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心ぞともに(物名歌)

「物名歌の初めは敏行殿の含蓄ある歌から並べようか」


 友則はそう言って歌を懐かしそうに口づさんだ。それは貫之に物名歌を勧める時に、敏行が詠んで見せた歌である。句の中に『うぐひす』が詠み込まれた『心から花のしづくにそほちつつずとのみ鳥のなくらむ』と言う歌である。


「ああ、それを聞いて私も『かにはざくら』を詠み込む歌を詠んだのでしたね。『かづけども波のなかにはさぐられで風吹くごとに浮しづむ玉』と詠むと、早くて語調もいいと褒めていただけました」


 貫之もその時のことを思い出したようだ。


「貫之の歌も物名として言葉の詠み込みは自然で上手いのだが、敏行殿の歌には鳥に託した人の性の悲しさが込められていて、和歌としての情緒も長けている。物名を詠み込みながらこの情感の現れ方は流石敏行殿と言う所だな」友則はしみじみとした口調でそう言った。貫之も、


「そうですね。私は物名を景色に詠み込むだけで精一杯でした」と敏行の才に感心する。


「だが、貫之の歌は即興だったのだろう?」と躬恒は言ったが、


「いや、こういう歌は言葉の感覚の問題だ。長く考えたからと言って上手く紡げるわけでもないし。背景なら友則殿の方が優雅に詠んでいる」


 そう言って貫之が示したのは友則の、



    をがたまの木


  みよしのの吉野の滝に浮かびいづる泡をか玉の消ゆと見つらむ


 (吉野川の滝に浮かんできた泡を、玉が消えたと見ることだろうか)



 と言う歌だった。吉野の滝つぼに水の泡が浮かんでは消えるのを見て、美しい玉が消えた思いで見ているという山の中の滝の美しい風景に、泡『をか玉のき』ゆと『をがたまの木』を詠み込んである歌だ。


「それを言うなら貫之も艶のある歌を詠んでいる」



    さうび


  われは今朝 うひにぞ見つる花の色をあだなるものといふべかりけり


 (私が今朝初めて見た(薔薇そうびの)花の色は、艶っぽいものと言うべきであろう)



「け『さうひ』で薔薇そうびと詠みながらも『あだなるもの』という言葉がこの歌をただの物名にとどめずに、薔薇の花の赤い色が女の袴を思わせるような艶やかさを持っているように思わせる。物名歌でありながらどれほど艶やかな赤なのか色彩が目に浮かぶような歌だ」


「貫之は物名歌が得意ですからね。上手い歌が多い」躬恒がそう言うと貫之は、


「いや。実は友則殿も結構物名歌は多く詠んでいる。これは……女郎花が詠みこんでありますね?」



    をみなえし


  白露を玉にぬくとやささがにの花にも葉にも糸をみな


 (白露を玉にして貫こうと、蜘蛛が花にも葉にも糸をみな綾かけている)



「これは貫之の歌ほどの出来ではない。糸『をみな綜し』とは少々苦しい」


 友則は眉を寄せたが、貫之は、


「物名ですからね。多少言葉の苦しさは残りますよ。だがこの歌には秋の野の情緒がある。そう言う歌を友則殿はもう一つ詠んでいらっしゃった。こういう背景はお得意なのでしょう?」




  朝露をわけそほちつつ花見むと今ぞ野山をみな知りぬる


 (朝露をかき分けて濡れ細りつつも花を見ようと

  今は野山をみな巡り経て知ってしまった)



「山『をみな経し』りぬる。野山で女郎花を探し回ったから、すべての野山を巡り知ってしまったのでしょう? これは自然な上に歌の縁語になっている。さすがは友則殿と言ったところですね」と言う。友則は秋の野の表現が好きなようだ。


「……女郎花の歌で貫之に張り合う気は無い。何と言っても朱雀院(宇多上皇)の女郎花合の余興の折句ほどの歌は、とても詠めんからな」


 と言って友則は笑う。一通り女郎花の歌が詠まれ、歌の後の余興の席で貫之が詠んだ『小倉山峰立ちならし鳴く鹿の経にけむ秋を知る人ぞなき』と言う歌が、句の頭を詠むと女郎花となる折句であることに気づくと、上皇初め殿上人達が皆感心し喝采を贈ったのだ。あれで貫之は歌人の中でも殿上人達に一目置かれるようになったのだ。


