意地悪令嬢、兄と再会する
ロルスが噂など気にすることはありませんと言っていたのでどの程度悪女っぽく噂をされているのだろうと思っていたのに、どうやら私が想像していた噂とは違うらしい。
「私は幼馴染との可愛らしい愛情からいつしか恋に変わっていた、そんな恋愛が似合うと思っていたのに」
「私は悪女に捕らわれてしまった次期侯爵様が洗脳を解いて迎えに来てくださると思っていたわ」
「私は先生との禁断の恋が見たかった」
「将来の王妃様は彼女で決まりだってメロンパン賭けたのに」
「それなのに! また新たな男性が!」
と、これが聞こえてきた噂とやらである。
悪女っぽく、ではなく私の恋愛事情を勝手に妄想して楽しまれていたようだ。っていうかメロンパン賭けんな。私はともかく相手は王子だぞ。
そして彼女達が言った新たな男性とは、今私のことを抱き上げている長身の男性のことだ。
「会いたかった! 会いたかったよ僕のエレナ!」
正直、最後に見た姿からすっかり変わってしまっていたので誰だか分からなかった。
「……お兄様」
「母さんから手紙を貰って、エレナが僕のことを忘れているかもしれないって書いてあったから!」
「それは」
「今一瞬気が付かなかったから、本当だったんだ……」
お兄様の存在は覚えていたけれどここまで長身になっているとは思っていなかったのだ。悪いのは私じゃない。ちょっと見ない間に成長したお兄様だ。
「わたしが最後に見たお兄様はこんなに大きくありませんでした」
「言われてみれば。エレナも大きくなったね」
慈しむような瞳でそう言われ、ぎゅっと抱きしめられる。
お兄様からの確かな愛情が、なんだか嬉し……いやめちゃくちゃ注目を浴びてしまってるので嬉しいよりも恥ずかしいが勝ってしまう!
「あの、お兄様、人の目がありますのでそろそろ下ろしていただけますか?」
「えぇ?」
とても不服そうである。
「ほら、ロルスもおろおろしていますし」
私がそう言うと、お兄様は残念そうに私を下ろしながらロルスに視線を移した。
「君がロルスくんか。お父様から聞いているよ。体調とか、大丈夫?」
「え、あの、はい、大丈夫です」
お父様もだったけれど、何故皆してロルスの体調を心配するのだろう。私がこき使いすぎて疲弊させてるとでも思われているのだろうか。
さすがに体調を崩すほどこき使ったりしてない……いや、魔女のストレスでもしかしたら……でも魔女のゲームの存在はお父様もお兄様も知らないはずだ。
「ところでお兄様、わたしに会うためだけにわざわざ学園まで来たのですか?」
お兄様と遭遇したのは放課後、私が玄関から出てすぐのところだった。
なので帰宅途中の生徒達に見られて噂の類が聞こえてきたわけだけど。
「もちろんエレナに会うために来た。あとついでにブルーノ先生に会っていこうとも思ってるけど」
「ブルーノ先生に?」
「エレナも知ってるのかな、ブルーノ先生。呪文学の先生なんだけど」
「知ってるもなにも、わたしもロルスもとてもお世話になっている先生です」
「二人ともお世話になっているの? 呪文学の先生に?」
お兄様はそう言ってきょとんとしている。手紙で私が選択したのは治癒と占術だと教えていたし、呪文学の先生と接点があるとは思っていなかったようだ。
「友人が呪文学を選択していて色々教えてもらっていたら興味が湧いて、いつの間にやら呪文学に引き摺り込まれまして」
「そっか。呪文学に興味が湧いて、か」
ブルーノ先生のところに行くのなら、彼の居場所を知っている私達が案内しようということになり、私達三人は一緒に歩き出した。
「……お兄様は学生時代、防御と占術を選択していましたよね?」
「いや、防御と攻撃だね」
「そうでしたっけ? どちらにせよ呪文学は選択していなかったのに、ブルーノ先生に用事があるのですか?」
「……あぁ、実は今ちょっと呪文学の勉強をしているんだ。お母様には内緒にして欲しいのだけど」
「内緒に?」
何故内緒にする必要があるのだろう、と思ったけれど、呪文学関連で国王の死因なんかを調べている自分を客観的に見たらなかなか危ない奴なので秘密にしたい気持ちは分からないでもなかった。
「僕は跡継ぎだからね。今のところお母様には経済の勉強をしていると伝えているんだ。あ、もちろんお父様には呪文学の勉強をする許可は貰っているけれどね」
「お父様の許可があるのなら大丈夫ですね。分かりました、お母様には内緒にしておきます」
