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春の残り香(夏歌)

 古今集の編纂は夏の歌の並べに入っていた。躬恒が何となく物足りなげに言う。


「夏の歌は景物が少なく、選ばれた歌も少ないな」


「昔から『春秋あらそい』が行われるほど歌の情緒には春と秋が相応しいとされているからな」


 貫之も相槌を打った。

 

 多くを農耕に頼るこの国では草芽吹く春と、豊穣をもたらす秋はさらに遠い昔から人々が特別に思って来た季節と言う関係もある。だが万葉の昔ならともかく、畳の上で歌を詠む都人に農耕民族の感覚がどれほど沁みついているかは定かではない。それでも長く草木と共に寄り添って生きた先祖の心がどこかに残っているのだろう。


「我々の感覚は草花や山の木々、鳥や虫達と共に養われてきた。自然と始まりの春と実りの秋に歌心は動かされる。歌もそんな季節の方が生まれやすかろう」


 貫之はそう言うが、それはこの国の四季がとてもはっきりとしているせいでもある。春と秋は過ごしやすく穏やかな季節であるのに対して、夏の暑さと冬の寒さは厳しい。


 都を見守り神仏のおわす所でもある山々は、人々の心寄せる場所であり歌の景物にも欠かせない場所なのだが、冬の寒さは大変に厳しかった。だから冬の歌は遠い山々を思い浮かべる空想の歌や、都にあわれをもたらす雪の歌が多い。和歌とは本来、心情の吐露や心の情感を詠むものなので、厳しい寒さの中では景色を詠む余裕が薄れてしまう。

 ましてや貴族たちの求める最近の優雅な歌を詠むには、現実的な身体的苦痛を訴えるなど情緒の欠片も無い事だった。それはもちろん夏の暑さでも同じことだ。


 特に都の暑さと言うのは壮絶を極めた。もともと湿地帯であった場所に開かれた都である。その暑さは湿度を帯びた不快感を多く伴うものだ。都の文化はそんな夏の暑さを考慮して造られていると言ってもいい。寝殿造りの建物は最大限に通気性を確保された造りになっている。冬は冬で底冷えの激しい地なのだが、はっきり言って冬の寒さよりも夏の蒸し暑さをやり過ごす事の方が重要。それほどに夏の都は暑いのだ。

 邸の庭を広く取り、遣り水を流し、木々を植えて木立を作り、建物の床を高くし、格子を開け放てば遮るものは少なく、大きな檜皮葺ひわだぶきの屋根が建物を蓋う。こうした工夫は都の暑さ対策から生まれている。


 それでも夏の暑さは都人の頭をぼうっとさせ、汗をかき、身体を疲弊させ、白くあるべき肌を焼いてしまう。庭や山の色合いもやや単調になる。身体的苦痛のほかに美観の趣も少なくなる。

 貴族の威厳を示し、重要な財でもあり、身の穢れを払ってくれる大切な衣も、夏は身にまとうのが暑苦しい。夏は優雅さに欠ける季節なのだ。暑いなどと身体の苦を訴える歌などまったくもって情緒が無い。夏は耐える季節なので心を言葉に紡ぐ歌には向かなかった。だから詠まれる景物はほととぎすや夏の短い夜、月のあわれぐらいなもの。


「どうしてもほととぎすの歌が多いな。歌が少ないうえに景物もほとんど同じ。これは並べるにも春とは違う気遣いが必要だな」


 貫之は歌の書かれた紙を広げたまま睨んでいた。春の歌は数が多くて迷わされたが、その分物語性を帯びさせながら並べやすい面もあった。今度は歌の数が少ない分、歌を生かした並べ方が難しい。


「初夏を待ち、ほととぎすの鳴くのを待つ春の終わりに、やがて来る五月雨の頃、ほととぎすの初鳴きを聞いてその声の盛りを味わう。それも終わってしまえば短い夏の夜の情緒。大まかにはそんな流れになるな」


