一首目の歌(春歌 上 一)
「春の背景の流れとなると、やはり万葉集のように詠題を決めるのが良いだろうか?」
忠岑が万葉集を手に取りながら聞く。二十巻ある万葉集の前半十巻は四季の雑歌と相聞歌が収められているが、詠題ごとにいくつかの歌がまとめられている。春の雑歌には「鳥を詠む」「雪を詠む」「霞を詠む」と言った具合だ。そして大まかではあるが所々の歌の配列が季節の流れを表していた。
「いや。詠題は決めない方が良いだろう。例えば桜が咲いたことを喜び、その美しさを讃え、散ってゆくことを恐れ、やがて散った姿を惜しむ。惜しむ一方で藤や時鳥を待つ心も詠まれてゆく。そのように時の流れによる季節の変化を細やかに表して行くのが、一番自然だ」
友則の言葉に忠岑も同意する。春は背景となる詠題も多く、細やかに配列すれば季節の変化を詳細に表す事が出来そうだ。
「細やかなのもいいが、もっと大きく捉える事もできそうだ。春が訪れる喜びから、盛りに向かい美しさを増して行く様子。やがて春の終わりを惜しむ哀愁……」
躬恒が心で季節を追うように目を閉じ、口づさんだ。
「春が生まれ来て去って行くまでを、和歌で追って行くかのようだな。あわれ深い」
貫之も心の中で春の移ろいを追っていた。感慨深い思いに駆られる。
「生まれてから去るまでか。人の一生にも例えられるな。それなら歌集全体に人生を映して見るのはどうだろう?」
友則が思いついたように言うと、他の者たちも即座に「それはいい」同意した。
「和歌はこれまでも恋の情緒が中心であったが、これは人生の始まりから恋の花を咲かせるまでの間が人生の春を……人の盛りを彩っているからだろう。人は喜びや悲しみを知り、時には旅立ち、心を豊かに育て、やがて恋を覚え、恋に生き、恋を失い、いずれ死別を迎える」
友則はそう言いながら和歌を書いた紙の束を春夏秋冬のほかに、
「人生の喜び……それは賀であろうか」
と言って、賀に詠まれた歌を分けていく。
「そして大切な人との別れに悲しみを知る」
貫之が様々な離別の歌をより分けていく。
「死別は別にしよう。これは人生の終焉だ。終わりの方で良い」
そう言って忠岑が紙の束をさらに分けた。
「別れを惜しんだ後は、旅立ちの歌が似つかわしいかな?」
躬恒が旅の歌を分けて束ねる。
「遊び心も大切だ。人生の慰めになる。これは……物名と言ったところか」
貫之が物名の歌を分けた。すると躬恒が、
「心豊かになった頃に、恋が訪れる」 と物名歌の束の隣に恋の歌の束を置く。
「そして、現世との死別を悼む歌。哀傷歌」貫之がさらに隣に紙の束を添えた。
「これで人の生涯になぞらえる事が出来るな。残りは『雑』として、長歌や宮中の歌なども別に分けよう」
友則がそう言って残りの紙の束を分けると、全体の流れがつかめた。
「最初に四季の歌を季節の順に並べましょう。四季の流れは人生の流れを序章のように伝えてくれます」
貫之の提案に皆も納得した。何と言っても和歌の心は人の心情を季節や自然と共に詠むことにある。四季に人の生涯を例え、歌集全体の序章のようにするのはいかにもふさわしい。
「さて。そうなると古今集の記念すべき初めの歌が問題だ。この歌集は帝の詔により、左大臣様が後押しをして編纂しているわけだが……。せっかくの美しい並びの初めに不自然に左大臣様の歌を載せたり、帝を褒め称える言葉を記すのは気が進まないな」
躬恒がそんな事を言うと、貫之は、
「まったくお前は正直だな。遠慮が無い事を言う」と苦笑した。
「いや。躬恒の言うとおりだ。いくらこれは帝直々の編纂とは言え、この歌集は後の世の人達のための物と我々は決めている。そこに左大臣様に媚びるよな真似をするべきではないはずだ。左大臣様もそのような事は望まぬはず。帝については漢詩同様に序文にてその徳の高さを賛美するのが良いだろう」友則がそう言って提案する。
「ああ。確かに勅撰の漢詩集には、『凌雲新集』『文華秀麗集』『経国集』のいずれにも序において帝が聖帝であらせられる事が書かれていた。序文による賛美は詩集に劣らぬこの和歌集に相応しい」忠岑がそう言うと皆も賛同した。
「そうなると最初の歌はやはり初春の歌……立春が相応しいな。これはどうだろう?
