意地悪令嬢、秒でフラグを回収する
「わたしもついに二年生。そして、今日は一つ下の学年に王子様が入学してくる日ですね」
「あぁ、この国の王子様ね」
私のわくわくしていますアピールをさらっと流した母親を見て、私は疑問を抱く。
王子様という使い勝手の良さそうな設定を持った人物が、乙女ゲームの攻略キャラじゃないなんてことあるのか? と。
しかしその疑問は即座に解消された。
『年下キャラってあんまり興味なかったからなぁ』
という、母親のいつもの日本語を聞いて。
攻略キャラじゃないわけじゃなく母親の食指が動いていないだけだった。
それでもなんかちょっとした情報をくれたりしないかな、と期待をしていたのだが、この後日本語での乙女ゲーム方面の助言はなく、こちらの言語でのリアルな助言として「王子はわりとやんちゃな性格らしいから絡まれて大事にならないように気を付けなさい」と教えられた。
なんやかんやで侯爵家と問題を起こした身ではあるけれど、さすがにいくら私とて王家とは問題なんか起こさないだろう。下手したら首が飛びかねないもの。
そもそも学年が違うとなると関わる確率も減るのだ。遭遇するかどうかさえ分からない。
……いや、まぁ学年の違う侯爵家の子息となんやかんやあったけれども。
あれ、これ危ないな? 変なフラグの匂いがする?
いやいやいや、考えすぎだろう。
『王子ルートの悪役……出番……監禁? いやあれ、焼きそばパン……』
……いやいやいやいやいやお母さん? 今なんて? もっと大きな声で言って?
結局母親の明らかに物騒な文言を含む呟きの全容は聞けないまま、馬車に揺られて学園へと辿り着いていた。
「エレナ、エレナエレナ!」
なんとなくどんよりとした気持ちで教室へと足を踏み入れたところ、輝かしいほどの笑顔でルトガーが駆け寄ってきた。
ちなみに学年は一つ上がったがクラス替えというシステムはないため教室内のメンバーは持ち上がりとなっている。
「おはよう、ルトガー」
「おう、おはよう! 知ってるかエレナ、今日から購買に新しいパンが並ぶんだってよ!」
輝かしほどの笑顔の理由、パンでした。
「新しいパン?」
「メロンパンだ!」
「……それも早く行かないと売り切れるかしら?」
「売り切れるかもしれない。だから」
「分かったわ」
使いましょう、私達の最終兵器ロルスを!
というわけで、私とルトガーはロルスの力を借りて新商品のメロンパンを入手することにしたのだった。
最終兵器ロルスを起動させるため、私は二時間目終了後の休み時間に従者待機室にやってきた。
普段は静まり返っているはずの従者待機室付近が少しだけ騒がしかったが、そのときの私の頭の中はメロンパンでいっぱいだったので気にも留めなかった。
焼きそばパンはそれほどヒットしなかったけれど、メロンパンはきっと美味しいはずだもの。
メロンパンへの期待を垂れ流しながら従者待機室のドアをこつこつと静かにノックして、そっとドアを開けた。
「どいつもこいつも俺を見世物だと思ってやがる!」
……そっとドアを閉めた。
これ、あれだな……秒でフラグを回収してしまったやつだな。
「誰だ!」
室内に居た人物の声が大きかったのでノックの音もドアの開閉の音も聞かれていないのでは、という私の淡い期待は泡となって消えてしまう。
なぜなら内側から豪快にドアを開けられたから。
「ここに何をしにきたんだ?」
ドアを開け、私の姿を確認したその人物は、私の顔を訝しげに覗きこみながらそう問いかけてきた。
「ええと、わたしの従者に会いに来たのですが……お取り込み中のようですので出直します」
「……ふむ」
逃亡を試みた私を見定めるかのようにじっと見下ろしている目の前の男子生徒こそ、今朝話題に上がっていた王子様だ。新聞で見た姿絵と同じ顔をしているから。
一つ年下のわりに私よりも背が高く、威圧感も強い。
しかしその威圧感に負けてはいけない。私は問題を起こさないようにこの場を去らなければならないのだから。
……だけど。だけど、私がこの場を去ったら、ロルスはどうなる? というより、そもそも今この室内に居るはずのロルスはどうしているのだろうか。
ノックする前から騒がしかったのだから、ロルスが絡まれていた可能性もあるのではないだろうか。
そう考えたら、猛烈に心配になってきた。
逃亡するべきか乗り込むべきか、どちらの選択が正解なのか、と考えていると、目の前の王子様が口を開く。
「入れ」
いやここお前の部屋じゃないだろ、というツッコミを全力で我慢して、結局中に入ることにした。
入れと言われてしまったのだから仕方ない。ここで拒否して逃亡しても、それはそれで波風が立ちそうなので。
長いものには巻かれておいたほうがいい。
するりと従者待機室に入り込んだ私は、さっとロルスの手を掴み、そのまま一旦廊下に出るつもりでいた。
しかし悲しいことにそれも王子様に阻まれてしまう。
「こんな時間に、ここになにをしに来たんだ」
そう声を掛けられてしまったのだ。
「わたしの従者に、少し用がありまして」
「用とはなんだ?」
メロンパン買って来てって頼みに来ただけですけど何か?
