長歌
帝は万葉集に載ることの無かった古歌の名歌を集めた「続万葉集」の編纂を、正式に詔として貫之達に命じた。友則は風流人のつてを頼りに、忠岑は主人の定国を頼って様々な古歌を集めて行った。そして十分に古歌が集まると貫之や躬恒を加え、膨大な数の古歌の選別を行った。
藤花の宴の少し前。貫之達はようやく選別を終えたところだった。後は自分達の歌や長歌を添えればよい。大まかな形が出来上がりホッとしていた所に忠岑が、
「申し訳ない。創りかけのこの歌集を我が主人がとても見たがっておられるのだが。高貴な方々へ奏上する前に、我が主人に感想を頂いてもかまわないだろうか?」
と聞いてきた。
「おお。泉大将(定国)様は忠岑殿の歌才にいち早く気付かれたほどの歌の撰者。むしろ帝のお見せする前に御感想をいただけるのはありがたい事だ」
友則はそう言って賛成する。貫之や躬恒も同意した。そこで四人は定国の邸へ草稿中の歌集を手に訪ねて行った。
定国の邸には定国のほかに若い客人が二人いた。
「これは我が弟、藤原定方と、従弟の藤原兼輔殿だ。二人とも若いが歌に関してはなかなかに良い物を持っている。私が続万葉集の草稿を見せてもらえると自慢したら、二人とも是非にとねだってな。二人の我儘を聞いてもらえないだろうか?」
定国は決まり悪そうにそう聞くが、どうしても若い二人は草稿を見るつもりらしく、目をランランを輝かせている。
定方は貫之より少し若い感じで、おそらく三十路前。和歌は兄定国の影響を強く受けたのだろう。詠むよりも鑑賞に興味が深い方で、管弦が得意である事でも有名だった。
もう一人の客、兼輔は定方よりさらに若く、二十代半ばぐらいに見えた。こちらは若い高貴な方としては歌も巧みで、詠むも鑑賞するにも優れていると最近評判になっている方だ。
「これは……。大変な方々が御集まりで。草稿の下見と油断いたしました。紙などもまったく粗末な物でして」」
何の装飾も無い紙に、ざっと書きつけただけの草稿なので、四人は戸惑ってしまった。友則は忠岑を睨みつけているものだから、忠岑も困り顔をしている。
「そう、気にする事は無い。草稿だからこそ見ごたえがあると言うもの。何より帝にお見せするものを、帝より先に拝見出来るのだから贅沢の極みです。さあ、もったいぶらずにそれを見せて下さい」
見るからにおおらかそうで、一番若い兼輔が明るくそう言うと、何故か場の雰囲気がとても砕けた。人柄なのだろう。若くとも彼の前では何もかもが許されてしまいそうな慕わしさが感じられた。友則が草稿を差し出すと、三人は食い入るように読み始めた。
「流石に素晴らしい名歌ばかりだ。帝は実に良い撰者を選ばれた。昔の素直で実直な詠みぶりから、だんだんと雅な技巧へと歌が変化していく様子など時の流れが目に見えるようではないか」
定国は満足そうにため息をついた。若い二人も、
「こうして古い歌が変化して行くのを見ますと、どのようにして今の歌が生まれたのかが良く分かりますね。今では様々な物が投影されて詠まれるのが和歌の主流になりつつありますが、古い歌の心情の吐露が、だんだん背景に心寄せるようになったからこそ、そういう技法が生まれたと知る事が出来ます」
と、感慨深そうだ。
「皆様からのお褒めの言葉にホッとする思いでございます。これならば安心して帝に奏上できそうです」
忠岑は嬉しそうにそう言った。これほどの人々に評価されたのだから本当に安心出来ると言う思いと、自分の主人とその身内に喜んでいただけたので、明るい気持ちになったのだろう。
「胸を張って奏上すると良い。この、諸行無常の世の中でも、こうして古歌をよりすぐることにより、こうも美しく和歌世界の時の流れを記す事が出来るとは。歌集編纂を思いつかれた帝の御心も素晴らしいが、こうしてそれを記すそなたたちの才能も素晴らしい」
