意地悪令嬢、思考回路がショートする
目を覚ますと、いつもは居ないはずの人がそこに居た。
「あら? お兄様?」
「エレナおはよう!」
軽く混乱している私をよそに、お兄様はさわやかな笑顔で挨拶を投げてくる。
お兄様ったら忙しいはずなのに、また来たのだろうか。
「エレナに嬉しいお知らせがあるんだ! なんと、僕はしばらく学園で仕事をすることになったからまた一緒に暮らせるんだよ!」
「学園で?」
それは私に嬉しい知らせというかお兄様にとって嬉しい出来事なのでは、と思ったが一応黙っておこう。嬉しそうだし水を差すのも可哀想だ。
「そうなんだ。実は先日五代目国王についての新しい文献が見つかってね。呪文学との関わりも深いみたいだからブルーノ先生と一緒に研究することになったんだよ」
「ご、五代目、国王?」
なんと本当に私にとっても嬉しい知らせだった。いやいやまぁお兄様と一緒に暮らせるのも嬉しいけれどもだ。
「そう。まぁ詳しい話は学園で聞かせてあげるよ。まずは朝食を」
「はい」
準備をすませてテーブルに着くと、なんとなく小難しそうな顔をした母が視界に入った。なにかを思い悩んでいるようだ。乙女ゲーム関連で何かあったのだろうか。
「おはようございます、お母様」
そう声をかけると、母は顔を上げて微笑み、しかしまた小難しい表情を浮かべてしまう。
「おはようエレナ」
「なにかあったのですか?」
私が首を傾げると、お兄様も一緒に首を傾げている。
「エレナにね、縁談が来たのよ」
「はあ、縁談」
今までも来ていたし今更小難しい顔で思い悩むようなことだろうか。
そもそもお父様が蹴るのではなかろうか。
「お父様宛てだと断られるという話が広がってしまったからでしょうけど、私宛てに来たのよね」
なるほど、なかなかの策士から縁談が届いたんだな。
「どなたから届いたのですか?」
面白そうだと身を乗り出して尋ねると、お兄様から呆れ気味な声で「エレナ」と私の名を呼ぶ声がする。
「この国随一の石占い師からよ」
策士の正体はこの国随一の石占い師とやらだった。
「彼女の石占いはとても美しく、かつ良く当たると評判で、王家に認められて名誉男爵という爵位を手にしたんですって」
「名誉男爵」
耳馴染みのない言葉だと小首を傾げていると、母は「どうやって説明したらいいのかしら」と呟く。
「元々は平民なのよ。だけど日々の功績が認められて一代限りの爵位を与えられたの」
とにかくすごい石占い師であることは理解した。
『国民栄誉賞的な……』
「母様」
国民栄誉賞的なやつかー、と納得していると、お兄様が母の日本語を遮って口を開いていた。
「名誉男爵とはいえ元平民の元へエレナを嫁がせるなど!」
「……まぁあなたとオスカル様はそう言うでしょうね」
お父様は誰が来ても断固拒否でしょうよ。
「結局、彼女はエレナを息子の嫁にして、さらには自分の弟子にして二代続けて名誉男爵という爵位を手にしようとしているのよ」
「エレナの幸せなど二の次ということでしょう。お断りするべきだ。今すぐに。なんなら返事をしなくてもいいくらいだ」
「まぁまぁお兄様」
落ち着いてくださいと言ってみたものの、これが落ち着いていられるかとぷりぷり怒り始めてしまった。
「まぁお断りするでしょうけど、この先すべてを断り続けるのもどうかと思うのよね、私は」
お母様はそう言って深いため息を零した。
何かと理由をつけてあれこれ断り続けていたら、本気で嫁に行けなくなりそうだし、お母様の言葉にも深いため息にも納得する。
「いえ、エレナが幸せになれない結婚はすべて断り続けるべきだと思います」
「そんなことをしていたらエレナがお嫁に行けなくなるし、そもそもエレナの幸せはエレナが決めることであなたが決めることではないわ、ハンス」
「エレナが嫁に行けなくとも問題はありません。僕が側に居ます」
「問題あるわよ。貴族の令嬢がお嫁にいけないだなんて、エレナが肩身の狭い思いをしなくてはならないじゃない」
「……エレナを外に出さなければ肩身の狭い思いなど」
「あなたがエレナを好きなことは分かっているけれど、エレナの人権を無視するのはどうかと思うわ」
私そっちのけで熱いバトルが繰り広げられているわけだけど、面倒なので私は朝食に集中させていただこうかな。
「母様は、エレナをどこかへ嫁に出したいのですか?」
「今すぐ出したいわけではないわよ。学園を卒業したら、エレナにも結婚したいと思える人が出てくるかもしれないじゃない」
学園を卒業したら?
今の私に相手がいないことはお見通しなのかな?
