意地悪令嬢、罰則を受ける
「ここね、あの猛烈に声のいい先生の部屋は」
私とロルスは今、エリゼオ・ランディと書かれた部屋の前に居る。
職員室棟の上層階には先生達に与えられているという個室が存在している。そこで寝泊りする先生も居れば物置として使っている先生も居るらしい。
詳しくは知らない。なぜなら基本的に生徒が勝手に出入りしてはいけない場所なので知りようがないから。
それで、なぜ私とロルスがその基本的に生徒出入り禁止となっている先生の個室前にいるのかといえば、例の罰則のために呼び出されたからである。
当初、今日の罰則はローレンツ様の教室で行われるはずだったのだが、別の生徒の居残りがあるとかで使えなくなったので急遽この個室に変更されたのだ。
ノックをすると、どうぞ、とそれはそれはいい声で返事が飛んでくる。
「失礼いたします」
静かにドアを開けるとふわりと甘い香りが漂ってきた。お茶と、お茶菓子の香りだろうか。
先生用の個室はそれほど広くはなく、小さなキッチンつきのワンルームのようなものだった。
部屋の奥のほうには仮眠用と思われるさほど大きくないベッドと、おしゃれな革張りのソファが鎮座しており、その手前に机が二つ並べられていた。
横並びで置かれたそれは、この部屋にあまり馴染んでいないため、最初からここにあったわけではなくこの罰則のために用意されたものだと思われる。
「遅いぞ」
「申し訳ありません」
どうやらローレンツ様は既に始めているらしい。どんな罰則を言い渡されたのかは分からないけれど。
急いで室内に入ると、ローレンツ様の隣に座るようにと言われた。ロルスは私の正面に座っている。机は二つしか並んでいなかったので、私とロルスは二人で一つの机を使っている状態だ。
「ローレンツは教科書30ページ分を丸写しさせている」
まさかの教科書丸写し! ということは私も同じように丸写しさせてもらえるのでは!? と期待が膨らんだ。
「エレナとその従者は俺からの説教だ」
違ったかー。丸写しじゃなかったかー。
「不服そうだな」
「いえ」
期待が外れただけで不服ではありません。
先生は私とロルスが座っている机の横に上質な椅子を持ってきて、ちょっとしたお誕生日席みたいになった。
「まずはこれを見ろ」
「これは」
「一年生の攻撃魔法の教科書だ。従者は、文字を読めるのか?」
「はい、読めます」
私がきっちり教え込んだので読み書きくらい平然と出来ます、とこっそりドヤ顔をキメる。
「この攻撃魔法の教科書の最初のページには注意事項が書かれている」
先生がとんとんと指し示したページには、攻撃魔法を使うにあたって、と書かれていた。
攻撃魔法は防御、治癒等と違い人に怪我をさせてしまう可能性があるので無闇に使ってはいけない、とのこと。
「エレナ、お前はこの注意事項を読むことなく勝手に攻撃魔法を使った」
「はい」
「習っていない治癒魔法を勝手に使うのとはわけが違うんだ」
「……はい」
テンションの赴くままに攻撃魔法を使ってしまったが、今改めて私はとんでもないことをやらかしてしまったのだと気付く。
誰かに教科書を借りてでも読みたいと思っていたし、こっそり使ってみたいとも思っていたが、ただの興味本位で扱っていいものではなかったのだ。
「俺が、エレナに説教をしなければならない理由は分かるな?」
「分かります。わたしがとんでもないことをしてしまったことも、分かりました」
ごめんなさい、と頭を下げていると、教科書を丸写ししているはずのローレンツ様が口を開く。
「先生、エレナちゃんに相談したのは」
「お前の話は聞いていない」
先生がローレンツ様の言葉をぴしゃりと遮った。
「エレナ、このページは読んだか? 人に怪我をさせてしまう可能性があるから注意するように。先生に習っていない魔法を使わないように。習ったばかりの魔法を使うときは先生と一緒に使うように」
「読みました」
「よし、じゃあこの文章を紙に書き写せ」
私が頷くと、先生も頷く。そして先生が視線を送ったロルスも、同じように頷いている。
私とロルスが書き写したことを確認した先生は、教科書のページを捲った。
「じゃあ次のページだ。ここには攻撃魔法の初歩、火の玉の作り出し方が載っている」
へぇ、攻撃魔法の初歩って火の玉なんだ。ってことはローレンツ様は幻影兵に初歩魔法を使わせていたのか。……炎の剣は習っていない魔法だったりしたのだろうか……恐ろしくて先生には聞けないけれど。
