政務放棄
寛平九年(八九七)友則の邸は喜びに沸いた。長く無官の地位に甘んじていた友則が、とうとう土佐掾の任を得る事が出来たのである。
その頃友則の歌人としての名声は高く、誰もが認めるところとなっていた。和歌の評価も上がり、位の高い人々からも友則の歌は求められていた。それでも友則は無位無官のままだ。そこで帝の信頼を得ていた紀長谷雄が時平に友則に官を与えて欲しいと訴えたのだ。
「確かに友則殿はこれまでも歌人として活躍し、軽く扱われがちだった和歌をこのような文化にまで育て上げた。無官の身には惜しい人物に思える」
時平は歌合わせに招かれた友則を事のついでに呼び寄せると、
「友則殿。年はおいくつになられるのだ?」
と聞いた。すると友則は、
「はい。四十余りとなっております」
と答えた。それを聞いて時平は友則に歌を詠み贈った。
いままでになどかは花の咲かずして四十年あまり年ぎりはする
(今までどうして花が咲かず、四十年年あまりも実を結ばなかったのか)
そこで友則は歌を返した。
はるばるの数は忘れずありながら花咲かぬ木を何に植ゑけん
(春は忘れずにやって来るのに 、私のような花の咲かない木を何故植えたのでしょう)
と、わが身の不遇を嘆く歌だった。
「これほどの人物が四十歳を越えて無官のままでは、歌人の地位はいつまでたっても上がるまい。このままでは国風文化の推進の妨げになる。友則に官を与えるべきであろう」
時平は同情したが、道真は冷静だ。
「しかし、これまで無位無官だった者をあまり高い地位に着けることは無理でしょう。反発が強すぎます。地方官あたりが妥当かと」
「だが、歌人が都を離れては……」
「ですから遥任を認めるのです。他の者を代理として赴任させ、彼は都に残します。都きっての有名歌人の代理なら、喜んで引き受ける者もいるでしょう。そうすれば友則に多少の禄や租税も手に入ります。目では少し低すぎるので、掾としましょう」
「成程。遥任と言う手があったか! 友則ほどの歌人であれば、それも可能だ」
「官位は七位であまり高くは無いが、あれほどの人物です。一度官が与えられれば誰もが出世を納得するような活躍をするに違いありません。そうすれば世の中の和歌の評価も上げる事が出来ます」
こうして友則は土佐掾に任官された。四十代にしてようやく出世の足掛かりを得る事が出来たのだ。
しかもその後、あの禁中内裏での歌合にて見事な「はるがすみの歌」を詠み、帝と上皇のお褒めに預かった事が大変な評判を呼んだ。これが高貴な人々にも認められ、翌年早速友則は小内記に任ぜられた。友則は道真や時平の期待に無事応えた。それまで無位無官であった歌人が、僅かな間に大内裏の中務に官を得るまでになったのである。貫之達も喜んで友則を祝う。
「こうして歌で認められてご出世に繋がったんです。友則殿はきっとまだご出世できますよ」
貫之も自分の事のように喜んでいる。友則も期待が膨らんだ。
「そうだと良いが。そうなれば息子たちの良い後ろ盾になってやれるうえに、他の歌人たちの道筋もつける事が出来るだろう。特に貫之や躬恒の良い足掛かりになりたいものだ」
もちろんこの事はまだ位の無い歌人たちの希望にも繋がった。詩人の道真に続いて歌人友則の任官、出世に、世の中は湧いた。特に文化人たちには希望の光となった。
だがこの流れは公卿たちの不満を呼ぶ。この年は四月に元号をあらため寛平十年から昌泰元年(八九八)となるのだが、それは醍醐帝の世となって表面化した内政問題をなんとか払しょくしたい思いがあったのだろう。
上皇は内覧を任せた道真と時平ばかりを信任し、しかも上皇は譲位とは名ばかりに道真と共に政に干渉しているのが参議の源氏達には許せなかった。また時平はまだ二十七歳と若く、博識な道真に頼る事が多かった。上皇は人事にまで介入し、位の低い自分のお気に入りの歌人を出世させていると受取られた。家の権威を無視され、道真が優遇されることに藤原氏達は不満を膨らませた。そして他の公卿が疎んじられているとし、上皇と道真の結びつきへの反感が強まってしまった。
不満を表しているのは身分の高い参議ばかりではなかった。特に学者の三善清行は反発を強めていた。彼は若い時から優秀と言われ文章得業生となった後、官吏の登用試験を受けたのだが一度合格できなかった。
その時の試験官は道真で、道真の学問に対する几帳面さからその時の合否判定は大変厳しく扱われた。そして任官後は道真に才能を認められた長谷雄と激しく対立しており、その道真や長谷雄が重用される現状に納得がいかずにいた。朝廷は道真の重用に高位の者も中位の者も揺れていた。
そうした不満が頂点に達した時、不満を持った公卿達がすべての政務から一斉に手を引くと言う事態が起きた。それほどまでに道真への反感は強い物となっていたのだ。
「上皇や帝は、よほど道真や御自分の意のままに政をなさりたいらしい」
「本音は上皇と道真だけで国を動かしたいのであろう」
「そのほうが世の中が良くなると言うなら、我ら参議は何のために存在するのだ?」
「我々より博識な学者がいれば良いのなら、我々など必要ないも同然」
「とても政務に励む気になどなれませんな」