私がそう言うと、お兄様は私の頭をぐりぐりと撫でた。背も高くなったけれど、手も大きくなったのだなぁお兄様。頭がもげそうだ。
「ロルスくんも、内緒でお願いね」
「はい」
「大丈夫です、お母様はロルスと滅多に喋りませんから」
「えぇ?」
お兄様は目を丸くした。
何故、と聞きたそうなのだが、理由は近いうちに別れがくるであろうロルスに情が移ることを避けたいというものなので説明が出来ない。
「ねえお兄様、もしも、もしもわたしに何かあったら、ロルスのことをお願いします。ロルスはとってもとってもいい子なんです」
「お嬢様、私は」
「いやそもそもエレナに何かあったら嫌なんだけど!?」
「もしもの話です! わたしはともかくロルスを」
「いやロルスくんが大切なのは分かったけどエレナ」
「お二人とも落ち着いてください!」
ロルスに止められたところで、ブルーノ先生が居る資料の山置き場に辿り着いていた。
ロルスの件はまた後で頼むことにしよう。
「失礼します」
「どうぞ……おや、ハンスくん!」
冷静さを取り戻したお兄様がその部屋に入ると、ブルーノ先生の明るい声が聞こえてきた。
「お久しぶりです、ブルーノ先生」
「久しぶりだねぇ、まぁ座って。あれ? エレナちゃんにロルスくんも」
こちらにも声がかかったので一礼をし、部屋に入る。
「お兄様がブルーノ先生に用事があるそうなので案内したのです」
「お兄さん……あぁ、そうか! 二人ともアルファーノ家の子だったか!」
ブルーノ先生は私達が兄妹だということに気が付いて楽しそうに笑っている。
この学園には家名を持たない平民も居るため家名を呼ばれる機会があまりないのだ。なのでおそらくブルーノ先生も私達の家名を忘れていたに違いない。
「そうかそうか、兄妹揃って呪文学に興味を持つなんて、やはり兄妹は似てしまうものなんだね」
「そうなのかもしれません」
そう言って笑い合うブルーノ先生とお兄様を見たところ付き合いは結構長そうに見えた。
お兄様はいつから呪文学を勉強していたのだろう。
そして呪文学を勉強しているのなら、五代目六代目国王の死因には触れただろうか。私の知らない話を教えてくれると嬉しいのだが。
「そこの一角にあるのがエレナちゃんお好みの資料だよ、ハンスくん」
ブルーノ先生が指したのは、先日ロルスが集めておいてくれた資料達だ。
「五代目国王、か」
「お兄様も五代目国王については調べましたか?」
「うん、その頃はまだ呪文が生きていた頃だから一応調べたよ」
その言い草だと歴史の謎よりも呪文のほうを重点的に調べているということだろうか。
五代目国王と王妃について興味を持っていてくれればよかったのに。
「それでハンスくん、用事っていうのは何かな?」
「それが……」
お兄様は何かを言いかけたところで一度私を見て、顎に手を当てる。
私に聞かせるべきかどうか考えている、といったところか。
「わたしは、席を外したほうがいいのでしょうかお兄様」
私には聞かせてくれないの? と目で訴えかけながらそう問いかけた。放り出すのは可哀想だと思わせるために、悲壮感をたっぷりと盛った表情で。
「ええと……」
「お兄様が出て行って欲しいと言うのなら、わたしは今すぐこの部屋から出ます……」
「だ、大丈夫。そこに居て。でももし聞きたくないと思ったら、すぐに退避するんだよ?」
チョロ兄様。
お兄様の気が変わらないうちに、私とロルスは近くにあった椅子に腰を下ろした。
そんな私を見たお兄様は、一度小さなため息をついてから話し始めた。
「先日、呪文の調査依頼を受けました」
呪文の調査依頼という響きになんともいえないファンタジックさを感じ、軽く心が弾む。
しかしそんな依頼を受ける立場に居るお兄様って、普段一体どこに居て何をしているんだろう。我が兄ながら謎である。
「依頼人は、約百年前に没落した貴族の末裔です」
お兄様はそう言いながら厳重そうに封をされた木箱を取り出した。
その木箱を開けると、とても上質で柔らかそうな布に包まれた一枚の古ぼけた紙が入っていた。
「おそらく文字、だと思われるのですが、ブルーノ先生の見解が聞きたくて」
と、差し出された箱を、ブルーノ先生がしげしげと見詰めている。
お兄様も先生も死ぬほど真剣そうな顔でそれを見ているのだが、そこに書かれているのはそんなに難しい顔をして読むような文字ではなかった。
『寿司、焼肉、パフェ、ショートケーキ、ドーナツ、クリームソーダ』
日本語で、そう綴られていたのだから。