春霞立てるやいづこみよしのの吉野の山に雪は降りつつ
(春霞が立っているというのはどこの事だろう
吉野の山にはまだ雪が降り続いているのに)
春が立つという意味でも相応しいが、雪深い吉野の山から都の春を思い浮かべているのは、いかにも早春らしい」
忠岑が春の歌の束の中から早春の古歌を詠みあげた。
「雅やかさではこちらも悪くないぞ。
雪のうちに春は来にけり鶯のこほれる涙今やとくらむ
(雪の降る中にも春はやって来た
冬には都よりも寒い谷間に潜んでいるという鶯の
凍りついてしまった涙も今は溶けたであろうか)
これは二条の后、藤原高子様の御歌だ。雪の中の春の歌としては、こちらも早春らしい」
友則が別の歌を取り上げる。第一首目が清和帝の后の歌となれば華やかであろう。
「しかし、雪の谷間とはいえ鶯が早々に出てしまうのも……」
と忠岑が首をひねっている所に躬恒が別の歌を差し出した。
「これ、これこそ本当に始まりにふさわしい歌ですよ。この歌集を物語のように捉えるというならこれしかありません!」
躬恒は自信満々にその歌を差し示した。歌には詞書きも添えられていた。
ふる年に春立ちける日よめる
年のうちに春は来にけり一年をこぞとやいはむ今年とやいはむ
(この年は年が変わらぬうちに立春がやってきてしまった
これまでの一年を去年と言おうか、今年と言うべきか)
「ほう、在原元方殿の歌か。年の明けぬうちに立春がやってきてしまった時の歌だな。暦の巡り合わせで稀に起きることだが、これ以上早い立春は無いであろう」
忠岑は興味深げに歌を繰り返し詠んでいた。
「うむ、面白い。それに繰り返し言葉も遊び心があって、印象的だ。これが第一首か」
友則も忠岑の繰り返す歌を聞いてそう言った。
「何より明るい。すべての始まりに相応しいです。躬恒は良い歌を選んだと思います」
これには貫之も躬恒に賛辞を与えた。すると躬恒は、
「ありがとう。君のその気持ちに応えて、この歌には君のこの和歌を並べて欲しい」
そう言ってもう一枚の紙を差し出した。そこに書かれていたのは、
春立ちける日よめる
袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ
(夏に水をすくったために浸り
濡れてしまった袖が冬には凍っていたのだが
立春を迎えた今日の風がそれを溶かしているだろうか)
と書かれた貫之の歌だ。
「この歌は袖とか結ぶとか断つ(立つ)とか衣にかかわるかけ詞が、衣を新調する年の初めに相応しい。それに夏に涼を求めて濡れた水が冬に凍って春風に溶けるという、立春らしさの中に一年の時の流れや季節の移ろいを詠んでいる。いかにもこの歌集に相応しいじゃないか。二首目は是非この歌を選びたい」
そう言って躬恒は貫之にニッと笑って見せた。
「おや? これは貫之は躬恒に自分の得意な歌並べを奪われたようだな。躬恒は心にくい事をする。躬恒の言う通り、最初の二首はこの二つしか考えられなくなってしまった」
友則はそう言って笑っている。忠岑もやはり頷いている。ここは躬恒の見事さを貫之も認めないわけにはいかなかった。
「これは躬恒にしてやられた。二首目が私の歌と言うのは気恥ずかしいが、ここは躬恒の言うなりになりましょう」貫之は降参したが、躬恒はさらに言う。
「言うなりついでに、もう一つ提案がある。ここはたまたま私が上手いこと思いついたが、やはりこういう事は貫之が一番向いている。これから良い並べを考えると言っても、やはり自然になじませるには難しい事も多いと思う」
