空白
『続万葉集』には忠岑も長歌を書いていた。ただしこちらはこの機会に帝に自分の不遇を訴えるための、申し立てを兼ねた文面である。それをあまり前面に出すのはためらわれるので、貫之の長歌の後に共にその時奏上した歌として並べた。もしかしたら高貴な方々にこの歌は、やや見苦しく思われるかもしれないが、忠岑は編纂者の中では最も身分が低い。彼が帝に自分の境遇を訴えることができるのは、この歌だけかもしれないのだ。
身分低い者は普通、帝どころか殿上人に物を言うことすら許されない。どんな功績も不満も、その目に留めていただくことすらできないのが現実だ。卑官の身の上のほとんどの者は何も訴えることすらできないまま、この世から儚く消えて行く運命にある。そんな中で忠岑は稀なる存在として帝に自分の不遇を伝えることができる機会に恵まれた。
忠岑は自分の身分の低さを十分にわきまえている。その境遇が簡単に変えられぬことも承知している。この歌で自分や、才能があろうとも身分に泣いている者が救われるわけではないことも分かっている。
それでも、人には心を伝える言葉と言うものがある。まして彼は才能あふれる歌人である。それは都中の者が認めている。その彼が帝にこのような思いを抱えている人間が多くいることを伝えようとすることは、歌人たちにとって重要なことなのだ。
どれほど有名であろうとも、普通の言葉では決して許されない訴えだ。だが、歌ならば彼の言葉は座興として認められ、聞き入れられる。
それどころかこの歌集に載せた以上、後々の世にまで身分低い者の喜びと悲しみを、記し残すことができるのだ。今は身分低い者の戯言の歌であろうとも、いつの日にかその心が歌から理解され、不遇なものたちの希望の光になるかもしれない。
忠岑の歌には、そんな思いも込められているのだ。
呉竹の 世々の古言 なかりせば いかほの沼の
いかにして 思ふ心を のばへまし あはれ昔へ
ありきてふ 人麿こそは うれしけれ 身は下ながら
言の葉を 天つ空まで 聞こえ上げ 末の世までの
あととなし 今も仰せの 下れるは 塵に継げとや
塵の身に 積もれることを 問はるらむ これを思へば
けだものの 雲にほえけむ 心地して 千々のなさけも
思ほえず 一つの心ぞ ほこらしき かくはあれども
照る光 近き衛りの 身なりしを 誰かは秋の
来る方に あざむき出でて 御垣より 外の重守る身の
御垣守 をさをさしくも 思ほえず 九重の
中にては 嵐の風も 聞かざりき 今は野山し
近ければ 春は霞に たなびかれ 夏はうつせみ
なきくらし 秋は時雨に 袖をかし 冬は霜にぞ
せめらるる かかるわびしき 身ながらに つもれる年を
しるせれば 五つの六つに なりにけり これにそはれる
わたくしの 老いの数さへ やよければ 身はいやしくて
年高き ことの苦しさ かくしつつ 長柄の橋の
ながらへて 難波の浦に 立つ波の 波のしわにや
おぼほれむ さすがに命 をしければ 越の国なる
白山の 頭は白く なりぬとも 音羽の滝の
音に聞く 老いず死なずの 薬もが 君が八千代を
若えつつ見む
もし、竹のように長く昔から世に伝えられる、和歌と言う物が無かったら、
私の様なつまらない身の上の者は、いかほの沼に沈んだまま、
いかにしてこの心を伝えれば良いと言うのだろう?
