意地悪令嬢、悲しみに暮れる
「あ、エレナさー……ん? どうかしたんですか?」
朝、教室に飛び込んでくると同時に私の名を呼んだフローラだったが、私が醸し出すどんよりとした空気に気が付いたらしく、その場で首を傾げたまま止まってしまっていた。
「聞いてフローラ。誰もわたしの話を信じてくれないのよ」
私が両手で顔を覆いそう呟くと、フローラはやっと動き出して近くにあった椅子に腰を下ろした。
「どんな話なんですか?」
「ロルスがね、居なくなったの」
「え? ロルスさんが?」
指の隙間からフローラの表情を覗き見ると、見事に目を丸くしている。
このリアクションは、レーヴェもルトガーもナタリアさんもパースリーさんもぺルセルさんも、誰もかれも同じだった。
「居なくなった、って、どういう……?」
「辞めちゃったの」
「辞め、え、辞めた? ロルスさんが?」
そう、ロルスは従者という職を辞したのだ。
理由は分からない。それがいつのことなのかも分からない。
なぜなら私に何も言わずに辞めてしまったから。
「その話を、誰も信じてくれないんですか?」
フローラのその問は、私にというより、側に居たレーヴェに向けられたものだった気がする。なぜ信じてあげていないのか、といったニュアンスだったから。
「レーヴェも信じてくれなかったわ」
「だって、ロルスが自分から辞めるなんて……」
「自分から辞めたいって言って辞めたって聞いたもの。わたしだって信じたくないけれど……でも、でも、本当に居ないのよ。きっとわたしに嫌気がさしたんだわ。わたしが意地悪ばっかりしていたから」
「えっ」
「えっ、て何よレーヴェ」
「そんなこと言ってないよ」
「言ったじゃない今。えっ、て」
「しゃっくりだよ」
「そんな変なしゃっくり出る?」
「たまにね、出るんだ」
「もう出てないけど」
「すぐ止められるんだ。実は俺、しゃっくりを止める達人でね」
「レーヴェのこと、昔から知ってるけれどそんな話は初めて聞いたわ」
「俺くらいになるとしゃっくりが出る前から止められるんだ。だから幼馴染のエレナでも聞いたことがないんだよ。今のはうっかり出ちゃったけど」
「今レーヴェとそんなバカな話してる場合じゃないのよ!」
「だめかぁ」
レーヴェはレーヴェなりに私の気を紛らわそうとしてくれたのだろう。ただ、どう足掻いても私の気持ちは上を向かない。
「ロルスさんが居なくなったなんて、寂しいですよねエレナさん……」
「寂しいなんて、その、寂しいというかね、あの、心配なのよ。そう、心配」
あの子の元家族は色々あって今どうなっているか分からないし、どうなっているか分かったところで頼れるような人たちではなかったし、ロルスがほかに頼れる人なんていないはずなのだ。
それなのにうちを出ていって、いったいどこに行ってしまったというのだろう。
お父様に手紙を書いてみたけれど、お父様もロルスの行方を知らないようだった。
「でもあの心配性のロルスがエレナをほったらかしてどっか行くか?」
話に乱入してきたのはルトガーだった。
「それは俺も思うよ。そもそもロルスはことあるごとに「お嬢様をお願いします」って言ってきてたし。でも今回は何も言われてない。今回こそお願いしてきそうなものなのに」
と、レーヴェが答える。
今回、ロルスは私はもちろん、ほかの誰にも辞めることを言わずに姿を消したらしい。
ロルスが辞めたことを知っていたのは母だけだったのだ。
私にもお兄様にも言わず、母にだけ辞めると言った。そう聞いた時、ロルスも考えたもんだなと思った。
だって私やお兄様だったらまず一旦止めるはずだもの。でもあの母ならば、きっと止めもせず辞めさせてくれると考えたのだろう。そしてその考え通りに辞めることが出来たのだ。
母になぜ辞めさせたのかと問えば「辞めたいって言ったから」と返ってきたし、どこに行ったのかと問えば「どこでしょうね?」と返ってくるだけだった。
それも仕方がないのだろう。だってあの人はロルスの味方ではないのだから。
「でも、実際どっか行っちゃったんだもん」
「うーん。でもロルスさんってエレナさんのことを最優先に考えるような人でしたよね」
