衣の歌(雑歌 一)
次は雑歌。その名の通りこれまでの部立に入らないような、さまざまな歌の数々である。それだけに種類も多く内容も多様。しかし良歌として認められる歌が揃っている。
「さて、これこそ悩ましい。哀傷歌が特別視しなくてはならない歌とすれば、この様々な歌はまさに日常の歌。都の日々を表す並べとはどのような物であろうか?」
貫之は首をひねりながら浮かぶ言葉を口にしてみる。
「人々の社交、身近なのもから昇進の祝いなどまで」
それを聞いて躬恒も言葉を続ける。
「華やかな祭り、からかい言を言ってみたり、冗談を交わしたり」
「美しい物を人と共に愛でる喜びも忘れてはならない。……そう言えば月を愛でる歌が結構あるな。これは一つの流れにして並べたい」
貫之の言葉に躬恒も、
「他の自然を愛でる歌もその後に並べよう。過ぎ去る年月のあわれはその後にどうだろう」
と言う。
「月と、時と共に変化していく自然の後に行く年月を並べるのか。少し理屈っぽいが、悪くない」
「だろう? 時の流れは未来への希望も詠まれるし、一方で老いの悲しみも詠まれている。多少理に勝っても、その哀れさが情緒を誘ってくれるだろう」
これまでの並べの経験から躬恒も題だけにこだわらない、流れの重要性をすっかり理解していた。すでに貫之にとって躬恒の意見は友則や忠岑以上に頼もしいものとなっていた。
「そうだな。そういう流れを重視するとなると……。初めの歌は、むしろ具体的にものにまつわる歌などどうだろう?」
「確かに日常の歌の始まりに相応しいか。身近な物と言うと……やはり衣かな」
「衣は特別なものだしな。そうだ! 衣の歌なら初めは是非、織姫を連想させる歌が良い。そのほうが情緒が感じられる。たしか天の川を詠んだ歌があった」
わが上に露ぞ置くなる天の川門渡る船の櫂のしづくか
(私の衣の上に露を置いたのは
天の川を渡っている舟の櫂の雫なのだろうか)
「衣を濡らす雨を、天の川を渡る彦星の舟からこぼれ落ちた雫だと詠んでいるのだな。確かに衣の歌の中でも情緒があるな。それに上手い」
躬恒が感心すると貫之は満足そうに次の歌を示す。
「それなら次の歌も上手いぞ。衣を断つことと円居の席を断つことをかけている」
二人は夢中になって次々と歌を並べて行く。すでに友則や忠岑に相談などしていなかった。
「もうすっかり、そなたたち二人が撰者となっているな」
友則がそう笑うと二人はハッとして、
「いえ、我々などまだまだです。哀傷歌でさんざんお二人の手間をおかけしたから、ここで張り切っているのです」
と、躬恒が言い訳をした。
「いやいや。二人が自信をつけてこうして作業を進めるのは素晴らしいことだ。もう、我々の出番など無いも同然だろう」
友則がそんな事を言うので貫之と躬恒が顔を赤らめていると、忠岑が、
「そう二人を困らせるな、友則。それにお前には大きな仕事が残っているだろう? この編纂の中心はやはりお前だ。お前はこの歌集の序を書かねばならない」と言う。
「そうですね。この歌集ももうこれで十七巻目です。そろそろ序を書きはじめてもらいませんと」
貫之も友則が序文を書くのが当然だとばかりにそう言った。
「私は貫之が序を書いても良いと思っているのだが」友則はそう言うが、
「いいえ。撰者の中でいちばん御年長で位も高い友則殿でなければ、帝に奏上するこの歌集の序は書けません。物には確かな道理というものがあるのですから」
と貫之は言い切った。確かにこの和歌集は自分たち撰者に自由に任されている。位のない自分達に勅撰の重要な書物の編纂をすっかり任されているのは、それだけで特別な事なのだ。それだけ帝は自分達に斬新な物を求めていらっしゃる。
だが、たとえ歌集が斬新であっても、帝がお命じになって、国の政策として創られる歌集である以上、最低限の守るべき形式と言うものがある。貫之は友則の革新的な考えには賛成だが、そうした形式は帝に仕えるものとして守るべきだと考えていた。
