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友則の死

 やはり友則は『平貞文家歌合』に出席できなかった。それどころか良い僧による加持祈祷もむなしく、回復する様子は少しも見られない。肝心の歌合は貞文と躬恒がそれぞれとっておきの和歌を事前に用意していたこともあり、二人の歌の優劣を周りの人々が判定し、楽しむ物となった。そうした歌合の趣旨もあり、貫之自身が病身の友則への思いが強かったこともあって、この場で貫之は二首しか歌を披露しなかった。貞文の私的な催しとはいえ、歌合にこれほど身が入らないなど、貫之には初めてのことであった。

 専門歌人が歌合に呼ばれておきながら、歌に身が入らない。本来ならあるまじきことだが、私的な集まりと言うこともあり、誰もが貫之の心情を察して同情の目を向けていた。もっとも今の貫之の心情では、批判があっても耳に入らなかっただろうが。


 貫之自身も驚いていた。もともと父もなく兄弟もいなかった自分なので、母と多くの大人たちの世話になって自分は育ってきた。高経様、敏行様など、お目にかけていただいた方々のご逝去もすでに経験している。そして唯一の肉親である母さえも見送った。それは悲しく辛い別れであったが、歌合に身が入らぬほどの動揺はなかった。だが、友則殿の病状が思わしくないことへの不安は、歌の喜びを忘れるほどに大きかった。

 世間では「古今和歌集」の評判が高まるばかりで、同時に選者たちの評価もこれ以上ないほど賞賛されていた。特に歌集に多くの歌を載せ、あの見事なかな序を書いた貫之の評判は群を抜いていた。それにもかかわらず貫之自身は、これまで感じたことがないほどの不安の中にいた。


 そして思い知った。貫之にとって友則がどれほど重要な存在であったかを。友則は同じ紀氏の身内であり、長く後ろ盾をしてくれた父親同然の人であった。さらに歌の世界へといざなってくれた恩人であり、歌人としての師でもあった。そして共に和歌の未来を憂い、希望を切り開く志を持った友であり、「古今和歌集」編纂と言う大業を成し遂げた仲間でもあった。貫之にとって友則と言う人は、すでに親や師を超えた存在であった。これほど人生に深くかかわった人はいなかった。その人を失うかもしれない不安は、どんな知人や母親を失う悲しみよりも大きかった。


 夏の日差しの中、友則の病状は一進一退していた。貫之には今年の夏の暑さはいつにもまして苦しい気がした。その暑さが友則の体に瘴気となって襲い掛かっているようで、当たり前にやってくる季節が恨めしく、歌心を刺激するはずのほととぎすの声さえ疎ましかった。

 貫之は頻繁に友則を見舞った。そのたびにこの家のたたずまいを見ては懐かしく思った。今は離れて暮らしているが、内教坊育ちだった自分にとってこの家は、唯一帰ることのできる家だったのだと知った。

 だが、そんな貫之を友則は病床の身にありながら心配した。


「私の身を案じてばかりいてはいけない。時が来たのだ。人は若いままではいられない。以前に私も歌を詠んだではないか。


  色も香も同じ昔に咲くらめど年ふる人ぞあらたまりける


 (桜の花は色も香りも昔と同じに咲いているが、人は年を取り、変わってしまった)


 変わらぬ『さくら』は『さくらめど』、人は変わり老いるのだ。この歌は貫之には劣るが、私は自分の詠んだ『物名』としては、なかなかの出来だと思っているが?」


「桜と老いの対比が心にしみますね。でも、今聞くには寂しすぎます」


「人は老いる。だから時は貴重であり、歌人は多くの歌を残すべきなのだ。こうしている間にも、時は流れてしまうのだ」


 友則の残りの時の少なさに抵抗するように貫之は首を横に振る。


「だからこそ、おそばにいたいのですが」


「気弱な事を申すな。前にも言った。君はもう、人の庇護に頼るばかりではいけない。私から学ぶ段階は終えているのだ。歌も、人生も」


 貫之は病の友則に甘えていることはわかっていたが、言わずにはいられなかった。


「私に親がなくとも、妻がいなくても、良い人生を送ってこられたのは友則殿がいたからです。あなたは私にとって、師であり、父であり、友であり、従うべき人なのです。私はあなたにどれほど甘えて生きてきたか」


 すると、友則は心からおかしそうに笑った。


「……師? もう私は君の師などとは言えない。……君自身が、そしてこの世の中が君の師となるのだ。……父が庇護者の意味ならば、大丈夫だ。君のことは忠岑の御主人である泉大将(定国)様も見ておられる。妹の満子様もお認め下さっている。……同じ紀氏の長谷雄がいるし、淑望もいる。何より時の人……左大臣時平様がいる。友にも恵まれ……従うべき人は……兼輔様と言う主人がおられる。君は……大丈夫だ。たとえ、今挙げたすべてを失うことがあろうとも……君には歌がある」


「それはわかっています。ですが、情けないことに私は人としてとても未熟なのです。未熟すぎて、地位を問われぬ和歌の世界にしがみつき、妻を持たず、家族を作らず、そしられる心配のない遊女や、田舎の女に癒しを求めているのです」


