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ダンピールと血の盟約  作者: 蒼龍 葵
第一章 第二部 唯編
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二十七話 黒い薔薇の紋章 三


 唯は何度も姉に電話をかけていたが、画面には機械音声で「おかけになった電話番号は──」とお決まりの返答で、全く繋がらない。

 どうやら彼女のいる場所で電波障害が発生しているらしい。


「……変ねぇ、お姉ちゃんが電話に出ないなんてありえない。あの人は携帯が無いと死ぬんじゃないかってくらいなのに」


「……もしかして、講義中とか?」


「ううん、この時間は空いてるはず。いつもサークルに行きたいからって、二限目は必ずミステリーサークルの部室にいるのよ」


 学業よりも常にサークル優先。そんな自由すぎる姉を思い浮かべ、唯は苦笑する。だが、その笑みの奥には、いつもなら必ず繋がるはずの声が届かないことへの小さな不安が芽生えていた。


「なんだろう──」


 電気屋にある巨大テレビの前に人だかりが出来ている。芸能人でも来たのかと思わず二人でテレビに視線を向けた。

 しかし残念なことに、放映されている内容は穏やかなものではない。緊迫した様子のアナウンサーがN大学の中継画像と、変死体についての原稿を読み上げていた。


「ゆ、唯。これ──」


『本日、午前十時半頃よりN大学で黒い薔薇が大量発生しております。渋谷区と同様に近づく人を襲うようです。政府の方から──』


 周囲の人だかりも、そのニュースを怯えた様子で凝視していた。

 それも当然だ。渋谷区が閉鎖されたのはつい先日の出来事──そして今度は大学。

 目の前に広がる暗雲は渦を巻き、黒い巨大な薔薇は大学全体を呑み込むように咲き誇っている。 

 その姿は、遥が夢で見た〔渋谷区のスクランブル交差点から咲いた物〕と寸分違わぬものだった。


「お姉ちゃんの大学……ど、どうして……」


 唯は震える声で顔を覆った。姉の安否が気になるのは当然だ。

 大学の中では凶暴な黒薔薇が蠢き、人も機械も近づけば瞬時に絡め取られる。その閉鎖空間に取り残された者が生きている可能性は、限りなく低い。

 だが不可解なのは、狙われた場所が吸血鬼(ヴァンパイア)にとって宿敵となる要素もない場所。それなのに、なぜ惨劇の舞台となったのか。

 偶然にしては出来すぎている。

 まるで何者かが意図的に「無防備な場所」を選び、次々と黒薔薇を咲かせているかのようだった。理由の見えない選択が、かえって恐怖を増幅させる。


「遥君……行こう?」


 唯は不安げな瞳で遥を見上げ、服の袖をくいっと引っ張った。画面に映る惨状を見続けても、自分たちではどうにも出来ない。胸に広がるのは不安ばかりだ。

 一刻も早くウィルに相談し、唯の手の甲に浮かぶ光の謎を追わなければならない。

 その光が、今の混乱と繋がっているのかもしれないのだから。


 一方、同時刻──


「黒薔薇だって。これは間違いなくティエノフ家の誰かだろうね」


 ティムはそう話すが、テレビで放映される光景を見るウィルとリャナの表情はかなり険しい。


「それでティム、千秋君は回復しそうなのか?」


「ん〜、精神がかなり削られてるけど、あと一週間くらいで動くんじゃないかな」


 金髪のポニーテールを揺らしながら、お菓子を幸せそうな顔で頬張るティム。


 千秋は霊感が強いだけの、ただの人間(・・・・・)だ。

 精神世界を二度も侵されるなど、本来なら耐えられるはずがない。普通の人間であれば、その衝撃に心を砕かれ、精神崩壊に至ってもおかしくはない。


 遥を千秋の精神世界へ送り込んだのは、ウィルにとって一種の(かけ)だった。

 だがその賭けは成功した。遥が千秋を救えたのは、彼の友人(とも)を想う気持ちが常人を超える強さを持っていたからだ。その想いこそが、黒薔薇の災厄に抗う唯一の力となった。


