意地悪令嬢、下僕を得る
「これは今日からあなたの下僕……いえ、従者よ」
「わかりましたお母様」
そう返事をしながら考える。これは母からの指令なのだ。母は言い間違えたわけではなく、彼を下僕のように扱いなさいと言っているのだ、と。何故なら私は意地悪令嬢なのだから。
「彼はあなたの命令なら何でも聞くわ」
「わかりましたお母様。さぁわたしの部屋に案内するわ。ついていらっしゃい、下僕よ」
私がそう言って見せると、母は満足げに頷いていた。どうやら正解だったようだ。
私は自室へと引っ込み、ふかふかのソファに座り込む。下僕と呼ばれた彼はドアの横で立ったままだ。
「どうぞお座りなさいな」
「しかし」
「わたしの命令が聞けないというの?」
「……いえ」
す、と正面のソファを指差すと、彼は訝しげな面持ちでそこに浅く腰掛けた。人に命令をするというのは、案外気持ちのいいものだ。
彼に名を尋ねると、ロルスと名乗った。よくよく見てみると、ロルスはとても可愛らしい顔立ちをしていた。ふわりとした柔らかそうな毛質の黒髪に、深い深い緑色の瞳をしている。その瞳は多少死んでいるようだったが、おそらく表情筋の鍛え方が足りないのだろう。
そしてその死んでいる瞳もだが、もう一つ気になるのは幼い子のわりには肉付きがイマイチなところだ。でもまぁその辺は適当に食べさせていればいずれ解消するだろう。
しかしながらこの可愛い男の子が私の命令次第でなんでもしてくれるだなんて、結構な役得ではないだろうか。
「わたしの名はエレナよ。わたしはね、意地悪なの」
こちらを真っ直ぐ見ていたロルスに声を掛ける。するとロルスは、きょとんとしたように首を傾げた後こくりと一つ頷いた。
「わたしはあなたを下僕のように扱うわ」
「はい、お嬢様」
私の言葉を聞いたロルスは、心得ましたと言わんばかりに深く頷く。
「ところでロルス、下僕のような扱いとはどのような扱いだと思う?」
下僕と言えば、なんというか召使いというか扱き使われる者という印象がある。しかしながら実際に下僕を得たのはこれが初めてなので正しい扱い方が解らない。
「僭越ながらお嬢様、それは私に相談する内容ではないと思われますが」
「何故? あなたの扱いについてなのだから当事者であるあなたに相談してもいいのではないの?」
わたしは何か間違えたことを言ったかしら? と首を傾げて見せると、そっと視線を逸らされた。
「解らないのであれば、虐げればよいのではないでしょうか?」
虐げる? 私が? この可愛い男の子を?
「……い、いやだわ、わたしにそんな趣味はないわ」
「いえ、趣味の問題ではなく。まず下僕に座るよう勧めるのはおかしな話かと思われます」
ロルスは、床に座らせるならともかくこのようなふかふかな椅子に下僕を座らせるなど言語道断だと言っている。
「では、あなたを立たせた状態で喋るということ?」
そんな私の問いかけに、ロルスはしっかりと頷く。
「それなら一度立ってみてちょうだい」
そう言うと、ロルスは立ち上がって一礼した。私は暫くその状態でロルスを見上げている。この状態で喋るとなると、少し首が痛い。今はお互い子供なので然程背も高くないが、きっとロルスは今後どんどん大きくなるのだろう。そうなれば私はもっと見上げなければならなくなるし、首ももっと痛くなるはず。
それになにより立たせっ放しは可哀想だ。
「やっぱり座ってちょうだい」
「床に、でしょうか?」
「何を言っているのよ。ソファよ。下僕のような扱いは難しそうだから、徐々に慣れていくことにするわ。だから今はとりあえず下僕と呼ぶことから始めるから」
「……仰せのままに」
ロルスはほんの一瞬だけ納得のいかない顔をしたが、深々と一礼して私の言葉に同意した。
「ねえロルス、」
「下僕でございますお嬢様」
「……下僕よ、わたしはね、意地悪なの」
「そうでございますね、お嬢様」
さて、なぜ私が意地悪なのかというと、これには深い理由がある。いや、深いかどうかは分からないけれど。
『あなたはね、乙女ゲームのライバルキャラクターなの。だから私は気合いを入れてあなたを意地悪令嬢に育てあげるわ!』
母がそんなトチ狂ったことを言い始めたのはいつ頃からだっただろうか。
私がまだ喋れない程幼かった頃……いや、もしかすると生まれる前から言っていたのかもしれない。
ぺらぺらと、この世界の言語ではない言葉で話す姿を見て、母には前世の記憶があるのだろうと察した。
私の推測が正しければ、彼女の前世はきっと乙女ゲームのヘビープレイヤーだったのではないかと思われる。確認したことがないから解らないけれど、自分でそんな風なことを呟いてもいたし。
何故確認しないのかと言えば、私自身も前世の記憶を持っているからで、それがバレる事を危惧している。
別にバラしてマズいことはないが、面倒臭そうなので隠していた。
そもそも私、前世ではRPGやアクションゲームばっかりやってたゲーマーであり乙女ゲームには興味がなかったというか……まぁ簡単に言えばこの母と趣味が合いそうにない。