「確かにな。そうそう流れに都合のいい歌ばかりと言う訳じゃなさそうだ」
「だからこう言うつなぎの歌は、貫之が詠むのが良いと思う。貫之はそう言う歌が得意そうだ。桜を折る歌の並びに気が付いたのも貫之だったし」
「つなぎの歌か……。なかなかに難しそうだな」
「だが、お前に拒否はさせないぞ。こんな面倒な部立を言い出したのはお前なんだ。しっかり責任は取ってもらう」
「だが、それでは一層、私の歌ばかりが増えてしまいます」
貫之は友則と躬恒の方を向いてそう言ったが、
「私に助け船を期待しても無駄だぞ。躬恒が言うには君は拒絶できない責任があるそうだから」
と友則は笑うばかり。忠岑は、
「そうそう。それに口ではそう言いながら、貫之の顔には『歌をつなぐ歌を詠むなんて珍しいことを、やってみたくて仕方がない』 と書いてあるぞ」
とニヤニヤしながらからかっている。貫之も逸る思いを顔に隠せずにいる自覚があった。
「皆、どうしてそろって私に多くの事をさせたがるんでしょうね?」
貫之はややあきれたような口調でそう言ったが、友則は、
「それだけ君の才能に期待しているのだ。君の発想からどんな歌集が生まれて来るのだろうと、皆が心を躍らせているのだ。帝も時平殿も見る目があると思う。君を漏らすことなく撰者に選んだお二人に私は感謝するね」
と満足そうにしていた。すると躬恒も、
「まったくだ。今ではお前なしでは編纂作業は考えられない。友則殿、もっと貫之をおだててその気にさせて下さい。きっと素晴らしい歌集が出来上がりますよ」と友則をあおる。
「おいおい……」
貫之は苦笑していたが、それでも和歌の書かれた紙の山を前にして、心がかき立てられる思いを抑えられずにいる。この多くの和歌からどのような素晴らしい歌集が生まれ出て来るのであろうか……?
その流れでしばらくは春の雪と鶯にまつわる歌が並べられた。春と言っても早春の歌にはまだ雪が良く歌われる。だから春に鳴く鶯の声は待ち遠しい。春を呼ぶ鶯の声。その声が聞こえなければ春の実感の無さを嘆く歌。春風や花の香りで鶯を誘い、春を呼ぼうという歌。そしてようやく鳴き続ける鶯に春到来の喜びを感じる。
野辺近く家居しせれば鶯の鳴くなる声はあさなあさな聞く
(野辺の近くの家に住んでいるので鶯の鳴く声を
毎朝、毎朝、聞いて過ごしている)
この古歌を見た貫之の手が止まり、何か物思いにふけってた。
「その歌がどうかしたか?」と躬恒に聞かれ貫之は、
「ああ、いや。私の家は野辺に近くは無いのだが、この歌のように今年は母と共に毎朝鶯の声を聞いていたのを思い出した。母は一緒に声を楽しもうと言っていたが、私は母がすぐに元気になると思って、ろくに返事もしなかった。早く元気になるようにとその後若菜も多く摘んだのだが、鶯の声も若菜も、母とは最後になってしまったな……」
そう言いながら貫之は、四季の歌を選びながら母との思い出に浸ることになるだろうと感慨深い思いに駆られた。
「次は野辺で摘む若菜摘みの歌を選ぼう。春の訪れを喜び、大切な人の長寿を願う心を後の世に残せる歌を」
残したい思いは多くある。この歌集はどれだけ「やまとうた」の優しい心を後の人達に伝える事が出来るであろうか?
そう思いながら貫之は、一つ一つの歌を丹念に味わい、選び、並べていった。




