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出会い

「今度の歌合にはしっかりと覚悟と気合を入れて行け。聞いた歌をすべて自分の中に吸収するぐらいの気持ちで臨むといい」


 貫之が出仕に戻り、食事もとるようになったと聞くと、友則はそんな知らせを持ってきた。


「今度の歌合?」


「まだ話だけだが、近々宮中の后宮きさいのみや様が歌合を行う事になった。君は自信喪失で耳に入っていないようだが、以前時平様の邸で歌宴を催された時、時平様は君の機知に注目していたのだ。それで是定親王家での歌合で詠んだ君の雁信の歌にとても興味を持たれたそうだ」


「時平様が?」


 以前朝廷の実権を握っていた人物の子息なので、時平の権勢もかなり高かった。その時平に名も無い自分が注目されていたとは貫之にとっては驚くばかりである。


「私もあの詠題で、雁の声のほうに着目するとは斬新だと思った。若い君ならではの発想だろう。私の歌は君に触発されたからこそ生まれた歌だ。歌合では皆そうやって、互いに刺激し合って良い歌を詠めるようになるのだ」


 友則殿は自分に自信を取り戻させるために方便を言っているのではないか? 

 貫之はそんな風にも思ったが、友則は和歌に関しては常に真剣であることを思い出す。


「それに女郎花の歌はなかなか評判も良かった。君は理に勝る分、とっさの即興歌で理にこだわる余裕が無くなると、思わぬ良い歌が詠めるようだ。君の若さであれほどの場に出て、そのような注目を浴びるとは大した事なのだ。自信を無くした君には悪いが、私は鼻が高かった」


「それでは、その歌合に……」


「君も招かれている。恐れ多くも宮中からのお招きだ。断ることはできんぞ。今度は君もしっかり刺激を受けて、何かを吸収しなさい。歌の出来より若い君にはそちらの方が大事なのだから」


 宮中からの招きで歌合に臨むと聞き、ますます貫之は不安そうな顔をした。だが友則は、


「とにかく君は外に出なければいけない。歌の世界で生きていけるかどうかなど私にだってわからない。だが、君が自分を信じなければどんな道も開くことは無い。まずは風流人達の邸の宴に出席しよう。閉じこもらずに歌に触れるのだ。歌に触れに行くのは歌合も同じ。そう考えて一歩を踏み出すのだ」と言う。


 自分に自信が戻った訳でも、才能を信じたわけでもない。だが、友則や淑望が信じてくれている以上、このまま何もせずに裏切ることはできない。それにこんな状態で宮中の歌合に出るわけにもいかないだろう。

 貫之は友則と共にまずは敏行の邸の宴に出ることにした。

 しかしそれは、二人に重要な出会いをもたらす事となった。



 敏行の邸にて開かれた小規模な歌宴に、友則と貫之は出席した。すると貫之はあれよと言う間に人々に囲まれてしまった。


「あなたが是定親王の歌合に出たと言う若い方ですね?」


 と言って、人々はしきりに貫之を褒める。貫之はあの席でもっとも未熟な歌詠みであった私になぜこのように人が群がるのかと不思議に思えてしまう。友則殿が言うとおり、私の歌は自分が思う以上に評価が悪くないのであろうか?


「本当にお若いですな。それなのに親王の歌合に招かれるとは」


「大変な大抜擢と言われましたからな。若き天才歌人とか」


「和歌の世界に、新鋭が誕生したと言う所でしょう。若さとは良いものですな」


 ……成程。貫之は場の雰囲気をすぐに察した。私の歌の事など人々はさほど気に留めてはいないのだ。今までほとんど無名だった位のない若者が、突然有名歌人達が顔を連ねる親王様の歌合に招かれたのだから、その意外さに好奇心をくすぐられているだけなのだ。


 貫之は拍子抜けした。名人たちの目の前で未熟な歌を詠み、世間はどれだけ笑っているだろう? 才能もあるか分からぬままに、これから汚名をどうやって挽回すればいいのかと、それは不安に思っていたのだから。自分が気に病むほど世間は貫之の実力など気にしていないらしい。ただ、それだけ和歌と言うのもが「所詮娯楽」と軽く見られている証でもあるのだが。


