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うつせみの世

 道真が都を去って人々は落ち着いてきた。しかしそれはどこか陰鬱な影を抱えた落ち着きでしか無い。道真が都人からああも恨まれたのは、彼への嫉妬や妬みからだった。そして身分による権勢が認められなくなることを恐れての事だ。破竹の勢いで人々を追い抜いて行った道真を妬む事で、人々は権力争いの緊張から逃れようとしていただけだった。


 その道真が都を去った。しかし権力争いの構図が変わっても、争いそのものが無くなる訳ではない。むしろその本質は露わになったと言ってよかった。

 この事件の処分により、朝廷の権力は藤原氏に集中した。もともと基経の権力を基盤に法皇と道真が改革していった朝廷の政である。法皇が出家し、道真とその周囲の者が去ってしまえば数は藤原氏が上回る。そして帝の内覧は今は藤原氏の氏長者である時平一人なのだ。


 だが、その時平に権力を自由にする力があるかと言えば、話はまた別だった。


 道真の大宰府到着後、しばらくして道真に付き添って行った弟子の味酒安行うまざけのやすゆきから切実な知らせが届いた。大宰府へ下る道中道真は何者かに狙われ幾度となく命の危機を感じ、苦難の多い旅路を歩んでいた。ようやく到着するも与えられた官舎は垂木が腐っており、安行と道真が苦労して修理してどうにか住めるようにはしたが、屋根から雨が漏れ、床に穴があくと言う幼い子供が二人いる環境としては最悪で、堂々と盗人が近寄っては物を盗んで行く……そんな訴えだった。


「これはひどい。罪人が住んでいるとはいえ、盗人が簡単に官舎に入り込むとは何事か」


 時平は大宰府の役人の怠慢を指摘したが、役人たちの返事は、


「あちらは荒れた国々に近い事もあって、治安が追いつかないのです。罪人の処遇にまで気を回す余裕はございません」


 と言って、改善する気配は無い。何か言っても、


「出来るだけ、善処させますので……」


 と言葉を濁し聞き流している。今や役人の多くは善行の弟子となり、時平や忠平に対しても、


「左大臣殿も忠平殿も、政では道真殿に従わなくてはならなかったであろうが、もともとお若い時に彼らに学問をお教えしたのは、この私善行である。帝の内覧でいらっしゃる左大臣殿は仕方ないとしても、忠平殿がいまだに道真殿へ同情なさっているのはいかがなものか」


 と善行の言う言葉に役人たちは従い、時平や帝の言葉を無視し、忠平は政の中枢より排斥されてしまった。

 道真はそれからも自分の身の不遇を漢詩に込めて書き残しているが、それが都人の目に触れることは無かった。今や道真は詩人として詩を書くことさえ禁じられていたのだ。


 誰もが藤原氏や善行の動向を気にして、帝や時平を重んじようとはしていなかった。道真の運命の流転を見せつけられた後なので、皆その権力に脅えていた。荘園、律令制の見直しのための調査もあれから頓挫したままだ。貴族たちにしてみれば、このままどさくさに紛れて立ち消えにしてしまいたいに違いない。帝は打ちひしがれたように、


「これが権力の力なのか。今なら私も父上の悔しさが分かる。数の力の前では、帝の地位など何の意味もないのであろう……」


 と、がっくりと肩を落としていた。


「数の力……そのような物、何だと言うのです」時平は怒りに肩を震わせた。


「ここで……ここであきらめるわけにはいきません。何のために道真は都を追われたのです? 何のために法皇様は政から手を引かれたのです? 帝の御世のため、帝がこの国を改革なさることに希望を託すために多くの者が犠牲となったのです! 私はその思いを無駄にすることなど出来ません!」


「時平……私も思いは同じだ。しかし私は権力に抗う力があるであろうか?」


「大丈夫です。私が何としてでも帝をお支えします。ですから、私に権力をお授け下さい」


「時平に、か? 藤原氏にではなく」


「私にです。すぐに我が妹、穏子を入内させましょう」


「穏子を! もちろん私には待ちかねた入内だが、今はあの事件の後で大した式などもできぬ。入内の準備も急には整わぬのではないか?」


「いえ。華々しい事などしなければ大丈夫です。準備もなるべく急がせます。私は帝の外戚となり、権力を手に入れたい。そして帝をお支えしたいのです」


 帝は驚いた。時平はこれまで人々と軟らかく交わることを信条としていた。誰よりも和を重んじる男、大和魂の持主であった。その時平が氏一族にではなく、自分個人に権力を与えて欲しいと訴えているのだ。


