意地悪令嬢、本物を見る
前世の記憶の引き出しを、開けては閉めてを繰り返す。何か使えそうな記憶があったりはしないかと。
静寂の中、瞳を閉じると聞こえてくるのは懐かしいあの声。「全パラメーターをMAXにしないと落とせない鬼畜のような女が居てな……」という、唸り声にも似た声。
その声の主は……そうだ、クラスメイトのゲームマニアの声だ。
後に私に告白してきて「パラメーターが足りない」とフった記憶が残っている。
あいつがやっていたゲームも恋愛シミュレーションゲームだろう。しかし乙女ゲームではなくギャルゲー、と言っていたっけ。
あぁ、そういえばあいつは格ゲーで私にぼこぼこにされながらそのギャルゲーについて熱く語っていたな。
容姿だの学力だの体力だのといったパラメーターが存在していて……好きな子に照準を合わせてパラメーターを上げて……ライバルを出し抜いたり蹴落としたりしながら……そうだ、この辺で私が20連勝してあいつが勝手にパーティーゲームに切り替えたんだった。
私が今居る世界の元となったゲームにパラメーターが存在するかどうかは分からないが、私はヒロインから出し抜かれたり蹴落とされたりするポジションなのかもしれない。
蹴落とされた先に待つのは一体……
「上上下下左右左右BA……」
「おはようございますお嬢様、朝食の準備が整いました」
おはようコマンド……
朝食の席に着くと、今日も元気ににこやかな母と目があった。
傍観者として楽しんでいる彼女も、一応は私の母親である。もしも蹴落とされた先に待つ未来が悲惨なものだったとしたら、こんなにもにこにこしているだろうか。
私に意地悪令嬢になることを推奨した彼女が私のことを娘だと思っているのなら、そこまで心配しなくても大丈夫かもしれない。
だけどもしも彼女が母親であることを忘れたただの傍観者だとしたら……この先何が起きようと己の身は己で守るしかない。
「お母様、今日の放課後はレーヴェとお勉強をするので帰りは少し遅くなります」
「まぁそうなのね。分かったわ。レーヴェとエレナが仲良しで、私はとっても嬉しいわ」
母は満面の笑みでそう言った。
私とレーヴェが仲良しだったとしても、彼女が言うこのゲームのエンディングでは私とヒロインがレーヴェを奪い合うことになるわけだろうし、結局はライバルである私が負けるのが正規のシナリオなのだろうし、やはり母は信用ならないのでは……?
どの道、結局は娘の失恋を楽しみにしているのだから信用すべきではないのか。
「それではお母様、行ってきます」
「ええ、いってらっしゃい」
「下僕、残りのサンドイッチを包んでくれる? 馬車の中で食べるから」
ロルスが。
当然私が食べると思っているロルスはてきぱきとサンドイッチを包んでくれていた。
「はぁ……」
動き出した馬車の中で、ロルスの口にサンドイッチを突っ込みながらため息を零す。
突然のことに驚いたらしいロルスが目を見開きながらこっちを見ていた。
「どうせ朝食抜きなんでしょ。遠慮せず食べちゃいなさい」
「……しかし、むぐ」
「命令よ。主の残飯処理だって下僕の仕事よね」
母の様子を見ていて分かったことは、おそらくロルスが攻略対象ではないということだ。
元々可愛い顔をしていたロルスだったが、成長するにつれどんどん綺麗な顔になっていく。それを見て、もしかしたらロルスも乙女ゲームの登場人物なのでは、と思った。
しかし母はロルスと口も利かないどころか視界にも入れていないのだ。レーヴェにはあんなにデレデレしているというのに。
だから母にとって、ロルスはモブでしかないのだろう。
顔がいいというだけでは攻略対象になり得ないのか、とサンドイッチを飲み下すロルスの顔を見て思うのだった。
「そうだわロル……下僕、今日は玄関じゃなく従者待機室で大人しく待ってなさいね」
「はい?」
「レーヴェとボードゲームで遊ぶ約束だから。あなたも一緒に。だから私が従者待機室まで迎えに行くから」
「僭越ながらお嬢様、意地悪なご令嬢というのは下僕を迎えに行ったりするものでしょうか」
「するね。意地悪だから従者待機室に乱入して下僕を掻っ攫うね。わー私ってば意地悪。拉致だもの」
大丈夫。私は意地悪令嬢だ。拉致だもの。
鐘の音が鳴ると、担任が教室に入ってくる。大荷物を持った生徒数名を引き連れて。
その荷物は私達の教科書だった。やっと魔法の教科書が手に入るのだ。
最初のほうに名を呼ばれた私は教卓に乗せられていた自分の教科書を受け取る。
そして席に戻ると同時に目を光らせる。攻撃魔法と呪文学を選択した人を探すために。