「あの女郎花の歌は、なかなかの風情が感じられますね。私は好きな歌です」


「そうですな。女心の頼りなさを一度でも味わうと、あの歌は心に沁みます」


「男の本音が素直に詠まれていますからな。心当たりのある男が多いのでしょう」


 そんな事を言って人々は笑いあう。本音の素直さ。そこに人は惹かれ、情緒を感じるのか。

 貫之は一つ、歌の心を得た気がした。外に出なければいけないと言った友則の言葉の意味が、少しだけ分かった気がする。今の自分に必要なのは、こういう事なのかもしれない。


「それにあの雁信の歌。私はあれも好きです。あの歌には秋のやるせなさが感じられる。それに雁の鳴き声やことづてと言う言葉も、分かりやすくて良い」


「私は友則殿の歌の方が雅で好きですが」


「しみじみと詠みあげるには友則殿の歌が良いが、貫之殿の詠んだ瞬間の、ハッとさせられる若々しさが私には好もしいですね。同じ歌意でも受ける印象の違いが面白いと思います」


 貫之は自分の歌と比べれば友則の歌の方がずっと雅で美しいと思っていたが、意外にも人々の意見は様々に割れていた。人が一人一人違うように、同じ歌でもこうも感じ方は変わる。自分が良いと思う歌が誰にでも良いとは言えない。

 分かっているつもりではいたが、こうして人々の生の声を聞いていると、自分の価値観がいかに狭いものであるかに気付かされる。これも歌人としての学びの機会なのかもしれない。


 貫之はこのわずかな時間でさまざまな事を学んだ。その場で詠んだ瞬間だけではない、世の人々の心の動きが作る世界。これが和歌の世界なのだ。自分はこの世界を自分の狭い視野で知っていたにすぎない。だからと言って自信が取り戻せたとか、自分の才能を信じられるとか言う訳ではないが、この道を歩むための何か確かな物を見つけた気がした。

 自分は和歌の世界の景色を、ほんの僅かに垣間見たにすぎない。もしかしたらこれからさらに恐ろしい思いをするかもしれない。だが、今日のような自分の世界が広がるような思いや、素晴らしい歌に巡り合える至福の喜びも得られるかもしれない。


 すべてはまだ、始まったばかりなのだ。


 そこに人の輪を割って、二人の男が貫之に近づいてきた。 一人は地方官らしい人で、もう一人はその随身と言った様子。ただ、随身の方はこうした高貴な方の宴に慣れていないらしく、落ちつかなげにそわそわしている。

 今の貫之にその二人に関心を寄せている余裕は無かった。ようやく自分の生き方を模索する気になったばかりである。今日の歌宴からどうやって、何を学んだらよいだろうかと頭を巡らせ、彼らの事には上の空だった。だが主人の方の男が貫之に声をかける。


「この私の従者は、名を凡河内躬恒おおしこうちのみつねと言いまして、家名も無名で無位無官の賤しい者でございます。しかし身分や若さに似合わぬ良い歌を詠むのでございます。末席に加えていただくのも身に余る光栄なのですが、本日はよろしくお願いします」


 この人も歌詠みであるのか。自分より五歳くらい上であろうか? この席には自分同様若いかもしれない。卑官の身であるのは私や友則殿と同じ。年上な分私より経験はあるのだろう。


「そう、こちらこそよろしく」貫之はぼんやりと相槌を打つ。


 その時貫之はあまりその男に興味を持たなかった。まさかその男が自分よりずっと低い、学問を学ぶ事はおろか、下男の中でも末端で下働きをしているような者とは知らずにいた。

 貫之がそれを知ったのは、自分の席に着き、友則から話を聞いた時だった。


「あの、凡河内殿の先祖は神世の代には立派だったのだが、古い都が栄える頃にはすでに落ちぶれてしまい、今では家柄も本当に低く賤しくなってしまったそうだ。だから彼も官人の中でも末端の人で、下男仲間の酒の席で歌を詠んでいたらしい。その歌がなかなかいいと主人に認められて、主人の知人の小さな酒宴などで歌を披露しているそうだ。即興歌が得意で場を盛り上げるのが上手いので、これまで重宝がられてきたのが噂になり、敏行殿が初めてこの席に呼んだそうだ」


 そう言えば噂でそんな人の話を聞いたような。それがあの人だったのか。


「では、あの人は歌の宴に出るのは……」


「まったくの初めてだそうだ。さて、どのような歌を詠むのであろう?」


「さぞや緊張しているでしょう。でも、楽しみですね」


 つい先日、自身が盛大な歌合で緊張の末辛い思いをしたばかりである。貫之は初めて躬恒みつねの事が気になった。さっきは随分身を固くしていた気もする。大丈夫であろうか?


