意地悪令嬢、同情する
忙しい三年目を抜け、学園生活四年目が始まる日のこと。
朝食の席に着くと、そこに母の姿がなかった。珍しく寝坊でもしたのだろうかと侍女ちゃんに尋ねると、さっきまで居たとのことだった。一応起きてはいるらしい。
母の席にはまだ手を付けられていない朝食がそのまま鎮座しているので何も食べずにどこかへ行ってしまったようだ。
なにをやっているんだろうと思ったけれど、この場に居る誰もが焦ることも慌てることもなく通常通り動いているので問題はないのだろう。
母の体調が悪いとかだったらもっとざわついてると思うし、そもそも誰かが教えてくれる気がする。
というわけで、私は朝食をとって学園へ向かう準備を整えた。
学園へ到着し、馬車を降りると、なんとなく違和感を覚えた。
新しい一年が始まる日なので生徒達が浮き足立っているというのもあるけれど、なんだかそれだけではない。
ざわざわしているというかそわそわしているというか、なんとも居心地が悪い。
たまに私を見ながらこそこそしている人が居る気がするのも居心地の悪さを増幅させている。
え、なんでこそこそされてるんだろう。また私とその辺のイケメンとの架空の恋物語を捏造されて賭け事のネタにでもなってるのかな?
私は皆のおもちゃじゃないぞ?
なんて思いながら、私は周囲からの視線を跳ね除けつつ自分の教室を目指し歩き出した。……はずだったのだが。
「おわっ、え、ちょ、何」
「っ! お嬢さ……ま……」
歩き出した直後、廊下の角を曲がってすぐのところで突然腕を掴まれた。
あまりにも突然だったので、私は腕を振り払おうとしたしロルスも私の腕を引き抵抗しようとしたのだが、相手が見知った人だったので私たちはただただきょとんとしたまま顔を見合わせ、大人しく連行されることとなった。
「ごめんね、突然引っ張ってきちゃって。久しぶりだね、エレナちゃん」
「いえ。お久しぶりですね、ローレンツ様」
私の腕を突然掴んできた相手、それはローレンツ様だった。
そしてただ静かに連れてこられたのは、以前私たちが罰則を受けるときに使わせていただいたエリゼオ先生の個室だった。
「人に聞かれたくない話がしたいって先生に相談したらここを使ってもいいって仰って」
「そうなんですか」
ローレンツ様がそっとノックをすると、室内からはとてもいい声で「どうぞ」と返ってきた。
なんとなく緊張しつつその部屋に足を踏み入れると、甘い香りが漂ってくる。どうやら先生はミルクティーを飲んでいたらしい。
「おはようございます、エリゼオ先生」
「あぁ、おはよう」
先生と挨拶を交わしたところで、ソファに座るよう促された。私とローレンツ様は二人並んでソファに座る。それを見て、先生は一人用のおしゃれな革張りの椅子に座った。
ロルスは私の後ろに控えるように立っている。本当は私の隣に座らせるつもりだったのに、ロルスに拒否されたので諦めた。しかしこうして後ろに控えられるのもそれはそれで従者っぽくていいかもしれない。従者っぽいっていうか従者なんだけれども。
「それじゃあ、時間もないことだし早速本題に入らせてもらうね。エレナちゃん、今朝の新聞は読んだ?」
「新聞ですか? あ……そういえば、読んでいません」
読んでいないというか、読めなかったのだ。あるはずの場所に、なかったから。
「そっか。あのね、俺、王宮に行くことになったんだ。近衛魔術師団に入るために」
「王宮? 近衛……? え、え!? あっ、お、おめでとうございます」
近衛魔術師団というと、王族最側近で働く組織で、あの六方の魔法騎士が長い年月を経て姿を変えたという集団だ。
「ありがとう。まぁ驚くよね。魔力量が少ないって悩んでた俺が近衛魔術師団に入るなんて」
そういえばそんなことで悩んでたな! じゃなくて、驚いたのはそこではない。いや、まぁそこも驚いたといえば驚いたけれども!