公卿たちはそう口々に言い、すべての仕事を放棄した。これに衝撃を受けたのはまだ少年の醍醐帝であった。
「何と言う事だ。公卿が任務を放棄するとは。私は道真と時平ばかりを頼っている訳ではない。上皇の御意向には従っているが、それは若い私のいたらぬ所を補ってもらうための事。決して他の者を軽んじたことなど無い!」
「もちろんでございます。これは私道真が皆に誤解を与えた事が原因です。すぐにこのような誤解、解いてしまいますので」
「いや。これは問題が大きすぎる。公卿が政務を放棄するなど。ここは私が命じる。皆、政務に戻るようにと」
帝は怒りといらだちからそう言うが、道真はそれを止めた。
「いいえ。主上が命じるまでもございません。まずはお待ちください」
帝と言えどまだ即位したばかりの少年。ここで帝が命じて誰もそれに従わなければ、帝はどれほどその権威を傷つけられ、自信を失うか分からない。道真と時平は公卿達に再三政務に戻るよう説得したが、誰も応じる気配は無かった。
「道真殿。このままでは主上の御権威が」時平は焦りを募らせた。
「分かっている。だが私と上皇様への不信感がぬぐい取られなければ、人々は帝の命でさえ従わないであろう。今、主上に命じて頂くわけにはいかぬ。ここは上皇様に折れていただくしかない」
道真は急ぎ上皇のもとに参ると、
「これは皆、この道真の人徳の無さが招いた事でございます。上皇様にこのような事をお願い申し上げるのは大変心苦しいのですが、ここは不徳の我が身に代わり、私の内覧を取り下げ、上皇様が決して公卿の方々を軽んじている訳ではないと、皆にお伝えください」
と、頭を下げた。しかし上皇は、受け入れない。
「私がそなたを内覧宣旨したのは深い考えがあっての事だ。そなたは時平と並び立ち、帝を権力を狙う者から守らねばならぬ。そなたの内覧を取り下げる訳にはいかぬ」
「しかし、今まさに帝の御権威が危ぶまれる状況に陥っているのでございます。このままでは帝に、皆が政務に戻るよう命じていただかなくてはなりません」
「だが、そなたがいなくては我々の夢は叶えられぬ。そなたは私の夢を諦めよと申すのか!」
「そんな事は御座いません! 上皇様の夢は私の夢でもあります。そのためにも今、帝を孤立させるわけにはいかないのです!」
「孤立?」
「今の流れは帝の御権威や上皇様のお力をもってしても止められるものではありません。私を疎ましく思う心と自分達が認められぬ悔しさが先立って、皆冷静さを欠いております。それもこれも、怨み募る私が帝の内覧だからです。帝が御権威を失えば、私達の夢もついえてしまいます」
「だが、そなたが去ったからと言って国風文化が守られるわけでも、帝による親政が認められるわけでもない。藤原氏と源氏が権力を狙って、混乱が起こるだけだ! 何も守られる物など無い!」
「帝の御心が守られます!」
道真が強く言った。
「この事に帝には一切の落ち度はございません。私がいなければ帝の心がこのようにかき乱されることなど無かったことでしょう。こんなことに振り回されて帝が御権威を失えば、若い帝はどれほど傷つかれる事か」
道真の言葉に上皇の心も揺れた。上皇も人の親。我が子を傷つけたいわけではない。
「上皇様も阿衡の紛議での屈辱は覚えておいでのはず。帝はあの時の上皇様と同じように、孤立の危機に立たされているのでございます。帝を救えるのは上皇様しかおられません!」
「あの日の……私」
上皇は思い出した。あの日の苦悩。屈辱。無念。このままではあの思いを我が子醍醐帝にも味あわせてしまうのか。
「どうか……。どうか私の宣旨の御取り下げを!」
道真は必死に頭を下げている。だがあの時、上皇はこの道真に救われたのだ。上皇はまたもや苦渋の決断を迫られた。そして、
「致し方ない。だが、内覧宣旨は取り下げぬ。どう考えても帝にはそなたが必要だ。この事態はそなたの不徳が起こした事ではない。不徳であるのは私の方だ。不徳である私が帝やそなたたちの政に口をはさむのが原因であろう。今後私は文芸の推進だけに心を砕き、政に口をはさむことはしない。公卿達にそう伝えさせ、政務に戻るように説得しよう」
宣旨を取り下げないとはいえ、帝を支えるために早くに譲位を決めた上皇にとっては、この選択でさえ苦しい物であった。だがこの上皇の提案を公卿達は受け入れ、ようやく醍醐帝の政は動き始めた。彼らが一番恐れていたのは道真と上皇の強い結びつきであったからだ。
だが、この事件は道真の懸念通り、若い醍醐帝の心に深い傷を残した。
「上皇が、公卿達を取りなしたのか。私が命じても誰も聞かぬと言う事か?」
帝は美しい顔の眉間にしわを寄せ、自虐的に時平に尋ねるが、時平は、
「いえ。帝の命はそれほどまでに重いのです。事が微妙な時に絶対である帝の命が下っては、どのような変事に発展しないとも限りません。上皇はそれを懸念して動かれたのでしょう」と答える。
時平はそう言ったが、帝は自分の若さと力の無さを思い知らされた。そしてこれほどの事態となっても内覧を取り下げず、人々の意見に耳を貸さない上皇の頑なさに不安を感じた。こうも人の言葉を受け入れられぬ父上のお考えは、本当に正しいのであろうかと。帝の上皇に対する政への信頼が、僅かだが揺らぎ始めていた。




