三十六話 吸血鬼に育てられた櫂
吸血鬼の始祖が変わるという異常事態に、城内は震える。
決闘を終えて戻ってきたウィルの右手首には、赤い薔薇の紋章ともう一つ始祖の刻印が刻まれていた。
彼の先ほどとは全く違う気を見た者達は静かに道を開ける。
しかし、アスラだけは違っていた。ウィルが始祖を継いだ事にまだ納得していない彼は、ミストルティンの剣先を新たなる始祖へ向けた。
「納得行かねぇな。お前が新たなる始祖だって? 笑わせる。人間の女と交わって禁忌を犯した奴が俺達を統率するなんておかしな話だろう!?」
同意を求めるアスラの声が広間に響く。確かにウィルのした事を考えると、彼を始祖という立場に置くのは危険である。人間と交わり、人間側の立場に立たれてしまったら──
吸血鬼は、あくまで血の盟約によって動いているので、新しく始祖となったウィルの言葉一つで彼等の運命が決められてしまうのだ。
盟約において始祖に刃を向ける事も禁忌とされており、それに勝った所で罪は重い。
今回それが赦されたのは、あくまでオーフェンがその長き生を終えようとしており、後継者としてウィルを選んだからである。
しかも始祖を継がせる為に、わざとウィルの〈もう一つの彼〉を出現させ、しっかりとトドメを刺せる事も確認した上で命を散らした。
「なあウィル。お前が始祖になったら俺達はおしまいだ。人間の肩入れをするつもりだろう? そして俺を殺すんだろう? 混血児を連れ去った俺を」
「アスラ」
ウィルは隣で控えているティムからオーフェンの使用していた赤いマントを受け取り、それをばさりと羽織る。視線は吼えているアスラを見据えたまま、低く恫喝した。
「貴様が私の事をどう批難しても構わないが、私はオーフェン=グレイスから正式に〈始祖の血〉を受け継いだ。不満があるのならば、試してみるか?」
「はっ──上等……!」
アスラは舌なめずりをしながらミストルティンを右手で構え直した。大剣は彼が扱うと片手剣程度の重量しか呈さない。
「おらぁっ!!」
魔剣を真紅の絨毯に突き刺す。その瞬間、剣先から黒薔薇の蔦が広がり、ウィルに一直線に向かっていく。
『冥界より出でし甲冑の騎士よ。血の盟約において命ずる。かの者を討ち倒せ』
右手首の赤い紋章が光を放ち、その滴る血液は血の魔法陣を描く。
召喚された黒の騎士は黒い馬に跨り、巨大な槍を右手に握りしめている。重装備からは想像出来ない程の疾さで黒い馬はアスラの眼前まで移動した。
「ぐっ……!」
槍の先端を躱した瞬間、柄が回転して腹部を狙ってくる。それをミストルティンで弾き返すと、次は馬が方向転換をして再び槍撃を放ってくる。
「冥界の騎士なんかに……ふざけんな、よっ!」
ミストルティンは元・神器だ。アスラが魔剣に変えただけで、騎士の槍を砕く力は十分にある。再び二つの武器が交錯した瞬間、騎士の槍は跡形もなく砕け散った。
「終わりだ、黒の騎士」
ミストルティンを甲冑に突き刺した瞬間、その姿は赤い霧と共に姿を消す。
眉を顰めると、霧の先にいたウィルが此方を紅の瞳で射抜いてきた。
「全て無へと孵す天使の慟哭よ、時の狭間まで魂を滅せよ……時空の批正」
吸血鬼の詞で紡がれる詠唱と共に、ウィルの右手がアスラにただ向けられただけのように見えた。──が、周囲の空間は肉眼でもハッキリ分かるくらい歪んでいる。アスラの周囲だけ、重力が調整されていた。
「ぐ、あ、が、っ……」
ドンと見えない力が、全身を圧迫してくる。ついにアスラは膝をつき、息も出来ずに重力の波に潰されていく。皮膚からはぶしゅぶしゅと血が吹き出、眼球は今にも飛び出しそうになっていた。
苦悶に悶えるアスラを、ウィルは感情の無い瞳で見下ろしている。
「それ位にして頂けませんか? 始祖様」
凛とした声に一瞬だけ殺伐とした空気が和らぐ。声の主は死神の鎌を持ち、眠っている少年を腕に抱いたノエルだ。口元に笑みを湛えたままゆっくりとアスラに近づく。
「始祖様、アスラを始末する必要性は無いでしょう。そんなことをしても、一度死んだ女は戻りません」
淡々と真実を告げるアスラの言葉に、ウィルは重力波を消し去る。いきなり強烈な重力から解放されたアスラはそのまま絨毯の上に倒れこみ意識を失った。
「カイを此方に」
右手を広げ、死神の鎌をあてがわれている息子を呼ぶ。しかし櫂はノエルに術をかけられているのか、まだ目覚めない。
少し焦りを見せるウィルに、ノエルは右手の人差し指を唇にあて小さく微笑んだ。
「始祖様、では契約をして下さい。我々ティエノフ家は、混血児に手は出しません。代わりに、貴方様も我々を始末しようとはなさらないで下さい」
「分かった。ティエノフ家に手は出さない。忘れるな、貴様が私を裏切ったその時は」
「はい。心得ております。ありがとうございました」
狡猾なノエルとの取引は身を滅ぼす。華江という母親を失ったせめてもの償いとして、彼等混血児が〈ひととして〉生を終えるまで、ウィルはただの父親として見守りたいと思っていた。
混血児が、ひととして生活を送れる世の中になれば、人間と吸血鬼の関係性は変わるかも知れない。
それが、命を落とした華江の願いであった。ウィルもそう願っていたので、二人は禁忌を犯したのだ。
ノエルは傷つき気絶している仲間を肩にくの字で抱え、代わりに腕に抱いていたカイを受け渡す。
「では、新しい始祖様──御機嫌よう」
恭しく一礼したノエルは黒い霧と共に一瞬で大広間から姿を消した。食えない男、ノエル──
彼の持ちかけた契約はウィルにとってかなり好ましくないものであったが、華江の残した宝を守る為、そ種族間の溝を埋める為に混血児の存在は必要なのだ。
櫂を抱きしめるウィルの瞳は、先ほどアスラに向けていた殺意の込められたものから、父親の暖かい眼差しへと変わっていた。