 次々と歌が披露され、人々がさまざまに論じている。もちろん貫之の歌も注目されているが、貫之は思い切って、あの友則に最初に詠んで見せた歌、春の若菜の歌を披露した。赤人の歌と業平の歌を合わせたような未熟な歌。その歌に人々がどんな反応を示すのか見てみたかった。


 以外にも人々の評価は悪くないようだった。初々しさ、語感の良さ、古歌や業平への憧憬をはっきり感じる詠みぶりが若々しく、爽やかだと思われたらしい。

 未熟な歌には未熟なりの良さがあり、人々はそれを見つけて受けとめる。そうやって和歌の世界が出来上がって行く。自分の狭い視野で歌の良し悪しを決めることは無い。貫之はそう言う事を学べるようになった。


 他にも時節にあった歌や、この場に感謝を示す歌を詠み、先日の歌合で感化された、朝康の歌を意識した歌も詠んだ。



  秋の野の草は糸とは見えなくに置く白露の玉となりける

 

 (秋の野の草は糸のようにみえなくもない

  なぜならその上に置かれた美しい白露の玉を貫いているようだから)



「ほう、草が糸に見えるとは。若い人らしい、面白い発想ですなあ」


 朝康に比べれば雅でないのは確かだが、それでも人々が感心しているのが分かる。だがこの歌は朝康の歌があったからこそ生まれたものだ。先日の友則の歌が貫之の歌によって導き出されたように、歌は歌人達に新たな歌を導く物でもあるようだ。貫之は少しずつ自分の学び方、自分が進む道の様子が見えてきた。


 ついに躬恒の番になった。初めはうつむいていたが、彼はふいに顔を上げると、


「皆様。今夜は楽しんでおられるでしょうか? このお席は高貴で品の良い方々ばかりで、どの方も白菊の様な美しい白いお顔をしていらっしゃいます。でも賤しい私などはこれこの通り、土から顔を出した霜柱のようにまだらになっております」


 そう言われると躬恒の顔は日に焼けて黒かった。官人の中でも末端の下人ならば、真夏でも一日中日差しの下で作業することも多いのだろう。礼儀のためとはいえ、せっかくの美しい艶のある顔におしろいをまだらに塗っているのはもったいない気がした。しかし躬恒はその顔を手のひらで隠し、赤子をあやすかのように両手を開いて見せる。そして、


「今夜は寒いので、我が顔の様な初霜が降りることでしょう。その汚れた霜柱の様な私でも、このようにめかしこんでお美しい皆様の中にまぎれていれば、意外と白菊の美しさになじむものかもしれません。お酒も程よくお召しですから、興に乗ってあてずっぽうに白菊を手折ろうとすれば、うっかり霜柱の方を手折ってしまうかもしれませんな」


 身ぶり手ぶりを面白おかしく動かしながら躬恒がそう言うと、座はどっと笑いが起り、楽しげに盛り上がる。さっきまでの緊張が嘘のように人々の心が和んでいる。

 貫之は驚いた。おそらく本人は初めての歌宴に気が遠くなるほど緊張していたに違いない。あの歌合の私のように心も宙に浮くようで、上手く歌う事以外に頭が働かなくなっていたはずだ。それなのに彼は自分の心を抑え、こうして人々を和ませている。


 人心を歌に集中できなければせっかくの歌も効果が薄れる。これも人を引き付ける手腕なのだ。そして躬恒は皆の心が十分和んだ事を知ると、ついに歌を披露した。



  心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどはせる白菊の花


 (適当に折るなら折ってみようか。初霜が草花に降りて紛れてしまっている、白菊の花を)



 遊び心を起こして、心の思うがまま手折るなら手折ってみようか。白い花のように草花に付いた初霜に、紛れてしまった美しい白菊の花を。そんな歌意。この歌は後に躬恒が自分の弟子たちに歌の見本として披露した歌である。それほどこの歌は名歌であった。


 歌人だ。彼こそ人心を動かし、宴に華を添え、歌の心を人々に伝える事が出来る歌人なのだ。

 しかし、このようなやり方があったとは! 歌は人生の吐露であり、宴の華である。そんな和歌に本当にふさわしいのは、こうした座を盛り上げる魅力かもしれない。なんと言う斬新で楽しく、心温まる詠み方であろうか。貫之は感激した。


