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なべての世をも

 躬恒の去就に奔走した貫之だったが、実は貫之自身もこの頃自ら昇進に焦りを感じていた。本来なら大内記となってまだ二年なのだから、焦るには早すぎる。まして下級官だった者が五位を望むなら余計に難関だ。

 だがあの内教坊の妓女は十八を迎えていた。彼女が再婚をするならちょうどよい頃合いだろう。今のところそんな話は聞かないが、いつ通う男が現れてもおかしくはない。

 彼女に妻問つまどい(求婚)をするのは昇殿を果たしてから。それが果たせなければ……あるいは彼女に良人おっととなるべき人が現れた時は綺麗な心で後見人の責を担う。それも煩わしがられるのなら、彼女には二度と近づかない覚悟をした……はずであった。


 それなのに男心と言うのはどうにもならないもので、やはり彼女を手に入れたいという欲求からは逃れられずにいる。芯の強い妓女は男の言うがままになどならないことを貫之は経験していたし、彼女には「昇殿が許された時」と宣言もしてしまった。何より友や想う人を守れないままでは自分に自信すら持てない。元から五位の位への執念は強かったが、今の貫之は昇殿をただの憧れで終わらせたくは無くなっていたのだ。


 貫之は彼女に歌を贈ろうかどうか迷った。すでにこちらの心は知られている。歌を贈るのは今さらだろうし、こちらが後見人である以上彼女も返事に困るだろう。

 それでももし……もし、彼女に他の想い人があるのなら、歌を贈ればきっとはっきり言ってくるだろう。彼女ならそうする気がする。私を待つ気が少しでもあるなら、そうした意思を伝えてくれるだろう。

 貫之は強引にそんな理屈を自分でつけて、歌を贈った。結局不安に耐えられなかった。それでもあからさまに恋を匂わせるのは気が引けて、


  おほかたの我が身ひとつの憂きからになべての世をも恨みつるかな


 (大概のことは我が身の一つままにならない自分の不甲斐なさが原因なのに、押しなべて世の中を恨んでしまうのです)


 と、未だに昇殿できずにいる歯がゆい思いを伝えた。「世の中」という言葉にはなかなか歌人が昇進出来ない世の流れのことと、伝えられない恋の想いとの二つの意味をかけてある。どちらにしても自分が頼りないせいであるには違いなく、出来る事なら待っていてほしいという願望が陰に隠れている。居ても立ってもいられない焦りが詠ませた歌だった。


 彼女からの返事はただ一言、「世の中は何か常なる」とだけあった。これは貫之が古今和歌集の雑歌に載せた古い歌、


  世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる


 (世の中に何か同じままの物などあるのだろうか。飛鳥川は昨日の淵さえ今日は瀬になるのだから)


の上の句だった。つまり世の中に変わらないものなどありません、という意味だ。


「世の中」が昇任についての意味ならば、いずれは世の中も変わるから、期待して精進すればよいという励ましの言葉だろう。だが、「恋」の意味については。

 ……さまざまに解釈が出来てしまう。彼女が貫之に特別な感情がないのならば、いつかはそういう心も生まれるかもしれないという期待できる返事となるし、貫之を待っていたのならば、いつまでも同じ心ではいられないという意味になる。そもそも貫之は後見人なのだから礼儀的に励ます言葉だけを返し、返事を避けたとも思える。彼女の年齢と立場を考えれば、それは当然のことだろう。

 歌など贈らねばよかった。貫之を後悔の念が襲った。それでもはっきりと拒絶はされていないのが、せめてもの救いではあったが。


 そんな雑念に襲われながらも、貫之は高貴な方々に歌を奏上し続けた。延喜十五年閏二月二十五日には斎院恭子内親王に屏風歌を奉った。昇進は思うに任せなくても、歌人としての貫之は充実した時を迎えていた。

 そのほかにも従者としても懸命に仕えた。それは主人である兼輔に躬恒を斡旋したためでもあり、自分の先々の昇進のためでもあったが、それ以上に兼輔への深い敬愛あってのことだった。兼輔は人柄が気さくで、同じく風流を愛する者に対しては身分で人を分け隔てるようなところがない人物だった。彼の邸には彼が若い時から風流人が集まり、身分の低い歌人であろうとも招かれていた。その人間性に貫之は敬意を抱き、従者として兼輔を常に引き立てていた。


 例えばある年の三月二十日頃のこと、兼輔の従兄弟の定方が邸を訪ねてきて、ちょうど見ごろだった藤の花の宴となったことがあった。定方は従兄弟とはいえ妹を帝の尚侍にさし上げていて、帝の外戚として身分も立場も兼輔より上であった。それでも定方の方から兼輔の邸を訪ねてしまうような、そういう気安さが兼輔の人柄にはあった。そしてその席に興を添えるためにと貫之が控えさせられた。

 定方にとっては気安い訪問でも、貫之にとっては主人より身分が高い方を、主人のためによく接待するべき相手であった。だが、兼輔と定方は身内同士ということで、春の夜のひと時を上機嫌で楽しんでいる。兼輔の邸に今を盛りと咲き誇る藤の花を、遣り水のほとりで酒を酌み交わしながら愛でている。やがて定方が歌を詠んだ。


