三十九話 青い薔薇の紋章 三
ティエノフ家にやってきたウィルは、その鋭い眼光だけで全てを殺すような勢いであった。普段は温和で優しい笑みを絶やさない筈の彼がまるで別者のようだ。始祖の豹変した姿を見た周囲の吸血鬼達にまで緊張が伝わる。ビリビリした不穏な空気の中、彼が探していた女はクスクス笑いながらあっさりその姿を現した。
「あらウィル、一体何の用かしら。あたしの相手でも?」
「ティエノフ家は私との盟約を裏切った。裏切りはどうなるか……伝えた筈だが?」
いつもより低い声音は静かに抑えた怒りを表現するには十分過ぎる気迫だった。さらに張り詰める空気に、見守っていた下級吸血鬼達は息も吸えず、凍りついたようにその場から動けなくなっていた。
「さぁて、何の事かしら」
シラを切り続けるフェリの態度に、ウィルは詠唱もなく左手で魔法陣を描き、四体のエンプーサを召喚する。
戦乙女の彼女達は四方から槍をフェリに向ける。しかし、魔力も戦闘力も高い相手は蝙蝠の羽を大きく広げて高く飛んだ。
「下等な魔物が何体来ようとあたしの相手にはならないんだよ……踊れ死者の魂──〈死の円舞曲〉」
見えない糸のような物が彼女の両手から放たれ、それに絡みとられたエンプーサ達は身動きが取れずに顔を顰めている。
「あははっ、同士討ちでもしてなっ!」
操り人形のように自分の意思が働かなくなったエンプーサ達は、構えている槍を互いの顔に向ける。
フェリの指が首にスッと当てられた瞬間、彼女達は互いの顔を槍で貫く。操られていた糸が切れた瞬間、ぐしゃりと鈍い音を立てて彼女達は絨毯の上に叩き落された。真紅の絨毯に、じわじわと違う赤い滲みが彩られていく。
力の差は歴然。それなのに何故弱い魔物をどうして召喚したのか。その真意が全く分からないフェリは、ウィルの方に憐みを含んだ視線を向ける。
しかし茶番はあくまで時間稼ぎであったと思い知らされる。封印の呪符を持つウィルは裏切り者を完全に始末する準備を整えていた。
封印の呪符とは、盟約に違反した吸血鬼を棺桶の中で半永久的に封印するものであり、かつてそこに封印された吸血鬼はまだ居ない。ただ眠らされるのでは無く、裏切り者に相応しい悪魔の地獄を延々と彷徨うと言われている。
ただひたすら永遠の時を浪費する酷くつまらない場所だ。殺戮をゲームとして楽しみ、時間のある限り人間の子供を食したいというフェリにとって、真っ暗で何も無い空間で生かされる事は死ぬ事よりも辛い。
「ま、待って! あたしを封印したらカイは半死人になるんだよ!?」
「……カイは、私が封印する。貴様は先の事など気にする事なく死の国で永遠に眠るがいい」
せめてノエルが扱う死神の鎌があれば不利な状況であっても再度こちらに勝機はあった。だが武器もなく、切れるカードもない。今の激昂しているウィルに何を言った所で通用しないのだ。
本気の始祖に敵う者は居ないと誰かが震える小声で呟くのが聞こえた。普段は温厚で強行手段に出ないウィルが、一切の感情を殺している。
この時になってフェリは初めて冷や汗が伝うのを感じた。じわじわと近づいてくる明瞭な殺意から視線を逸らす事も、逃げる事も叶わない。
「ね、ねぇウィル……赦してよ。ちょっと魔が差して──がっ!!」
その動きを誰も捉える事が出来なかった。喉を潰す勢いで右手で急所を握られ、ふわりと身体が宙に浮く。息は完全に止まり、フェリの色白の肌から覗く頸部の血管は圧迫により色が変色していく。だらりと落ちた手足の感覚は次第に失せていった。
その様子を、下級吸血鬼達はただ怯えた眼差しで見つめていた。誰もその空間に立ち入る事は出来ない。それが、始祖の権力なのである。
「私はノエルを信用したからアスラを生かしておいたのに貴様は……っ!」
「ウィル、その位で赦しておくれ」
張り詰めた空間に水を差したのは現・ティエノフ家当主であるラグエル=ティエノフだ。
「フェリの始末はこちらに任せてもらいたい」
「貴様がこの女狐を野放しにした事が既に罪。フェリは信用出来ない」
「──ならば、始祖様にこれを」
ラグエルは苦笑しながら懐より宝飾のついた短剣を取り出した。
神々が人間に遣わしたと言われる十二の神器一つであるグラディウスだ。
「其れは我々ティエノフ家が、かつて神に認められた人間を討ち負かして手に入れた物。その短剣だけは使えない」
「──成る程」
ウィルは受け取った短剣の鞘を見て全てを悟った。グラディウスは特殊な神器であり、使い手を選ぶようだった。そしてその剣は非常に強力で吸血鬼を殺す力がある。
「分かった、フェリの始末は貴様に任せる。私は人間界に行く……ラグエル。此方は貴様に任せるが、決して暴挙を起こすな」
「御意」
失神してヒクついていたフェリはラグエルの手によって地下深くに封印された。
その数時間後、城に戻ったウィルは魂が死んだ状態の櫂に水晶の術をかけ、彼の時を全て止めた。生命活動さえも止まるその術をかけられている間は、櫂が薔薇の木となって変異する事も無い。
「済まない。お前達には苦労をかける」
勝手な都合で当主である自分が此処から離れる事を、残された吸血鬼達に告げる。
此方についてはオーフェン亡き今、分家であるティエノフ家当主のラグエルに任せる事で皆を纏めた。
オーフェンやウィルに心酔していた彼等は首を左右に振り、ウィルの強い決意を祝福した。
「ウィル様がハル様をお連れになって戻られるまで、何百年でもお待ちしております」
「人間界は穢れておりますから、どうかお気をつけて」
頼もしい仲間の見送りを受けたウィルは配下のエンプーサとティムを率いて人間界へと飛ぶ。
青い薔薇に侵食された櫂を救う為には、同じ境遇──即ち〈混血児の血〉が必要なのだ。──愛おしい息子を救う為、ウィルの静かな戦いが幕を開けた。




