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敏行の歌(夏~秋)

 紙なども整い、筆までもが新調されて古今集の編纂作業は順調に進んで行く。

 夏の歌は少なすぎるという事で、最後に躬恒がほととぎす以外の歌を詠んで、締めくくることにした。



    となりより常夏なでしこの花をこひにおこせたりければ、

    惜しみて、この歌よみてつかはしける


  塵をだにすゑじとぞ思ふ咲きしよりいもとわが寝るとこ夏の花


 (花が咲いたからには、塵すらも積もらせまいと思っている

  妻と私が寝るという意味の名を持つ、常(床)夏の花には) 



「なんとまあ、情熱的な詠み様だ。良くこんな歌を臆面もなく詠めるものだ」


 貫之は躬恒の歌を見て、感心したり、あきれたりしたような声を出した。


「まったくだ。こんな歌を寄こされた隣人は、閉口したことだろう」


 忠岑さえもそう言うと、友則までも頷いている。なぜなら躬恒の歌は、なでしこの花をいただきたいと隣人が手紙をよこしたのに対して、


「夫婦仲が疎遠にならぬよう、自分達は共寝する床に僅かな塵さえも積もらないように、いつも共にいるようにしている。そして妻をなでしこの名と同じくで愛しむのように愛し、二人で咲いた花を愛でている。常に妻と一緒に過ごしている床の名を持つ花を、差し上げることなど出来ません。この花は我が妻同様に大切にしているのですから」


 と言うような意味なのだ。常夏なでしこの花を、「でし」と、常と「床」、塵と「散る」を掛け合わせ、花と妻への愛情の深さを堂々と詠みあげた歌だ。こんな歌を受け取っては、相手はげんなりしたかもしれない。しかし躬恒は言う。


「いいのですよ。わざとこう詠んでやったのです。私の隣家は私の家よりだいぶ大きく、隣人の位も私より少し上なのです。だから私を見下して、我が家に良い草花があると知るやすぐに隣家の使用人がやって来ては、


『ウチの主人がこの家の草花を気に入りまして。ちょっとばかりこの花を分けていただきたいのです』


 といっては、遠慮なくごっそりと花を引きぬいて行くのです。私は庭作りが得意ですから、我が庭も小さいながら丹精込めて整えてあり、隣の家はあまり庭に世話を焼いていないらしく、広いわりには見栄えが無いんです。それを悔しがって使用人にわざと無礼を働かせては、花を盗んでしまうんですよ」


 それを聞いて貫之は憤慨した。


「それは嫌な隣人だな。そんな使用人は追い払ってしまえばいいのだ」


「まあ、私が家にいる時はいいが、問題は留守の時だ。向こうはこちらを見下しているから、使用人までずうずうしい。我が妻が断ってもしつこくやって来ては食い下がる。妻が我慢できかねて姿を現そうものなら、その姿や顔を一目見てやろうという魂胆なのだ。我が妻が身分のわりには器量よしであることに勘付いたらしい。だからこの歌を贈ったのさ。隣には一輪の花も遣る気は無いとね」


「成程。これは下手に文句を言うより効果的だな」


「だろう? これであっちは私の姿を見る度に、私と妻が毎夜どれほど仲睦まじくしているか思い知らされるってわけだ。隣家の使用人たちは私の顔を見かけてはうんざりした顔をして、私達に関心を示さなくなったよ」


「してやったりだな。歌人の知恵を舐めてはいけないと、胆に銘じたことだろう。それにお前の庭作りの腕は確かだ。もっと美しく整えて、見せつけてやればいい」


「いや。私の庭は狭いからすぐに整えやすいのだ。人に見せるようなものではない。だが私は満足だよ。小さくても美しい庭。身分低くても美しい妻。広い庭に盗んだ花を埋め尽くそうとする風流知らずには分からぬ幸せだろう」


 風流の素晴らしさを知る高貴な方々は少なからずいる。世間の和歌に対する評価も随分高くなってきた。それでも位にものを言わせることしか知らぬ者や、風流を楽しむ心を持てない者は、和歌や歌人を軽んじている。この歌を歌集に載せるのは、そういう風潮を高貴な方々に理解してもらうためでもあった。友則は躬恒に言う。


「人を軽んじる者は、やはり心が豊かではないな。豊かな心こそが文化を生み、国を発展させる力になる。帝や左大臣(時平)殿はそれを知っている。だから躬恒の行動は正しかったと思う。むやみに争いごとにせず、知恵を使って歌で切り返す。歌人はこうでなくてはならない。こういう事の繰り返しが、文化的な考えを持つことの大切さを人々に知らしめることになるだろう」


 歌人を軽んじるなと声高に訴えるのは簡単かもしれない。しかしそれでは世の中は変わらない。歌人は歌人らしく、知恵を持って和歌を人の心に届け続ければよい。和歌は人々の心に寄り添ってこそ、その価値を生かす事が出来るのだ。


 躬恒は夏の歌の終わりに、夏から秋へと変化していく風を詠んだ。



    みなづきのつもごりの日よめる


  夏と秋とゆきかふ空のかよひぢはかたへ涼しき風や吹くらむ


 (夏と秋が行き交うための、空にある通い路は

  片方だけに涼しい風が吹いているのだろうか)



 六月の末日。夏の最後の日である。暦はそうであってもこの日はまだまだ秋の気配を感じるのは難しい。それでも空のかなたでは、そろそろ秋風がやってきているはずである。その涼しげな気配を待ちわびながら見上げる空には、きっと夏と秋の季節が交差する、それぞれの道があるに違いない。そこに吹いているであろう秋風に寄せる思いを詠んだ歌だ。


「風は目に見えぬが……、きっと空高い所では秋が季節の道をたどってきているのだろう」


 躬恒の心には夏と秋の季節の道が、くっきりと分かれて見えるのであろうか?