「私は身に沁みました。権力には権力で抗うより他に道は無いのです。私は何としてでも法皇や道真殿が目指した改革を成し遂げます。お二人のような理想論だけに頼っては改革は進められないことが分かりました。それなら私はもっと現実的な方法で改革を成し遂げましょう。時には堅実に、時には柔軟に、時には権力でもって厳しく政を進めましょう。それがこれから目指す帝の政なのです。決してあきらめてはいけません!」


 帝は時平の姿に希望を見出した。その時、時平は輝いて見えた。


「出来るであろうか? 私とそなたで」


「出来ます。いや、必ずやり遂げるまで、私が帝をお支えします」


 時平は氏一族に相談することも無く、独断で穏子の入内を決めた。華々しく藤原家の権勢を誇示することも無く、急ぎ入内をする事に藤原氏達は不満を言って来たが時平は、


「道真殿を追いやり、藤原家が権力を取り戻せたのは誰のおかげか?」


 と言って押し切り、早速翌三月に穏子を入内させた。それはこれまでの時平の柔和な姿からは考えられぬ辣腕ぶりであった。時平は帝の義兄となり帝は穏子を深く寵愛した。様々な権力に二人が引き裂かれてから、すでに四年近い日々が過ぎていた。二人の逢瀬は感慨深く、愛情は細やかになっていった。それと共に時平は権勢を高めていく。

 こうして帝と時平はこの国の改革を進める下地を作って行ったのである。



 一方、道真の事件で衝撃を受けた都人の心は、すっかり委縮してしまっていた。道真ほどの秀才でも一度運命が覆れば、あれほどの罪人として人生の憂き目を見るのである。これで普通の中流の身分の者が明るい未来を夢見ることなど、ほとんど不可能だと思われた。上流の貴族たちも藤原家の権力を恐れたが、学者なども善行がほとんどを占めた学問の派閥を恐れ、位低い者達はやはり出世など許されぬ事と絶望していた。


 都は活気を失い、事件の余波もあって人々は人目に立つことを嫌い、宴などもほとんど自粛された。詩歌遊楽や風流事は催される事も無くなり、歌人、詩人たちは活躍の場を奪われる事となった。特にようやく漢詩と肩を並べて称賛されるにまで至っていた和歌の世界は、その勢いを削がれたようになり、歌人たちの地位は危機にひんしてしまった。 友則も、


「穏子様の御入内を祝って、何らかの歌の催しでもあればと思っていたのだが……。さすがに今の時世、歌会なども行わないようだ」


 と、肩を落とす。


「どの邸も世の雰囲気にのまれてしまい、歌会どころかちょっとした宴も行われなくなった。世間でもまた、『歌などにうつつを抜かすから、政が荒れたりする』などと歌をさげすんでいるようだ。このまま我々の地位も落ちて行ってしまうのだろうか?」


 忠岑もため息をつくしか無かった。そして、


「貫之殿や躬恒殿などはまだお若い分、先々の見通しが暗くては辛かろう。我々年長者が何か役に立てれば良いのだが、あいにく世がこのようではどうにもならぬ」


 と、身分の低い貫之達を気付かるが、躬恒は、


「いや。貫之殿はともかく、私はもともとが賤しい身なので、もとに戻ると言うだけです。それより御子息がこれからという友則殿の方が、今の状況は御苦しいのではないですか?」


 と、友則を心配する。それは他の歌人も同じであった。友則は和歌の世界をここまで育てた功労者だ。しかも、あと少しで五位の位もいただけそうだと期待していただけに、子息を二人も抱えている分、落胆も大きいだろうと思われた。


「私の事はともかく、これが和歌の限界だったと思うと悔しい。和歌の世界はまだまだ広がりを見せると思っていたのだが。和歌はもっと、人々の心に沁み入ってはくれないものなのであろうか……」


 歌人たちは和歌世界の豊かさを人々に知らしめ続けてきたつもりだった。人々もその素晴らしさを感じたからこそ、こうも和歌は受け入れ始めたのであろうと信じていた。

 しかし、法皇や道真と言った振興役がいたからこそ、和歌は一時もてはやされただけだったのだろうか? 

 業平たち「六歌仙」と呼ばれる歌人たちから受け継がれた、漢詩に対抗しうる教養と雅やかさを持った和歌は、ここでまた時代の陰にうずもれてしまうのであろうか?