「いや、そ、えぇ……」
「あはは。とりあえず順を追って説明するね」
そう前置きをしたローレンツ様の話によると、どうやら彼の近衛魔術師団入りは最近決まったことではないらしい。
私と出会い、魔力量を伸ばす努力を始めた彼は思いのほかぐんぐん伸びたそうで、あの花嫁候補事件の頃にはもう近衛魔術師団に入れるほどの魔力量に到達していたんだとか。
そして、私が忙しさに目を回していた去年の今頃にはもう近衛魔術師団加入が確定していたらしい。
「……ってことは、あの、あの人との婚約は……?」
話を聞くうちにだんだんと落ち着いていった頭にふと浮かんだのは、勝ち誇った顔をしていたあの金持ち辺境伯の娘のことだった。
「破棄することになった」
まさかの婚約破棄。
しかし噂で聞いたことはあったのだ。近衛魔術師団に入った者は少しでも魔力量の多い子をなすために国王が決めた魔力量の多い者と結婚させられるらしい、と。まぁ魔力量は遺伝しないはずだからそれに意味があるのかどうかは知らないけれど。
「近衛魔術師団は魔力量の少ない人とは結婚出来ないから魔力量の平凡なあの子とは、ね。それともう一つ、近衛魔術師団に加入すると最長十年は結婚出来ないんだって。だから、それを待っていたら行き遅れになる。あの子はきっと努力も行き遅れも嫌がる」
なるほど。見栄を張るためにブランシュ侯爵夫人の座を狙ったであろう彼女がローレンツ様のために努力なんて出来ないだろうし、行き遅れになるなどもってのほかなのだろう。
「実は、これがエレナちゃんじゃなく彼女を花嫁候補に選んだ理由だったんだ」
「ん?」
「正直、花嫁候補を選んでいるという話が一人歩きしてしまったのが問題だったんだけど、あの時は俺が近衛魔術師団に入るなんて思ってもなかったわけで。でも思ったより魔力量が伸びるものだから……」
ローレンツ様はそこまで言って、ふと押し黙った。それを見たエリゼオ先生が小さくため息をついてから口を開く。
「花嫁候補の話が出回り始めた頃にはもうなんとなく近衛魔術師団に手が届きそうだった。ただ話が出回ってしまった以上花嫁候補選出を止めることも出来なかった。止めるなら止める理由が必要だからな。しかしバカ正直にまだ入るかどうかも分からない近衛魔術師団に入るかもしれないから花嫁候補は選べないなんて言えない。だから花嫁候補を選んだ後で破棄するのが手っ取り早かった。貴族の世界なんてそんなもんだ」
先生は淡々とした様子でそう言い放ったけれど、なんとも恐ろしい話だ。
理由はどうあれ婚約破棄をされるだなんて貴族の令嬢にとって不名誉極まりない話だというのに。他に、道はなかったのだろうか。
「俺の父は、俺の魔力量がここまで伸びなければ、エレナちゃんを花嫁にしたかったそうだ。今でも残念そうにしている。でも……だから、だからこそエレナちゃんを花嫁候補に選ばなかった。選べなかったんだ。エレナちゃんは俺の恩人だから」
そう言われても私の心中は複雑で、あまり嬉しくはなかった。
まぁ彼女も妙に絡んできたり勝ち誇った顔をしたりと傍若無人ではあったし自業自得なのではという気持ちがないでもないけれど、なんとなくもやもやしてしまう。
うーん、でも確か私がローレンツ様の花嫁候補に選ばれたとしたらそれはローレンツルートとやらに入って最終的には私の死亡フラグが立つとかそんな話だったはずだし死ぬよりマシなのだろうか。
「巻き込んでしまってごめんね、エレナちゃん」
「え、あぁ、いえ……」
「それと、魔力量を伸ばす方法を教えてくれてありがとう。あの時、相談に乗ってくれて本当にありがとう」
「あ、はい」
「この先、会えるかどうか分からないから、今のうちにお礼が言いたかったんだ」
今生の別れでも言うような顔をしているな、と思っていると、エリゼオ先生に鼻で笑われた。
「エレナは新聞を読んでいないから知らないんだろうが、ローレンツは今日で学園を卒業するぞ」
「卒業?」
新聞は読まなかったんじゃなく読めなかったんですけど、という言い訳が浮かんだが、それどころじゃない。
「正確には卒業資格を貰う。そして、すぐに近衛魔術師団に加入する」
「え!? そんなにすぐ……あ、だから」
「だから?」
「あ、いえ、なんでもありません」
なんとなく、今朝母が居なかった理由と新聞がなかった理由が結びついた気がした。
新聞にこの話が書いてあったのなら、おそらく母が新聞を持って部屋に篭ったのだ。
だってローレンツ様が本来卒業する年よりも早く卒業してしまうということは、ヒロインに会わないということだ。これはきっと、シナリオが狂っている。
っていうか魔力の伸ばし方を教えたのは私だし、シナリオ狂わせたのって私なのでは?