「そう言えば高い山の山頂から秋や冬はやってくるな。真っ先に秋風がたどり着くのは山頂なのだろうか?」


 貫之はそう言うが、


「いや。季節は山からやってくるように思えるが、実はその向こうの空の上からやってくるように私は思うんだ。だから本当は夏と秋ばかりではなく、冬や春の通い路もあるのかもしれない」


 と、躬恒は御簾の向こうの空を見上げる。相変わらず今年の空は曇りがちで、今もどんよりとした雲が重くたちこめている。それでも歌人たちの歌の世界は美しい空の色を表していた。


「では、季節は通い路を行きかう男と言う訳だ。では女は何だろう?」と貫之が問うた。


「山は良く女に例えられるな。季節の訪れをいつも待っている。花も女……」


躬恒はそう答えるが、


「いやいや。もしかしたら都そのものが女かもしれぬ。鳥が訪れ、人が訪れ、季節が訪れるのを待っている」と貫之が言い返す。


「それなら地上にあるものはすべて女だ。そして……女は風を待っている。風が立たなくては季節はやってこない。季節を運ぶのはいつも風だ。風こそが男であろう」


「風が季節を運ぶか。では、秋の歌は風が立つ歌から始めよう。私は亡き敏行殿の歌を最初に並べたいと思う。普通風が運ぶ季節は春と相場が決まっているが、あの方は風に秋の到来を感じる感受性をお持ちになっていた。……素晴らしい感性であったと思うよ」


 貫之の言う敏行の歌は、風の音に秋を感じるという歌である。



    秋立つ日よめる


  秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる


 (秋の到来は目にはっきり見えるものではないが

  その風の音にはっとさせられ、気づく事が出来るのだ)



「ああ、本当だ。このような感性は敏行殿独特であった。我々はこのような方と歌を詠み合っていたのだな」


 躬恒の声には何か懐かしむような響きがある。敏行が亡くなってからまだ三年しかたっていないが、友則が敏行の亡くなった直後に哀傷歌を詠んだ時のような生々しい悲しみはすでにない。そんな強い感情は癒やされ、心を激しく乱すことは無くなっている。しかし、こうして故人をすでに懐かしく思うようになってしまった悲しみはいまだに皆の心に残っている。こうして歌を目にすると、まだ敏行がどこかで歌を詠んでいるような気がしてしも、敏行はこの世の人ではないのだ。


「敏行殿は秋の歌を多く残されましたが、是定親王家の歌合での歌は良い歌が多い。私はあの歌合が初めての大きな歌合であったし、あのとき初めて和歌の世界の怖さと言う物も知った。それほどまでにあの歌合は優れた歌が多かった。あの日が無ければ今の私は無いのです。どの歌も感慨深いが、あの日敏行殿が詠んだ歌はすべて思い出深く心に残っています」


 貫之はあの日の思い出に浸った。敏行の歌は優雅であるのはもちろん、その自然美への情感を景物以上に美しく詠みあげる心豊かな歌であった。



  秋萩の花咲きにけり高砂の尾上をのへの鹿は今や鳴くらむ


 (秋の萩の花が咲いた。高砂の丘の上の鹿は

  今頃鳴いているのだろうか)


 高砂に尾上と呼ばれる丘があるかどうかはわからない。だが、秋の萩が咲き乱れる中で美しい鹿が丘の上に立ち、その花を愛でながら鳴く姿は、鹿の声が聞こえそうな秋の風情が漂う美しい世界だ。また別では花の香りと薫香を思わせる歌、



  なに人か来てぬぎかけし藤袴ふぢばかま来る秋ごとに野辺をにほはす


 (どんな人が来て脱ぎかけて行ったのだろう。この藤袴は

  秋が来る度に野辺に香りを漂わせているではないか)


 自分のために香をたきしめた袴を脱ぎかけていた人はもう来ない。それなのに野辺には秋が来る度に藤袴の良い香りが漂っている。一体どのような人であろうか? 秋が来る度に野辺を愛し、藤袴に良い香りを与えているのは。秋を人に見たて、別れた恋人の薫香を思い出させる香りを懐かしむ、少し物悲しい秋に良く似合う歌である。


 かと思えば、景物が見えぬ暗闇を鮮やかに詠んだ歌もあった。



  わが来つる方もしられずくらぶ山木々の木の葉の散るとまがふに


 (自分が来た方角も分からなくなるような暗い山。くらぶ山。

  木々の木の葉が散ってますます惑わされてしまう)


 真っ暗で見えないといいながら、秋の木の葉の散る様を詠んでいる。暗闇の中に浮かぶ鮮やかな紅葉が妖艶な色を思わせる歌である。

 敏行のこの非凡さが友則や忠岑を育て、貫之や躬恒の才能を見出した。その敏行の歌もこうして歌集の中で、これから永遠に生き続けようとしている。


 良い歌を、より、美しく。


 貫之達は敏行の思い出に浸りながらも、他の名歌も共に引き立てられるように、真剣に並べていく。この素晴らしい歌人の名が、少しでも長くこの世に残ることを願って。




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