  かぎりなき名に負ふ藤の花なれば底ひも知らぬ色の深さか


 (終わりがないという意味の名を持つ藤の花であるから、底知れぬほど色の美しさも深くあるのだろうか)


 兼輔の邸に咲く藤の花の「ふじ」を「不死」にかけて、その限りない繁栄を表している。その褒め言葉に兼輔は、


  色深く匂ひしことは藤波の立ちも返らで君とまれとか


 (藤の花が美しくも深く匂うのは、あなたを波が立ち返るように帰してしまうのを惜しんで、泊まれと匂っているのでしょう)


「この色美しい藤を一時の鑑賞で終わらせるには惜しい。どうです? 今夜は泊って飲み明かしませんか?」


 ここで貫之も主人の意をくんで定方をひきとめる歌を詠んだ。


  さをさせど深さも知らぬふちなれば色をば人も知らじとぞ思ふ


 (この藤の色の深さは棹を指しても深さが分からぬ淵のようですから、人も本当の美しさを知らないと思います)


「今宵はお泊りになって、この藤の本当の美しさをお確かめになってはいかがでしょう?」


 定方は花にも、宴にも、この歌のやり取りにも魅力を感じ、帰るのをやめてしまった。一晩中琴や笛を奏で、あれこれとたわいのない雑談に興じ、やがて夜も更け明け方が近づいたのでいよいよ帰らなければと定方が席を立った時に、


  昨日見し花の顔とて今朝見れば寝てこそさらに色まさりけれ


 (昨夜見た花も今朝になって見ると、一夜寝てこそ花の顔は美しさが勝って見えるものだ)


「成程、貫之の言う通り。花は一夜を共に寝て過ごしてこそ本当の美しさが分かるものだ」


 と花を女に見立てて艶っぽい冗談を言う。それを聞いた兼輔は、


  一夜のみ寝てし帰らば藤の花心とけたる色見せんやは


 (一夜寝て帰ってしまうようでは、藤の花も心を解いた美しさは見せないはずですよ)


「花の心を打ち解けさせるには、一夜でお見限りは冷たいですよ」


 と、これまた冗談で返した。そこで貫之は、


  朝ぼらけ下ゆく水は浅けれど深くぞ花の色は見えける


 (時がたてば流れる水は下流に行くほど浅くなりますが、美しい花の色は時がたつほど深まって見えるものです)


「時がたつほど深まる美しさでは、人が見極めるのは難しそうです。長くお引止めしました。お疲れでございましょう。すぐにお帰りのための支度をいたしましょう」


 と、和やかに座をお開きにする。こうした良い歌と細やかな気配りに兼輔は一層貫之を重んじるようになった。良い主人に信頼を寄せられて、貫之も本望だった。


 華やかな屏風歌から従者としての細やかな気遣いの歌まで、貫之は必要な歌を巧みに詠んで見せた。高貴な人々はそんな貫之の歌を求め続けた。延喜十五年九月二十二日。貫之は右大将藤原道明の六十歳の賀の祝いの屏風に歌を詠んだ。

 さらに十二月三日には時平の妻であった康子の五十賀の屏風にも歌を求められた。今度こそと貫之は昇殿を期待したが、翌年の昇進は叶わなかった。


 もともと難しいのは承知の上で昇殿を目指したのだ。今更あきらめるわけにもいかない。貫之は大内記の役目をこなし、従者として兼輔を助け、歌人として求められる歌を詠み続けた。そしてこの年は帝から内裏を通して、斎院である宣子内親王の屏風歌を詠むように求められた。ついに貫之個人に、帝からの歌の御所望がされたのだ。貫之の脳裏にあの、始めて選者として編纂を開始した夜に、帝に歌を求められた日の感激がよみがえった。

 貫之はその時の帝の慈悲を思い出しながら歌を詠んだ。そして翌年の昇進に期待を寄せた。どんなに忙しくともできることはすべて全力でこなしていった。そして……



 延喜十七年一月七日。貫之はようやく念願の五位の位を得た。従五位下。追って加賀介の任が与えられる。これも遥任でこれまで通り内裏や高貴な方々の求めに応じて歌を詠むようにとのことだった。

 躬恒や忠岑、ほかの歌人たちが貫之を祝ってくれた。友則の妻や息子たちもだ。貫之よりも先に昇殿していた淑望は文で喜びを伝えてくれた。

 これまで声をかけ続けてきた多くの人に八方礼を尽くしながら、貫之は主人の兼輔にも良く仕えた。なぜなら今度は秋に兼輔の蔵人頭の任がかかっていたのだ。是非ともここは主人にも良い知らせをもたらして欲しかった。


 そこに八月になって帝から詠歌の宣旨を受けた。蔵人頭の行方が決まる直前での詔だった。貫之は祈りを込めるように二十四首の歌を奉り、二十八日になって兼輔も無事に蔵人頭の任に就いた。






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