食いたいものを羅列しただけでは。
「もう少し詳しい話が聞きたい」
文字から視線を外した先生がそう言った。
「ええ。それを書いたのは没落した貴族の屋敷で働いていた使用人だそうです。私腹を肥やすことだけに執心したその貴族は使用人に食事すら与えず、使用人は長期間飲まず食わずで働かされ餓死」
「ふむ」
「使用人の餓死直後、領民がその貴族の不正を密告し没落しています。そして没落がきっかけで親族が数人亡くなっているそうです」
「なるほど」
「依頼人はその貴族の末裔、最後の一人だそうで、一族の恥として隠し続けたこの呪文のようなものを我々に託しました」
本当に食いたいものを羅列しただけだった。想像以上に切実だったけれど。
その使用人には私のような前世の記憶があったのだろう。飲まず食わずで働かされながら前世を思い出し、食べたいものを書き残したのかもしれない。
「……かわいそう」
不意に、口から滑り落ちた。
パフェだのクリームソーダだのと書かれているあたり、書いたのは若い女の子だったのかもしれない。
「エレナ?」
「贅沢してる人を尻目に餓死なんて、可哀想だなと」
「……そうだね」
紙に書かれた文字の意味が分かるからこそ余計に可哀想だと思うのだ。
文字は震えていて、その子が限界だったこともなんとなく想像出来てしまうから。
そう思うものの、今ここで文字が読めることを言うことは出来ないので話を逸らすべきだろう。
「ロルス、わたしはあなたを飲まず食わずで働かせたりしないから、ね……っ、痛っ」
「お嬢様?」
「いたたたた」
「お嬢様、どこが痛むのですか!」
ロルスのほうを向いた途端、背中に痛みが走った。
「せ、せなか」
短くそう答えると、ロルスはすぐに背中をさすってくれる。
「大丈夫ですかお嬢様」
「うん、大丈夫、ありがとうロルス」
ロルスがさすってくれたおかげで少し痛みが和らいだ気がする。
「エレナ、大丈夫? ごめんね、これのせいかもしれない」
それは関係ないと思う。別に呪文でもなんでもないのだから。
「大丈夫です。突然動いたから背骨か背筋が軋んだのかもしれません。多分」
まぁ痛くなったのは骨でも筋肉でもなかった気もするけれど。
「ロルスがなでなでしてくれたら治る……」
「お嬢様」
「背中だけじゃなくて、お腹の奥のほうも痛い……胃……?」
「お腹を……さするわけには……」
ロルスは困惑している。
じゃなくて。ただ痛いと思っただけでお腹をさすってくれと頼んだつもりではなかったんだ。それだけは分かってほしい。
「エ、エレナ、お腹は僕がさすってあげるから……!」
結局、ブルーノ先生はその呪文のようなものと言われた食べ物の羅列を書き写して独自に調べてみることにする、と言っていた。
そうして何か分かればまたお兄様に連絡するらしい。
そんな話をつけて、私達は帰路に着く。
「お兄様、今日は家に来るのでしょう?」
「うん。お母様にも顔を見せておこうかな」
「お母様もきっと喜ぶと思います。もちろんわたしも嬉しいですし」
「僕も嬉しい! 僕のエレナが可愛い!」
シスコン拗らせすぎでは。
お兄様の相手をして疲弊した夕食後、部屋でスヴェンに借りた五代目王妃の本を読んでいると、ロルスに声を掛けられた。
「お嬢様、背中とお腹の痛みはいかがですか?」
「うん、もう大丈夫。ロルスがさすってくれたからね」
「……お腹はさすっていませんが」
確かに。
あの後しばらく地味に痛かったのだが、今はもう何事もなかったかのようにピンピンしている。
「いや、でもロルスに意地悪したかったわけじゃなくて、なんかこう、お腹の奥が締め付けられるみたいな感じだったのよ」
「いえ、意地悪だとは思っていません。……しかし、そういえばろくに飲まず食わずでいた時に似た痛みを感じたことがあります」
「え、いつ!?」
「旦那様に拾っていただく前でございます」
「……そっか。じゃああの痛みは、お兄様の話を聞いて空腹を想像した痛みだったのかしら」
「そうだったのなら、脅威の想像力でございます、お嬢様」
うん、確かに。
その日、約百年前にパフェやドーナツなんか存在したんだっけな、なんてぼんやりと考えながら眠りについた。
兄=テンションの高いシスコン
登場人物が増えてきたので一覧を作るべきかなと思ってるところです。
拍手ぱちぱちいつもありがとうございます。そして私の体調へのお気遣いありがとうございます。熱中症には気をつけます!