 躬恒が紙に書かれた歌をまとめながらそう言う。貫之も頷いた。


「やはり最初の歌は季節遅れの桜を詠んだ紀利貞きのとしさだ殿の歌で決まりだろう」


 躬恒が手にした歌は、



    卯月うづきに咲ける桜を見てよめる


  あはれてふことをあまたにやらじとや春におくれてひとり咲くらむ


 (あわれ深いという言葉を他の花木に贈らせるものかと思って

  春が終わった後に遅れて一人咲いているのだろうか。この桜は)



 と言う、かけ詞を匠に効かせた面白みのある歌だった。晩春とも初夏とも言い難い季節の変わり目を詠んだ歌だ。友則と忠岑もこの歌が夏の第一首目で異存はないようだ。


「待ってくれ。確かにこの歌も良い歌なのだが、あまりにも繋がりが良すぎる気がする」


 皆が納得しかけた所に、貫之は異を唱えた。


「良すぎる?」


「そうだ。春を惜しんだ後に思い出したかのように遅れて咲く桜の歌は、理にかなった並びにはなるがあまりにすんなりと時が流れ過ぎる。ここはむしろ藤を詠んだ古歌の方が良いんじゃないかと思う」


「すんなりと時が流れ過ぎるか。そんな事は考えなかったな」


 貫之の意図が分かりかねて躬恒は首をかしげた。貫之は説明を重ねた。


「季節の変わり目は微妙なものだ。特に春から夏は難しいと思う。夏から秋へは待ち焦がれた秋風に誰もが敏感になるし、秋から冬は美しかった紅葉が散り落ちれば景色は一変し、鮮やかに季節が変わる。冬からは変化も美しく暦なども教えてくれる。しかし夏の始まりは花々も入れ代わりに咲き、初夏の暑さを感じたと思えば、すぐに五月の長雨となってしまう」


「確かにそう言われると春と夏の境目は難しい感じがするな」


「最初の歌はやはり夏の一番有名な古歌が良いと思う。この古歌は柿本人麻呂かきのもとのひとまろが詠んだかもしれないと伝えられる名歌なのだし」


 貫之はそう言って一枚の紙を手に取った。



  わがやどの池の藤波咲きにけり山ほととぎすいつか鳴かむ


     このうた、ある人のいはく、柿本人麿がなり


 (我が家の池のほとりに植えた藤が咲いた

  山にいるほととぎすはいつここに来て鳴いてくれるだろうか)



「この判然としない季節の変わり目を表現するには先に爽やかな藤の花を詠み、ほととぎすを待つ心を伝えてから遅れて咲いた桜に過ぎ去った春を思う方が、時の経過を伝えやすいと思うのだ」


 貫之はそう熱っぽく語る。


「初夏を感じるからこそ、過ぎ去った春を遅れた桜に思い出すという訳か。そう言えば春の最後の歌の前には藤の花に付けられた在中将(業平)殿の歌が並んでいる。一首置いての藤繋がりで、それにもかかわらず季節は春から夏に変化している。この微妙な時期を表すには面白い方法だな」


 躬恒も貫之の感性に惹かれてきた。ちょっとしたことだがこの並びを見た時にこの歌から受ける感覚は結構異なってくるだろう。


「だが、この歌は冒頭にするには古風すぎる気もするが」


 それでも躬恒は少し躊躇を見せたが、


「いや。そのすぐ後に利貞の歌を並べると、双方の歌が引き立つ。古風でやや素朴な歌の後に続く雅やかで面白みのある、技巧的な歌。この一連の流れは奥深い情緒を感じる事が出来る。そうでなくても夏の歌は少ないのだ。このくらい凝ったことをしてもいい」


 と、友則が賛成をした。少ない名歌だからこそ、その良さを最大限まで引き立てたい。それは撰者たち全員の思いでもあった。


「しかし不思議だ。こうして並べると香りの強い藤の花から初夏の香りを感じるよりも、香りの無い遅れて咲く桜に『春の残り香』の様な物が感じられる。藤の香りはあんなにも甘いものなのだが」