えらいこっちゃ。
いやでもそんなこと知らなかったし……っていうかこんなことになるとは思ってなかったし。
「それで、だ。エレナ」
「あ、はい」
「婚約破棄されたあの女が逆恨みでエレナに危害を加えるかもしれない」
「あー……はい」
「俺が害獣駆除の魔法を教えてやろう」
「いえ、駆除しない方向で対処しますので遠慮しておきます……」
ローレンツ様からのお礼を受け取り、エリゼオ先生の申し出を断ったところで時間が来たので話は終わった。
どちらにせよローレンツ様の近衛魔術師団入りはめでたいことだ。多分。帰ってから見るであろう母の顔にどんな表情が浮かんでいるのかを考えると不安しかないけれど。
そんなことを考えていた放課後のこと。
エリゼオ先生の予想は的中した。
「あなたが花嫁候補に選ばれればよかったのに。あなたが婚約破棄されればよかったのに!」
と、私の正面に立ったのは金持ち辺境伯の娘だ。
花嫁候補に選ばれたときは勝ち誇った顔をしていたというのに今更私が選ばれればよかったと言い出すとは。想像の斜め上をいかれてしまったな。
「まぁ、言いたいことは分かります」
「なによ! 同情でもするつもり!?」
大体そんな感じです、と心の中で呟きながら、私は彼女の前に革袋を突き出した。
「え、は? なに?」
「この中には石占いに使う宝石が入っています。簡易未来視でもしてみませんか? ほら、婚約破棄だなんていつまでも引きずったっていいことなんてありませんし。この中から石を選んでください」
私がそう言うと、彼女は訝しげな顔をしながらも、私が突き出した革袋に恐る恐る手を突っ込んだ。
「一つ?」
「いくつでも。直感でどうぞ」
彼女が革袋から取り出したのは、バラの形にカットされたピンクの宝石だった。典型的な恋の石だ。
私の手のひらに乗せられたその石は、輝かずに黒い靄がかかったような状態になった。この状態は、迷い。
しばし石に意識を集中させて、石が伝えてくるメッセージを拾っていく。
「あの、本当はローレンツ様以外に好きな人が居ませんか?」
「は? い、いい居ません、居な、いや……居ませんし!」
選んだ石とこのリアクションを見た感じ居るっぽいけどな。
居るけど、迷っている。多分、相手の身分が低いんだな。そう思いながら、私は自分で革袋に手を突っ込んで二つの石を掬い上げる。
「あー、今は居ないとしても、そのうち現れるはずです。そしてその人は、あなたのことがすごく好きみたいですね。めちゃくちゃきらきら輝いてるので」
石が発するイメージを読み取った感じでは、彼女がまだこんな風にゆがむ前に出会った幼馴染のような人が相手らしい。なんだ、いい人居るんじゃん。
「ほ、ほんとう?」
「はい。それで、この光の柱を作ってるこの水色の石が幸せな結婚を祝福する石です」
私の言葉を聞いた彼女は、口をあんぐりとあけた貴族のご令嬢にはあるまじき顔のまましばらく光の柱を眺めていた。
「……私の機嫌を取るために嘘を言ってるんじゃないでしょうね?」
「わたしもまだ石占いを習い始めてそれほど経っていないので、嘘や冗談で石を光らせる技術は持っていません。なので嘘ではありません。信じるかどうかはあなたにお任せします」
そう言うと、彼女は目を泳がせたあと、私を睨み付けながら言うのだ。
「そ、そう。でも……でも! 私はあなたのこと、許さないから!」
と、ほんのりと頬を染めながら。
きっと、今後彼女から絡まれることはないだろう。もう二度と。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
彼女が走り去ったのを確認し、隣で控えていたロルスが声をかけてきた。
「大丈夫よ。正直ちょっともやっとしてたけど、あの子は人に迷惑をかけることさえやめればなんやかんやで幸せになるみたいだね」
「あの女の心配などしておりません。私はお嬢様が大丈夫なのかと聞いているのです」
「わたし? 大丈夫よ?」
「……意地悪度は下がるばかりですが?」
「しまった!!」
そうだった、意地悪な令嬢はこんな風にアドバイスなんてしない!
……だけど、まぁいいか。
旅立つローレンツ。
今週もなんとか更新出来ました。
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