意地悪令嬢、ボス戦を回避する
「わたし、今日は一人で学園に行くわ」
「私が居なくて誰がお嬢様の身の回りの世話をするのですか?」
「自分でするわよ身の回りの世話くらい」
「重い荷物は持ちたくない。時間割の管理も考えたくない。授業の準備も昼食の準備も自分でやりたくない、そんなわがままで意地悪な由緒正しき伯爵令嬢様なのに、ですか?」
「ぐぬぬ」
それ学園に入学する前に私が言ったやつじゃん!
そうは言っても荷物持ってもらう以外は大体もう自分でやってるじゃん、とも思ったのだがロルスが反論を許してくれる顔をしていない。
いやしかしここで負けてはいられない。昨日王子様に絡まれたばかりなのだ、今日もまた何か仕掛けてこられるかもしれない。ロルスを守るには、学園に連れて行かずお留守番してもらうしかないだろう。
「でもねロルス、わかるでしょう?」
「わかりません」
「まだなにも言ってないわ」
反論どころか発言すら許してくれそうにない空気だった。いいやしかしここで負けてはいられない!
「昨日の今日なのよ? また絡まれたら」
「問題ありません」
「あるわ」
むしろ問題しかないわ。問題山積しとるわ。
「今日はハンカチを三枚持って行きますので、大丈夫です」
「その問題はこちらこそ大丈夫だわ」
私の涙の心配はしてないわ。
「ふざけている場合ではないのよロルス。わたしはね、あなたの身に何かあったらと思うと心配で」
「私の心配など無用です」
「無用なわけないじゃない!」
「僭越ながらお嬢様、私はお嬢様が心配です。ですのでお嬢様を一人には出来ません」
「……え、あ」
不覚にも、言葉を紡げなかった。
口論で打ち負かしてお留守番させようと思っていたのに。
「下僕ごときの心配をしてくださるお嬢様になら、お分かりでしょう。何より大切なお嬢様を心配する私のこの気持ちが」
「あ、で、でも……っ」
私は多分、大丈夫なのよ。だってまだヒロインも居ない今、私の身に何かあったら物語が進まないもの。
でもロルスは、もしかしたらヒロインが来る前に居なくなっちゃうかもしれないのだ。そんなの、嫌なのに。
「あ、あのねロルス……あなたはね、もしかしたら」
「私は大丈夫です。従者待機室に行かなければ問題はありません」
「ん?」
もういっそ全部洗いざらい喋ってしまおうかと思っていたのだが、見事に遮られてしまった。
「実は昨日、ルトガー殿に連れられて呪文学の教室に行ったときにルトガー殿が事の顛末をブルーノ先生に話したのです。そしてブルーノ先生と約束をしたのです。従者待機室に行かないのなら資料の整頓を手伝ってほしい、と」
「え、呪文学の資料?」
「はい」
「いいなあ」
「不要な資料は頂いてもいいと仰っておりました」
「欲しい」
「私の頑張り次第では、次回王立中央図書館に行く際好きな本を借りてきてくださるとも仰っておりました」
「え」
「ですので、私は留守番などしている場合ではないのです。いいですね?」
「うん」
……いやいやいや待て待て待て。何流されて素直に頷いてるの私!
