意地悪令嬢、下僕の緊急事態に焦る
エレナ・アルファーノは酷く心を痛めているらしい。
あれほど仲睦まじかったレーヴェ・クロイツとの仲を引き裂かれてしまったからだそうだ。
二人の仲を引き裂いたのは、突如現れた編入生であるフローラ・アンジェロ。
無知なフローラは思い合う二人の間に入り込んだのだ。フローラはエレナからレーヴェを奪うつもりなのかもしれない。
そして控え目なエレナはそれを甘んじて受け入れ、身を引いてしまうつもりなのかもしれない。心を痛めながらも。
レーヴェと結婚するためにどんな縁談も断っていたエレナが、どこかの貴族との結婚を考え始めているらしい。
きっとレーヴェへの恋心を忘れるために他の誰かのところにいくつもりなのだろう。
あぁ、可哀想。可哀想なエレナ。
噂というものは尾ひれが付くものらしいけれど、最近あちこちから聞こえてくる噂にはもう尾ひれどころか足が生えて自由に闊歩している状態だ。
一つも身に覚えがない。
いや、確かにレーヴェとは昔から仲が良かったが、ただただ親が連れてきたから友人になって、ゲームに夢中になっていただけで別に思い合ってなどいない。普通の幼馴染だ。それ以上でも以下でもなく。
そして確かにフローラがレーヴェの側に居ることが増えたけれど、別に私たちの仲を引き裂いてそこに居るわけではない。レーヴェが世話係をやっているだけだから。
そもそも私が縁談を断っていたのはレーヴェと結婚するためではない。というかまず縁談を断っていたのは私じゃなくお父様である。そんで別に誰との結婚も今のところ考えていない。
もう本当に何一つ身に覚えがない! 私は別に可哀想じゃない!
「はぁ……」
「お嬢様、やはり頭痛が治っていないのではありませんか?」
朝、登校中の馬車の中でため息を零すと、ロルスが私の顔を覗き込みながらそう尋ねてきた。
「頭痛?」
いやまぁ確かに色んな意味で頭は痛いけれども。
「昨夜眠る前に頭が痛いと」
「言ってた? わたしが? うーん……覚えてないわね」
「しかし」
眠る直前までロルスとしゃべってて、結局寝落ちしたのは覚えているから半分夢見心地で頭が痛いとかなんとか言っていたのだろう。
「半分夢見てたからだと思うし気にしないで」
「お嬢様は、何かに怯えていました。こわい、と」
いや全然覚えてない。
全然覚えていないけれど、一つ謎が解けた。
私はそっと手を伸ばし、ロルスの目の下に触れる。
「わたしがそんなことを言ったから、だからあなたは自分の睡眠時間を削ってまで側にいてくれたのね」
「いえ、私は」
「クマが出来てるわ。ごめんなさいね。今日は早く帰って一緒にお昼寝しましょ」
「……僭越ながらお嬢様、私は下僕ですので」
「わたしは下僕の寝顔が見てみたいわ。強制的に眠らせてやるから覚悟しておきなさい」
頸動脈をグッてやったら落ちるらしいからな。私は筋金入りの意地悪令嬢なんだもの、下僕を落とすことくらい朝飯前よ。
ふん、と鼻で笑う私を尻目に、ロルスはさっきまで私が触れていたところを己の手で撫でていた。
「……お嬢様は、何に怯えていたのですか?」
「覚えてないけど」
「今、何に怯えているのですか?」
「今?」
今日のロルスはいつもより少しだけおしゃべりだなぁなんてのんきなことを思いながらロルスの顔を見上げてみると、そこにある表情が思ったよりも真剣で驚いた。
「お嬢様ご自身が昨夜こわいと言ったことを覚えていなくとも、何かに怯えているからこその言葉ではないのですか?」
まぁ、ロルスの言い分にも一理ある。私は昨夜何を思ってこわいと言ったのだろう。
「うーん……なんだろ。そもそも昨日、寝る前になんの話をしていたかしら?」
「フローラ様に華占いをしてもらった話でした」
「あーそうそう。占いのなかで花が咲くことはなかったんだけど芽が出たのよ。それでその芽を育てて咲かせてくれて、って話をしたんだったわね」
それでその花の花言葉の話をして、花言葉が意味しているのは私が将来結婚する相手がどうとか、みたいな話をした気がする。
「その話のどこにこわい要素があったのかしらねぇ」
私がそう言い終えたところで、ちょうど馬車が止まった。到着したらしい。
「まぁ多分大丈夫よ。ロルスは今日もブルーノ先生の資料室に行くのよね?」
「お嬢様」
「大丈夫大丈夫。じゃあまたお昼休みにね。あ、おはようルトガー」
「おう、おはよ」