定国はもう一度草稿を見返しながらそう言ったが、そこで貫之が、
「時の流れや変化を捕えるのに、私はこの歌集に添える目録と共に奏上する序の長歌にもう一工夫を凝らし、より見ごたえのある物にしたいと思っております」
「ほう。それは面白そうな。その序の長歌はここには書かれていないが」
「ええ。それはこれから書き添えますので。大体はこの歌集が創られた経緯を書きますが、詳しい事は帝に奏上してからのお楽しみでございます」
貫之はそう思わせぶりに笑った。
こうして延喜二年(九〇二)三月二十日。帝の女御である穏子の住まう、宮中後宮の飛香舎(藤壺)にて行われた藤花宴にて「続万葉集」は奏上された。この宴は入内の折には様々な理由から特別な華やぎも無く後宮に入らなくてはならなかった穏子のために、時平が盛大に行う宴であった。だからこの宴は女御の私的な物ではなく、左大臣時平によって公式に行われた和歌の宴である。これは後宮にて行う初めての公式な和歌の行事なのだ。帝の詔による和歌を奏上するには最適な場であった。
この奏上にあたって貫之は序文の長歌を詠みあげたのだが、それは画期的な序文であった。
「ちはやぶる 神の御代より くれ竹の……」
初めはごく普通の長歌だった。
「春霞 思ひ乱れて……」
春の思いが詠まれる。ついで、
「五月雨の 空もとどろに……」
五月の長雨が詠まれる。
「山ほととぎす 鳴くごとに……」
今度は夏のほととぎすだ。
「龍田の山の もみぢ葉を……」
もう、誰もがはっきりと知った。これは四季を表している。さらに長歌は、
「帝の長寿を祈り、燃えるような思い、悲しみの別れ、死別。そんなもろもろの思いが籠った歌を集めたが、自分たちの短慮では何か優れた歌を書き漏らしたのではないかと心配している」
と言う内容だった。そしてそれはこの歌集が、「四季」「恋」「哀傷」の順に並べられていることを示していた。これはこの歌集が「続万葉集」と名づけられているからだ。
万葉集は三つの部立(分類別け)がされていて、「雑歌」「相聞」「挽歌」に分かれている。雑歌は様々な歌で四季の歌もこれに入る。相聞歌は男女が贈り合う恋の歌。挽歌は哀傷歌の事である。この歌集もそれにならっていることを示している。
そしてこの長歌の通りに、「四季」は春夏秋冬の順に並び、「恋」は富士の高嶺に寄せるような憧れに始まり、燃えあがる思い、そして別れの涙の歌へと移って行く。そして人生の終焉を悲しむ心を歌う哀傷歌によって、歌集は締めくくられる。ただ部立されただけではない、集められた歌に一連の時の流れを持たせてあったのだ。これは歌集として画期的な事であった。
「おお、これはなかなか良い気配りだ。分け方が万葉集よりずっと細やかだ。この部立により、歌集の歌一つ一つの味わいが増している。それに貫之と忠岑が献上した長歌も素晴らしい。さすがは当世流行りの専門歌人。思った以上の出来栄えである」
帝は大変に喜んだ。法皇や時平、女御穏子もこの歌集の素晴らしさに感心した。古歌が中心とはいえ、このような創意工夫でこれほどまでに和歌は生き生きと蘇るのだ。
この歌集の素晴らしさにこの日の宴は盛り上がり、穏子の入内一周年に相応しい物となった。
帝も自ら歌を詠み、
かくてこそ見まくほしけれ万代をかけてにほへる藤浪の花
(このようにこそ見たいものだ。万代かけてまでも美しく咲く藤の花房よ)
と、これからも寵妃穏子の栄えを祈っているようだった。
宴の後、貫之達はその場に残され、時平から、
「これほどの素晴らしい歌集、この段階にとどめるには惜しいと帝がおっしゃっている。この続万葉集をもとに近代の名歌やそなたたち撰者の歌をもっと加えて、万葉集とは違う、さらに素晴らしい歌集を編纂できるのではないだろうか? 特に貫之殿の施した部立はさらに細やかに工夫すれば、これまでにない新たな歌集が出来るはず。それこそ帝がお求めになる、勅撰和歌集に相応しいと思うのだが」
