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和歌の生い立ち

 漢文の序は歌の詠み手の心の現れ方を述べていく。


 是以、逸者其声楽、怨者其吟悲。可以述懐、可以発憤。


 是を以ちて、逸せる者は其の声楽しく、怨ずる者は其の声悲し。以ちておもひを述ぶべく、以ちていきどほりを発すべし。


(つまり、心のままにいる者ならその声は楽しく、怨みを持っている者ならその声は悲しい。だから人は懐(想い)をべることが出来るし、憤りを発することもできる。)


 人が歌を詠みあげる時、その声には自然と心が現れてくる。自分の心のままでいられる人の声は楽しげなものだし、心に恨みを抱いている人の声は悲しげに聞こえる。歌を詠むことはその人の心を表に現す事であり、伝えることでもある。だから人は歌によって、伝えたい思いを述べることが出来るのだし、憤りを発散することもできる。その声は確かに人の心を動かす力がある。


 動天地、感鬼神、化人倫、和夫婦、莫宜於和歌。


 天地を動かし、鬼神を感じぜしめ、人倫を化し、夫婦をやはらぐるは、和歌よりよろしきはなし。


(天地さえも動かし、鬼神さえも感動させ、人と関わるための道を説き、夫婦の仲を和らげるのに、和歌より良い物はない。)


 歌の力に動かされるのは人だけではない。歌を詠む人の悲しみに、天と地までもが涙のような雨を流すこともあれば、鬼や神のもたらした災厄ですら、荒げた魂を鎮めることもある。放っておいては増す悲しみや、不安におびえる人々の心を、歌は確かに慰めてくれるのだ。

 さらに歌は人と人との繋がり方を説いてくれる。歌は人に心を伝える。人にどのように接してほしいか、自分がどのように接すればよいか、知ることが出来る。

 そして人道に長けた者でも難しいとされる男女の仲でさえも、歌はとりもってくれる。心を伝えあい、互いを理解し、結ばれて夫婦となった後でさえ、心を和ませてくれる。


 このようなことは長々と語ったところで、身になる物はそう多くない。論理に勝った漢詩では、本当に心に語り掛けることが難しいだろう。このような時、自然の摂理として生まれ出た和歌に勝る表現などない。


 和歌有六義。一曰風、二曰賦、三曰比、四曰興、五曰雅、六曰頌。若夫春鶯之囁花中、秋蝉之吟樹上、雖無曲折、各発歌謡。物皆有之、自然之理也。


 和歌に六義あり。一に曰く風、二に曰く賦、三に曰く比、四に曰く興、五に曰く雅、六に曰く頌。し夫れ、春のうぐいすの花の中にさえずり、秋の蝉の樹の上に吟ずる、曲折なしといへども、おのおの歌謡を発す。物に皆之有るは、自然のことわりなり。


(和歌には六義がある。一つ目曰くふう、二つ目曰く、三つ目曰く、四つ目曰くこう、五つ目曰く、六つ目曰くしょう。それは、春の鶯が花の中でさえずり、秋の蝉が木の上で鳴くことも、技術ではないとはいえ、それぞれに歌を歌っているのだ。皆の物にこういうことが出来るのは、自然の理なのである。)


『毛詩』には『毛詩正義』と言うものがあり、そこには「六義」が書かれている。 意味に違いはあれども和歌にも同様の物がある。その一つ目は風(遠回しな風刺)と呼ばれ、二つ目は賦(並べ立てた名)と呼ばれ、三つ目は比(比喩)と呼ばれ、四つ目は興(景観に興る感慨)と呼ばれ、五つ目は雅(雅で正直な心)と呼ばれ、六つ目は頌(賞賛)と呼ばれている。


 和歌も基本が六つに分類されるという点では同じだが、四つに分かれた季節に流れがあるように、漢詩のようにすっかり型にはめ込んでしまうには流動的な魅力が強すぎる。よって『毛詩正義』の六義とは性質が異なってしまう。しかしこの序文は帝に献上するために、あえて六義の形にこだわったのだろう。 これを読んで漢詩を知る者は『毛詩大序』の六義と、和歌で語られる六義との違いを思い浮かべるであろう。


 春に花が咲けば鶯は美しい声でさえずる。秋になれば蝉が高らかに鳴き続ける。鳥や虫に特別な訳などないだろう。水辺に鳴く蛙も、深まる秋を惜しんでなく松虫や鈴虫も同じ事。こうしたものは季節が来れば、季節の歌を歌うようにできている。それと同じように、和歌には和歌の六義が自然の摂理によって宿っているのである。

 ただしこれをかな序に表す時は、漢詩を知らぬ者への配慮が必要になる。それはここで無理に簡略に述べるより、ほかで詳しく六つの歌の形について書き添える方が適切だろう。

 貫之はあえてここでは六義の定義を語らず、和歌の持つ独自の性質を讃えることにした。


「花に鳴く鶯、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力を入れずして、天地あめつちを動かし、目に見えぬ鬼神おにがみをもあはれと思わせ、男女の仲をもやはらげ、たけき武士もののふの心をもなぐさむるは歌なり。」


(花に鳴く鶯や、水に住む蛙の声を聞くと、すべての生き物の、どれに歌を詠めないものがいるだろうか。力を入れることなく、天地を動かし、目には見えない霊魂にもしみじみと思わせ、男女の仲を和やかにし、たかぶった武士の心でさえも、慰めるのが歌なのだ。)