不服そうなロルスを放って、ちょうど側に居たルトガーに声をかける。
ルトガーは不服そうなロルスを見て少し不思議そうに首を傾げていた。
その日の午後のこと。
呪文学の授業を終えたルトガーが急いで近付いてきた。
「エレナ、ロルスが倒れた!」
「なんですって!?」
私が勢いよく立ち上がったせいで椅子がガターンと盛大な音を立てて倒れてしまったけれど、そんなこと気にしていられない。
「今はブルーノ先生の資料室で寝てる」
「大丈夫なの? ちょっと、あの、わたし今から資料室に」
「落ち着け落ち着け。もうあとはホームルームだけだ、それが終わってからにしろ」
「でもロルスが」
「医務の先生に見てもらったし寝てるだけだって」
「倒れたんでしょう?」
「まぁ倒れたけど」
「早退するわ」
「いやいやいや待て、おい、エレナあーレーヴェ! エレナを止めてくれレーヴェ!」
ルトガーの声を聞いて、廊下に居たらしいレーヴェが教室内に駆け込んできた。
そしてルトガーは強い力で私の二の腕をつかみながら、レーヴェに詳細を説明している。
「ロルスが?」
「疲労が溜まってたのと寝不足が原因だろうって医務の先生が言ってた」
「わたしのせいだわ」
ロルスを疲れさせていたのも寝不足にさせたのも、私のせいなのだ。私がロルスを引っ張りまわしているから。私が変なことを口走ったりしたから。
「だから、お願い、離してルトガー」
「いや離したらそのまま走って行くだろお前」
「いいでしょ別にホームルームなんか早退したって!」
「まぁ確かに、授業じゃないしな」
別に引き留める必要はないのか? と首を傾げるルトガーを見て、やっと手を離してくれるのかと思っていたところ、レーヴェにそっと肩を叩かれた。
「落ち着いてエレナ。そのままの勢いでロルスのところに駆け込んだらロルスが起きてしまうよ。疲労と睡眠不足で眠っているんだったら、しばらく寝かせてあげたらいいんじゃないかな?」
言われてみれば、今この状態でロルスのもとへ向かえば、大きな音でドアを開けてしまうし、大きな声で名前を呼んでしまうに違いない。
どう転んでも疲れて眠っているロルスを叩き起こしてしまうことになる。さすがの意地悪令嬢でもそこまでド鬼畜になるわけにはいかない。
「……ありがとう、レーヴェ。わたし、焦っちゃって」
へらりと笑ってみせたけれど、私の口から零れ落ちる声は震えていた。
「ううん、大丈夫。ホームルームが早く終わるように祈ろう」
「ええ、そうね。で、ルトガーはなにをしているの?」
ルトガーはいつまでも私の二の腕を掴んだまま首を傾げている。
「混乱してる」
「混乱?」
「咄嗟にとはいえ嫁入り前の女の子の腕を掴んでしまったなと思って」
じゃあさっさと離せばいいのでは。
「まぁ緊急事態だったから大丈夫でしょう」
「あと俺の腕とは全然違うんだなと思って」
「は?」
「この筋肉量で重いものは持ち上がるのか??」
そりゃあ男の腕に比べたら筋力なんてまるでないけれども。そもそも私は貴族の令嬢なので重いものを持ち上げる機会がない。
「……重いものはロルスが持ってくれるもの」
「あぁ、まぁそうだよな」
私の言葉に納得したルトガーは、そっと私の二の腕を二揉みほどして手を離した。
どさくさに紛れて揉みやがったな。
「わたしだって自分のことくらい自分で出来るのよ。でもそうするとロルスの仕事を奪っちゃうから」
「そうかそうか」
ルトガーは何事もなかったかのように相槌を打つ。
「ロルスに仕事がなくなっちゃったら、ロルスがいなくなっちゃうかもしれない」
「そうだな」
「でも疲労が溜まってたって。だから疲れない程度の仕事を与えなくちゃいけない」
「加減が難しいな。まぁ泣くなエレナ」
「まだ泣いてないわ」
私とルトガーがそんな会話を交わしていたところ、教室に担任の先生がやってきた。
やっとホームルームが始まる、と思っていると、レーヴェがそっと先生に声をかけているのが見えた。口の動きを見た感じ「今日のホームルームを早く終わらせてください」と言った気がする。
レーヴェもロルスを心配してくれているようで少し嬉しかった。ただ先生を見るレーヴェの瞳に圧力のようなものを感じるのだが、それには気付かなかったことにしよう。
ホームルームはいつもより明らかに早く終わった。レーヴェの圧力ってすごいんだな、なんて思いながら、私は勢いよく教室を飛び出す。