「……それは、どうかしら。まぁ従者だし、そんなこともあったかもしれないけれど」
「エレナさんのために……辞めたなんてことは?」
フローラの言葉に、それなら納得できるとレーヴェもルトガーも頷いている。
「わたしのためにってどういうこと? わかんないわね、ちょっとロルスに聞いてみなきゃ……居ないんだわ!」
「絵に描いたような混乱だな、エレナ」
私のために、ということは私のせいで辞めなきゃならない状況になった可能性があるということだ。私が何をしたのかは分からないけれど。
「だって、わたしのせいで辞めたかもしれないってことでしょう?」
私のせいでロルスがひとりぼっちになったのだとしたら。
私のせいでロルスがお腹を空かせていたら。
私のせいでロルスが寂しい思いをしていたら。
そう考えただけで胸が苦しくなる。私がロルスを幸せにしてあげなくちゃいけないのに。
「エレナさんのせいで、というか、エレナさんのために……エレナさんの身に何かあるかもしれなくて、それを回避するために、とか……?」
「あぁ、それなら信ぴょう性があるな。あのロルスだ、嫌になったからとかそんな下らない理由で辞めたりしないはずだ」
フローラの言葉に、ルトガーが頷く。
そして、レーヴェが大きく頷いた。
「ありえる。エレナの身に何が起こるかは分からないけど、ロルスが戻ってくるまでエレナの身は俺たちで守ろう」
話がおかしな方向にむいた気がした。
「わたしの身じゃなくロルスの身を心配してほしいのだけれど」
「もちろんロルスのことも探すよ。大丈夫、ちゃんとまた会える」
と、レーヴェが私の肩を優しく叩いてそう言った。
また会える、という言葉を聞いて、また胸の奥が苦しくなった。会いたい。ロルスに会いたいよ。
「あ、そういえばフローラ、エレナのことを呼びながら教室に入ってきたみたいだったけど、エレナになにか用があったんじゃないの?」
「あ、そうなんですエレナさん! お借りした本を返そうと思って!」
込み上げてきた涙をぐっとこらえて、私は顔を上げた。
「もう読み終わったの?」
「はい! とってもいいお話で、一気に読んでしまいました! かっこいいですねぇ、ルビー様!」
「そうでしょうそうでしょう」
元々フローラが私からレーヴェを奪おうとしているという噂があった上に、例のあのエンディングを迎えた日に私とレーヴェの口喧嘩に巻き込まれたせいでフローラの立場は酷く危うくなっていた。まぁあの口論を聞けば噂は本当だったんだ、と思われても仕方がないし、全面的に悪いのは私だ。
エンディングを迎えるために、噂を放置したのは確かだから。
というわけで、エンディングを終えた今、私は噂の火消しを試みている。
といっても大掛かりなことをしているわけではなく、フローラと一緒に行動して不仲説を払拭しようとしているだけなのだが。
しかしながら彼女は私にとっての神である。彼女を前にした私はひれ伏す以外の選択肢を持たなかった。なぜなら神だから。と、そんな風なのでどう取り繕ってもぎこちなさが出てしまう。
あまりにぎこちないとやっぱり不仲なのでは、と思われかねない。
そこで考えたのが、とりあえず人目のあるところで本の貸し借りをして仲の良さをアピールすることだった。
それがアピールになったのかどうかは分からない。分からないけれど、私とフローラがとても仲良くなったことには間違いなかった。
なぜならまぁ私と彼女の本の趣味が合う。どれを貸しても面白いと言ってくれるし感想を話し合い始めると時間を忘れるほどだったのだ。
そしていつしか私たちは仲の良さアピールのことなど完全に忘れるくらい仲良しになっていた。
「ルビー様を主人公にしたゲームが作れたら楽しいだろうなぁ、って思いました」
「絶対に買わせていただきます。遊ぶ用と観賞用と保存用と布教用と、あと保存用と保存用と保存用」
「保存用の多さ」
神が創りたもうた宝は出来る限り手元に置いておかねばなるまいて。
「エレナさん、今日の放課後はお暇ですか?」
「ええ」
「じゃあ一緒に考えてくれませんか? ゲームの内容」
「いいの?」
「もちろん! 私がゲーム作りに復帰出来るかどうかは分からないので作れるかどうかも分かりませんが、内容を考えるくらいなら許されると思いますし」