 歌人たちがそんな思いにさいなまれる中、一人の歌人が亡くなった。藤原敏行だ。道真の左遷に驚いて体調を崩してからずっと病みがちで、和歌世界の未来を憂いながらこの世を去ってしまった。

 敏行の死は多くの歌人を嘆かせたが、特に古くから目をかけられ親しく親交のあった友則は、その死が受け入れられないほど嘆き悲しんだ。そして友則は哀傷歌を詠んだ。



  寝ても見ゆ寝でも見えけりおほかたはうつせみの世ぞ夢にはありける


 (寝ていても見える。寝ていなくても面影が見える亡き人の姿。

  世間と言う儚いこの世の中こそが夢なのだ)



 夢のような世の中。親しく思う人の生も死も、まるで夢の中のよう。人の世とはいつ何があるか分からない夢のような世界。権力闘争も、出世争いも、身分差も、運命の気まぐれで明日はどうなるか分からない。その悲しさ、その空しさ。


 この歌は心に憂さをためていた都人の心に沁み込んだ。そして多くの人々に広まり流行歌となった。その時この歌は友則が敏行に捧げた哀傷歌だけではなくなっていた。都人によって自分たちの空しさを代弁してくれる、現実逃避のための歌となっていた。この時貫之は、


「歌はまだ、生きている」と感じた。人々は簡単に歌を手放せはしないと。



 その夏、帝は元号をそれまでの昌泰から延喜と変えた。これから本格的に改革を進める第一歩として、人心を一新するためであった。八月には時平と善行の連名で、日本三代実録の完成が帝に報告された。罪人と言う事で長くかかわっていた道真の名は削られたが、時平は自分の名も連名に入れさせた。時平はこの書が善行の功績として残すことを何としても避けた。善行は学閥を大きく持ち、役人たちに君臨していたが、時平はそれすら帝の威光を背に振り払った。善行に一切の文句を言わせず、日本三代実録の編纂者に時平の名は記された。


 そのひと月後の九月、大蔵善行は七十の賀を盛大に催したが、連名の件で善行は時平を軽んじることはできなくなっていた。この宴には三善清行など自らの派閥の関係者のほかに、時平と政務の中枢から追いやった忠平までもを招かなくてはならなかった。それほどの派閥を持ってしても帝の内覧であり、義兄となった時平の権力には、屈するしか無かったのだ。


 その賀では様々な祝いの品が用意され、人々は久しぶりの華やかな話題に沸いたのだが、その時貫之が、


「そうだ。賀の祝いだ。賀の祝いこそ祝いの歌に相応しい」と言いだした。


「そうだな。祝の席に呼んでいただけるといいのだが」友則はそう言ったが貫之は、


「違います。招かれるのを待つのではなく、こちらから歌を贈るのです!」


「こちらから歌を贈る? それで受取ってもらえるあてがあるのか?」


「だから屏風画に歌を書くのです! 賀の祝いには屏風画を贈るのがしきたり。そして屏風画には漢詩が書かれるものですが、これまでもたまに歌が書かれていました。ですから贈られる屏風画に歌を書かせていただけるよう、お願いするのです。こちらからの誠心誠意を込めた、絵に相応しい歌であるならば、きっと喜んでいただけます」


 それを聞いて躬恒も賛成した。


「それはいい! それなら高貴な方々に歌を受け入れてもらえる。それに御書所勤めで筆跡に長けた貫之にはうってつけではないか!」


「友則殿が敏行殿を悼んで詠んだ歌は、多くに人が共感しました。たとえ同じ心でなくても、人生の儚さを多くの人が感じ取ってくれました。人々は確かに歌を欲しています。こんな時だからこそ、和歌による慰めを求めています。私達はそんな人々のために積極的に歌を披露しましょう。世の人々のために想像あふれる、雅やかな歌を詠みましょう。そうすればきっと人々は歌を愛してくれます。和歌の世界は世に広まります」


「たしかに……! そう言えばもうすぐ仁明にんみょう天皇の皇子であらせられる、本康もとやす親王の七十の賀が近いはず。その屏風画に貫之の詠んだ歌を書かせていただけるよう、お願いしてみよう。そういう場には素性法師殿が良く招かれる。法師殿に声をかけてみよう」


 友則が素性法師に声をかけると、法師は快く親王の使用人に屏風画の一件を尋ねてくれた。親王側でも、


「おお、貫之殿と言えばいつぞやの女郎花の折句を見事に詠んだ方。それは是非屏風画に歌をお願いしたい。書家はどなたをお望みであろうか?」


「いえ。貫之殿は役目がら美しい筆跡の持ち主です。その筆跡ともども歌を御堪能するのがよろしいでしょう」


 親王側はそれを喜び、是非貫之に歌を書くようにと言って来た。こうして貫之は屏風歌の第一人者への道を歩き出すのである。





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