まだ奇病にかかる前の私が居た。そして、その前世の私は大きな本を読んでいた。
その本を覗き込むと、そこには綺麗なイラストが描かれている。
キャラクターの立ち絵、名前、生年月日などのデータの数々を見て、懐かしさで胸が押しつぶされそうになった。
これは私が人生で一番夢中になったゲームの攻略本だ。見る用と飾る用と保存用の三冊を買った記憶がある。
そしてグッズが付く限定版が欲しかったのだが予約をしたにも関わらず「数が足りなくなりました」という意味不明な理由で買えなかったことも芋づる式に思い出した。悲しい。
「あれ」
ふと、あるページを見て違和感を覚える。
見覚えのある名前が並んでいるのだ。
「オスカル・アルファーノ……」
現在の学園でのクラスメイトの名だ。
『これは主人公のライバルキャラクターの両親の名前よ』
と、前世の私が微笑む。
「マリーザ……、マリーザ・アルファーノ……?」
マリーザとは現在の私の名前である。
これ、もしかして私がオスカル様と結婚したらライバルキャラクターが生まれるということなのでは? と、嫌な予感がした。
他にも、攻略対象キャラクターであるレーヴェの両親の名も、ルトガーの母の名も現在のクラスメイトと同じものが並んでいる。
そのあたりで、自分がこのゲームの世界に転生したのだと察した。
そもそも名前だけでなく髪の色や瞳の色も全く同じなのだから。
『ライバルキャラクターのエレナちゃん、可哀想よね。可愛いのに』
前世の私はそう呟いた。
そう、エレナは主人公のライバルとして出現し、ありとあらゆる方法で攻略の邪魔をしてくる。
その邪魔を掻い潜り、イケメンを落とした時の達成感はなかなかのもので、もはや恋愛要素そっちのけでエレナを出し抜く方法を考えるゲームと化していた。ような気がする。
『あなたはエレナちゃんの心を守らなければならないの』
「え」
『大丈夫、今のあなたは世界一幸運だから』
前世の私にそう言われたところで、昏睡状態から目を覚ました。
エレナの心を守らなければならないと言われたけれど、ピンとこなかった。
そもそも私がオスカル様と結婚しなければ、エレナは生まれないのでは、という疑問もあったから。
幸いそれに気が付いた時点で、私と彼とは会話もしたことがなかったから。
しかし運命とは残酷なもので、私は知らないうちにオスカル様の派閥に入ってしまっていたのだ。
あの頃、私のクラスには二大派閥が存在していた。公爵家の嫡男派と、オスカル様派の。
公爵家の嫡男は家柄も顔もそこそこよかったしとてもモテていた。ただものすごくチャラかった。
それに比べてオスカル様は家柄がそこそこ良くて顔がめちゃくちゃいいスーパーイケメンだった。
あのライバルキャラクターの親となる人物がどんなもんなのか、正直興味本位でそーっと近付いてみたところで、友人にどちらが好み? と尋ねられて素直にオスカル様だと答えたらオスカル様派にカウントされていたのだ。勝手に。
しかしながらどちらの派閥にも所属していないと浮いてしまうし、まぁ所属しているふりをしてぼんやりしていれば彼はほかの誰かを選んで結婚するだろうと思っていた。
だが、何度も言うが運命とは残酷なものなのである。
女子に言い寄られまくって疲弊したオスカル様は、ふらふらしながら私の隣の席に座ってこう言ったのだ。
「君は俺の何が目当てなんだ?」
と。
常々「この男すげぇ顔がいいな」としか思っていなかった私は咄嗟に、そして元気よく答えてしまった。
「顔!」
と。
いやでもまさかそんな一言で結婚が決まるとは思わなくない?