と、持ちかけられた。
「これまでにない、歌集でございますか」友則は思わず聞き返した。
「そなたたちならそこまでやってくれると思うのだ。この続万葉集も、これから百年後の世までも伝えるにふさわしい歌集だ。だが帝と法皇様はそなたたちにさらなる可能性を感じられている。今度は時を区切ったりはせず、思う存分幾百年にもわたって手本となり、讃えられる歌集を編纂して欲しいのだ」
「幾百年……。それほどまでに帝は和歌が長くこの世にあり続けると思っていらっしゃるのですか?」
「もちろんだ。和歌と言うのはもともとはこの国の神にささげる、やまとの心と魂を詠む物であった。今でも宮廷行事に謳われる歌があるし、神遊びの歌なども残っている。しかしこう言う文化的な歌は政情が不安定になったり、国外からの大きな文化の浪が押し寄せてしまえば、すぐにすたれてしまう。人々が大和魂を失う事で、和歌は文化の世界から追いやられてしまうのだ。それは政情が安定せず、自国の文化が育たないと言う事だ」
確かにこれまで政情不安で文化が育たなければ和歌はすたれ、唐文化が席巻してしまえば、和歌は女を口説く道具にすぎなくなってしまっていた。
「だが、帝は必ずこの国を安定させるお方。そのために都人が傷つかねばならぬような出来事もあったが、それもこの国が政も文化も生まれ変わるために必要な事だったのだ。帝はその人々の傷を慰めるために続万葉集の詔を下されたが、そなたたちは期待を上回るものが創れることが分かった。この国の安寧と発展のために、さらなる素晴らしい歌集を創ろうと思わないか?」
貫之達は驚いていた。そもそも彼らにとって時平はこうして面会することが不思議に思えるほど身分の高い存在だ。その方が歌に興じ、歌を認めて下さるだけでもありがたかったのだが、あの道真の一件以来歌人たちにとって時平は恐ろしい権力者に思えて仕方が無かった。
法皇と道真を引き離し、道真を追放し、自分の妹を入内させて権力者として君臨している。帝を除き、誰も時平の意見に逆らえる者などいない。絶対的存在。次々と改革を断行し、和歌など歯牙にもかける必要など無いと思っていた。
その時平がこうも熱く和歌の必要性を語っている。和歌がこの国の安寧と発展に欠かせないと言いきっているのだ。やはり自分達は帝と時平の考えを誤解していたのだと貫之達は納得した。
「そのような御深慮あっての歌集編纂とは我々には思いもよりませんでした。和歌によってこの国の政が良くなり、この国の文化が発展できるのなら、歌人にとってそれほど喜ばしい事はございません。たとえ何年かかろうとも全力で編纂させていただきます」
友則がそう言って頭を下げると、貫之たちもそれにならう。そしてその心は熱く燃えていた。
自分達が和歌でこの国を生まれ変わらせ、和歌で国を発展させる。それに相応しい、幾百年も和歌の手本となる歌集を創りだす。それも帝に自分たちの仕事を認められ、直々の命によって行われるのだ! これほどの名誉が自分の身に起こるとは!
「では紀友則を中心に、この四人であらためて勅撰の和歌集を編纂するように。帝も業務の進捗を知りたいと仰せなので、特別に作業の場は内裏のうち、承香殿の東に用意しようと思う。重責を預ける事となるが、私も帝もそなたたちを信じている。素晴らしい歌集を生みだして欲しい」
貫之達の熱い思いがまだ冷めぬうち、間もなくさらなる勅撰和歌集編纂の詔は下された。四人の撰者は帝からの信頼を得て、熱い情熱を持って編纂作業にあたる事となった。どれほどの苦難を乗り越えようとも、これまでにない、最上の和歌集を創り上げると決心していた。