いにしえの昔に素晴らしい歌人、人麿が、世にいたことが喜ばしい。
たとえその身は低くとも、和歌の言葉を天高く、雲上の帝にお聞かせし、
こうして末の世にいたるまで、帝の仰せが下るのは、
塵の様に遠い未来まで、言葉を告げよと仰せなのだ。
塵の様な我が身なれど、塵積もった多くのことを、帝は問うて下さった。
それは王が飲むべき仙薬を、不遜な獣が口にして、雲に吠えているような思い。
身にそぐわぬ栄誉を得て、これまで数々した苦労も、一心に励んだ誇りに消えるよう。
だが……。
眩き帝、輝く光を浴びながら、喜びお守り申し上げていたあの幸せは、
誰かが私を欺いて、寂しい秋の来る方へと誘い出してしまったのだ。
今は帝が住まわれる、美しいその御殿を囲む御垣の外を守らされ、
御垣を守るその勤め、はかばかしくこなしきれるとも思えない。
九重に囲まれた内裏のうちにいた頃は、春の嵐の激しい音も、耳に入りはしなかったのに。
今は野山に近い身なれば、春霞に心は曇り、夏、蝉の如く泣き暮らし、
秋は涙の時雨に袖が濡れ、冬は霜に凍えている。
そんなわびしき我が身ゆえ、宮仕えしてどれほどの積もる年月経たものか、
数え記して見たならば、三十年にもなっている。
これに我が身の年老いた数も添えてみたところ、身が賤しいまま年老いて、
苦しいことだと感じてしまう。
老いたこの身。
まるで長柄の橋の如く朽ち果てそうに永らえて、
難波の浦に立つ波が、波のしわに見えるように、
我が身も並みにしわが増え、溺れそうな心地だが、
流石に命も惜しければ、越の国にある白山のように頭が白くなろうとも、
音羽の滝を思わせる、騒がしいまでに噂に聞く不老不死の薬とやらを、
欲しいものだと思うのだ。
是非、帝の長い御長寿を、若い身のまま見守りたくて。
そしてさらに短歌が添えられた。
君が代にあふさか山の石清水木隠れたりと思ひけるかな
(帝の御代に、お会いできて光栄でございます
てっきり逢坂山の石清水が木々の下に隠れるように、
私もお目にかかれぬ身と思っておりましたので)
思いがけぬ栄誉と心の内を自分を目に留めてくれた帝に伝えることができたことへの喜びを、忠岑は歌に添えて締めくくった。その感激はこうして歌集に収められ、後の世の人々へと伝えられることになるだろう。
長歌は貫之、忠岑に続いて、同じく躬恒の歌が並べられた。
冬の長歌
ちはやぶる 神無月とや けさよりは くもりもあへず
初時雨 紅葉とともに ふるさとの 吉野の山の
山嵐も 寒く日ごとに なりゆけば 玉の緒とけて
こきちらし 霰乱れて 霜こほり いやかたまれる
庭のおもに むらむら見ゆる 冬草の 上に降りしく
白雪の 積もり積もりて あらたまの 年をあまたも 過ぐしつるかな
神無月を迎えたためか、今朝から曇りきりもせず、初時雨が紅葉と共にやってきた。
古都にある吉野山から吹く嵐も、日ごとに寒くなるばかり。
玉の緒がほどけ、玉が散らばるかのように、霰を散らしているらしい。
霜が凍り、さらに固まる庭の地面。
時々見える冬草の、上に降り積もる真っ白な雪。
積もり積もって行く姿は、まるで多くの年が行き過ぎて行くようで、
私が過ごした年月のようにも思えるのだ。
十月を迎え、日に日に深まる冬の様子を情緒豊かに詠んでいるが、実はこの歌も貫之の歌と同様に、和歌の並べの順序を表していた。ただし冬の部立に限ってだが。
貫之の歌だけ見ても一見普通に「和歌とは何ぞや」と言った内容にしか読めないが、躬恒の歌を見れば、初時雨、紅葉、山嵐、霰、霜、冬草、白雪、やがて改まる年……。
と、季節の流れと詠まれている題材が詠み込まれているが分かり、貫之の歌が歌集の目録となっていることに気がつくのである。その間に挟まれた忠岑の詠んだ、歌人たちの立場が生む喜びと悲しみ。長歌には編纂者たちの直接の思いが込められているのだ。
「本当なら序文を書かない分、ここには友則殿の思いも並べるべきところだが」
躬恒が心残りをぽつりと告げた。友則には序文を書いてもらう予定だったので、長歌を用意してもらわなかった。
「なに。ここに空白を開けておけばよい。いずれ友則にはここに長歌を書いてもらう。こうして開けてある以上、友則は書かない訳にはいかないからな」
そう言って忠岑は友則のために長歌を書き添える分の空白を開けた。もちろんこれは草書だから帝に奏上する時にはこれよりずっと美しく装飾された紙で製本されるはずだ。
それでもぽっかりと空いた空白は、友則の帰りを待ち望む編纂者たちの心を表しているようだった。




