四十三話 遠藤姉妹
五限目まで終わった所で、遥と千秋は今日突然休みとなっていた奏の下に見舞いも兼ねて足を向けていた。
今までと変わらない日常であれば、たかが一日、二日休んだ所で心配はしない。しかし、今の異常な日本は明日があるかも分からない。閉鎖された渋谷区のように、突然黒い薔薇に侵食されて突然命が奪われる事もありえるのだ。
「奏の家ってこんなでかいんだなぁ」
「確か四人姉弟じゃなかったか? 大家族だもんな」
一人っ子の千秋と遥から見ると、奏が時折話す姉と可愛い義妹の話は何度聞いても羨ましいものだった。
インターフォンを押すと数秒でドアが開けられる。そこに立っていたのは奏の姉、遠藤咲だった。
「あ、俺達は奏のクラスメイトで友達の──」
「やだっ! うちにイケメンが二人もっ! ちょっと、萌!!」
咲はドアを閉めて再び中に入ってしまった。奏に会いたかった二人は呆然としたまま玄関で佇む。すると一分後にもう一人の女性と共に咲が戻ってきた。
「い、いらっしゃい。奏のお友達?」
後ろから顔を覗かせたのはもう一人、奏の姉である萌だ。千秋と目が合った瞬間、萌は頰を赤らめて俯いてしまっていた。
「俺は佐久間千秋と申します。こっちは藤宮遥」
「あぁ……イケメンが二人も。どぉぞ〜!」
萌は恥ずかしさの余りリビングに行ってしまったので、目の前でニコニコ微笑んでいる咲が三階で眠っている奏の部屋まで遥達を案内する。
奏の部屋の前についた所で彼女は部屋のドアをノックして弟の具合を確認にいく。返答があったようで、すぐさま咲は戻って来た。
「奏は今日突然調子悪くなったみたいで。一応午前中に病院に連れて行ったんだけど、お医者さんもよく分からないんだって」
「は、はぁ……」
確かに、熱もない、食事も取れている、痛みもない、ただいつもと違うのは『異常にやつれたことと、歩けない程弱っていること』だけ。
昨日までは元気に学校に行っていただけに、奏の家族も皆何が起きたのか分からなくて困っているらしい。
「お友達が来てくれたなら奏も元気になるかな。ごゆっくり」
咲はそう言うと遥達にその場を任せ、ゆっくりと階段を降りて行った。ノックをしてドアを開けると、少し身じろいだ奏はゆっくりとベッドから上体を起こした。
「ごめん、二人共わざわざ来てくれたのにこんな情け無い状態で……」
苦笑する奏はどこかやつれているように見えた。
──何かおかしい。奏の周囲から瘴気が漂っているように見える。千秋もそれは薄々感じているようで、二人共無言で奏の周囲の危険を感じ取ろうとしていた。
「なぁ、奏。お前昨日何かあったのか? 学校ではそんな──」
「たっだいまぁー!!」
千秋の言葉を遮ったのは元気な女の子の声だった。その声の主はドタドタと階段を登り、バンと奏の部屋のドアを開けて入ってくる。
「にーにっ! ただいまぁっ!」
声の主は奏の妹の佳代だ。例の保育園、〈マーガレット〉に預けられている。
彼女は遥と千秋を交互に見た後小首を傾げた。
「にーにのお友達?」
「そうだよ。千秋と、遥。──この子は妹の佳代。ごめんな、うちは姉妹が多いから煩くて」
「いや、俺達は姉も妹もいねーから羨ましいよ」
「ちあきちゃんと、はるかちゃん! よろしくねっ!」
佳代の小さな手を握った瞬間、遥の中に不思議な声が流れ込んできた。
『にーにを、奪わないで……』
「えっ……?」
遥を見つめる佳代の瞳から先ほどの笑顔は消え失せ、茶色がかった瞳は、青い光を放っていた。
まさか、と思い少女の手首を掴み、その甲を見つめる。するとそこにはくっきりと青い薔薇の紋章が浮かんでいた。
「佳代ちゃん、君は──」
「遥……僕の前で妹を口説かないでくれる?」
奏の少し呆れた声。そして千秋の冷ややかな目線と少しだけ頰を赤らめた佳代。
手首を掴んで手の甲をまじまじと見つめている自分は少し怪しい奴に見えるだろう。
「い、いや……そんな趣味は……」
慌てて否定するものの、その発言も少し相手を傷つけてしまうもので、その場をどう収めようか悩む。
青い薔薇──
それが果たして何を意味しているのか。
先ほど不気味な青い光を放った佳代の目。あれは間違いなく何かがついている。
「奏、明日は学校に来れそうか?」
「あぁ、一日寝てたから大丈夫だと思う。悪かったな、わざわざ来てもらったのに何もお構い出来なくて」
千秋に目で帰ろうと伝え、二人は鞄を持って奏の部屋から出る。
「またねっ、ちあきちゃん、はるかちゃん!」
無邪気な佳代の声に送られながら、奏の部屋のドアを閉めた。
「──奏は、吸血鬼に憑かれてる」
「……だろうな、昨日学校に来てた時はあんなに顔色悪くなかった」
二人はゆっくりと階段を降り、玄関までわざわざ見送りに来てくれた奏の姉二人にお邪魔しましたと告げて靴を履く。
外に出た所で一度三階を見上げてみる。すると、家に来た時は無かった筈の暗い雲が家の周囲を覆っているように見えた。
夕暮れとは言え、奏の家から離れた場所は暗い雲など一つもない。
その異常な光景だけでも、間違いなく遥達の友人に魔の手が伸びている事だけはわかる。
だがそれが一体何処から来ているのか。青い薔薇の紋章が何かは同じ吸血鬼に確認しないと何も分からない。
「俺は今日家に帰ってウィルに聞いてみる……奏の妹さんの手に、青い薔薇の紋章があったんだ」
千秋は眉を寄せて「まじか」と小さく呟いた。
「それって、やっぱり吸血鬼だよな?」
「──多分。ただ、問題は……佳代ちゃんを溺愛してる奏にどう伝えるか……」
血の繋がらない妹の佳代。奏は年の離れたその妹に対して、誰よりも愛情を注いでいた。
もしも彼女が半死人となっているとしたら──
その時は残酷な手段を取らなくてはいけない。
出来る事ならそうならない事を祈りつつ、遥は二日ぶりに家への帰路を辿った。




