おみなへし
上皇の取りなしによりようやく醍醐天皇による政が動き出した。この時、政は遣唐使の停止によって外交上の問題が起こる事が懸念されていた。……いや、実は一部の人々によって期待されていたのかもしれない。遣唐使の停止は道真の一存によって決められたも同然だったため、もしそれで国に不利益が及べば、道真は間違いなく責任を負わなくてはならない。それによる道真の失脚を期待する者達は確かにいたのだ。
だが道真は常に商客と綿密に連絡を取っており、現在の国外情勢について熟知していた。遣唐使廃止の理由となった通り、唐はこの時すでに滅亡寸前であった。隣国の半島の国とも遣唐使船が半島を使った航路を使用できなくなるほど関係が難しくなっており、筑紫の国が襲われる脅威も考えられていたが、幸い半島内の国々も情勢が混乱しており、互いがけん制し合っているために我が国を責める余裕が無いようだった。むしろこの時期に国交を断った事で、国内は安全を確保することが出来るかもしれないと期待された。
油断はならないとはいえ、国外からの脅威が一段落したことで道真のそれまでの情報の整理や国風文化の推進により、朝廷の基盤はしっかりとしたものが整いつつあった。
しかし、同時に問題もあぶり出されてきた。荘園制度の乱れと、朝廷の財政問題である。
荘園の管理には膨大な人材が必要とされる。そしてその人々も朝廷が細やかに管理する必要がある。だがそれを各地の荘園に隅々まで行きわたらせることは困難を極めた。
結局荘園はそこを管理する国司などに任されたままとなり、中には荘園を自分の私有地のように扱う国司も出てきてしまう。すると制度は崩れ、収益を国司が自分の物としたり、有力貴族ばかりに寄進したりする。結果、朝廷の収入は減少の一途をたどる。そこで参議達は税を重くするように提案した。
「各地に広がる荘園をすべて見直し管理をするには、膨大な時間と人が必要になります。その人に禄などを与えるにも安定した財源が必要。ここは納めさせる税を増やすべきでしょう」
しかし道真はこの案に反対した。
「荘園の問題は朝廷の管理不十分が起こした事。確かに荘園の見直しと整理は必要だが、そのために税を増やしても根本的な解決には繋がらない。それどころか収穫と言うのはいつもこちらの思うようにあげられるものではない。良い時は余裕もあろうが一度天災や飢饉に見舞われれば、土地は荒れ、労働力は失われ、その国は力を失う。荘園のある国の国力を失う事は朝廷の財源を失うも同然。各地の朝廷への信頼も失う事になるでしょう。安易な増税は避けるべきです」
「しかし、地方のやりたい放題を放置すれば、朝廷の権威にかかわる!」
参議の者は道真の意見に異を唱えたが、
「ですからすぐに荘園の見直しが無理であれば、まずは国司などの人選を見直すべきです。良い国司に恵まれた国は豊かで人々の暮らしも良く、安定している。そういう国が増えれば朝廷の財源も威厳も保つことが出来ます」
と、道真は自分の意見を曲げない。
「それは綺麗事にすぎません。それに、そうおっしゃると言う事は歌人の出世をお決めになられたように、国司の人事もすべてあなたがお決めになりたいと思っていらっしゃるのでしょう? 頭の良いあなたには、我々の政など気に入らぬのでしょう」
この言葉に他の者達の道真に対する視線が、一斉に冷たくなった。官職の人事決定は貴族たちの権威の要である。ここが揺らいでは貴族たちの権威は保つことが出来なくなる。家格も社交も権威も、すべて良い身分、良い官職を争うためにあると言っていい。それを机上の論理で道真一人にいいように扱われては、貴族社会そのものが揺らいでしまうのだ。
そして道真はそう言う重要事を上皇の後ろ盾をいい事に、これまでためらうことなく行って来た。何と言っても二百年以上当たり前に行われてきた遣唐使を、停止させてしまうような男である。それまでの有力な家の家格も無視する男。そんな男の思うままに朝廷の人事が扱われたら……。
人々は震え上がった。朝廷は不穏な空気に包まれていく。帝は皆の心を鎮めようと、
「政を最後に決めるのは私である。道真の意見と言えど、私が納得できなければ退ける」
と言ったが、一度湧きあがった恐怖は帝の言葉ぐらいで解消されるものではない。
「まあ、道真殿のおっしゃることは正論ではあるが、これは大変に難しい問題です。多くの人々に影響を与え、朝廷だけでなく貴族社会全体に与える影響も大きい。ここは安易に増税せず、朝廷も心の雅を権威と考え、あまり華美な物や装束にばかり目を向けずとも、朝廷が信頼されるよう努力することから始めましょう」
時平がその場の雰囲気を和らげるかのように、微笑みながらゆったりとそう言う。