「それをおっしゃるなら、もっと器用に言葉を詠み込んだ歌など有りますよ。この、紀乳母きのめのとの歌など器用としか言いようがない」


 そう言って貫之が示したの歌は、なんと言葉が四つも詠み込まれた物名歌だ。



    ささ まつ びは ばせをば


  いささめに時待つまにぞ日は経ぬる心ばせをば人に見えつつ


 (ほんの僅かに時を待つ間にも日は経ってしまった

  心遣いだけは人に見せながら)


「やや歌意が苦しいものの、い『ささ(笹)』め、『待つ(松)』、『日は(琵琶)』心『ばせをば(芭蕉葉)』が詠み込まれている。こんな歌はそうそう詠めるものではありません。それなのに語感は悪くない。これぞ才能が詠ませた歌と言うところでしょう」


「うむ。数が多ければ良いというものではないが、この歌は見事と言ってよいだろうな。少なくても私には詠めない」友則もこの歌には感心するしか無いらしい。


「貫之、お前でも四つ言葉を詠み込むのは無理か?」


 好奇心に駆られた躬恒が尋ねたが、


「ただ言葉を詠み込むだけなら不可能ではない。しかしそれを歌と呼んでいいものかどうか。特に強引過ぎる詠み込みは音の調子を狂わせ、語感を損ねる。この歌には語感にそう言う無理が無い。こんな歌はよほどの閃きが無ければ詠めないな。少なくともこの歌集に残すに値する歌は詠めない」


「ほう。ではこの歌は貴重な一首だな」


「まったくだ。三つ、詠み込まれた歌もあるがな」


 そう言って貫之が見せたのは兵衛の歌だ。



    なし なつめ くるみ


  あぢきなし嘆きな詰めそ憂きことにあひくる身をば捨てぬものから


 (味気ないことだ。嘆きを詰めて辛い事にあって来た我が身を捨てられずにいるのだから)


「あぢき『なし』、嘆き『なつめ』そ、あひ『くるみ』をば。この三つが詠み込まれながら、この歌は語感も歌意も自然にまとまっている。これも物名歌としては特別出来が良い歌と言っていいだろう。少なくても私には簡単には詠めそうもない」


 貫之がそう言うと躬恒も、


「二つとも女人が詠んだ歌だな。女は心の慰めに言葉遊びなども良くしている。紀乳母は陽成天皇の乳母だから天皇をお慰めするための言葉遊びも宮中で良く行っていただろう。その敏感に鍛えられた感覚が、こうした特殊な歌を詠ませたのかもしれない」


 と納得している。すると忠岑が、


「私も昔文使いなどして泉大将(定国)様の頂いた文を見せていただいたりしたが、女は高貴な方でもかな文字を使う。我々は漢字を使うから言葉もついついその意味から考えてしまうが、女は素直に音を書き表すからこうした音の言葉遊びに長けた人物が出て来るのかもしれない」


 というと、一同忠岑の言葉に感心する。確かに普段から漢詩や漢字に触れて言葉の意味を思い浮かべる男と、かな文字で言葉を音で考える女では発想に違いがあるかもしれない。


「やはり、かな文字にはまだまだ可能性があるな。言葉の音の技巧も、難しいながらも高められていくだろう」


 友則は感慨深そうに言う。貫之の詞書きを見て以来、友則は何かとかな文字のことを気にしている。そして貫之にかな文字に興味を持つようにと促すようになった。

 旅の歌の話の時には貫之も、友則が大袈裟に考えていると思っていた。だが、こうしてかな文字にこれまでにない魅力があることに気付かされると、貫之も興味を抱いてしまう。


 かな文字は女が歌を軟らかくするためや、文字を女らしく見せるためだけの物ではないかもしれない。歌が軟らかく人の想いを伝えるように、かな文字は何かをもっと軟らかく……この国らしく伝えることができるのかもしれない。

 貫之は友則に釣られるようにしてかな文字の可能性について考え始めていた。その友則は、


「この歌など特に高度だ。物名歌の最後はこの歌で締めくくろう」


 そう言って最後に僧正聖宝そうじょうしょうほうの歌を並べた。



    はをはじめ、るをはてにて、ながめをかけて、時

    の歌よめ、と人のいひければよみける


   (『は』から始まり、『る』を最後にして、途中に

    『ながめ』をかけて、時節にあった歌を詠め、と

     人に言われたので詠んでみた)


  花の中目にあくやとて分けゆれば心ぞともに散りぬべらなる


 (花の中に飽きるほど見ようと分け入って行けば

  心も花と共に散ってしまいそうだ)





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