四十二話 背後に忍び寄る影
千秋の家に逃げた遥は、早かれ遅かれフィーナに妨害されると思っていた。
しかし彼女は千秋の家を知らないので、探せなかったのだろう。もしかしたら彼女はウィルに叱られるかも知れない。
勝手な行動をした事は申し訳ないと思うが、いつまでも家に拘束されている訳にはいかないのだ。
遥はボールペンを走らせながらベッドで漫画を読んでいる千秋の背中に声をかけた。
「千秋、勉強進んでる?」
「……あのさぁ、遥。お前、俺ん家に中間の勉強に来たのか?」
「だって授業も進んでるだろ? 数字のノート貸して」
遥は一週間学校を休んだ分、千秋のノートを借りていた。勉強が嫌いな千秋は勉強机を占領している遥を見てため息を吐く。
「……真面目だなあ遥は。そんな勉強しなくても、お前記憶力いいじゃん」
「新しい所はきちんと勉強しなきゃ。それに休み過ぎて単位もまずい」
千秋は勉強嫌いのくせにノートだけは綺麗に取っている。俗に言う、綺麗にノートをつけると勉強した気分になるというやつだ。
「──千秋、ここの方程式間違ってない?」
「まじかよっ!! はぁ……明日奏に教えてもらうか……」
数学が大嫌いな千秋は時々、話を半分聞いていない事が多い。数字というものは答えが決まっているはずなのに、いくら解いても答えが出ないのはその手前が間違っているからだ。
結局、その夜は数学以外のノートを書き写す。二人はここ一週間の近況を話し合い、自然と眠りについた。
翌朝、千里さんの作った朝食を平らげた二人は仲良く学校へ向かう。いつも通る交差点の先にある保育園が遥の視界に入った。
「そう言えば、あの保育園って閉園したの?」
「ん? あぁ、最近化け物騒ぎで閉園したみたいだぜ。何だっけ、子供が凶暴化して先生に包丁振り回してたとか」
やはりまた別の吸血鬼が動いているのだろうか。子供が包丁を振り回して凶暴化などおかしい。しかも子供が大人を押さえつけるなんて普通ではありえない。
情報は政府によってかなり隠されている。閉園についても詳細は想像でしか無いのだが、遥はこの事件も吸血鬼が絡んでいると確信していた。
「吸血鬼は一体何をしたいんだろう……」
「さぁな。ただ一言言えるのは、吸血鬼とは違って、遥の父さんは俺達を守ってくれたって事だよ」
千秋はにかっと笑いながらウィルに礼を述べた。だが自分の父親をまだ吸血鬼と認める事が出来ない遥からしてみたらどう返して良いかわからない。
千秋のように、自分の父親が「普通の人間」だったら、こんなにも悩まないのだろう。
しかしそれは絶対に言えない……千秋も佐久間神社には必要されない男の子として産まれた事を嘆く心の闇を持っている。
望まれないで産まれた子供と、世界を破壊する吸血鬼の息子。
二人の悩みは、誰にも分からない。
教室に入ると、いつもと変わらない光景が広がっていた。一週間振りに遥が教室に入っても、隣には常に千秋がいるので他のクラスメイト達が話しかけてくる事はない。
「あっ、遥君おはよう!」
加奈と笑いながら教室に戻って来た唯が、ロングヘアの黒髪を揺らしながらこちらに近づいてきた。
「もう大丈夫なのか?」
「うん。お姉ちゃんは帰って来ないし心配だけど、お母さんも大分元気になったよ」
大学が完全に閉鎖された事を知った唯の両親は、今もあそこに娘が封印されていると思い込んでいる。しかし実際は政府の管理下となっており、生存者はいない。
あの不気味な黒い薔薇の事を知っているのは、千秋と唯、そして遥だけだ。加奈と奏は吸血鬼に遭遇していないので、黒い薔薇について話していない。
唯は加奈が自分の席に戻ったのを見送り、遥にこっそりと耳打ちをした。
「……遥君、ウィルさんに伝えておいて。色々ありがとうございますって」
唯は大好きな姉を吸血鬼に攫われている。しかも両親は大切な娘が未だに大学に捕らわれていると思い込んでいる。
そんな両親を慰めるだけでも大変だろうに、唯はいつもの明るい笑みを絶やさず、気丈に振る舞っていた。話題を変えたかったのか、携帯電話のニュース画面を開き、遥にそれを見せてくる。
「ねぇ遥君。最近のニュースで保育園が閉園しているの知ってる?」
「うん。千秋の家の近くも閉園してたよ。子供がおかしくなったって……」
「子供が突然化け物みたいに強くなったり、記憶力や運動神経が異常に発達する保育園もあるんだって」
確かに子供の身体能力や記憶力の発達は凄まじい。それは脳の使い方がうまいから潜在的な能力をそうして引き出すのだろう。
共働きをしている両親からしてみたら、保育園に通うだけで子供が成長してくれるのであればそれに越した事はない。
ニュースをスクロールしていくと、〈マーガレット〉という保育園が大きく取り上げられていた。
「──自由に子供達を遊ばせて、自然の中で成長させる……か」
「普通よねこの説明だけ見ると。でも〈マーガレット〉の子供達って、ここ数日でまるで別人のように身体能力が上がってるんだって」
唯が教えてくれたニュース特集を見つめ、遥はそっと口元に右手を当てて思案する。
数日で別人のように身体能力が上がる……そのような事が可能なのだろうか。
確かに子供の脳に作用する保育園のプランは色々あるし、ニュースで取り上げられるスーパー園児の特集だってある。
けれどもこの〈マーガレット〉は今まで聞いた事も、特集された事もない。はっきり言って無名の保育園だ。
特集されている写真に写る理事長も人間らしからぬ美しさが滲み出ており、とても【子供達が大好きな優しい理事長】には見えない。
裏があると直感で感じた遥は携帯画面のニュースから宍倉峰子という理事長を視ようと精神を集中した。しかしそれを実行する前に授業の開始前の鐘の音に遮られる。
唯に携帯電話を返し、皆がパタパタと自分の席に戻る。
学級委員で、皆勤賞の奏が休み……
遥は目の前にある無人の椅子を見つめ、何か嫌な胸騒ぎが広がっていくのを感じていた。