もちろんロルスが寝ているであろうブルーノ先生の資料室を目指して。
「エレナ、俺も行く」
そう言って付いてきたのはルトガーだった。
「絶っっっ対に静かにしてね」
「分かってる」
ロルスのこと起こしたら許さないからね、と釘を刺しながら、私とルトガーは小走りで資料室へと向かうのだった。
「失礼します」
そーっとそーっと、細心の注意を払いながら資料室のドアを開ける。
するとそこには簡易ベッドに眠るロルスの姿があった。
お腹が規則正しく上下しているので、本当に眠っているだけらしい。
安心してその場にへたり込みそうになったけれど、私は必死で両足に力を入れる。こんなところでへたり込んだら絶対に音を立ててしまう。ロルスを起こすわけにはいかない。
衣擦れの音さえも立てないように、そっとロルスの側へと足を進める。そして手近にあった椅子に腰を下ろした。
「よく眠ってるよ」
ブルーノ先生が言う。
「すみません。ありがとうございました、ブルーノ先生」
私がそう言うと、ブルーノ先生はにっこりと笑って首を横に振った。気にしなくていいよ、とのことだ。
「よほど疲れていたのね、ロルス」
私が眠りにつくまで側に居てくれて、朝になったら起こしてくれるから、こんな風にロルスの寝顔をじっくり見たのは初めてかもしれない。
「ごめんね、ロルス」
小さな声で呟きながら、そっとロルスの前髪を撫でる。さらさらで柔らかい、綺麗な黒髪だ。
「ねぇルトガー」
「ん?」
「前から知ってたけど、こうして改めてじっくり見ると、うちの従者ってとんでもなく顔がいいわね」
「真顔で何を言い出すかと思えば」
綺麗な黒髪と同じ色のまつげは長く鼻筋もあごのラインもしゅっとしていて形のいい唇はよーーく見るとほんの少しだけ上唇のほうが厚いような気がする。上唇のほうが厚い人は愛情を与えるタイプの人だって昔どこかで聞いたっけな。
「エレナは、本当にロルスが好きだな」
「ん? ええそうね、ロルスはわたしの自慢の従者だもの。大好きよ」
えへへ、と笑えば、ルトガーは呆れたように肩を竦めてくすりと笑った。
そんな話をしていたとき、ふとロルスの目が開いた。
「……え、お、お嬢、様」
「急に起き上がってはだめよロルス。あなた、過労と睡眠不足で倒れたんだから。少し顔が赤いみたいだから熱もあるかも」
「わ、私は大丈夫です、申し訳ございませんお嬢様」
「いいのよ。あなたが倒れたのはわたしのせいだし、元々強制的に眠らせる予定ではあったもの。痛いところはない?」
そう問うと、ロルスはしばし黙って己の体を確認していた。
「強制的に眠らせるってどういうことなんだ」
ふとルトガーが呟いた。
「……ロルスが寝不足だってことは知っていたのよ。だから今日は早く帰って一緒にお昼寝するつもりだったの」
「へぇ」
頸動脈をグッとする必要がなくなってよかった。
「よし、じゃあわたしはロルスが集めてくれた資料を読み漁るからロルスはもう少し眠っていなさい」
「そういうわけには」
「あぁだめよロルス、あなたのお腹の上には大事な資料が時系列順に並んでいるから起き上がったりしたらバラバラになってしまうわ!」
「は!?」
これでもうロルスはしばらく起き上がれない。
この日、エレナ・アルファーノについての噂がまた一つ増えた。
レーヴェを奪い合うエレナとフローラ、そして今度はルトガーがレーヴェからエレナを奪おうとしている、そんな噂が。
私の二の腕を掴んだり、教室から飛び出す私を追いかけたり、一緒に帰ったりしたのを目撃されたからだろう。
私はただただ己の従者の心配をしていただけなのだけれど。
しかしながらヒロインを取り巻く恋愛模様に片足を突っ込んでいるようなものだし、NPCとしての及第点はいただける……かもしれない。
「ロルスの睡眠時間を確保するために、眠る時間を早めることにするわ」
「眠ったふりをして本を読むおつもりでは?」
「……ん?」
「本は没収しておきます」
「ロルスの意地悪!」
「意地悪なご令嬢の従者たるもの、意地悪でなければ務まりませんので」
「ぐぬぬ……!」
頸動脈をグッと。
いつも読んでくださってありがとうございます。おかげさまでブクマ数が3200を超えました。こんな数字初めてです。
完結もじわじわと近付いてきたところですので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