「じゃあ放課後を楽しみにしてるわ!」
と、朝の時点でそんな話をしていたものだから、その日の授業はあまり頭に入ってこなかった。
そして放課後。
私とフローラは図書館側のカフェに来ていた。
「個室に行きましょうエレナさん」
「個室?」
仲良しアピールをするために人目があったほうがいいのでは、と思ったのだが、フローラはずんずんと個室に向かって進んでいく。
どうしたものかと思ったが、ゲームの原案を考えるわけだしその点では個室のほうがいいのかもしれないと自分に言い聞かせながらフローラの後を追った。
「さてエレナさん」
「はい」
「ちょっとだけ、占ってみませんか?」
フローラは個室に入り、腰を下ろしたのとほぼ同じくして口を開いた。
「占う?」
「ロルスさんのことです」
「ロルスの、こと」
「実はここ最近私の華占いの的中率が上がっていまして。もしかしたら力になれるんじゃないかなって思ったんです」
「……占ってもらっても、いいの?」
「もちろんです!」
そう言った彼女はテーブルの上に華占いのセットを準備し始めた。
「まずは、何から占いましょうか」
「えっと、えっと……何から聞けばいいのかしら」
「エレナさんの近い将来とか……あ、ロルスさんがエレナさんをどう思ってるのかとか?」
「私の将来は、怖いから、ロルスがわたしをどう思ってるのかを、聞いてみたいかな、なんて」
「わかりました」
フローラはにこりと笑って、テーブルの上に敷かれたふかふかの土に綺麗な種を落とした。
「咲きましたね。なかなかの大輪です。この花の花言葉は、崇拝やあなただけを想う。なんというか、さすがロルスさんって感じですね」
「崇拝て」
「ロルスさんは今もエレナさんだけを想っている。だから、やっぱりエレナさんが嫌になったから辞めたわけではないんですね」
「それなら、今どこにいるかくらい教えてくれたっていいと思わない?」
と、私が不満を零していると、フローラが「あれ」と小さく呟きながら首を傾げた。
「大輪の影に小さい花が咲いてますね。見落とすところだった。この花の花言葉は、私を忘れないで、なんですが」
「……なに言ってんのよ、忘れるわけないじゃないの」
でも、早く帰ってきてくれなきゃ忘れちゃうからね!
「未来も見てみたいですね。うーん。そうだ!」
フローラが手をかざすと、さっきまで咲いていた花がきらきらと輝きながら霧散する。
そしてまた、綺麗な種をいくつか落とす。
「お、咲きましたね。この花の花言葉は協力です」
「協力?」
「はい。これはレーヴェさんとロルスさんの将来を占ってみた結果です。二人が協力関係になるってことみたいで。ってことは、いつかきっと再会できるってことだと思いませんか?」
「だと、いいけれど」
きっと大丈夫です、とフローラが微笑んでくれる。
私もきっと大丈夫だと思っている。思っているけれど、やっぱり心配で心配でたまらない。そしてロルスが側に居ないことが、少し怖い。それだけじゃなく……
「寂しい」
「……そうですよね」
「ロルスは……わたしのこと好きなの?」
私が小さく零したのと同じタイミングで、フローラがまた一つぽとりと種を落とした。
すると、その種は即座に成長を遂げ、真っ赤な大輪の花を咲かせた。その花は沢山の花弁を次々と開き、ひらひらと舞わせてはまた湧き出るように開く。
「こ、これは、その、見なかったことにしましょうエレナさん!」
「え、え?」
「だってこんなのバレバレですって!」
「いや、あの」
「こんな大きい花初めて見ましたしこの花枯れることを知らない! もうあからさますぎていっそロルスさんが可哀想なくらいですってば!」
「あの子、わたしのことめちゃくちゃ好きじゃない」
「ひえぇぇぇ」
フローラのちょっぴり情けない叫び声と共に、綺麗な大輪の花は光の粒子をまき散らしながら消えていった。
ロ、ロルス~~~!
評価、ブクマ、感想、そしていつも読んでくださってありがとうございます。
今回も何してんねん母親!と思われたでしょう。近いうちに来ますよ、母親回。ただし次回ではないです。