攻撃魔法を選択した男子生徒はそこそこ居るようだ。声を掛けられそうな人が居ればさくっと捕まえて教科書を書き写させてもらいたい。
問題は呪文学だ。呪文学は将来何の役に立つのかが分からない上にその字面の怪しさも相まって選択する生徒がとても少ない。
もしかしたらこのクラスには一人も居ないのでは、と心の底から心配していたところ、やっと呪文学の教科書を受け取っている人物を発見した。
長い前髪で顔があまり見えないが、服の質を見た限りあの子はおそらく平民の子だろう。
その後全員の手元をざっと見てみたところ、呪文学を選んだのはこのクラスでは彼一人だけだった。
早急に彼の名を調べなければならない。そしてそれとなく接触して教科書を見せてもらいたい。
推定平民の彼が私の伯爵家という肩書きにビビらない子でありますように、と願いつつ。
「今から魔力量の測定を行います」
全員の手元に教科書が行き渡ったことを確認した担任が言った。
魔力量の測定は水晶のような透明の石で出来た石版を使う。その石版に手のひらを乗せると、透明だった石版にふわりと色がつくのだ。
魔力量が少なければ青に、多ければ赤に近い色が出る。あれだ、サーモグラフィーみたいな感じだ。
平均値は大体黄色あたりらしい。
「わぁ、さすがだわエレナ様!」
私が出した濃いオレンジ色を見て、パースリーさんが手を叩く。
取り巻きは太鼓持ちもしてくれるらしい。
一瞬ドヤ顔をかましそうになったが、そのすぐそばで私よりも濃いオレンジ色を叩き出しているレーヴェのせいでそれは不発に終わった。
「やるわねレーヴェ」
「エレナもね」
母はレーヴェのことを私の恋人候補になるかもしれない、と言っていたが、今生まれたのは完全に好敵手だった。
そんな私達を尻目に、このクラスで唯一呪文学を選択していた彼が測定しようとしていた。
これで彼も濃いオレンジを叩き出してくれれば声を掛けやすい。あわよくば話が弾んだりして仲良くなれるかもしれない。
仲良くなれれば呪文学の教科書を見せてもらい、授業内容も聞いたり出来……わぁ~すごく綺麗な黄色。
彼が叩き出したのは平均も平均、見事にど真ん中の黄色だった。それはもうど真ん中過ぎて声の掛けようもないほどの。
仕方ない、声を掛けるのは別の機会にしよう。
放課後、私はロルスを迎えに行くために立ち上がる。
レーヴェには事前にロルスを迎えにいく旨を伝えていたのだが、一応一言告げてからのほうがいいかと思い声をかけようとしたところ、一人の女の子が私とレーヴェの間にするりと入り込んできた。
むすっとしたその顔は、私にいい印象を持っていないと高らかに語っている。
「エレナさん」
「はい?」
おぉ、この子は私をエレナ様とは呼ばないのだな、と率直な感想が頭に浮かぶ。
「一つ言わせていただいてもいいかしら? あぁ、学園長の言葉通り身分など関係なく分け隔てなく接していいわよね?」
ほう、様を付けて呼ばないし丁寧な口調にもしないが文句はないな、と言いたいのだな。なるほどなるほど。
「ええ、どうぞ」
「あなた、ご自分の身分を鼻に掛けてレーヴェ様を独り占めするのはいかがなものなのかしら?」
レーヴェには様付けるんか~~い! と、私の心の中に住むお笑い芸人が派手にすっ転んだ。
「……だそうよ、レーヴェ」
私に文句を言っていた少女の背後あたりまで来ていたレーヴェに声を掛ける。
「え……」
なんともいえない気まずい空気が漂う中、私は足早に教室の出入り口を目指す。
「それじゃあ、私は行くわね」
ロルスのもとに。
だって、急いで報告しなければならないんだもの。
完全に困惑しているレーヴェには悪いが、私は彼をその場に放置して従者待機室へと急いだ。
「聞いて下僕! わたし、本物を見たわ!!」
「……は?」
「とりあえず娯楽室に行きながら話しましょ」
そうだ、あれこそまさに意地悪令嬢というものなのだ。
ああやって顔のいい男を奪い合うのが私に与えられた使命なのだ。いい勉強になった。明日からもきっと勉強させてもらえるに違いない。
そうして知識を得た私はヒロインがこの学園に来たところでその知識を持ってヒロインに意地悪を働くのだ。
ふっふっふ、とあくどい笑みを浮かべながら娯楽室のドアに手を掛けたところで背後から声を掛けられた。
「なんてことするんだエレナ……」
あの令嬢達のもとから逃げ出してきたレーヴェが恨みがましい顔をして言う。
「独り占めするなって言われたから従ったまでよ。おモテになる男は大変ねぇレーヴェ」
恨むなら私じゃなく、いい家柄といい顔に生まれてしまった自分を恨むんだな!
「うちのお嬢様が申し訳ございません、レーヴェ様」
「いや、いいんだ……いいんだけどね……!」




