三十四話 始祖を継ぐ事
始祖であるオーフェン=グレイスの住む城──。
その城の地下から身体を起こし、ゆっくりと一階へと戻るウィル。彼を見た仲間は声をかけようとするものの、普段とは明らかに異なる姿を見て言葉を失う。
普段の温厚な彼からは想像も出来ない気迫と静かな殺気は何処へ向かうのか。仲間らは彼を止めることは出来なかった。
重厚な扉が荒々しく開かれ、中にいた吸血鬼達は一斉に扉の先に立つ者へ視線を向ける。しかし、向けられる視線など全く気にも止めず、ウィルは対象を探す。
「アスラ」
低い声音が対象を呼ぶ。こちらを睨みつける殺気だった紅の瞳に、名を呼ばれたアスラは楽しそうに口角を吊り上げた。
「何だよウィル。お目覚めの機嫌が最悪──がっ、は」
にやにやと笑っていたアスラは、それ以上言葉を発することが出来なかった。
ウィルの爪が喉元に食い込み、壁にぶち当たった身体は宙に浮かされる。
「華江さんを殺したのは……お前か」
「う、ウィル様……同族殺しは──」
ティエノフ家配下の吸血鬼はウィルに睨まれただけでその身体を凍りつかせる。
温厚で、決して仲間を傷つけることのないウィル。
血走った緋色の瞳に、明瞭な殺意。
上位吸血鬼同士の戦いに、他の吸血鬼らは忘れていた感情を思い出す。
──消されるかも知れないという恐怖。
「だ、としたら──?」
「殺す……」
低い声が結論を導き出す。
彼の右手から取り出された赤い薔薇は、一瞬で血色の剣へと変わる。
「は……ウィル、お前には同族殺しの罪を被る事は出来ない。──それに、俺にも相棒がいるんだから、なっ!」
アスラの菖蒲色の瞳が真紅に変わると共に、空気が凍りつく。
少しずつ闇色に変わる空間。呼吸までも苦しく感じる冷たい闇に、不運にもその場に居た下級吸血鬼らは呻き声をあげる。
一歩アスラの前に踏み込んだウィルが空気の変化に気づき再び距離を取る。着ていた黒装束の布生地がはらりと床に舞うのを見たアスラがくっと笑う──。
「惜しいな──もう少しで真っ二つだったのに」
アスラの右手にしっかりと握られていたのは主人を守る神器ミストルティン。
両手剣の重量を持つそれを、悠々と片手でくるくると回し、正面に構え直す。
好戦的な彼は、珍しく戦闘態勢を崩さないウィルを楽しそうに見つめている。
(アスラは殺しとしか考えていない……)
同族殺しですら、アスラにとってはゲームの一つに過ぎないのだ。それを肌で感じ取ったウィルは静かに瞳を伏せ、指先に気を集めはじめる。
「人間の女は生き血となりました。その子供である混血児は──俺達の餌になるんだよ」
「元素を司る精霊、マクスウェルよ……時空の彼方に奏者を導き、闇夜を払う──」
「そこまでだ。ウィル、アスラ。お主ら何をしているっ!」
不老不死の吸血鬼の中で唯一、始祖と呼ばれる年老いた吸血鬼。
彼の名はオーフェン=グレイス。老いたのは外見のみで、それ以外のステータスは何千年の時を経ても全く変わらない。
闇色の空気を一瞬で元に戻す鋭い恫喝に、彼等は慌てて動きを止めると跪いた。
声の主はゆっくりと彼等に近づき、わざとらしく大きなため息をつく。
「……ウィルよ、お主を蘇生するようにアスラへ伝えたのはこの儂じゃ」
「オーフェン様、私は……」
「お主は儂の血を継ぐ者」
全て彼の手のひらで舞う自分に、勝手に死すことも許されないのだ。
吸血鬼は自らの命を断つことすら出来ない。彼らが死す時は、自分よりも能力が上の者に消されるか、または神器によって魂を断たれるかそのどちらかしかない。
唇を噛みしめたウィルは無言のまま主人の後ろに続く。
始祖とウィルが部屋から消えた事で、張りつめていた空気が一瞬で和らぐ。しかし、興奮冷め止まないアスラは、ミストルティンをブンブン振り回しながら、誰も居ない窓に向けて剣を突き刺す。
「ウィル……甘ぇんだよお前は」
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〈吸血鬼の始祖と呼ばれる〉オーフェン=グレイス。
彼は「人間は全て餌だ」と言う弟分のティエノフ家とは考え方が根本的に異なっている。
大地と共に生きる他種族が、増え続ける人間によってその儚い命を落としてきた。ドワーフ、エルフ、妖精──。
生活の場を奪われた彼らは、それでも人間に刃向わずに日陰の中で生きている。
人間の傲慢。果たして、それは正しい事なのか、それとも神が認めた世の中の移り変わりなのか──。
人間と他種族の共存は可能なのか、人間は始末すべきなのか。
もう少し人間のことを知るべく、ラグエル=ティエノフに内密でウィルを地上へと遣わしたオーフェン。
──それが、ウィルと藤宮華江の出会いとなる。
「人間の世界に降り立って学んで来たか?」
「はっ……私が〈人間〉として生活している間に一人の女と出会いました」
ウィルの報告にオーフェンは「そうか……」と言い黙り込む。
「人間の女と交わり混血児を産み落としたのか」
「……」
息子を殺されるかも知れない不安に、ウィルは静かに口を閉ざす。
見兼ねたオーフェンはそんなつもりはないと先読みして言葉を紡ぐ。
「ウィル。お主を吸血鬼にしたのは儂の勝手な都合じゃ。忘れるでない……お主は、これから吸血鬼の新しい世を作るのだから」
「……私には、そのような力はありません。ですが、アスラ達のように人間に対して残虐行為を繰り返すのは見ていられません。
あれは神々が再び人間を奮起させる要因となりますし、いずれこちらに攻め入るでしょう」
「──そうだ。ラグエルもそれに気づいていない。ウィルよ、だからそこお主に未来を託したい」
吸血鬼の未来を見越したウィルの分析に、オーフェンは目尻を下げて満足そうに微笑んだ。




