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ダンピールと血の盟約  作者: 蒼龍 葵
第一章 第三部 吸血鬼編
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三十七話 青い薔薇の紋章

 櫂がグレイス家に来て早五年。血液と魔力さえあれば永遠を生きる吸血鬼(ヴァンパイア)達の世界は、何か大きな変化がある訳でも無く、単調に日々は過ぎていった。


 暦という概念の乏しいこの特殊空間において、櫂の年齢が人間で換算すると何歳に該当するのか、それは双子として地上で藤宮家で成長をしている遥を見ないと分からない。


 ウィル達上位の吸血鬼は数ヶ月に一度、定期的に人間界を偵察に行く。

 その間、櫂は大人しくウィルの部屋で読書に没頭していた。彼は自分が混血児である事を知らない。他の下級吸血鬼達と同じように扱われ、敵のいないグレイス家の中では伸び伸びと成長していた。

 人間達のように勉強をせずとも、沢山の言葉を耳から吸収し、直ぐにコピーできる。

 勿論運動神経も抜群で、学校に通わずともそれ以上の知識と運動神経を兼ねそろえていた。

 平和な日常──しかし、そんな櫂にも、突然魔の手は伸びる。


 ──コンコン。


「はい……?」


 食事の時間かと思い、櫂はゆっくりとノックされたドアに近づく。

 このウィルの部屋には結界が張られており、櫂は気づいていないのだが、下級吸血鬼や魔物を寄せ付けない効果がある。


 ウィル達は最低三日間此方に戻って来れない。その間、櫂に魔の手が延びないように『ノックと返答してきた主を確認し、部屋から出ないよう』言われていた。


「カイ様、わたくしはフェリと申します。ティム様の代わりに身支度のお手伝いに参りました」


 知らない女性の声が、ドア越しから聞こえる。今は身の回りの世話をしているティム(ファミリア)もウィルと共に偵察に降りているので、此処には必要最低限の使い魔しか居ない。

 それに、女性であれば脅威ではないはずだ。単純にそう考えた櫂は、何も警戒せずにそのドアを開けてしまった。


 目の前に立っていた女性は、白基調のメイド服を着ており、頭には白いカチューシャをつけていた。しかしメイドにしては、あまりにも妖艶な魅力に溢れている。


「あの……」


 おずおずと声をかけると、女性は恭しく一礼し、まっすぐに櫂を見つめてくる。


「はじめまして。わたくしはフェリです。今日から三日間、カイ様の身の回りの事を行いますので、どうぞよろしくお願いします」

「は、い……」


 白藍の髪に、紫紺の瞳の女性は満面の笑みを浮かべた後、紫紺の瞳を紅へと変えた。

 魅了チャームにかかった櫂の瞳から光は消え、まるで人形のように表情を失う。


 その様子を満足そうに見つめたフェリは覗く八重歯で櫂の左首をそっと噛む。

 声も上げずにただ身体をヒクつかせた櫂は唇を震わせていた。


混血児(ダンピール)の血……美味しい。流石、始祖様の子ね」


 全部吸血してしまうと櫂は死んでしまう。まして混血児は適合する血液が何処にも無いのだ。自然に生成される血液量で身体を動かすしか無いので、彼等は大きな事故や怪我が命取りになる。


 今の櫂は始祖の息子。それを殺しては、魂の封印だけでは済まされない。しかしフェリは欲望を抑える事が出来なかった。苦しそうに喘ぎ、首筋から美味しそうな香りを漂わせる混血児(ダンピール)の血の誘惑に勝てなかったのだ。


「ウフフ……始祖様。貴方が悪いのですよ。──私を選ばないで人間の女を選んだ貴方が」


 首筋を伝う櫂の血液をゆっくりと舌でなぞり、フェリは恍惚の表情で人形の頰を撫でた。

 彼の手首には、グレイス家の血筋である赤い薔薇の紋章と、もう一つ青い薔薇の紋章が浮かんでいた。それは、今フェリに吸血された事で彼女が扱う〈妖の狂夢(マインドコントロール)〉にかかってしまったのだ。


 フェリの術は強力で、対象の精神を何処までも喰らう。一日であればウィルに解く事も可能なのだが、遠征に行った彼らは最低でも三日間は戻って来ない。


「さあ、私の可愛い人形──始祖様を、殺しましょう」


 フェリはメイドの服を脱ぎ捨て、中から黒いビスチェを着た本来の姿へと戻った。抜け殻となった櫂の頰を撫でて、その唇をそっと塞ぐ。


「魂を壊して青い薔薇を咲かせなさい。貴方の身体からは、どんな美味しい花が咲くかしら──」


 それから三日間、櫂は抜け殻のままフェリに操られて過ごした。体内に埋め込まれた青い薔薇の種は心臓に根付き、もはや彼を元に戻す事は不可能となっていた。


 しかし、グレイス家の使い魔達はウィルの部屋に入る事は赦されておらず、中にいる櫂からも「入るな」と言われてしまうと、彼女達の出る幕はない。


「はぁ……はぁ……」


 薔薇の種に体内をズブズブと侵食され、呻く櫂の身体から青い薔薇の茎が表面に出る。その茎は自分の意思を持っているかのように(たくま)しく伸び、一瞬で花を咲かせる。

 混血児の血をたっぷりと吸い込んだその薔薇は、強大な魔力と美をフェリに与えた。


「そろそろかしら……人形ちゃん、始祖の血も貴方が全て吸い尽くしなさい」


 フェリが蕩けるような甘い声音で櫂にそう囁く。全て彼女の人形となっている櫂は、迷う事なく大きく頷く。満足そうにそれを見下ろしたフェリは、空間を歪ませ、中学校の制服を着て登校している櫂と同じ顔の人間を映し出した。


「このひとは誰か分かるかしら? 貴方のお母さんは、貴方を捨てて、双子の彼だけを育てたのよ」

「あ、あ、あ……」


 櫂の瞳が僅かに震える。初めて見た双子の弟。そしてその隣には、柔かな笑顔を浮かべる母親・華江の姿があった。フェリの術は妖。人の精神に作用し、幻を作り上げる事は他愛もない。

 あと一押し──さらにフェリは彼の耳元で残酷に囁く。


「可哀想なカイ様。貴方は人間の母親に捨てられたのよ。本来の貴方は、あそこに居るべきだった。父親であるウィルからも十分に愛されて居ないでしょう? だって──ウィルはティムの事が可愛いんですもの」


 その一言で、櫂は頭を掻き(むし)り吼えた。

 自分が吸血鬼ではないこと、親に捨てられたこと、そして──憎むべき相手を見つけたこと……。

 感情の渦が爆発し、櫂の体内で憎しみの薔薇が成長を加速させていく。


「あぁ……素晴らしいカイ様。もっと憎みなさい……貴方は、ティエノフ家を吸血鬼の始祖にする大切な存在なのだから」

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