意地悪令嬢、奔走する
「……下僕。わたしからの命令があるのだけど、きいてもらえる?」
「命令ならば伺わずとも下していただければ」
「……うん。あのね、もしあなたに何かあったら、その時は遠慮なくわたしを頼ってね。それから、隠し事はしないで。それからそれから……わたしから離れないで」
なぜなら、あなたを失いたくないから。
「命令、ですか」
「そうよ、命令。だって……だってほら、そう、ロルスが側に居ないと二万点減点なんかどうしたって取り戻せないでしょう?」
ロルスの呆れたような視線を一瞥し、それを受け流すように視線を逸らした。本心を言うわけにはいかないから。
いや、言えないから。
もしかしたら、母親の言う通りヒロインが来る頃にはロルスが居なくなってしまうかもしれないなんて、どう説明すればいいのか分からないから。
「なるほど。僭越ながらお嬢様、命令だとおっしゃるのなら、もう少し命令口調にしてみてはいかがでしょうか」
「命令口調……」
「でなければ、今のはお願いにしか聞こえません」
「ほほう。てことは、えーと、あ! あなたに何かあったらわたしに報告なさい。あと隠し事をしたら許さないから。あと……あぁ、わたしの側に居なさい。こんなところかしら?」
ちゃんと命令口調になっていたでしょう? と期待を込めた視線をロルスに送ってみたが、ロルスの表情はなんだかちょっぴり呆れている。
「三点加点いたします」
やったー加点だー! と思ったけれど、たった三点て。二万点返上なんて一生無理じゃん、このペースじゃ。
「ただ「わたしに口答えするつもり?」の一言で済ませていただければ百点は加点できました」
「はぁん!?」
そんなに簡単に百点もぉ!? って、私はロルスとこんなコントみたいな会話がしたいわけではないのだ。
ただただロルスの身が心配なだけなのに、伝わっている気がしない。
「……わたしは、ロルスが心配なのに」
「心配でございますか?」
「うん。ほら、あの、あれよ、あぁ、昨日の治癒魔法ね、教科書を読んだだけで先生に習いもしないでかけたでしょう? だから、遅れて問題が出てきていたりとか」
「ありません」
ですよね。
「もういいもん」
ロルスのわからず屋め。と、己の本心を伝えていない私が言えたもんじゃないのだけれど。
「……下僕を心配する、三点減点ですね」
「今! 増えた! 三点が! 減った!」
なんてこった!!
ロルスとそんな会話をしているのは魔力枯渇事件から一日経った朝。
一晩眠ってしまえば魔力枯渇の影響など一切なく元気になっていた。
ロルスがローレンツ様に借りていた上着は昨夜のうちに使用人たちが綺麗に洗って畳んでくれていたので、今日はそれを返しに行かなければならない。
丁度ルトガーに注文されていたことだし、多めに焼いたクッキーを昨日のお詫びの品としてローレンツ様にももって行こうと思っている。
「ロルスこれ味見して」
「もごっ」
問答無用で口に突っ込みながら思ったのだが、母親が「下僕のように扱え」と言ったのは近いうちに来るであろう別れのときに寂しくないように、情が移らないようにしろという意味だったらしいので、別に下僕扱いは意地悪令嬢にとっての必須条件ではないのではと思っていたりする。
「でもなぁ……、あ、おいしい?」
ロルスはすぐに自分の意思を殺してなんでもかんでも我慢しちゃうタイプだからある程度は私が強引にならなきゃいけない部分もあるのよねぇ。
べたべたに甘やかしたらそれはそれで嫌がるだろうし。
「はい……、とても」
「よし、じゃあお詫びの品も準備完了ね。今日の放課後に上着とこのクッキーを渡しにいくから、ロルスも一緒に行くでしょう?」
「はい」
上着は自分が借りたものだから、とロルスが自分で返したいそうだ。
放課後の予定を粗方立てたところで、この話は終わった。
そしてお昼休み。私はルトガーにクッキーを渡しながら軽く昨日起きた出来事を話していた。
ちなみにルトガーがこの場で食べ始めることを想定していたので、いつも一緒にお昼を食べているレーヴェの分のクッキーも用意している。
「ルトガーがローレンツ様のこと変な奴みたいに言ったからロルスが心配して裏庭まで来てくれたのよ」