でもブルーノ先生がそばにいてくれるのなら、大丈夫なのかな……。いくら相手が王子とはいえ、学園内では先生と生徒なのだし。
「でも、やっぱり」
「読みたくはないのですか? この国の歴史書や六方の魔法騎士の本を。きっと学園にある本よりも詳しく書いてあるのでしょうね」
「ぐぬぬぬぬ!」
「現状、お嬢様では入ることの出来ない、かの王立中央図書館にしか置いていない本……」
「ろ、ろる、ロルスの意地悪! 読みたい!!」
反論する言葉を完全に失った私の叫びを物ともせず、ロルスはさっさと馬車へ向かって歩き出してしまった。
私はロルスが本当に本当に心配だというのに、ロルスにはそれが伝わっているのだろうか。
ロルスが私を心配しているのは、なんとなく、わかるけれど。一応主と従者なわけだし。……主と従者なわけだから、私の身に何かあればロルスはクビになる……のか。
ヒロインが来る前、私の身に何かあれば……。
「わたし、細心の注意を払うわ。ロルスも慎重に行動してちょうだい」
「わかりました、お嬢様」
私とロルスは、常時綱渡り状態なのだ。
「ブルーノ先生!」
馬車を降りると、そこにはブルーノ先生が居た。私とロルスを待っていてくれたのだろうか。
「おはよう二人とも!」
ここにブルーノ先生が居てくれたということは、ロルスを一人にすることはないのでとりあえず安心だ。
「おはようございます、ブルーノ先生。あの、今日はロルスをよろしくお願いいたします」
私がぺこりと頭を下げると、ブルーノ先生は溌剌としたよく通る声で笑う。
「こちらこそだよ。今日からしばらくロルスくんをお借りするね」
「ありがとうございます、先生。じゃあロルス、頑張るのよ」
「はい」
先生に挨拶をするロルスを見送っていると、背後から声を掛けられる。
「おはよーエレナ」
ルトガーだ。
「おはよう。ありがとう、ルトガー」
「ん?」
「昨日、ロルスのこと呪文学の教室に連れて行ってくれたんですってね」
昨日のうちに教えておいて欲しかったとも思ったのだが私は昨日の午後をほぼ放心状態で過ごしていたので仕方なかったのだろう。
「あー。呪文学の教室ならあんまり人も居ないから大丈夫だろうと思って。何か問題があったとしても伯爵令嬢のエレナが問題を起こすのと平民の俺が問題を起こすのじゃ重大さが違うしな」
「そんな、わたしはルトガーを隠れ蓑のように使う気なんてないのよ? 問題を起こしてしまったらそのときはそのときで」
「あはは、俺はそんなこと気にしない。それよりもエレナが問題を起こしてしまったらエレナとロルスが離れ離れになるかもしれないんだぞ?」
「そ、れは」
「俺は二人みたいな仲のいい主従を見てるのが好きなんだよ。だから今回のことは俺がやりたくてやったことだ。ブルーノ先生も喜んでたしな。あと俺もあの膨大な資料の整頓をやらずに済む……」
最後の一言が本音なのでは。
「ありがとう、ルトガー」
「ケーキでいいぞ」
それが狙いだったのでは。
……まぁ、別にいいけど。
そうして、全身で警戒していたわりに例の王子様に絡まれることなく放課後を迎えていた。
しかしまだ油断はしないほうがいいだろう、とルトガーに付き添われてブルーノ先生とロルスの元へとやってきた。
「ロル……ス、わぁ……」
ブルーノ先生は溜まりに溜まった資料を整頓するために図書館のすぐ側にある個室を借りていた。
そしてそこにロルスが居ると聞いて扉を開けたわけだが。
「圧倒されるだろう、この資料の山」
けらけらと笑いながら、ルトガーが言う。
紙の束や本、大量のノートがいたるところに積みあがっている様子は本当に圧巻だった。
「これでも随分片付いたんだよ!」
と、ブルーノ先生が主張しているが、にわかに信じられない。しかし「確かに」とルトガーが呟いているので嘘ではないのだろう。
「何か手伝いましょうか?」
「あ、じゃあこの本を図書館に返しに行ってもらってもいいかな? 司書の先生に渡してもらえればそれで大丈夫なんだけど」
ブルーノ先生はそう言って、私とルトガーの手に五冊ずつ本を乗せてきた。
それはそれは興味深そうな本だった。まだ図書館の棚に並ぶ前の本らしい。
