三十五話 血の盟約
吸血鬼の特殊空間──。
使い手によって異なるが、それは術者と決められた者のみが入ることを赦され、それを破るには術者を殺すか、或いは術を解くしか方法がないと言われている。
残忍な吸血鬼の集うティエノフ家を止めるには、ウィル自身が始祖になるか、または始祖の力をお借りするかしか方法が無い。
全ての吸血鬼をも纏める力──それが始祖。
(このままティエノフ家を野放しにしたら人間と吸血鬼の確執は広がる一方。──互いに無駄な血が流れる)
ウィルは自分をグレイス家に引き入れた親のようなオーフェンと対峙する。
「……オーフェン様、覚悟は出来ております」
「血の盟約を行うか。儂が死ぬか、お主が消えるかのどちらかしか道はないぞ」
「はい」
血の盟約。それは吸血鬼において尤も重要な契約のひとつ。
それは血で一生を束縛する力を持ち、契約の解除は術者が死ぬまで続く。
オーフェンは吸血鬼として君臨した時からティエノフ家と血の盟約を結び、己に危害が加わらないようにしていた。
勿論、彼が今も生きている限り、それが数百年経った現在も契約は続いている。
「ウィルよ。アスラを遣わして、聖乙女の血を手に入れた儂を憎め。──お主が初めて愛した人間を殺した儂を」
オーフェンは心を読まずとも、最初からウィルの迷いを知っている。迷いのある剣では相手を始末することなど出来ない。
華江の残した子供を守る為には、始祖を殺して血の盟約を更新しなくてはならない。
始祖と数え切れない年月を共にし、様々な事を教わってきたウィル。そのご恩を自分の勝手な都合だけで潰して良いものなのか。
迷いは剣先を鈍らせる。それは彼自身、頭の中で理解しているつもりだ。そして、その迷いが命取りとなる事も。
「──温いなウィル。ならば、お主が儂を殺したくなるようにしよう」
決闘用の特殊空間には、術者が描いた者を出現できる。
溜め息と共にオーフェンは空間をぐにゃりと歪める。円状のスクリーンと化したそこには、小学生の遥の姿が映し出される。
ランドセルを背負い、家までの帰路を辿る遥の背後に、死神の鎌を持ったノエルが立つ。
死神が口元だけで笑いながら遥の首に鎌を当てた所でその映像はふつりと消えた。
「ハルっ……!」
これは、あくまでもオーフェンが自分に見せた〈未来の可能性の一つ〉。そして過去の遥をこうやって消すことも可能だと暗に告げている。
混血児の力は無限大。今はまだ眠る力で危害は無いとは言え、彼が成長したその時に命を狙われるだろう。
ノエルの持つ死神の鎌に首を刎ねらた魂は永遠に地獄で彷徨う事となる。
ティエノフ家の問題児は、暴れるアスラだけではない。死神の鎌を扱うノエル。当主もまだ健在でいつグレイス家を潰そうか目論んでいるくらいだ。
「これを見てもまだ躊躇うか? お主は、何を守りたい? 吸血鬼の未来か、自分が犯した罪の結晶か、それとも──」
「……始祖様、私の意思は固まりました。──貴方を殺します。これからは私がグレイス家の全てを背負い、吸血鬼の未来を変えます」
紅の瞳から一切の表情を消したウィル。空気が変わったことにオーフェンは小さく頷く。
オーフェンに一歩踏み込んだウィルの剣先は速度を上げる。
「はぁっ……!」
「ふんっ……」
オーフェンも本気を出し、ウィルの薔薇剣を二つにへし折る。しかしそれも見越していたウィルは、剣先を握りしめて己の血を薔薇に吸わせる。
「──血の赤薔薇……舞え、我の血を糧として!」
血の刃へと変わったウィルの剣は迷いなくオーフェンの手を深々と貫く。
「ぐぁ……」
『──血剣・煉獄』
血剣は高貴な血を吸い込むことでさらに力を増す。
彼の手から放たれた折れた刃から作られし数多の赤い短剣がオーフェンの全身に食い込む。
それはまるで暗殺剣。──ウィルが未だかつて一度も披露したことの無い〈もう一つの彼〉だ。
口から血の固まりを吐き出したオーフェンは満足そうに微笑んだ。
今後の吸血鬼の未来を託す事に、彼の瞳には不安の色は浮かんでいなかった。
砂となって消えていくオーフェンの前で、ウィルは瞳を閉じて跪拝する。
「──始祖様、ありがとうございました。私は仲間を守り、人間達との関係も変えて見せます」
オーフェンの死により、闇色の空間は城の壁へと戻り、吸血鬼の特殊空間が解除される。
決闘から戻ってきたのがオーフェンではなくウィルであることで、何が起きたのか皆は悟る。
「──オーフェン=グレイスは死んだ。本日から、我ウィリアム=グレイスが当主となる」
静かに仲間にそう告げたウィルの瞳には決意の炎が宿っていた。
始祖の血と立場を継承したこの日、グレイス家の当主となったウィル。
全ての吸血鬼を纏める、第二の始祖の誕生であった。