「ひょうひへは……」


「ティム、食べながら話すな」


 呆れたウィルの声に、ティムはラムレーズンのチョコレートをバリバリ平らげて、唇をぺろりと舐める。


「──そう言えばさ、ウィル。若き聖乙女の血(ジャンヌ・ブラッド)を見つけたんだって?」


 確信をついた言い方に、ウィルは驚愕する。


「……驚いたな。誰から聞いた」

「シエラだよ」


 ティムが紡いだその名前に、ウィルとリャナは互いに顔を見合わせると、ほっと安堵の息をついた。


「……彼女は今何処にいる?」


「あいつは夢魔(サキュバス)にくっついてるから、何処に居るかまではわかんないよ」


「生きているだけで十分だ」


「だね。あっ、リャナ、チョコレートもう一枚頂戴」


『ダメですよ、それにはお酒が入っていますから』


「けち〜。ラムくらいいいじゃん。ボクが一体何歳だと……」


 様々な問題の浮上にウィルがため息をついた瞬間、耳障りな切ない音色が脳に直接響き渡った。

 それは誰かの悲鳴にも似て、警鐘のようでもあり。


「やっぱり見つかったか」


 やれやれとソファーから上体を起こしたティムは、懐からチェーンクロスを取り出す。その金属の冷たい輝きが、次の戦いの予兆を告げていた。


「ウィル、【結界呪法(アブソリュード)】」を早く……」


「この音色──ノエルか」


 ウィルも左耳のイヤリングを外し、本来の吸血鬼へと姿を変える。それと同時に、両腕から自身の血を吸い力とする赤い紐を取り出した。


 可愛らしいオカリナと死神の鎌というアンバランスな武器を携えたノエルが、屋敷の空間をねじ曲げるようにして突然現れた。

 その姿は闇を裂く幻影のようで、口元に浮かぶ笑みは冷ややかだが美しい。

 そして始祖であるウィルに対して(うやうや)しく一礼する仕草は、支配者の余裕そのものだった。


「ご名答。流石ですね、始祖様」

「……物騒な物を持ち出してきたな。今度は何の魂を狩るつもりだ」


 淡々と応じるウィルは赤い紐に(オーラ)を送り、それを鋭い刃へと変える。

 戦闘態勢の二人を一瞥したノエルは、右手の人差し指を唇に当て、クスリと微笑んだ。その仕草ひとつで、場の空気は完全に彼の支配下に置かれたかのようだった。


「今日は取引しに来たのです。始祖様。貴方がこちらへ戻るのでしたら、この小娘と若き聖乙女の血(ジャンヌ・ブラッド)から手を引きましょう」


ノエルが歪めた空間から白い手が覗いた。彼は笑みを浮かべたまま、その手を優雅に引き寄せる。

 現れたのは黒髪のボブヘアーの女性──どこかで見覚えがあるような面影。


 リャナが息を呑み、ウィルに耳打ちする。


『ウィル様、あの子は──』


 その顔立ちは唯に酷似していた。

 ウィルは無言のままリャナに小さく頷き、場の空気はさらに張り詰めていく。


「彼女は無関係だ」


「この女は若き聖乙女の血(ジャンヌ・ブラッド)の可能性が高いのです。あれを目覚めさせるには始祖様、──貴方が必要なのです」


 ティエノフ家が若き聖乙女の血(ジャンヌ・ブラッド)を手に入れて何をしようとしているのか、それはウィルも薄々感じている。


「私は、ハルと静かに暮らしたいだけ。お前達は、人間の生死100年くらい待てないのか」


「もう待てませんよ。人間達が何をしているか貴方も理解しているでしょう? 僕は、動物達の慟哭(どうこく)を聴いただけですから」


 ノエルはくすりと笑みを浮かべたまま、舞の首筋に死神の鎌をそっと当てた。

 死神の鎌。元々は神器として存在していたものであり、天界の神々が、悪行の限りを尽くした者への最大刑の1つである。

 その武器を扱っていた人間がノエルに負け、鎌を奪われたのだ。

 あれで首を()ねられると、魂は地獄で彷徨い、永遠に転生する事も叶わないと言われている。


 沈黙のままノエルを睨みつけるウィル。その視線の先にいる舞の瞳は、既に正気を失っていた。

 死神の鎌がなくとも、彼女の魂はいずれ半死人グールへと堕ち、人を襲うだろう。

 それを分かっていながら、なお救おうとすることに意味はあるのか──。


 ウィルの胸に去来するのは、冷徹な理と、かすかな情のせめぎ合いだった。


(ハルには悪いが、彼女はもう──)


 決意を込めて赤い刃に力を込めるウィル。だがその瞬間、玄関の開く音が響き、遥が唯を連れて帰宅した。

 一気に場の空気が凍りつく。


「おっと……動いてはいけませんよ。不審な行動を起こしたら、この女性の魂は……永遠に地獄を彷徨う事になりますからね」


 ノエルは冗談ではなく、死神の鎌を舞へと押し当てる。脅しではなく本気の殺意。

 不気味な沈黙が広がり、狡猾な取引の気配が漂う。

 

 視線が交錯する中、鎌を当てられた舞は虚ろな瞳で前を見つめ、まるで人形のように動かなかった。

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