「エレナ」
「あ、はい」
「私はあなたの結婚すべてに反対したりしないわ。……王族と近衛魔術師と高位貴族、あと教師以外なら」
随分と限定されたな。っていうかそれ乙女ゲームの攻略対象キャラだな。
「……平民は?」
私の記憶が正しければルトガーも攻略対象キャラだったはずなのだが。
「平民?」
「ルトガーとか」
「ルトガーは平民じゃ……え、エレナその子が好きなの?」
「いえ。平民の中で一番仲がいいのがルトガーだったので」
「平民は僕が許さないよ!」
「あ、はい」
「エレナはね、僕よりもエレナを愛してくれて、エレナに何一つ不自由のない生活をさせてあげられて、エレナに一切の苦労をさせない人とじゃなきゃ結婚してはいけないよ」
居る? そんな人。
結局朝から熱いバトルを見せられ巻き込まれたせいで随分と気疲れしてしまった。
馬車の中でロルスに愚痴ろうかと思っていたがお兄様も学園に行くのだからそれも出来そうにない。
「さて、行きましょうロルス。あら、胸なんか押さえてどうしたの? 痛むの?」
「大丈夫かいロルスくん」
「いえ、大丈夫です」
ロルスは首を横に振って否定した後、小さく首を傾げていた。
「何かあったらちゃんと言うのよ?」
「はい、お嬢様」
その日の放課後のこと。
私はブルーノ先生の資料室に居た。
お兄様が言っていた五代目国王の新しい文献とやらについて教えてもらうために。
その場にブルーノ先生が呼んだらしいルトガーが居たので、今朝の会話を思い出したお兄様が勝手にぴりぴりしていたのだが完全なるとばっちりなのでやめてあげてほしい。
今回集まったのは、ブルーノ先生、お兄様、私、ルトガー、そして私に付き合わされたロルスの五名。
ちなみにロルスはドアの側で立ったまま待機しようとしていたようだったが、長時間立たせっぱなしになりかねないと思った私が強制的に隣に座らせた。
「今回見つかった文献は歴史書ではなく、神殿関係者の手記に載っていたものでした」
と、お兄様は言う。
歴史書は散々調べられていたが、手記は盲点だったそうだ。確かに、その辺は私も調べていない。
「そして、その手記に書かれていたのは、この国で最後に呪文を使ったのは五代目国王であるという旨でした」
五代目国王が生きていたころはまだ呪文が存在したという話はあちこちの資料で見ていたが、最後の呪文を使ったと断言されているのは初めて見た。
「……六代目じゃないんですね」
私がぽつりと零すと、その場にいた全員の視線がこちらに集まる。
「なぜそう思ったか聞いてもいいかな?」
ブルーノ先生に問われたので、私は包み隠さず述べる。
「六代目は明らかに人の寿命を超えて生きているので、なんらかの呪文を使ったのではと」
全員の視線が、今度は手元にあった年表に向く。
「それなのに人々がそれほど疑問に思っていないのも、変ではありませんか?」
日本の歴史の授業のように年表を暗記したりしないから、疑問に思うもなにもその事実を知らない人も確かに居る。
だがそれにしたって誰も疑問に思わないのはおかしな話ではないのかと思うわけだ。
寿命を延ばす呪文とか人から不思議に思われない隠蔽の呪文とか、何かしらの呪文を使ったんじゃないかと推測していたのだけれど。
「六代目の肖像画が若い頃のものしか残っていないのも不自然だと、俺も思う」
ふとルトガーがそう言った。
「そうなの?」
「ああ。六代目の肖像画はいくつか残っているが、若くて十代、老けていてもせいぜい六十代程ってところだった」
百年以上生きているのなら、もっとしわしわの爺になっていてもおかしくないのに、といったことを呟きながら、ルトガーは棚に置いてある資料を漁っている。
「あ、これだ。これが確か一番若い肖像画だ」
テーブルの上に置かれた肖像画を見て、私の指先がぴくりと勝手に動いた。
もっと老けた肖像画は何度も見ていたが、これを見るのは初めてだった。初めてだったはずなのに、既視感を覚えた気がした。嫌悪感を覚えた気がした。そして、得体の知れない恐怖を感じた。
「お嬢様?」
私の一瞬の動揺に気が付いたらしいロルスが小さな声で私を呼んで、ほんの少しだけ右腕に触れた。
「っ!」
「も、申し訳ございませんお嬢様」
「ううん、いいの。大丈夫。ちょっとびっくりしただけよ」
私が異常なまでに肩を揺らしたものだから、ロルスのほうが驚いてしまったようだ。
「大丈夫か、エレナ」
「うん、大丈夫。それで、五代目国王が使った呪文については書いてあるのですか?」
私はその肖像画から意識を逸らすように、話題を戻した。届くところにあったロルスの手を握りながら。
「手記にあるのは「儚く散った王妃を思って最後の呪文に手を伸ばした」とあった。ただ呪文の内容までは書かれていなかった」
お兄様は、そう答えた。
そしてお兄様もブルーノ先生も、王妃を思って、と書かれているので王妃に対して呪文を使ったのではないかと考えたそうだ。
五代目国王が王妃を溺愛していたことは有名な話なので、きっと誰もがそう思ってもおかしくはないのだろう。
私も国王が死者蘇生の呪文でも使ったんじゃないかと思っているから。
しかし六代目国王はその溺愛していた王妃が産んだ子どもだし、もしかしたら五代目が六代目に対して何か呪文を使った可能性だってある。
それこそ長生きする呪文とか。
ただ五代目国王の王妃といえば、いつか見た明晰夢で私に謝っていたあの人だ。
あの人が私に対して謝る理由がここにあるとしたら?