「じゃあ行くか、エレナ」
「はぁい」
私とルトガーは、本の表紙をガン見しながら連れ立って歩き出した。
「貸し出し禁止かしらね、この本」
「歴史書だからな、多分」
「読みたいわね」
「読みたいな」
和やかにそんな会話を交わしていると、隣のルトガーの足がぴたりと止まった。
「待てエレナ。昨日の騎士が居る」
昨日の騎士、とは言わずもがな王子様が連れていた騎士である。
「図書館の前ね。今は近付かないほうがいいかもしれないわ」
今は騎士の姿しか見えないけれど、そこに騎士が居るということは王子様も居るのだろう。
ここはとりあえず一旦引き返して、隠れたほうが身のためかもしれない。
こちらから騎士の姿が見えたということは、あちらからもこちらの姿が見えてしまうかもしれない。私達は出来る限りそーっと踵を返し、来た道を戻ろうとしていた。
「見つけたぞ」
「……っ!」
完っっっ全にホラーだった。
なぜなら踵を返したその先に、王子様ともう一人の騎士が居たのだから。
「罠かよ」
というルトガーの小さな小さな呟きが聞こえた。
なんで一国の王子が私みたいな小娘相手に罠張ってんだよ。暇かよ。という私の愚痴は小さな小さな呟きにしてしまうわけにもいかず、しっかりと飲み込んだ。
問題を起こさないように振舞うには、対峙すべきではないだろうと、片足をじりじりと引いていたのだが、目敏い王子様はそれに気付く。
「俺から逃げるのか?」
「……いえ。ごきげんよう、王子様」
出来ることなら逃げたかったけれども。
「昨日の従者は居ないようだが、やはり失態を犯した従者はクビにしたのか?」
そんなことはしないと反論したかったが、ここは反論せず嘘でもクビにしたと言って王子様の興味を削いだほうがいいのでは、と思案する。
すると私が一瞬黙った隙にルトガーが私と王子様の間にするりと入り込んできてくれた。私を、庇うように。
「我々は今忙しいので、火急の用でないのなら後日にしていただけますか?」
本を返しにいくところでして、と王子様に本を見せている。
「火急の用だ。今でなければならない」
絶対嘘だろ。
顔を顰めてしまわないように眉間に力を入れていたら、王子様が側に居た騎士に目配せをし、それに応えた騎士がルトガーの腕を掴んだ。
そしてそれを確認した王子様が私の腕を掴む。
「おい待て、エレナ!」
どうやら私はどこかに連行されるらしい。
「何を心配しているのかは知らんが、俺はただこの学園の先輩に少し相談をするだけだ」
にたりと弧を描く口元でそんなことを言われても信用など一切出来ないのだが。
というか本当に相談がしたいのだとしても、なぜ私なのかと。相談相手にする先輩ならもっと他にも居るだろう。
きっと、この王子様にとって私は適当なおもちゃみたいなものなのだ。
クラスメイトに絡めば後々クラスで浮きかねないし、そんなときに偶然従者待機室で私を見ておもちゃにしようと思ったに違いない。
そういうことなら、従順についていく素振りを見せて、少しずつ興味を削いでいくしかない。
とにかく反抗すべきではない、そう思った私はルトガーに視線を送る。そんな私の判断を察したのか、ルトガーはこくりと頷いてくれた。
「……わたしで良ければ、相談に乗ります」
「じゃあ、図書館に併設されているカフェに行くぞ」
人目があるカフェならそれほど大きな問題が起きることもなさそうだ。
「わかりました。……ええと、その前にこの本を図書館に返してもよろしいでしょうか? 重いので、この本」
「わかった」
なんとなく下手に出れば話は通用するらしい。
ここからは選択肢を間違えたらその瞬間ボス戦が始まると思って行動しよう。
丸腰でボス戦が始まったら瞬殺されてしまうから、慎重に選択しなければならない。いのちだいじに。
「これは何の本だ?」
「歴史書です。呪文学の先生に頼まれて返しに行くところなのです」
「呪文学か。お前……お前、エレナ、だったか?」
「はい、エレナですが?」
「エレナは呪文学を選択しているのか?」
「いえ、わたしは治癒と占術を選択しております」
「普通か。つまらんな」
失礼では?