 もはや強がりをかなぐり捨てた貫之の言葉に、友則はとても優しい目をして答えた。


「仏の目から見れば……人は皆、未熟であろうよ。それでも情の在り方を心細く思うなら……友を助けてやるがよい。そして……内教坊の女孺殿に孝を尽くし、あの少女を大事にしてやりなさい。きっとそれが……君の救いになるだろう」


「自分の心の動揺さえも抑えられない私に、出来るのでしょうか?」


「情は自然と心に生まれるもの。君が一番よく知っている。……それに……私は君に本当に幸せにしてもらった。……我が子はかわいいながらも歌の才には恵まれなかった。こればかりは生まれ持っての宿命だから仕方がないが……君がいなければ私は子供たちに歌人の価値観を押し付けていたかもしれない。君がいたから……子らに余裕をもって接することができた……」


「幸せなのは私の方です。親子の情もよく知らない私に、こうまで言ってくださるとは」


 貫之は感激してそう言ったが、友則はあっさりと返した。


「親子の情なら、私は君に教えたはず。君は……私にとって大事な長男なのだから」


 友則の言葉に、貫之は今度こそ思い知った。やはりこの人は自分にとって、父親以上に父なのだと。そして、その大切な父を失うということを、自分は今教わっているのだと。




 その秋、ついに友則は亡くなった。家族や選者たちの悲しみは当然深かったが、「古今和歌集」の評判が高まっていた時だけに、都人たちもいくつもの名歌を残した優秀な歌人を失ったことを惜しみ、悲しんだ。


 貫之は古今和歌集の雑躰の巻部分の草稿を開いていた。そこには選者たちの長歌の一群があるが、そこにぽっかりと不自然な空白がある。帝の献上した歌集にはもちろん空白などないが、この草稿には願いを込めて空白を残していた。いずれ友則が病から回復したら、そこに長歌を寄せてもらうはずだった。たとえ献上した後でも、書き加えて帝に献上し直すつもりだった。


「……ついに、その空白は埋まらなかったな」


 そう、躬恒が声をかけた。淑望と忠岑もそこにいた。必ずこの空白は埋められるものだと、これを書いていた時は皆で信じていた。貫之は黙ったまま草稿を閉じる。躬恒は友則の人柄を思い、嘆いた。


「友則殿は歌人としては有名でしたが、お人柄に華があったわけでなく、むしろ地味なくらいでした。名声が高まってもそれを利用した大っぴらな任官運動をすることもなく、和歌も政務も十分な実績を持ちながら無官の時期が長くて……」


 淑望も寂しげにその死を惜しんだ。


「時平様の同情からようやく地方官の片隅に土佐掾の地位を得たが、彼はその後も歌以外では特別社交に励むことはありませんでしたね。実直さと和歌集編纂の利便性を考慮されて少内記に上がり、やがて大内記に出世しましたが、その仕事ぶりも帝の詔の作成や様々な記録作業を地道にこなし、自ら表舞台に立とうとすることはありませんでした。本当に地道で、謙虚で、信頼できる人でした」


 淑望の言葉に躬恒も残念そうに、


「古今和歌集の評判のおかげで、今は和歌の地位もこれまでにないほど高まってきました。地味で穏健な性格とはいえ、きっとこれから出世できたはずなのです。若すぎました。もっと、長生きしていただきたかった……」と、悔しがる。


 しかし親友の忠岑は、小さく首を横に振り、言葉少なに友則を悼んだ。


「体調不良で編纂作業の主任の仕事に支障があるとわかると、その立場をあっさりと若い貫之に受け渡した。そういう人だった」


 忠岑の言葉に、貫之は何も言えずに涙をこぼした。それを見て躬恒が言葉をつづけた。


「だから名目上は友則殿を主任扱いして、序文に記す名前の筆頭にしました。我々は友則殿のそうした性格を知っていますから……敬意を表さずには、いられなかったのです」


 優しく、暖かく、声高に持論を叫ばず、人の前に立たない。常に良い家庭人であり、良い友人であり、その人柄を感じさせる多くの秀歌を残した人は、多くの人に惜しまれながらこの世を去ってしまった。貫之に和歌世界の次の代を託して。


 友則の弔いが済んで後、貫之は古今和歌集に友則を悼んだ歌を、哀傷歌の巻に追加する許可を求めた。許可は認められ、哀傷歌群と服喪の歌群の間に、貫之と忠岑の歌が書き加えられた。貫之の歌は、


    紀友則が身まかりにける時よめる


  明日知らぬ我が身と思へど暮れぬまの今日は人こそ悲しかりけれ


(明日、自分の命がどうなるかはわからないが、まだ日が暮れていない今日のうちは、亡くなった人のことを悲しく思うのだ)


続けて忠岑の歌。


  時しもあれ秋やは人の別るべきあるを見るだに恋しきものを


(ほかに時もあるだろうに、秋に人との死に別れがあるとは。生きていても別れは恋しさを感じるというのに)


 こうして皮肉にも、友則が心血を注いだ古今和歌集に、彼を悼む歌が載せられたのだった。






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