息子を長生きさせてごめんなさい、なんて言う? いや、よしんば長生きさせたことに対して後ろめたさがあったとして、私に謝る必要はあるのかって話だ。なんで私なんだ。
まずこの人たちは千年くらい前に生きていた人だし、私にも、前世の私にも関係ないと思うのだが。今と前世を合わせたって千年には程遠いし。
「うーーん……」
一つ新しいことが分かったはずなのに、なにも分からなくなってしまった気分だ。
こめかみを押さえながらうなり声を上げた私を見たブルーノ先生が、くすりと笑う。
「今日はこの辺にしておこうか」
呪文学は一気に考えることではないからね、と先生の優しい優しい声が心に沁みる。
結婚するならこういう穏やかな人がいいんじゃないかなぁ。母は教師NGだって言ってたけど、あれはきっとエリゼオ先生のことだろうしブルーノ先生はセーフなのでは。
まぁブルーノ先生は確か既婚者なのでセーフもクソもなく完全アウトだけれども!
呪文学会議はお開きとなったが、お兄様がもう少し資料を整理するというので、私はロルスを伴って図書館で時間をつぶすことにした。
息抜きに全然関係ない本でも読もうと思って。
「あぁ、目の奥が痛いわ。頭を使いすぎたのかもしれない……」
「僭越ながらお嬢様、それは昨夜寝たふりをした後夜更かしをしていたからではありませんか?」
「……ロルスの厳しさで心が痛いわ」
別に寝たふりをしたわけではない。眠るつもりだったのだけど途中まで読んでいた物語の続きが気になって気になってそれはもう気になっちゃって眠れなくなってしまったから仕方なく起きて続きを読み始めてしまっただけだ。
「しかしお嬢様、先ほど触れた手がとても冷たかったのですが、大丈夫なのですか?」
「手? あぁ、そういえば、そんな気もしたわね……」
いつだったか、以前もこんなことがあったような気がする。手が冷たくなった……
「以前悪夢に魘されていたときも、右手だけが冷たくなっていらっしゃいましたが」
「……あぁ、ん……?」
確か明晰夢ではない不思議な夢を見たときだ。
「あれ……どんな夢だったかしら」
「お嬢様は、怖い夢だった、と」
そうだ、そういえば今日と同じような得体の知れない恐怖を感じた、そんな夢だったはずだ。
思い出せ、どうにかして思い出せ、そう思いながら、私は自分の頭をぺしぺしと叩く。
「なにをしているのですかお嬢様!」
突如自傷行為に走り出した私に驚いたらしいロルスが私の手と頭の間に己の手を差し込んできた。
このまま叩けばロルスの手を叩いてしまうことになる。
そんなわけにもいかないので、とりあえずロルスの手を撫でておく。
「刺激を与えたら思い出すかなって」
「忘れてしまった恐ろしい夢など無理に思い出す必要はありません」
「いやでもなんか重要だった気がするのよね……」
眉間にしわを寄せながら、自分の頭上にあるロルスの手を撫でていると、背後から声が掛かった。
「さぁ帰ろうエレナ! ……え、なにしてるの?」
「……少し、考え事を」
私がそう答えたものの、一切納得しなかったお兄様は顔を顰めている。
「も、申し訳ございません」
お兄様が発する謎の圧力のせいで、何も悪いことなどしていないはずのロルスが私の手と頭に挟まれ撫でられていた己の手をそーっと引き抜いたのだった。
五代目国王関連の謎にじわっと足を踏み入れまして。
評価、ブクマ、拍手、そしていつも読んでくださってありがとうございます。皆様のおかげで今年も頑張ることが出来ました。来年も何卒よろしくお願いいたします。よいお年をお迎えくださいませ。
ところで前回の更新でエレナのフルネームってこんなのでしたっけ、って言われて気付いたのですが、エレナのフルネームを毎日見てるのってこの世で私だけなんですよね。
私エレナの名前使ってゲームやってるんで毎日見るんですよ。だからそんなに耳馴染みなかったかなって思ったんですがこれは単に自分の耳に馴染みまくってるだけでしたわ。