「ほー、そうだったか。まぁでも俺からしてみれば見知らぬ男がエレナを連れて行ってたわけだから、間違ったことは言ってないだろ?」
と、言われてしまえば返す言葉も見当たらないわけだけど。きちんと説明しなかった私が悪いのだし。
「ルトガー殿のおかげで、お嬢様が怪我をせずに済みました。ありがとうございました」
律儀に頭を下げるロルスに対して、ルトガーは何も言わずに笑顔だけを返していた。
「でもね、確かにわたしは全くの無傷だったけど、ロルスは背中全体を火傷していたのよ?」
「背中全体? それはそれは、なかなかの大怪我じゃないか。大丈夫だったのか、ロルス」
「お嬢様に治癒魔法を掛けていただきましたので」
目を瞠るルトガーをよそに、ロルスは淡々と答えている。しかしどう聞いても大怪我でしかないためか、ルトガーの疑問も晴れてはいないようだ。
「ロルスったら、大丈夫だって言い張るのよ」
「ロルス、いくらエレナが雇い主だからって大丈夫じゃないことを大丈夫だと言うのは間違っていると思うぞ」
私が思っていたことをルトガーが言ってくれている。
「もっと言ってあげてルトガー」
私とルトガーのダブルアタックに怯んだロルスは、むしゃむしゃとクッキーを食べていたレーヴェに視線を送り、助けを求めようとしている。
それに気付いたレーヴェは「え、俺?」と小さな声で零し、苦笑いを浮かべる。
「まぁまぁ。確かにロルスは遠慮し過ぎるところもあるけど、悪気があるわけでもエレナを困らせるためでもないんだろう?」
というレーヴェの問いに、ロルスはこくこくと頷く。
「それはわかってるけれど、大丈夫じゃないことまで大丈夫だって言われたら、ちょっとだけ寂しいのよ」
相談するに値しない人だと思われているみたいで、ちょっとだけ。と続ければ、ロルスは面を食らったように固まった。丁度口が半開きだったので、レーヴェがそっとクッキーを突っ込んでいた。
それから放課後。
「レーヴェ、さっき言ってた件でちょっとローレンツ様のところに行ってくるわ」
「うん、分かった。ボードゲームの準備しながら待ってる」
「ありがとう」
というわけで、ロルスを迎えに行ってからローレンツ様の元へと急ぐ。
まだ教室に居てくれればいいけれど、と思いながら彼のクラスを覗いてみると、お目当ての彼はそこに居た。
居たのだが。
「先生とお話中みたいだわ」
「そのようですね」
ローレンツ様は先生と一対一でお話中だった。一つ上の学年を担当している先生なので、どの科目の先生なのかは分からない。
大人しく廊下で待たせてもらおうと思いながらも、なんとなく耳がローレンツ様の声を追ってしまう。
「言い訳はしません。罰則はきちんと受けます」
どうやらローレンツ様は怒られているらしい。
あの真面目そうなローレンツ様が叱られるなんて、一体何をやらかしたのだろう。
「まぁ、罰則は免れないさ。理由は知らんが攻撃魔法を使って人に怪我をさせたわけだからな」
あー、なるほど私も関わってるやつねー!
この件でローレンツ様だけが罰則を受けるのはどうかと思う。ローレンツ様が言い訳はしないと言っている時点で私たちの名前を出していない可能性が大いにあるのだけれども。
「あの、ローレンツ様は悪くありません」
「あ、ロルス」
一連の流れで私と同じ考えに辿り着いたであろうロルスが、我慢出来なかったのか先生に声を掛けている。
「ロルスくん!」
「誰だ?」
声を掛けたものの教室に足を踏み入れていいものかと躊躇していたロルスよりも先に、私が踏み込むことにした。
「失礼いたします。わたし一年生のエレナ・アルファーノと申します。その、ローレンツ様が起こした一件の関係者です」
私がそう言うと、先生の片方の眉がぴくりと上がった。
というか、今気が付いたけどこの先生めちゃくちゃ綺麗な顔をしている。鼻筋や顎のラインは彫刻家の最高傑作かと思うほどにしゅっと整っているし、艶やかな赤い髪とそれよりも深みのある赤い瞳はルビーの化身かと思うほどに美しい。
「ほう、関係者ね」
そして恐ろしく声がいい。
これはここがRPGの世界だろうとアクションゲームの世界だろうと、主人公か、または主人公よりも人気が出てしまう主要キャラポジションに居る奴だ! 乙女ゲームの世界は知らんけど!