「ちなみにローレンツが使ったあの炎の剣は火炎放射魔法の応用だ。一応習ってはいるはずだが使うやつは少ない」
習ってたー良かったー。
まぁ習ってなかったとしたら「先生に習っていない魔法を使わないように」という一文を無視したことになるので試合での優勝は取り消されていただろうけど。
と、私が安心していると、先生が掌に火の玉を載せていた。
「この火の玉は初歩の初歩。威力は小さいので相手にぶつけるのではなく相手を怯ませるためのものだ」
「なるほど」
顔面以外に当てたところでせいぜい服が焦げる程度だと教科書にも書いてあった。
そして主な使用例は畑を荒らしに来た害獣の足元に投げて怯ませる、と書かれている。
「試しに出してみろ」
「え?」
「出し方は書いてあるだろう」
ありますけども? と思いつつ先生の表情を伺えば、早くしろと言いたげな顔をしていた。
「えっと、あの、はい」
勝手に攻撃魔法を使ったから説教されているのに、ここで使っていいのかと思ったが、先生が早く出せという顔をしているので、出してもいいのだろう。わかんないけど。
「従者は出せるか?」
「私は魔力量が少ないので」
「そうか、じゃあ無理に出す必要はない」
「先生出せました」
掌の上に、火の玉がぽわぽわと浮いている。浮かせている状態だと熱くないのだが、これを間違って握ってしまったら火傷をするらしい。手元の教科書にそう書いてある。
「簡単に出すな。まぁいい。これでエレナは俺と一緒に居る場合のみ攻撃魔法が使えるようになった」
教科書に書いてあるとおり、先生に習ったのでこの魔法は使えるようになった、ということだろう。
「攻撃魔法はここまでしてやっと使えるようになるものだ。ローレンツはそれを習っていて何故エレナに使わせたんだ」
と、先生が矛先をローレンツ様に向けた。しかし少し待ってほしい。
「待ってください先生。ローレンツ様は「使って」とは言っていません。わたしが勝手に幻影兵を作ったのです」
私が攻撃魔法の教科書を読ませてもらって勝手にテンションを上げて幻影兵を作ってしまっていただけなのだ。
「どちらにせよ使ってはいけないと言わなかったのはローレンツだ」
「ごめんなさい、先生」
確かに止められはしなかったけれども。
「まぁ今更そんな話しをしたって無駄だ。エレナは幻影兵を作った。それで? 最終的には模擬戦をやったと言っていたな? 他に何をしたか具体的に話せ」
「えぇと、ローレンツ様の対戦相手が氷の魔法を使うというのでそれっぽいものと、あとは雷の魔法を少し……」
「先生に習いもせず、氷と雷?」
「あ、はい、申し訳ありません」
先生は私の言葉を聞いて頭をわしわしと掻き始めた。
「ローレンツ、エレナが出した氷は?」
「……俺の対戦相手が出した氷よりも大きな氷柱、でした」
氷の貴公子とやらがあんな小さな氷のつぶてを投げてるとは思わなかったんだもん仕方なくない? と心の中で言い訳を述べていると、先生がとてもいい声で「うーん?」と呻っている。
「エレナ、いくらローレンツの気を引きたかったからといって無茶をしすぎたんじゃないか?」
どこか呆れた様子でそう言われたが、その言葉が唐突過ぎて一体何を意味しているのかが咄嗟に理解出来なかった。
「先生、少し発言をしてもよろしいでしょうか」
「どうした従者」
「お嬢様に、そのようなつもりは一切ありません」
ロルスは私よりも先に理解出来ていたようだ。
「そんなつもりはない? ローレンツの花嫁になりたくて無茶をしたんだろう。幻影兵術の試合があることを下調べして、幻影兵や炎の剣が作れることも、氷魔法や雷魔法の出し方も調べて」
「お嬢様はそのようなこと、一切調べておりません。お嬢様が調べていたのは今のところ五代目国王や六代目国王の死因だけです」
「えぇお前何てこと調べてるの……」
先生に引かれた。
「えっと、呪文学を選択している友人が、五代目国王の死因は謎だらけなんだとか、六代目国王はとっても長生きなんだとか、そういうお話を教えてくれて、それで気になって。攻撃魔法の内容はまだ教科書を見せてくれる友人が居なかったので一切触れていません」
「呪文学か。俺はてっきりローレンツの花嫁狙いで無茶をしたんだとばかり思っていたが」
「違うんです。呪文学は先生に余った教科書を頂いて、防御魔法は友人に教科書を見せてもらって、残すところ攻撃魔法のみの状態でローレンツ様に教科書を見せていただいたので嬉しくなって調子に乗った結果が、まぁ、あの大惨事で」