道真も時平の立場はよく分かっている。彼は藤原家の氏長者だ。帝を守る事と同じぐらいに藤原家を守る責任がある。共に内覧を任される時平を道真は追い詰めるような真似は出来ない。
道真もここは表情を和らげて時平に同意した。
「そうですね。これはゆっくりと考えるべき問題。帝の御世は始まったばかり。慌てる必要はありませんでしたな。出来る範囲の事を、少しづつ行いましょう」
時平の言葉によってその場の空気は和らぎ、道真は折れたかのようにも見えた。だが、この時走った戦慄は人々の心に深く残り、消えない棘となってしまった。
帝は殿上人の間に高まった緊張を、なんとかほぐしたいと思った。あの瞬間、参議の者達の放った気は尋常なものではなかった。追い詰められた小動物のような激しい脅え。そして何とかそこに抵抗の道を探ろうとする緊迫感。そう、それはまるで……。
殺気のようなものが一瞬だが道真に向けられていた。それも一人や二人のものではない。これ以上ないほどの禍々しい気配があの場に満ちた。幸い時平の取りなしと、道真の冷静な対応で場の雰囲気は和らいだが、あれほどの感情が簡単に消えてなくなるとは思えなかった。
「皆、新たな世となって忙しい日々を送っているせいか、少々心が荒んでいるようだ。私の世となってそろそろ一年経つ。この辺りで歌合を行うのはどうであろうか」
「そうですね。少し内裏の雰囲気を和らげるのは良い事だと思います。ただ、内裏では七夕の詩宴が行われたばかりですから、ここは上皇様に歌合を催して頂いては?」
時平もそう言って賛成する。
「おお、それは良い。政務にかかわってはいけないからと、父上もあれからずっと遠慮をなされて、居所である朱雀院に籠られたまま私も臣下達もお会いできずにいた。この機会に朱雀院にて歌合を催して頂き、父上の心の慰めともしていただこう」
「それは良い事を思いつかれました。上皇様もさぞお喜びになられるでしょう」
道真も帝が自分に気を使っていることを察し、上皇に歌合を主催していただくよう頼んだ。
「この朱雀院にて歌合か。それならば秋に相応しく、女郎花合とするのが良いであろう。右列、左列でそれぞれ女郎花の美しさを競い、ついで歌を競い合うのが風流だ」
こうして朱雀院にて女郎花合を兼ねた歌合が催された。その席には上皇の妃である中宮温子、温子に仕える上皇の寵を受けた伊勢、帝の母 胤子の弟で藤原定方、光考天皇の孫の源宗于、そして時平と言った上皇ゆかりの人物達に、忠岑、躬恒、興風、貫之ら専門歌人が招かれた。
この歌合は女郎花の花合を兼ねている。まず先に右列方、左列方それぞれから女郎花の花が差し出される。その女郎花を愛でながら左右それぞれに歌が競われた。
左右から差し出された花が中央に並べられると、右の者が歌を詠む。続いて左の者も歌を詠み、勝敗が定められる。
「花は右が劣りますが、歌は右の勝ちとしましょう」
「これは花も歌も、左の勝ちです」
と言った風に判者(判定を下す人)によって勝敗が決められていく。この日は時平も歌を披露した。
女郎花秋の野風にうちなびき心一つを誰に寄すらむ
(女郎花は秋の野風に吹かれてあちこちになびいているが、
一つしかない心は誰に寄せているのだろう)
女郎花の花は艶な風情の女性にたとえられている。だが、秋の野に吹く風はたいてい気まぐれで、こちらと思えばあちらからと吹く方向が絶えず変わる。そんな風になびく女郎花は女が様々な男になびく姿の様である。だが、女郎花に宿る女の心は一つのはず。その心は一体誰に寄せられているのであろうか?
浮気な女心に翻弄される、男の切なさを詠んだ歌である。好き者と言われ、恋の場数も多いであろう時平に相応しい歌かもしれない。
そして定方の歌も詠み上げられる。。
秋ならであふことかたき女郎花天の河原に生いぬものゆゑ
(秋でなければ会う事が難しい女郎花。
七夕にしか会えぬ天の河の河原に生える物でもないのに)
秋にしか逢えぬ女の思い出でもあるのか。それともそんな恋への憧れか。季節の短い間にしか許されぬ逢瀬を、天の河の織姫と彦星にたとえて恋の時の短さを惜しんでいる歌である。
やがて躬恒の番となった。
女郎花吹き過ぎてくる秋風は目には見えねど香こそ知るけれ
(女郎花を吹き過ぎてくる秋風は
目には見えなくても花の香りで知る事が出来るのだ)
風は目で見ることはできない。だが女郎花の花に吹きかけて通り過ぎた風は、その香りを運んで来るので風が吹いた事も、花が咲いていることも知る事が出来る。
姿を見る事が出来ない恋しいあの女も、秋風が運ぶ女の良い香りでそこに居ることを知る事が出来るのだ。まだ逢う事の出来ない憧れの女を、その香りで感じてしまう敏感な男心が詠まれている。艶な女にたとえられる女郎花に相応しい歌だ。
忠岑も姿を隠す女郎花の風情を詠んだ。