 花に寄り添い鳴く鶯や、水辺に住む蛙の声を聞くがよい。あれに何の意図があろうものか。彼らにとって喜びの時が来れば、美しいその声で歌わずにはいられない。この世に生きるものすべてに、歌を詠むことが備わっている。たとえ出す声がない物……たとえば花などでさえも人の心が歌を詠むように、我々の耳には聞こえない歌を詠んでいる。この世のどこに歌を詠めないものなどいるというのか。この世は歌で満ちているのだ。


 そこには何の力も必要とはしない。うららかな春の声に、天は優しい霞を漂わせ、夏の声に強く晴れ渡り、時に嵐を呼ぶ。しかし風の唸り声や、地の雨水に耐える声に天地は動き、嵐は去っていく。この声には目に見えぬ魂でさえ敵わない。虫の声、鹿の声に、その魂たちもしみじみと感じ入ることだろう。常に人の悩みの種となる男女の仲でさえ、歌は和やかにしてくれる。情緒には程遠い、怒り高ぶった武士の心さえも慰めてしまう。このようなものが和歌のほかにこの世に在るだろうか。

 

 然而神世七代、時質人淳、情欲無分、和歌未作、逮于素戔鳴尊到出雲国、始有三十一字之詠。今反歌之作也。其後雖天神之孫、海童之女、莫不以和歌通情者。


 然るに、神世七代、時質すなほにして人淳あつく、情欲分かるることなく、和歌いまだおこらず。素戔鳴尊すさのをのみことの出雲国に到るにおよびて、始めて三十一字の詠有り。今の反歌のおこりなり。其の後天神あまつかみの孫、海童わたつみむすめといへども、和歌を以ちて情を通ぜざる者なし。


(それなのに、神世の七代は、素直な時代で人の心も擦れておらず、感情や欲への分別もなく、和歌もまだ作られていなかった。スサノオノミコトが出雲の国に御身下りになられ、始めて三十一文字の歌が詠まれた。今の反歌の起こりである。その後、天の神の子孫や、海神の娘と言えども、和歌を用いて情を通わせないものはいなくなった。)


 素直な心と言うのは、一見美しいように見えて酷なものである。おそらく神世の時代の人々は、動物のような素直さとわがまま、無垢な清らかさと残酷さを隠すことなく表していたのだろう。歌が自然の摂理である以上、素朴で粗野な心にも歌が生じなかったわけでもないだろうが、それはただ言葉を使って感情をぶつけるだけの行為でしかなかっただろう。それを歌と呼ぶのは違うと思う。理性のない人々は己の心の種に気づくことは無く、「ただ人」に歌は作ることが出来なかった。出雲の国にスサノオノミコトが下られて、クシナダヒメと結婚するために宮殿を作り、


  八雲立つ出雲八重垣妻ごめに八重垣つくるその八重垣を


と詠んだことにより、歌の起源が始まったのだ。

 文字数も音も定まりのなかった言の葉が、三十一文字の中に収められたことにより、ようやく和歌として一つの形を整えることが出来た。今でこそ短歌のほうが主流となっているが、以前は「長歌」が詠まれ、短歌はそれに添えられるものであった。今でもその名残で短歌のことを「反歌」と呼んでいるが、スサノオノミコトが詠まれた歌は、まさにその「反歌」の起源となったのであろう。これより後、天の神の子孫や海の神の娘ですら、和歌によって情を通わせるようになった。


「この歌、天地の開け始まりける時より出で来にけり。しかあれど、世に伝はることは、ひさかたの天にしては、下照姫したてるひめに始まり、あらかねのつちにしては、素戔鳴尊すさのをのみことよりおこりける。ちはやぶる神代には、歌の文字も定まらず、すなほにして、ことの心わきがたかりけらし。人の世となりて、素戔鳴尊よりぞ、三十文字あまり一文字はよみける。」


(この歌は、天地の開けの始まりの時より、この世に在ったものである。しかし、この世に伝えられたのは、天上では下照姫に始まり、地上ではスサノオノミコトから起こったとされている。神代には、まだ歌の詠み方や文字数も定まっておらず、心のままに素直に言葉にしただけなので、その心のありようは人には理解しがたいものであった。人の世となって、スサノオノミコトが、三十文字ともう一文字の歌をお詠みになられたのだ。)


 貫之はこの、和歌が生まれる経緯についても、和歌の技法を用いた。「枕詞」だ。漢文による説明では、それはただの歴史の説明にしかならない。しかしここに「枕詞」を用いることにより、言葉に神々しさが生まれる。天への憧れ、地への感謝、神の代への尊敬。そして厳かさが現れるのだ。

 和歌は天地の始まりの時からこの世に存在した。生き物たちの声や自然の営みの中に。しかしそれは歌であって、まだ歌ではなかった。人はまだ、人に伝える心を歌に表すすべを知らずにいた。


 しかし、天上の神々たちはそれを生み出された。人が理解するには難解であったが、とにかく下照姫の美しさを讃え、伝えようという意思が歌の始めであった。

 やがて地上にも歌がもたらされる。スサノオノミコトが、人の世において初めて歌をお詠みになられた。天上の神々の歌はその詠み方も不規則で、文字も定まってはいなかった。万物の通じていらっしゃる神々は、歌で意図を伝えあう必要などない。歌も想いを述べられているだけなので、我々がそのお心を知るのは難しい。だが、それは神々の歌なのだから、我々が理解できないのは仕方のないことだろう。


 しかし、スサノオノミコトが地上にてお詠みになられた歌は、地上のクシナダヒメのために詠まれた歌であった。それは人に心を伝える歌であり、三十一文字と言う定められた形をお示しになった歌である。これこそ人が理解する歌、人の世のための歌であった。






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