母親が喋っていたこの世界についての話に先生という単語はなかったし、この人はモブなのだろうか。もったいない。
「……エレナちゃん」
「……あっ! いえあの、廊下に居たら声が聞こえてしまいまして、その、ローレンツ様だけが罰則を受けるのはおかしいのではないかと……」
「ということは、怪我をしたのは君か」
声がいい。
「いえ、怪我をしたのはわたしの従者です」
「ふむ。まぁ座れ」
声がすごくいい。
先生は空いていた席に私とロルスを座らせた。
「せ、先生、エレナちゃんは僕の攻撃魔法の練習に付き合わされただけなので何も悪くありません。罰則を受けるのは俺だけでいいと思うのですが」
というローレンツ様の言葉を聞いた先生はふと顔を顰めた。顰めっ面も様になっているのが恐ろしい。
「ローレンツの攻撃魔法に付き合わされた、ねぇ。エレナは攻撃魔法を選択しているのか?」
「声……、おっと。いえ、わたしは治癒と占術を」
思わず声がいいって言いそうになってしまった。
「攻撃魔法を習っていない者を練習に付き合わせたということは、ローレンツは彼女を的にでもしていたのか?」
「いえいえそんなまさか」
ローレンツ様が否定する前に、そんな言葉が口を衝いて出た。だって私が的になんてなるわけないじゃない。ドMじゃあるまいし。
「と、いうことは?」
「ローレンツ様に教科書を見せていただいて、それを熟読して」
「一年生で習う攻撃魔法の基礎をすっ飛ばして、教科書で見ただけの術を先生にも習わずに?」
「……最終的には幻影兵術の模擬戦を」
素直にそう答えると、先生は猛烈にいい声でげらげらと笑い出した。
何が面白かったのかは分からないが、私も一応先生に合わせて笑っとけと思っていたところ、突如先生の顔が真顔に戻った。
「なるほどな、分かった。お前も一緒に罰則だ。むしろローレンツよりも重大な事故を起こしかねなかったのはお前のほうじゃないか、エレナ」
「あ、はい、すみません」
正直初めて見た攻撃魔法の教科書の内容が面白そうで面白そうで調子に乗っていたのは確かだもの。
「ほう、言い訳をせず素直に謝る奴は好ましい。気に入った。俺がとっておきの罰則を用意しておいてやる。三日後の放課後に課外授業を開く。予定を空けておくように」
にやり、と笑みを浮かべた先生の瞳を見て、私は少しだけドキッとした。顔がいい人は悪い顔すらも綺麗なのだな、と。
「……で、エレナの従者だが、君は生徒ではないようだな」
「はい。しかし私も迷惑を掛けました」
「怪我をしたのだろう。火傷だったか? 昨日の今日で治っているわけがないだろう。痛くないのか?」
「お嬢様に治癒魔法をかけていただきました。傷跡すら残っておりません」
ロルスの言葉を聞いた先生の表情がぴたりと止まる。
「エレナ。お前は一年生二回目なのか?」
「あ、はい、先生の仰りたいことは分かりましたので言わせていただきます。教科書を読んだだけでまだ習っていない強い治癒魔法をかけました!」
はっきりと答えれば、先生はまたしても超絶いい声でげらげらと笑い出したし、今度は真顔に戻ることもなかった。
そんな先生が職員室に戻ったところで、ロルスが昨日借りていた上着をローレンツ様に返している。
「罰則にまで巻き込んでごめんね、二人とも」
「いえいえ、むしろわたしの知らないところでローレンツ様だけが罰則を受けていたなんてことになったら、そっちのほうが嫌です。あ、それとこれ、お詫びのクッキーです」
「わぁありがとう。いい匂いだね」
嬉しそうに受け取ってくれたので嫌いではないようだ。
「えへへ。それではローレンツ様、三日後の課外授業でお会いしましょう」
「うん、ごめんね。またね」
ローレンツ様と別れ、私とロルスは急いでレーヴェの元へと向かう。
思ったよりも話が長くなってしまったため待たせることになってしまった。
「お待たせレーヴェ」
「上着は渡せた?」
「渡せたわ! それでね、さっき言っていた昨日の件で罰として今度課外授業に出ることになっちゃったのよ」
なんて笑いながら一連の流れを説明すれば、レーヴェは呆れながらも笑ってくれた。
その後、レーヴェが準備してくれていたボードゲームで思う存分遊び、今は家路についているところ。
「課外授業のことは、お母様にも報告したほうがいいわよね」
「そうですね」
報告したらあの先生がモブとして居たとか、そんな独り言を零してくれないかな。
あれ程の綺麗な顔といい声でゲーム内に居なかったなんてそんなバカな話はないはず。あれがモブですらなかったら乙女ゲームのくせにいい男の無駄遣いだし声優の無駄遣いでもある。なんせスーパー声がいい。
少しわくわくしながら帰宅すると、丁度玄関の近くに母親が居た。
「あら、おかえりなさいエレナ。ローレンツ様に上着は返せた?」
「はい。実はそのことで先生とお話しして、今度の放課後に課外授業を受けることになりました」
「課外授業?」
母親はきょとんとして私の言葉を反芻する。
「ローレンツ様が昨日のことを攻撃魔法の先生に報告していたようで、罰則を受けると言っていたので、わたしも」
「攻撃魔法の、先生? 先生のお名前は?」
あ、しまった、そういや先生の名前聞くの忘れてた。ぬかった!
「お名前は聞き忘れてしまいました。綺麗な赤い髪の先生でしたわ」
それとなく彼の特徴を提供すると、母親はこれでもかというほどに目を見開いている。
居るな。あの先生ゲーム内に居るな、これ。
「そう、なの。分かったわ。先生にご迷惑にならないようにしなさいね」
そう言った母親はふらりと踵を返してダイニングへと向かっている。
『赤い髪の先生……隠しキャラ、え、先生と悪役……え、原作で絡んでるの見たことないけど……え、原作……』
わぁ、原作厨のオタクみたいなこと言ってる。
っていうかあれ隠しキャラだったのか。やっぱりな、顔も声も良かったもん。
「お嬢様、奥様は大丈夫なのでしょうか? ふらついていらっしゃったような」
「大丈夫でしょう、多分」
多少ご乱心ではあるだろうけど。
「さてと、部屋に行きましょうロルス。疲れちゃったわ」
今日はなんだか忙しい一日だったな。
拍手や感想ありがとうございます! ぼちぼちお返事しますので気長にお待ちいただけるとありがたいです。




