四十七話 閉ざされた精神世界
千秋が暗雲の晴れた空を見つめていると、奏の家からものすごい剣幕で遥が飛び出してきた。
「遥、奏はどうした?」
「ごめん千秋、奏の姉さん達を頼む。俺は家に帰って奏を助けるから」
「はぁ? またなんでお前一人で──」
何でも一人で抱え込む友人を止めるべく、千秋は彼の肩に手をかける。すると、黒い感情の波が千秋を襲った。その強烈な衝撃に、千秋は頭を押さえて二歩後ずさる。
「遥、お前……」
「千秋を巻き込みたくない。これは、多分──俺が超えなきゃ行けない問題だから」
見えない境界線をいきなり敷いた遥の態度に腹を立てた千秋は珍しく舌打ちをする。
「奏は俺達の友達だろう!? 何でもお前一人で抱え込むなって」
「……精神世界には、俺しか行けないから」
肩を揺する千秋の手を引き剥がし、遥は彼から視線を逸らした。
〈精神世界〉を出されてしまっては、そこに入ることが出来ない千秋はそれ以上何も言えない。
千秋は精神世界で遥が自分の命を救ってくれたことを知っている。そして先日まで自分と入れ替わりで学校を休んでいた唯も、どうやら同じ方法で遥に命を救われたらしい。
吸血鬼という強大な存在に対して、何も出来ない歯痒さに千秋は唇を噛みしめる。
「遥、絶対無理はすんな。あと、御守り外すなよ」
「うん。千秋の母さんが、女吸血鬼から守ってくれたよ。ありがとう」
穏やかな笑みを浮かべて家へと足を向ける遥は、何か秘めたる覚悟に満ちていた。
────
同時刻、フェリを探してあちこち錯綜していたウィル達は、リビングで現在の状況を確認する。
そして彼らの前には、青い薔薇の紋章に侵食された奏がいる。
──本来、この短期間で青い薔薇は咲かないはず。この異常な成長速度は、彼の精神世界において何かイレギュラーな事が発生しているのだろう。
「あ、あああああっ!!!」
苦しそうに呻く奏の額から何度も凶暴な蔦が伸びてくる。それをメイサがばっさりと刀で切る。
『ウィル様、ティム様は……』
奏のこの姿を見て、青い薔薇を扱うフェリが暗躍していること、そして彼女を止めるべくこの場にいないティムが犠牲になったことを悟る。
リャナの短い報告にウィルは瞳を閉じたまま小さく頷く。その反応に、フィーナは耐えきれないと大声で泣き始めた。困惑したメイサが無言でフィーナの背中を抱きしめて宥める。
『……ティム様は全て分かってらっしゃったのですね』
「ああ。私がティムを殺したようなものだ。──後からハルの怒りを全て受け入れよう」
『ウィル様、ではハルカ様に全てを……』
リャナの提案をウィルは静かに否定する。
混血児の宿命について話をすることは、彼とそれを取り巻く関係全てを巻き込んでしまうのだ。
「私はハルをこれからも『ひと』として生活させるつもりだ」
『ですが、今フェリを完全に始末しなくてはハルカ様だけではなく、カイ様も……』
フェリは野放しするには危険過ぎる吸血鬼であることには変わりない。
ウィルもそれを理解しているからこそ、非常事態の為にティムに奥の手を持たせた。
しかしフェリの方が活動が早く、まさかここまで遥の友達に触手を伸ばしているとは誰も知らなかったのだ。
何枚も上手で、狡猾な女吸血鬼──
「フェリを完全に消すには、私もこの姿を捨てて、元に戻らないといけないな」
ウィルが元に戻る。それは今まで演じて来た遥の父親、ウィリアム=グレイス伯爵という仮初の姿を捨てて、始祖の吸血鬼に戻ること。
そうでもしなければ、危険因子であるフェリを止めることは出来ないのだ。
「リャナ、お前達に頼んでもいいか? ハルの事。そして彼の友人達の事を」
『勿論です。我々使い魔は、皆ウィル様の為に』
三体のエンプーサが頷いた瞬間、玄関が慌ただしい音を立てた。そのまま遥が勢いよくドアを開け、息を切らして入ってくる。
「はぁ……はぁ……」
「ハル……どうして」
四体の瞳に見つめられた遥は、そのままリビングに突撃する。きつく唇を噛み締めたまま、彼は無言でウィルの胸を叩いた。
フェリと接触したことで、遥は沢山の感情の波に襲われていた。接触したことでウィルにも息子の悲痛な叫びが流れ込んでくる。
「ハル……」
「なんで、なんで何も俺に教えてくれないんだよ! カイって誰? 双子の混血児は何処にいるんだよっ!」
「お前には、『ひと』として生活を送らせるつもりだった」
ウィルは静かに遥の肩を抱きしめる。
自分が『人間として』生きていたのは、もはや昔のこと過ぎて思い出せない。
子育ては初めて、ひとを愛したのも初めて。
ウィルにとって、遥との生活は全て〈初めて〉の連続であった。
「ハル、人間は寿命が決まっている。それは生まれた時に決められたものだ。私は、お前がその寿命を全うするまで人間界でお前を見守るつもりだった」
「じゃあ……カイは? カイは、どうなるんだよ……」
「ハルが生を全うした後に、その血肉を与えるつもりだ」
遥の骸を、もう一人の混血児に与えるというのだ。ウィルの真意を悟った遥はふっと冷たい笑みを向けた。
「やっぱり、あんたは化け物なんだな」
『ハルカ様っ……! 何てことを!』
その言葉に逆上したメイサは刃を遥に向ける。しかしその切っ先は遥まで到達することはなかった。
『ウ、ウィル様……!』
「メイサ、ハルは私の息子だ。何を言われた所で私が悪い」
彼女の刃を片手で砕いたウィルは瞳を紅へと変える。そしてその鋭い眼光はこれ以上手を出すなと暗に告げていた。
それでもウィルに仕えるメイサは主人を侮辱した遥を赦すことが出来ない。
『しかしっ……!』
『メイサ、おやめなさい』
凛とした声がその張り詰めていた空間を切り裂く。
奏の身体の上から金髪のツインテールの女性が姿を現わした。
見覚えのある黒いフードのローブ。彼女は、千秋の精神世界にいた女性だ。
『ご機嫌よう、ウィル様、お姉様、妹達』
「シエラ、道は見つかったか?」
ウィルは久しぶりとも言える再会を喜ぶでもなく、端的な質問をした。勿論彼女も時間がないことを悟っているので、頷きながら完結に現状を述べる。
『はい。これでこの人間を救う事ができます』
精神世界を唯一、移動することが出来るエンプーサ・シエラ。
既に奏の精神世界は硬く閉ざされており、外部から入る事が出来ない。その方法を探るべく、彼女は別行動をしていたのだ。
彼女の自信に満ちた笑みが、彼らの間に渦巻く暗い空気を変えてゆく。