……と、言える相手ではないことくらい分かっている。
どうにかこの場を穏便に切り抜ける方法はないかと逡巡していると、王子様の眉間にぐっと皺が寄った。
「俺がここにいることを知っていて来たんじゃあないだろうな?」
知らんかったわ。っていうか知ってたら来なかったわ。
「それとも俺の騎士がここにいると知っていて来たのか?」
そう言われて初めて室内に居た騎士の存在に気が付いた。
華美過ぎず、しかし美しい装飾が施された騎士服を着た見目麗しい騎士が二人、表情も変えずに立っていた。これは女子にキャーキャー言われるやつだ。
「いえ、そういうわけではございませんわ。わたしはただわたしの従者に用があってこの従者待機室に来ただけです」
角がたたないように、にこにこと愛想のいい笑顔を心がけつつ応対する。下手に刺激しないように。
ここで彼を刺激してしまえば私とロルスだけでなくここに居るよその従者さんにまで迷惑をかけかねない。
それだけこの目の前の王子様がぴりぴりしているのだ。傍迷惑なことに。
「……そうか、では今すぐその用とやらを済ませ」
今のこのめちゃくちゃ悪目立ちした状態でメロンパン買って来てってお願いしろと? 鬼かな?
と思ったが、ここは素直にしたがっておこう。つっこんだら負けだ。
足音を立てず、衣擦れの音にさえ細心の注意を払いロルスの正面に移動する。
そして小さな小さな声でロルスに声を掛けた。
「あのねロルス、ちょっとおつかいを頼みたいの」
「焼きそばパンですか?」
「いいえ、新商品のメロンパンなの。わたしの分とルトガーの分を買っておいてもらえるかしら?」
「はい」
「お願いね」
そうお願いした後、もっともっと小さな声でロルスに耳打ちした。
身の危険を感じたらすぐに逃げなさい、と。
「それでは失礼いたします」
一応王子様ご一行に会釈をして、私はその場を去った。
そしてお昼休み。
レーヴェと、メロンパンにうきうきわくわく状態のルトガーと連れ立ってカフェテリアにやってきた。
「お嬢様、申し訳ございません」
カフェテリアで私達を出迎えたのはロルスのつむじだった。
なんでもメロンパンが売り切れで買えなかったそうなのだ。
「あらあら、とりあえず大丈夫だから頭を上げてちょうだいロルス」
「ロ、ロルスでさえ買えなかったのか……!」
とんでもなくショックを受けた様子のルトガーを宥め、どこかしょんぼりしたような顔をして何か言いたげなロルスの背中を撫でながら、私達はとりあえずいつもの席を目指すことにした。
「まさかメロンパンがそんなに人気だなんて」
いや確かに美味しいけれどもねメロンパン、と呟きながら席に座っていると、なにやら視線を感じた。
何の気なしにその視線を探すと、そこにはさっき会った王子様の姿があった。
王子様ってカフェテリアとか利用するんだ、と考えていたのも束の間で、彼の隣に居た騎士の手にあったものを見て全てを察した。
あいつ等買い占めやがったな、と。
私がロルスにメロンパン買ってきてと頼んだのを知って、わざと買い占めたのだろう。
にたにたとした笑顔の王子様と、明らかに多すぎる数のメロンパンをつめた袋を持った騎士二人というなんとも言えない出で立ちに、私は死ぬほど戸惑っている。
「お前の従者の失態だぞ。叱責しないのか?」
どう見ても私のロルスの失態ではなくお前の嫌がらせでしかないのだけど、どうしたもんか。
「叱責するほどのことではございませんわ。仕方のないことですもの」
脳内でもう一人の私が手を付けられないほど激怒しているところだが、ふとももをつねることでそれを我慢する。
「主に頼まれたものを用意出来ない従者など、無能でしかないだろう。俺ならば首をはねているぞ」
一瞬で自分の頭に血が上ったのがわかった。
立ち上がって反論しようとしたが、それを察したらしいレーヴェとロルスに両手を掴まれたことで我に返る。
下手に動くと私だけじゃなく皆の首が飛んでいきかねないのだ。冷静にならなければ。
しかし首をはねるという言葉でふと思い出してしまった。
母親がかつて語っていた、ロルスはこのゲームの登場人物ではなくヒロインが来る頃には退場しているだろうという話を。
もしかしたら、私がうっかりこうして王子様に目を付けられてしまったばっかりに、ロルスを失ってしまうのでは?
