三十三話 出生の秘密
神に認められし人間界最強の剣士が、よもや敵に回るとは。
勿論、今の斗真に勝機などない。彼は抜刀した刀を一度鞘に収め、再び精神を統一させた。
「居合いってやつだろう、それ」
「──っ!」
本来は敵が近づく瞬間に抜刀。しかし、斗真が思っていた以上にアスラの動きが疾すぎたのだ。
斗真の右手首をあっさり掴んだアスラは、菖蒲色の瞳を真紅へと変えた。
細い腕の何処にそのような力が眠っているのか、アスラが少し力を込めただけで、斗真の骨が砕け散る。
「ぐ、あああああぁっ!!」
「──人間の骨って、簡単に砕けるよな。脆すぎる」
彼も、元は人間であったはずなのに、紅の瞳には情というものは一切映されていない。
(このままでは──殺される……)
本気の吸血鬼に勝てる見込みなどない。それどころか、彼はまだミストルティンを振るってすらいないのだ。
絶望的な状況下の中、唯一幸いな事と言えば斗真が正宗を納刀した事だ。
神器が万が一この場で奪われたとしても、誰も抜刀出来ない。
全身から冷や汗を流しつつ、潰された右手首を抱え、斗真は死を覚悟して瞳を伏せた。
「はっ。もう少しヤルかと思ったけど、つまんねぇの。まぁいい……ウィルを連れて帰るのが目的だし」
アスラは闇に姿を消す前に懐から一輪の黒薔薇取り出し、それを地面に向かって投げた。
深々と地面に刺さった黒薔薇は、淡い光を放つ。──それはまるで、自分の意思を持っているかのように。
花弁から放たれる淡白い光。根を大地に這わせ、奥深い土から栄養を貪る。
黒薔薇に侵食された土は苔色へと変わり、次第に成長する黒薔薇は屋敷全体にその根を張らせた。
「これは……」
一瞬で薔薇に侵食された屋敷を見て華江は震える声を絞り出す。
漆黒の花弁を散らし、大地の栄養を啜り成長する花。これは、彼らがまたいつか報復に来る為の目印なのだろう……。
斗真が眉間に深い皺を刻み、天を睨みつける。
「まさか、死骸を取られるとは──厄介なことになった」
「どういう事? お父様」
最愛の人を失った華江はまだ現状を受け入れられず、涙で濡れた顔を上げる。
しかし華江の質問に返答はなく、父は何かを思案しているようであった。
(この子だけは──何があっても私が守る……ウィルとの大切な子だけは)
華江の静かな決意に対する返事のように、腹を蹴る我が子。元気に産まれる姿を想像しながら華江は丸くなった腹を撫でた。
「華江、お前は吸血鬼と交わってしまった」
また説教か。そう思い華江は少しだけ唇を尖らせるが、父の表情は嘆きの色を含んでいた。
「お前の血液は吸血鬼に取って極上の美酒。それだけじゃない。──死んだ奴も蘇生する力を持っている」
「先ほど彼が言っていた言葉ですか? その、ジャンヌなんとか」
「あぁ……多分、あいつらはお前の命を狙いに来る」
元人間で、かつ人間界最強の剣豪に狙われる愛娘。
正面からまともに戦って勝てる相手ではない。
頭を抱えて小さく肩を震わせる父に、華江は微笑みを向ける。
「お父様、私はこの子を産みます。混血児は人類にとって希望になりますから」
「それは……」
混血児は見た目上、人間と何ら変わらない。まして吸血鬼特有の弱点がある訳でもない。
華江が吸血鬼と交わったことそのものは禁忌とは言え、産まれる子供は生活の上で何ら困る事はないのだ。
「お父様、ウィルを失った今、私達がすべき事は何です? この子が未来を変えてくれる……そう信じております」
娘の強い決意に、斗真はそれ以上何も言う事もなく、静かに踵を返し屋敷の中へと向かう。
取り残された華江は空に浮かぶ赤い月を見上げて我が子への決意を込めて腹を撫でた。
(ウィル──貴方との子は、何があっても守ります)
────────
藤宮の屋敷がアスラに襲撃されてから二ヶ月後、華江は元気な双子の男子を出産した。
元々腹に居たのは一人なのだが、やはり混血児──体内で何か異変が起きたらしい。
今までのエコーや画像を確認した医者も首を傾げていたが、産まれてきた児は二人共何一つ異常は見られなかった。そのため、特に病院側から追求される事は無かったのだという。
しかし穏やかな平穏は、長く続かなかった──。
華江が産んだ『遥』と『櫂』
〈希望〉の二人は地下の結界に安置され、守られながらすくすくと成長する。
「天気が悪いわね……よしよし、櫂──泣かないで」
地下でずっと泣いていた櫂を抱いて地上であやしていた華江。そこに訪れる悪魔の二体。
「あ、貴方達は──」
「迎えに来ましたよ、ハナエ。さぁ、お前の血を始祖様に捧げよ」
「こ、子供は助けて下さい。この子は……」
「混血児は我々にとって敵だ。だが、手の内で育てるならいい戦士になるだろう」
アスラは顎で配下の夢魔に指示し、華江の手から泣きじゃくる赤子を取り上げた。
「あっ。か、返してっ!」
「こいつは我々が育ててやるさ。──人間を滅ぼす最強の機械としてな」
「やめて、お願い……櫂は、人間です!」
「うるさい女だ……」
暴れる華江をくの字で抱き上げ、手刀を当てて彼女の意識を落とす。
深く、長き眠りについていたウィルは、暖かく、甘美なる血の匂いで目覚めた。
彼の頰を濡らしたのは聖女の赤い涙。
目覚めた彼の視界に最初に入ったのは、自分が初めて愛した人間の女の変わり果てた姿。
ウィルの咆哮が空気を切り裂く。
黒ずんだ骨と皮だけになった彼女はもう微笑まない。
同胞に対して深い憎しみを刻んだウィルは彼女の亡骸を丁重に屠り、涙を流すこともなくその場を後にした。