人の見ることやくるしき女郎花秋霧にのみ立ち隠るらむ
(人に見られる事が苦しいから女郎花は
秋の霧の中に立ち隠れているのだろうか)
忠岑は女郎花の花の心、そして女心のほうを詠んだ。秋の野に立ちこめる深い霧の中、ひっそりと立ち咲く女郎花。まるで霧にその姿を隠そうとしているようだ。それは世間に触れることなく邸の奥深くにひっそりと暮らす、奥ゆかしい女の姿を思わせる。その姿は人に晒すのは忍びない。女の恥じらいの心を知る女郎花。人に見られては苦しいだろう。見えそうで見えない姿に物足りなさを感じながらも花と女の心を思いやる、優しい歌だ。
美しい女郎花を愛で、競いながら、次々歌が詠まれていく。一通り花も競い終わり、その席は余興と変わった。皆に酒も回り、舞や朗詠などで座が盛り上がる中、その日の詠まれた歌の評価が始まった。物名の歌に良い物が多かったなどと言うのを聞いて、貫之がふと、
「ちょっと、面白い歌が出来ました。御披露させていただいてよろしいでしょうか?」
と聞いた。
「ほう、余興にまで歌が聞けるとは楽しい事だ。是非、披露して欲しい」
上皇も喜んで貫之が詠むのを許す。そして貫之が詠んだのは、
小倉山峰立ちならし鳴く鹿の経にけむ秋を知る人ぞなき
(小倉山の峰をなだらかにしそうなほど歩いては鳴く鹿だが、
その鹿が幾度の秋を過ごしてきたか知る人はいない)
「おや。この歌には女郎花が出て来ませんね。物名でしょうか?」
「いや、物名でもないようだ。小倉山の近くには女郎花が有名な嵯峨野がありますから、嵯峨野の女郎花を恋しがる鹿を詠んでいらっしゃるのでしょう」
しかし貫之は楽しげに笑いながら、
「そう言う歌でもありますが、それだけではありません。この歌は折句でございます。句の頭をそれぞれ上げて見て下さい」
「句の頭? 小倉山の『お』、峰立ちの『み』、鳴く鹿の『な』……おおっ」
ここで上皇や他の人々も気が付いた。
「経にけむの『へ』、知る人の『し』。成程、句の頭を詠むと『お、み、な、へ、し』となるのか!」
「折句とは思い浮かばなかった。いや、これは見事。こうした言葉遊びの歌では、貫之殿に敵う者はいませんな」
「これでも一応、和歌は専門としておりますので。一見和歌など誰にでも詠めそうに思えますが、こういう言葉遊びで皆様を楽しませるのも専門歌人の役目と心得ております」
その貫之の堂々とした姿に、専門歌人の心が現れる。たかが歌詠みを出世させることに不満を持った人々も、この貫之の機転と堂々たる態度に和歌の価値を軽んじる事が出来なくなってしまった。歌人の出世が認められたのも、致し方の無い事かも知れないと、人々の意識は変わり始めていた。
いくら道真でも、世の権威のすべてを動かそうとはするまい。そのような慢心を帝もお許しになるはずがない。
人々はそう考えて、ひとまず道真への不安を抑える事が出来た。内裏の緊張した雰囲気もある程度緩められた。だが心の奥底に刺さった棘だけは消え去ることは無い。今はかりそめの平穏が内裏にもたらされていた。
ご感想を寄せてくださった五反田猫様より、平安末期、鎌倉、室町時代の頃の歌会と、余興として行われた宴、「殿上淵酔」を再現したブログをご紹介いただきました。許可をいただけましたのでアドレスを張らせていただきます。
http://blog.goo.ne.jp/seitokudento/e/c2e000fb0a26af6e63291886404dcaab
歌会で披露されたという「甲調」「乙調」「上甲調」というのは、歌を詠みあげるときの調子や節回しのことです。現代人には歌会の緊張感や盛り上がりはピンときにくいかもしれませんが、歌はただ詠み上げるだけではなく、調子や節回しをつけてより情感豊かに詠み上げられるものだったんです。
歌合せとはただ歌を比べ合うだけではなく、そういう工夫や装束や調度に小物、薫香の香りなども季節や詠題に合わせ、五感で雅を競いました。
今なら小説をただ読むのではなく、舞台や衣装を整えて、香りにまでこだわった中で、プロの声優さんが迫真の演技で内容を読みあげるようなものかもしれません。
真剣勝負の場であり、エンターテイメントな催しだったわけです。
女郎花歌合ではさらに女郎花の花の美しさも競われたわけですね。
その後の余興の宴ですが、このブログでは殿上での行事であった「殿上淵酔」が取り上げられていますが、文中には「定法なし」「私的な酒宴」とのことですので、女郎花歌合の後の宴も、この感じに近かったんじゃないかと思います。
酒が回され、雅楽が楽しげに演奏され、めでたい歌が朗詠されて舞が舞われる。
歌合の緊張から解かれ、寛ぎ、楽しげな雰囲気に座が盛り上がる中、貫之も一層その場を盛り上げようと遊び心を効かせた折り句を詠んだのかもしれませんね。