……我慢。我慢するのよ私。反論しては駄目。熱くなっては駄目。淡々と、淡々と、機械を相手にしていると思うのよ。目の前のこいつは多少性能の悪いペッ○ーくんだと思うのよ。と、必死で自分に言い聞かせる。
先生に頼まれていた本を司書の先生に渡し、私と王子様はカフェスペースに来ていた。
王子様が周囲の視線が嫌だというので個室になっているスペースに腰を下ろす。
そうしてカフェオレをすすること十数分。私はいつの間にやら延々と彼の愚痴を聞かされることになっていた。
え、もしかして相談ってマジだったの? と私の頭上に混乱のはてなマークが乱舞している。
「学園は退屈で仕方ない。どうせテストの順位だって俺が1位になるだろう」
「そう、ですかね? テストの順位が1位だとしても、他にやることは沢山ありますし、退屈はしないと思いますが」
「エレナは1位になったことがあるのか?」
「ええ、今のところ1位以外になったことはありません」
「え、何? 本当?」
「はい」
成績優秀なエレナ様で居続けるために尽力しているのでまだ陥落したことはない。まぁまだテストの問題もそこまで難しくないし。
「なぁ、他にやることがあると言ったが、具体的にはなにがある?」
「魔法の勉強や、この図書館で本を読むこと。それに友人とおしゃべりしたり遊んだり、時間はいくらあっても足りません」
私がそう答えると、王子様の表情が少しだけ変わった。どことなく、しょんぼりしてしまったのだ。
「友人、か」
もしかして友達居ないのかな?
「エレナも知っているだろうが、俺はこの国の王子だ」
存じ上げているしなんならそのせいで関わらないようにしようとしていたのだが、まぁそれを今ここで言うわけにはいかないので黙っておくけれども。
「誰もがこちらをじろじろ見るだけで、一定の距離を取ろうとする」
でしょうね!
「……最初だけ、ではないでしょうか? わたしはクラス内で一番身分が高いのですが、今では平民の友人も居ますし」
「平民とも、友人になれるものなのか!?」
「ええ。さっきわたしと一緒に居た彼、平民です」
「エレナを呼び捨てにしていたあれが!?」
王子様がカルチャーショックを受ける瞬間をこの目で見てしまった。
「そうか、そうか……友人は出来るのか……」
寂しかったんだな、この子。
だから私とロルスの話を聞いて、メロンパンを買い占めるなんて行動に出たのだろう。私達の気を引くために。
だからと言って、許すわけではないけれど。
だってコイツ、ロルスのことを貶したんだもん。
「よし、分かった。今日からエレナを友人とする!」
何が分かった、なのか一切分からなかったのだが?
「友人関係というのは対等でなければならないと思うのです。なのでそうやって自分勝手に決め付けるのはどうかと思います」
「……そ、そうか。じゃあ、どうしよう」
「わたしね、怒っているのです。昨日、あなたはわたしの従者を貶しましたよね」
そう言うと、王子様はバツが悪そうに私から視線を逸らす。
一応貶した自覚はあったようだ。
「そのことを謝ってくれる日が来たら、きっとお友達になれると思います」
にこりと笑ってそう言えば、ぽかんとした顔をしていた王子様が静かにこくりと頷いた。
「それでは、わたしは帰りますね」
文句を言われず立ち上がれたので、ボス戦はもう始まらないだろう。私は選択肢を間違えなかったのだ。多分。
問題を起こさなかったことに清清しい気分になりながら個室から出ると、そこにはハンカチ三枚を握り締めたロルスが立っていた
「……だからそのハンカチの心配はしなくて大丈夫だって言ったじゃない」
ロルス~~~!
感想や拍手、一言コメント等ありがとうございます。
そして読んでくださってありがとうございます。おかげさまで楽しく書けております。
次回は皆さんなんとなく気になっていたであろう石占いの近況です。