 忠岑がそんな感想を述べた。


「これこそ組み合わせの妙なのだな。藤を思い浮かべた直後だからこそ、遅れて咲く桜の存在に去って行った春を甘く思い浮かべる。過ぎ去った物への郷愁が無いはずの香りさえ感じさせるのだろう」


 友則も感慨深げに言う。貫之も、


「これぞ、『あまたにやらじ』という自己主張の強いこの歌の特徴でしょう。我々もまんまとこの桜を詠んだ利貞殿の術中にはめられているわけですね」


 と苦笑いすると、


「違いない」と躬恒が言ったものだから、その場は皆で大笑いをしてしまった。



 貫之達は初夏の歌を選んでいたが、実際の季節はもう少し進んでいて五月終わり、水無月に入っていた。だが、その年は何故か早くに始まった五月雨がなかなか止まない。その五月雨も本来ならしとしととうっとうしく降るのが例年通りなのだが、今年の雨はやたらに強く降り続けていた。真夏の夕立ちを思わせるような豪雨が何度も起こり、雷鳴も相変わらず頻繁に聞こえていた。


 貫之が御文庫に行く前に御書所に顔を見せると顔なじみの役人たちに、


「大丈夫ですか? 病などの兆候はありませんか? 僧から護符でも頂いてまいりましょうか?」


 と心配された。


「何ごともないが」


「他の編纂者たちも息災なのですか?」


「ああ。何をそんなに心配しているんだ?」


「去年の今頃は帝が道真殿の祟りで病になり、その後貫之殿の母上も亡くなったではありませんか。皆噂をしているのです。次は貫之殿達編纂者に何ごとかが起こるのではないかと」


「我々のような卑官の身に何が起こるというのか。怨霊とはいえ道真殿の目の端にも我々など入らないだろう」


 貫之は笑って否定した。そもそも道真がそのような怨霊となった事さえ信じられなかった。


「それなら良いのですが。編纂者は帝の御寵愛が深すぎて色々な人から不快がられていると聞きます。内裏では殿上人達の視線もかなり冷たいと聞いていますし。辛い思いをしている上に道真殿の怨霊騒ぎ。困った事でもあるのではないかと」


 御書所は卑官の勤め場所。ともに仕事をしてきた仲間たちも皆官位は低い。そんな中で貫之は彼らの誇りでもあった。その貫之の身を皆が案じてくれていたのだ。


「ありがとう、大丈夫だ。私達はいつもこもりっきりで作業しているから、外の話など聞いている余裕は無いのだよ。だから何を言われようとかまわない。それほどやりがいのある、素晴らしいお役目なのでね。ここも忙しそうだが」


「正直、忙しいです。去年の流された橋の修理も終えぬうちに毎日のようにこの大雨ですから。仕事を急ぐようにとの催促や、大雨で滞っている様々な事の対策を書かされていますよ。雨が止んだら一層忙しいのでしょうが……。このままでは造りかけの橋などもまた水に流されるのではないかと、皆心配しています」


 天候の乱れは天子である帝の素行によって起こると言われている。まして今の帝は道真の怨霊に祟られている。それがまた都に不吉な風をもたらすのではないか。


 皆公の場所なので口にこそ出しはしないが、内心ではそう思っているのだろう。その帝の寵愛を受けている貫之達にも禍があってもおかしくないと考えられているようだった。


「大変だろうがこういう時だからこそ、公務はしっかりとこなさなくてはなるまい。私も編纂のお役目の責任も重さをかみしめている。皆も頑張ってくれ。私達は大丈夫だから」


 貫之も皆の心配が嬉しかった。内裏内での貫之達への視線は相変わらず冷たい。いくら閉じこもって作業していると言っても、その空気が分からないという訳ではなかった。

 それでも帝からの信頼は貫之達の大きな励みとなったし、何と言っても編纂作業のやりがいは大変に深い物がある。この役目は間違いなく生涯自分たちの誇りとなるものになる。


 だから殿上人達の冷たい視線など、ずっと気に留めぬようにしてきた。それでもやはり殿上を降りれば、こうして気にかけてくれる仲間たちがいるのだ。貫之は心温まる思いで御文庫に向かった。





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