そんな状態で私も前世の記憶があるだなんて言えば調子に乗って乙女ゲームについて語りだしそうだし。
そんな母は、嬉しそうにうっとりとしながらこの世界を自分が前世で好きだった乙女ゲームの世界だと言っていた。
その乙女ゲームには当然ヒロインが居てそのヒロインが落とせる男が何匹か居てそれを邪魔しに来るライバルが居るらしい。そして私がそのライバルポジションなんだそう。
そうなると彼女がライバルの母というポジションでなぜ喜んでいるのかと思うわけだが、前世の彼女はモブになって物語を傍観したいと思っていたらしく、完全に夢が叶った状態なのだそう。
まぁ色恋沙汰の中心人物になるのってしんどそうだもんな。傍観しているくらいが丁度いいのかもしれない。
母はそれらの話を私に直接説明してきたわけではなく、子供に絵本でも読み聞かせるかのごとく語りかけてきていた。もちろん全て日本語で。
母もまさか私に全て理解されているとは思っていなかっただろう。
洗脳でもするかのように語られ続けていた乙女ゲームの件を半信半疑で聞いていた私は、日々思い悩んでいた。母の言う通り意地悪令嬢になるか全てを無視して普通の一般的な令嬢になるか、と。
うっかり前世の記憶を持って生まれてしまったため、正直私自身の性格は殆ど出来上がってしまっているといっても過言ではない。そうなると、今から意地悪令嬢に転向するには演技が必要となってくるわけだ。
意地悪令嬢として可愛い女の子の恋路を邪魔するというのは……まぁ楽しそうと言えば楽しそうではある。恋というものは障害があればあるほど燃え上がるというし、自分がその障害となって恋の炎に薪をくべるわけだから……やはり楽しそうと言えば楽しそうである。
平穏な日常か恋の炎に薪をくべて炎上させる生活か、どちらが面白そうかと悩んだ結果私はいつしか意地悪令嬢への扉を開き、そっと片足を突っ込んでいた。
それが、確か5歳頃の話であった。
この世界には小学校だの中学校だのというものがない。その代わりというのか何なのか、王立学園というものが存在していた。
「そういえばロルス、学園には行っていないの?」
「ええ。下僕は下僕ゆえ、通う資格がございません」
「……下僕は行かないのね」
「はい」
記憶の片隅に「義務教育」というものが残っていたせいで、ロルスと一緒に通えるものだと思い込んでいたのだ。
「ろ、ろる……下僕が側に居なくて誰が私の意地悪具合を判断するというの?」
「そろそろ己で判断してくださいませ」
ロルスと出会ってからというもの、「今の私の言動は意地悪だったか」をロルスにジャッジしてもらっていた。中々合格は貰えないのだが。
「そんなに簡単に解れば苦労はしないわ……」
「僭越ながらお嬢様、今のお嬢様は全く意地悪ではございません」
……意地悪令嬢への道はまだ遠いようだ。
王立学園に通う準備をすすめていた時のこと。
母が一人の男の子を我が家へ連れてきた。
私と同い年だというその男の子は、それはそれは整った顔をしていた。キラキラの金髪に、髪よりも少し濃い金色の睫毛に縁取られた瞳はエメラルドを思わせる緑色をしていた。可愛らしいアーモンドアイは、将来きっとキリリと凛々しい目元へと変貌を遂げるのだろう。
ここがアクションゲームの世界であればきっと主人公だな。
そのくらい綺麗な顔をしているのだから、きっと例の乙女ゲームの登場人物でもあるのだろう。
「エレナ、挨拶をしなさい」
母は私を促すように背中をぽんと叩いてきた。お行儀良くね、と耳打ちされたのでここは素直に淑女の礼をしてから名を名乗った。
「初めまして、エレナと申します。以後お見知りおきを」
「初めまして、レーヴェと申します」
主人公顔の金髪イケメンはレーヴェというらしい。
彼が深く頭を下げた瞬間、母は呟いた。
『近いうちにあなたの恋人候補になるかもしれないのよ』
と、日本語で。
日本語で呟くということは、件の乙女ゲームに関係していることなのだろう。乙女ゲームで、ヒロインは別に居て、ライバルの私とその恋人候補のイケメン……か。
なるほど、ヒロインと私でこのイケメンを取り合うというシチュエーションなのだな。理解した。おそらくこの男に対しては意地悪を発揮しなくてもいいのだろう。それどころか恋人になる可能性があるとのことなので気に入られなければならないのだ。
これはロルスに要相談だ。
「今日来た男の子とは仲良くしなければならないそうなのよ、どうしたらいいかしらね、下僕よ」
「僭越ながらお嬢様、余計な事をしなければどうにかなるかと。お嬢様はとても可憐でいらっしゃいますから」
珍しくロルスに褒められた。
「なるほど。出来たロルスを得て嬉しく思うわ、下僕」
「お嬢様、おそらく逆かと」
「やり直しよ。……コホン。出来た下僕を得て嬉しく思うわ、ロルス」
「はい」
ちょっと褒められた程度で浮つくんだから、我ながら先が思いやられるわ。と、私は見事に項垂れた。
それと後々冷静になって考えてみれば「余計な事をしなければ」だなんて言われているのだから別に褒められたわけでもなんでもなかったのだ。