 しかし周りの反応は二つに分かれた。明るく楽しい。これぞ宴に似合う歌の詠み方。それなのにその歌のなんと優雅で繊細な響きを持っている事か。という感嘆の声。


 もう一方では散々な評価で、大袈裟で品が無く、賤しく下らない前置きで注目させるとは、やはり和歌は程度が低いと言っているような物。せっかくの優雅な歌が台無しになる。そう、まるで……


「まるで、歌詠みと言うよりも、芸人の様な方ですなあ」


 一部の不満の声を表すように、躬恒の近くの人が声をあげた。見るとその表情には躬恒をさげすむ、いやらしい表情が浮かんでいる。

 同じ末席、庭の片隅にいるのだから大した身分の者ではない。にもかかわらず場馴れしていない者を蔑むような態度に貫之はカッとなった。


 この詠み方に品が無い? 和歌は程度が低い?

 あの者は何を見て、何を聞いていたのだ! この歌の素晴らしさが何故分からぬ!


 躬恒は技法として霜の花を大袈裟に表したに過ぎない。実際、寒い早朝に草花にうっすらと付いた霜の花は真っ白とは言えずとも、朝の光の中ではたとえようも無いほどに美しい。それを清廉な白菊と合せて詠む事で双方の美しさを際立たせているのだ。美しい物が他の物に紛れてしまう情緒は漢詩の技法を応用した高度な物。さらに倒置法で最後に詠んだ白菊の花など白さを際立たせ、歌を一層すがすがしくしているではないか!


 その素晴らしく優雅な歌も、身分卑しい躬恒への好奇心が先立っては十分に心に沁みるとは言えない。彼はそれが分かっているから自分の身の賤しさをわざと利用して笑いを誘い、場を和ませたのだ。そうすることによってこの歌は人々の心に一層沁み入る事となった。

 緊張の中、僅かな間にこれだけの計算をした。いや、計算ではなく彼は感覚的に悟ったのだ。あの方法で座を盛り上げる必要があると。おそらく多くの酒席で培った、自流の流儀なのであろう。ここで彼を嘲笑う者は、その意味の欠片も理解していない。


 貫之はほとんど無意識に、はじかれるように自分の場所を離れると、躬恒とその男の間に割って入った。そして頭を下げかけた躬恒の身をつかみ、止める。そして男の前に立ちはだかった。

 身の内に和歌の世界を汚された怒りが……この歌人を見下された悔しさがこみあげていた。


「こういう方に頭を下げる必要は御座いませんよ。歌は芸の一つ。芸はすべて、歌も含めて人の心を感動させる文化です。このあわれが解らぬようでは、都人とは言えませんね」


 貫之はこの歌人を、この和歌の世界を守りたかった。そしてはっきりと己の想いを知った。


 私は和歌の世界で戦う。この和歌の世界のために戦う。もう、恐れはしない。


 貫之の決意と威厳に押されて、男は言い訳じみた言葉を残してその場を去った。貫之の向こうに見える敏行や、時平の権威を恐れての事かも知れないが。

 だが、この出会いは貫之と躬恒に鮮烈な印象をもたらした。互いがこの世界で生きていく決心をした瞬間であり、二人に友情が芽生えた瞬間でもあった。


「良い歌でございました。しかも大変詠み上手と来ている」


 貫之は躬恒を讃えようとした。


「いえ。私のは余興の歌です。あなたがご出席なさったような、立派な歌合では通用しないものです」


 躬恒のそんな言葉に貫之は耳を貸さなかった。


「いいえ。歌そのものが素晴らしかった。あなたの様な方とこれから歌を競えるのが、楽しみでなりません」貫之は躬恒を褒め称えた。


 本当に楽しみだった。あれほどの恐怖から貫之は脱することが出来た。すべてこの、斬新で巧みな歌を詠む男のおかげだった。躬恒の歌が貫之の歌を愛する心を呼びもどした。彼の歌を汚されたくない一心で、貫之は迷う心を一掃させる事が出来たのだ。


 この時躬恒も、自分がこの場で人々に……特に貫之に認められたことを知った。そしてこれをきっかけに、躬恒も次の宮中での歌合に招かれる事となった。その歌合の席で初めて、貫之、友則、忠岑、そして躬恒の四人が揃って顔を合せる事となるのだ。彼らこそがこの十年後、次の代の帝の詔により、この国で初の勅撰和歌集の選者として選ばれた、四人の男達である。



 

 

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