その「顔!」という一言から、あれよあれよという間に私とオスカル様の結婚が決まってしまった。
そうして私は学園一幸運な花嫁ともてはやされることになるのだ。
他の子のほうがよくないですか? 私はやめたほうがよくないですか? といった私の言葉はことごとく却下されて。
私はエレナを産まない未来を考えると同時に、エレナを傷つけるレーヴェやルトガーが産まれない未来も考えていた。
ただ、レーヴェの両親は学園一お似合いのカップルとして君臨することになるし、ルトガーの母は私の引き留めもかなわず半ば拉致されるようにルトガー父に連れていかれてしまった。
要するに、詰んだ。運命とは残酷なのだ。
『おかしいでしょ……大体の小説じゃ悪役令嬢に転生したものの簡単にフラグ回避して事なきを得るもんでしょ……』
私は誰にも聞こえないような小さな声で呟いた。
ただ、私は思ったのだ。
夢中になったあのゲームが画面越しではなく目の前で繰り広げられる日がくるのか、と。
その時は正直楽しみな気もしていた。
だって推し達と同じ世界で生きられる、なんて単純に考えれば嬉しいことでしかないんだもの。
私がライバルキャラクターの母じゃなければ、ただのモブならもっと素直に喜ぶだけで済んだのにな、と何度も思った。
そうして、運命に抗えなかった私はエレナを産んだ。レーヴェもルトガーも産まれたらしい。
着々と役者が揃っていくことにドキドキしていたが、我が子であるエレナを抱いた瞬間、ドキドキは不安に変わった。
この子を守れるのは私だけなのに、何一つ阻止出来なかった、と。
切羽詰まっていた私は、考えた。
悪役令嬢に転生した子が華麗にフラグ回避する話はいくつも読んだ。だからこの子だってフラグくらい回避出来るはずだ、と。
でも私は一つも回避出来なかったし運命にも抗えなかった。
エレナだって回避出来ない可能性も、運命に抗えない可能性もあるかもしれない。
だから私に出来ることといえば、万が一回避出来なかったときに傷つかない心を育てていくことなのだ。
自分の未来に何が起きるかを知っていれば、衝撃が襲ってきたところでそれほど傷つかないのではないだろうか。そう思った私は産まれたてのエレナに向かってこのゲームの内容を語って聞かせた。
『エレナ、あなたは乙女ゲームに出てくる意地悪なライバルキャラクターなの』
フラグは回避出来ないならぶっ壊せばいいのだ。
運命に抗えないのなら、正面から突っ切っていけばいいのだ。
悲しみに負けない悪役令嬢を、荒波を越えていける悪役令嬢を、私が気合いで育て上げればいいのだ。
いいのか? わかんないけど。
そうして我が子であるエレナがとても賢い子だと気が付いたのは、離乳食が始まる頃だった。
私は相変わらず延々とゲームについてを語り続けていたわけだが、エレナはいつしか私が日本語を発するとそっと目を逸らすようになったのだ。
最初こそ偶然かと思ったものだけれど、成長するにつれ、聞かないふりをしている様子が見て取れるようになった。
この子はきっと私の言葉を理解している、そう思った。
悪役の恋が成就することはないこと、最悪恋をすると死ぬ未来もあること、それらを話すことでエレナに警戒心を植え付けようとした。
それが功を奏したのかどうかは分からないが、エレナが攻略対象キャラクター達に恋をすることはなかったようだ。
ただ運命に抗えないせいなのか、隠しキャラを含む攻略対象キャラクター全員と知り合いにはなっていた。正直ちょっとひやひやした。
結局のところ、エレナはレーヴェルートのエンディングを迎えていた。
文言こそエンディングシナリオと同じだったけれど、エレナに深く傷ついた様子が見えなかったので私はなんとかエレナの心を守れた……のかもしれない。
守れていたらいいな。気持ち悪い母だと思われていただろうけれど。
無事にエンディングが見れて良かったと呟いた時のエレナの顔がわりと引いた様子だったし。
さて、エンディングさえ終わってしまえば、エレナは悪役でもなんでもなくなるわけだ。
私はただただエレナの幸せだけを願えばいい。
エレナが絶対に幸せになるという縁談も舞い込んできていることだし。
と、安堵していたある日のこと。
エレナの従者であるロルスが私の部屋にやってきた。
オスカル様が突然連れてきたエレナの従者。ゲームにはいなかったはずだから、ゲーム開始時には何らかの形でいなくなるもんだと思っていたが、案外ずっといたな、この子。
顔色が悪すぎるので具合でも悪いのだろうかと思っていたら、彼は小さな声で呟いたのだ。
「従者をやめさせてください」
と。
なんでそれ私に言うかな? 今まで大して口も利いてなかったのに?
「どうしても辞めたいのなら辞めても構わないと思うけれど」
でも、エレナとこの子は仲が良かったはずだ。エレナがいつもこの子を連れまわって。
「私は、お嬢様の従者に相応しくないのです」
「うん?」
おっと? これはまさか?
「私は……、ここに居続けられる自信がないのです」
「あなたまさか、あ、いやいいわ。分かった。あなた、この家を出なさい」
私がそう言うと、この子はとても悲しそうに眉根を寄せた。
なるほど、これは面白いことになりそうだ。
「ただ、突然辞めるのだから、少しだけ私の言うことを聞いてもらってもいいかしら?」
「はい」
エレナはもう悪役じゃないのだから、この先きっと幸せになるはずだ。
この従者の顔を見て、私はそう思ったのだった。
この人にも一応回避する気持ちはありました。というお話。
評価、ブクマ、拍手コメントなどいつもありがとうございます。
そしていつも読んでくださってありがとうございます。
綺麗に終わりを迎えるため、今まで書いたページをちょっとずつ改良したりしています。なので一話がちょっと変わっています。内容は変わっていません。
皆様に楽しんでいただけるよう、もうちょっと頑張ります!




