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ダンピールと血の盟約  作者: 蒼龍 葵
第一章 第二部 唯編
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三十六話 聖者の杖


 セイクリッドワンドが地に突き立つと同時に、黒い蔦がシヴァの腕へと絡みついた。

 魔力を吸い上げるたび、赤い閃光が杖へと奔り、木の質感は焼き尽くされるように消えていく。

 瞬間、赤い宝石を核にした刃が伸び、灼ける光を放った──聖杖は魔剣へと変貌した。


 シヴァはその刃を握りしめ、影のように遥へ迫る。

ゼロ距離。息を呑む間もなく、グラディウスと魔剣が火花を散らして激突した。

 金属が悲鳴を上げ、衝撃が空気を裂く。


ギィン──


 金属が弾ける音と共に、遥の神の刃は無残にも半分に割れた。神器の短剣が、魔力を喰らった杖に完全に敗北した瞬間だった。


(まさか……神器が破壊されるなんて)


 動揺を隠せない遥に、シヴァの攻撃は容赦なく続く。

 彼は必死にその刃を躱しながら後方へと距離を取り、白龍の横へと身を寄せた。


「あの杖は魔力を吸い込んで最強になるのか?」


『はい。悪魔の杖(・・・・)です。持ち主の魔力を死ぬまで吸いあげて最強の破壊力を生み出すもの』


「死ぬまで……」

 その言葉に、遥の背筋が凍りついた。

 そこまでして、シヴァは一体何を望んでいるのか。

 彼女が命を賭してまで若き聖乙女の血(ジャンヌ・ブラッド)を求める理由とは。


「教えてくれ、シヴァ……誰の命令でウンディーネを封印していたんだ!」


『知りたいなら、私を倒すことだね!』


 シヴァが再び距離を詰め、遥は残ったグラディウスの柄で必死に攻撃を払う。だが武器の長さも力も圧倒的に違い、状況は不利なまま。


 白龍が時折白炎を吐き出し援護するが、その炎も霧も、聖者の杖(セイクリッドワンド)によって容易くかき消されてしまう。

 圧倒的な力の前に、遥はただ必死に立ち続けるしかなかった。

 不利な状況に閉口していたその時、突然ウンディーネが割り込んできた。


『良いぞ、遥──頼む』


 その双眸には既に覚悟が宿っていた。

 いつかこうなることは〈運命〉で決められていたのかもしれない。

 シヴァを救いたいと願っても、グラディウスを折られた今の状況ではこちらが命を落とすだけだ。


「……ごめん、ウンディーネ」


 遥の言葉に、ウンディーネは穏やかに微笑んだ。その笑みは、残酷な真実を受け入れた者の静かな決意。


『セイクリッドワンドを砕くには……よもや姉上を殺すしかないのじゃ』


 その言葉は、逃れられぬ選択として遥の胸を鋭く抉った。


『トドメだ! 混血児(ダンピール)


 特攻してきたシヴァの切っ先を紙一重で躱した遥は、宙で身を翻し彼女の背後を取る。

 押さえつけた右腕へ、グラディウスの折れた刃を突き立てた。


『ぐっ──!』


 杖へ注がれていた魔力の流れが断たれた瞬間、セイクリッドワンドは黒く変色し、シヴァの全身を侵食し始める。


『ああああっ!……うがああっ……』


 赤い宝石が不気味に黒く輝いた刹那、シヴァの右腕は音もなく空気に溶けた。

 杖に殺される結末を予見していた彼女は、自身が失われていく様を自嘲的に笑う。


『あ、ハハ……これがセイクリッドワンドの悪魔さ……まさか、私が混血児(ダンピール)に負けるなんて』


「教えてくれ、シヴァ……貴女の目的は一体──」


混血児(ダンピール)、私以外にもお前に敵対する精霊はこれからも現れるだろう。ウンディーネ(いもうと)を……頼む』


 目的を最後まで語らぬまま、シヴァは最後の魔力を注ぎ込み、悪魔の杖を粉々に破壊した。

 中核となっていた黒い宝石だけが、カツンと乾いた音を立てて地面を転がる。


 満足そうに微笑んだ彼女の魂は、きらきらと光の粒子を残し、空気へと溶けて消えた。

 何ひとつ残さずに消える精霊の最期──。


「……結局、シヴァの目的は分からなかったな」


 ウンディーネを封印した理由──そして吸血鬼(ヴァンパイア)が欲する若き聖乙女の血(ジャンヌ・ブラッド)を何故求めたのか。

 その答えは、結局シヴァの口から語られることはなかった。


『さて、これで妾も戻れるのう』


 シヴァの消滅と同時に、ウンディーネ本体を閉じ込めていた氷が音もなく溶けていく。

 ほぼ同時に彼女が依代としていた蒼龍も消え、ウンディーネはついに実体を取り戻した。

 白龍も危機が去ったことを確認すると、霧と共に静かに姿を消す。


 遥の瞳は赤色から元の茶色へと戻り、膨大な体力と魔力を失った彼はその場に膝をついた。


「遥君!!」


 唯が駆け寄り、彼の首に抱きつく。

 長い緊張から解き放たれ、互いが生きていることを確かめ合いながら、ようやく安堵の息をついた。


「遥君……ありがとう」


「唯が無事で良かったよ……」


 唯の震える背を抱きしめていると、実体を取り戻したウンディーネが柔らかな笑みを向けてきた。


『妾を元に戻してくれたこと、礼を言うぞハルカ──いえ、ハルカ様』


 豊穣の女神と謳われるウンディーネは、腰まで流れる蒼き髪を揺らし、艶やかな肢体を薄布一枚で覆っていた。

 視線のやり場に困った遥が目を逸らすと、彼女はクスリと微笑み、静かに跪拝(きはい)する。


『其方と血の盟約を結ぼう』


「血の……盟約?」


『妾の本来の主人(マスター)はウィル様じゃ。それを血の盟約において其方へと移すことで、いつでも妾の力を使えるようになる』


「えっ、でも俺……アグニとそんな契約を……」


『あやつは形式に拘らぬ。本来なら主人の命令なく力を貸すことは許されぬのじゃ。最も、あやつの場合は妾と契約の在り方が異なるが……な』


 そう言うとウンディーネは遥の薔薇の紋章に口付け、その柔らかな皮膚へと噛みついた。


「っ……!」


 じわりと血が滲み、彼女はその赤をぺろりと舐め取る。

 「契約完了……」と小さく呟いた時には、傷口はすでに止血されていた。


『──さぁ、元の世界へ』


 ウンディーネは力強く告げ、空間を捻じ曲げて(ゲート)を開いた。

 不安そうにこちらに視線を向けた唯が先にその中へと入る。


『ハルカ様』


「ん?」


『──これから辛いことが起ころうとも、決して振り返ってはならぬ。其方は正しいと信じた道を進むのじゃ』


 その言葉に問い返す間もなく、(ゲート)は音もなく閉じられる。

 そして──遥たちは吸血鬼(ヴァンパイア)と己の血に対する問題と向き合うため、精神世界から現実世界へと還った。

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