「道理か。そうだな。なんでも変わったことをすればよいと言うものでもないな。貫之はそう言う所はしっかりしている。分かった。そろそろ私が忠岑の助けでも借りながら序文を書くことにしよう。その代わり部立の並べは二人に任せたぞ。しっかりやってくれ」
「お任せ下さい。こう言った以上は我々で良い並べを考えますから」
友則と忠岑は微笑みながら頷いた。貫之と躬恒の歌人としての成長を喜びながら。
貫之と躬恒は歌の続きを並べて行く。
「衣の歌が続いているが、ここに昇進の祝いの衣を贈る歌を加えて、昇進の歌を続けて並べよう」貫之は染められていない袍綾につけて贈られたと言う歌を並べた。
色なしと人や見るらむ昔より深き心に染めてしものを
(色が無いと人は見るだろうが
この衣には昔からあなたを深く思う心が染めてあるのです)
「藤原国経殿が中納言に昇進なさったときに、右大臣が詠まれた歌だな」
「新中納言へのご期待が現れた良い歌だな。他に昇進の歌がもう一つだ」
日の光やぶしわかねば石上ふりにし里に花も咲きけり
(日の光は藪の中でさえも分け隔てることなく、石上にも降り注ぐので
この古い里にも花が咲くのだ)
「位も七位で宮仕えも叶わずにいた石上並松が、石上と言う藪の様な古い里に暮らしていたにもかかわらず、突然五位の位に任ぜられた時の喜びの歌だな。友則殿にもこのような喜ばしい思いを、早く味あわせたいものだ」
貫之と躬恒はそう言って友則の昇進を祈った。もちろん自分たちもいつかはその後を追うことを夢見ての事でもあった。
この歌集が本当に人々に認められれば、いつの日にかは。
そんな思いが心によぎる。その時は間違いなく和歌はこの国の文化の中心となっているはずなのだ。
「昇進の知らせもめでたいが、宮中の祭もまためでたいものだ。この『五節の舞姫』を詠んだ歌など実に華々しい」
天つ風雲の通ひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ
(天からの風よ。雲で作られたその天への通い路を吹き閉じておくれ
そこを昇ろうとする天女の乙女たちの姿を
しばらく地上に留めておきたいから)
「これほど男心の素直さで、美しい五節の舞姫たちを詠まれた良岑宗貞殿が、後に御出家されて寺を建てられたのだから、人生とは分からないものだ」
躬恒は感慨深そうにそう言ったが、貫之は、
「だが、この方は出家して遍昭殿と名乗られた後も、歌人として素晴らしい歌を多く詠まれている。人の本質と言うのは出家しても変わるものではないのだろう。この方には美しい乙女を詠む心も、山の風情や美しい花を詠む心も変わらずに持っておられたのだろう。だから春の山や柳の美しさも詠んでおられる」と言った。
「そうだな。美しいものは、美しいか。人であれ、花であれ。でも私ならやはり舞姫が恋しいと思うがな。この歌のように」
五節のあしたに、簪の玉の落ちたりけるを見て、
誰がならむととぶらひてよめる
(五節の翌朝に舞姫が挿していたかんざしの玉が落ちているのを見て、
誰が落としたのかと尋ねた時に詠んだ歌)
主やたれ問へど白玉言はなくにさらばなべてやあはれと思はむ
(持ち主は誰かと尋ねても白玉は何も言わないから
それならば誰のものかは問わずに、愛しいと思う事にしよう)
「すべての舞姫が美しいのだ。持ち主が分からずともあの美しい舞姫たちが挿したかんざしから落ちた白玉なら、皆等しく愛おしい。やはり美しい乙女と言うのはいいものだ」
躬恒がそう言うと貫之は、
「それはよみ人の河原左大臣(源融)殿の事と言うより、君の感想のようだな」
と言って笑った。そして、
「私もかんざしの白玉を拾ったなら、この歌と同じ気持ちになるだろうがね」
と言い足した。美しい乙女の姿への憧れは、どんな男でも等しく持っている心なのであった。