「即答で否定したな。しかしただ純粋に、攻撃魔法に興味があっただけか」
「はい」
はっきりと返事をしてみせると、先生はふわりと微笑んだ。彫刻家の最高傑作のような面で微笑まれたら美しいが過ぎるな。
「よし、分かった。じゃあこの教科書をエレナにやろう。俺が昔使っていたものだからあまり綺麗ではないがな」
「本当ですか!?」
使ってはいけないらしいけど、読むことが出来るのならそれで充分だ。
そう思ってうきうきしていたら、突然先生の顔が私の顔のほうに近付いてくる。
「特別に、俺が授業もしてやろう。俺と、二人きりで、特別に放課後の課外授業を、な」
猛烈に綺麗な顔で、猛烈にいい声で、先生はそう言った。これが乙女ゲーム界の人間か……! とちょっぴり感動したのは一瞬だけ。
「放課後……放課後なら、二人きりじゃなくロルスも一緒に出来ませんか?」
「お嬢様?」
「だってその課外授業がどのくらいの時間が掛かるかは分からないけど、ロルスを待たせることになっちゃうもの」
私は教科書が読めればそれでいいわけだし、ロルスを待たせてまで授業をしてもらうつもりはないのだ。
と、思っていたら、先生がげらげらと笑い出した。
「なるほどなー、ローレンツ狙いじゃないのも明らかだし、俺狙いでもないんだな!」
またよく分からないことを言い出したな、と私は首を傾げる。
「自慢じゃないが、俺と二人きりになりたがる生徒ってのが結構居るんだ」
あぁ、先生顔も声もいいもんな。と納得する。
先生の存在を知ったのがつい最近なのでこの人が何者なのかは分からないけれど、ランディという家名があったので平民ではないのだろう。
そして教師になれるくらいだから魔力量もそこそこもっているだろうし頭もいいのだろう。
そりゃあモテるでしょうよ。
「ローレンツの役に立ったことを喜ぶわけでもなく、俺と二人きりで授業が出来ることを喜ぶわけでもなく、教科書を貰うことを喜び、従者を待たせることを心配する。こんなに純粋な奴は久しぶりに見たよ」
先生の言葉に、私は乾いた笑いを零すことしか出来なかった。
だってこれ、遠まわしに変な奴だなって言われてるでしょ、多分。いや国王の死因調べてるあたりでもう充分変な奴だと思われてるだろうけども。
「まぁエレナが下心を持って攻撃魔法を使ったわけじゃないことは分かった。まぁやったことは許されないけどな。知らなかったとはいえ、だ」
「はい」
「今日のところはこれでいいだろう」
特に罰則らしいことはなかったのに、これでいいのだろうか?
ローレンツ様はまだ罰則を受け続けているというのに。
「あの、罰らしいことは一つも受けていないのですが……」
「いいか、エレナ。ほとんどの生徒は放課後にこうして居残りをして教科書を見せられることを嫌がるんだ」
……選択してない攻撃魔法をわざわざ教えてもらったのに!? と口を衝いて出そうになったが、寸でのところで堪えた。
よくよく思い出してみれば、前世の学校で大して面白くもない数学の問題を居残りで解かされたとしたら、それはもう充分罰則だ。
「しかしまぁ意欲的に学びたいと思うのはいいことだ。これからも楽しんで魔法を学んでくれ。俺も出来る限り協力しよう」
「はい! ありがとうございます!」
私の返事を聞いた先生は、もう一度微笑んだ。
「それと、これは罰則ではなくエレナさえ良ければだが、もう一度課外授業をしないか?」
「はい?」
「エレナに少し聞きたいことがある。資料を集めるのに時間が掛かるかもしれないから、来週あたりに」
「聞きたいこと、ですか。わたしに答えられることでしたら。あと、ロルスが一緒でもいいなら大丈夫です」
そんなわけで、来週またこの声のいい先生との課外授業が行われることになった。
注意事項は多いし人に怪我をさせる可能性もあるので攻撃魔法を使う気はないが、教えてもらえるなら教えてもらいたいので先生と繋がりが出来るのはとても嬉しい。
「よし、じゃあエレナと従者は帰っていいぞ。ローレンツは、どこまで書き写した?」
「まだ、16ページです……」
「罰則続行だな」
「えっと、あの、頑張ってくださいねローレンツ様……」
私は帰るけどね。遠慮なく。
花嫁の座には興味ありませんと言われながら黙々と教科書を書き写すという可哀想な罰則。
ブクマ、評価、拍手ありがとうございます!