私は、私自身のせいでロルスを失ってしまうのでは?
「ロル……わたし、わたしの従者は無能なんかじゃ、ない……」
自分の声が酷く震えていた。
「わ、悪いのはロルスじゃなくて、わたし、全部わたしが」
「あー、エレナ、今日は教室で昼飯にしよう」
ルトガーが私の言葉を遮ってそう言った。
そしてルトガーもレーヴェも揃って立ち上がる。
「それでは、失礼いたします」
レーヴェが最敬礼をして、そのまま私とロルスを引っ張るようにして逃げ出すようにその場を後にした。
ルトガーが後ろを振り返り、追ってきていないことを確認しながらほっと胸を撫で下ろす。
「エレナが泣くんじゃないかってひやっとし……泣いてる!?」
「エレナ!?」
「お、お嬢様!?」
皆して、そんなにビビらなくてもいいと思う。
「だって……だってロルスが貶された。わたしの自慢の従者なのに!」
もちろんそれだけじゃない。
私自身のせいでロルスを失うのかもしれないという思いは、涙が流れるほどに恐ろしかったのだ。
失うのが嫌、ではなく、恐怖だった。私の隣にロルスが居なくなることが酷く恐ろしいのだ。
「大丈夫だよエレナ、皆分かってるから」
レーヴェが宥めてくれるが、恐怖はなかなか収まってくれない。
「わたしのせいで、ロルスが」
「お嬢様、その、私はなんと思われても大丈夫ですので」
「うぅ……」
我慢出来なくなった私はロルスの胴体にしがみ付いた。
「ええと」
戸惑うロルスの声と、ルトガーの苦笑いが聞こえる。
そのあたりで若干我に返った私は、どうやってロルスから離れるべきかを考え始めた。
だってきっと酷い顔をしているはずだから。
この後の授業もこの顔で受けなければ、と、そこまで考えて気が付いた。
このままロルスを従者待機室に行かせても大丈夫なのだろうか、と。
従者待機室に行けば、あの騎士と遭遇してしまう。
「ロルス、今日は先生に許可を取って一緒に授業を受けましょう」
「……は?」
「エレナが壊れた」
きょとんとしたロルスと、半笑いのルトガーの呟きが廊下に響き渡った。
「だって、だって、従者待機室に行ったらあの騎士達と会うし、ロルスを一人にしたらまた何か言われるかもしれない……!」
「だからと言って、生徒でもない私が授業を受けるわけにはいきません」
「じゃあわたしが従者待機室に行く」
「お嬢様、私は大丈夫ですので」
「……どっちにしろ一旦教室に戻って昼飯にしようぜ」
ルトガーだけが妙に冷静だった。
いや、確かにお腹空いたけれども。
昼食を食べている間も、食べた後も、私がごね続け、結局「貴族よりも平民のほうが自由だし」と言ったルトガーがロルスを連れて行ってしまった。
どうしてもロルスについていこうとした私はレーヴェに捕まり、ナタリアさん達に引き渡される。
何が起きたのか理解していなかったナタリアさん達であったが、何かを察したのかレーヴェの指示に文句一つ言わずに従っている。
謎のチームプレイに私はただただ驚くしかない。
そうしてその日は冷静さを欠いたまま、治癒魔法と占術魔法の授業を受けていた。
授業の内容は残念ながらあまり記憶出来ていない。




