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ダンピールと血の盟約  作者: 蒼龍 葵
第一章 第二部 唯編
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閑話 ジャンヌ・ブラッド


 世界地図にも載らない此処(ここ)吸血鬼(ヴァンパイア)の土地であり、街の中心部から北に向かった場所にグレイス家とティエノフ家の居城がある。

 真紅の絨毯が敷かれた大広間を抜けると、冷たい空気の漂う〈玉座の間〉が広がっていた。

 宝石を散りばめた玉座に腰掛けるアスラは、支配者としての威厳を放っている。

 だが、ウィルに負わされた傷はまだ癒えておらず、両腕を回復装置に差し込んだまま、不機嫌そうに唇を歪めていた。


「派手にやられましたね、アスラ……」


 カツカツと黒いブーツの踵を鳴らしながら近づいてきたのは、銀髪に菖蒲色(しょうぶいろ)の瞳を持つ青年だった。

 優しげな笑みを浮かべているものの、その紫の光は一片も笑ってはいない。


「……何をしに来た、ノエル」


 声の主に視線を向けることなく、アスラは低く呟いた。

 彼はただ座っているのではない。精神を集中し、自己治癒に専念していたのだ。

 心臓に限りなく近い場所まで貫かれた傷跡。

 吸血鬼は自然治癒力と自己修復力に優れているため、回復装置を併用すれば時間こそかかるが、やがて完全に癒える。

 しかし、ウィルから受けた〈屈辱〉は拭えない。アスラの苛々した様子を察したノエルは、左目を隠す長い髪をさらりとかきあげた。


「貴方がウィルに負けたと聞いたので、冷やかしに来たのですよ」


 右手の人差し指を口元に当て、口角を少しだけ上げて微笑む。──それはノエルの癖だ。

 ティエノフ家筆頭であるアスラが始祖(ウィル)に喧嘩を売って負けた。

 屈辱しかない。しかも、一瞬の油断で起きた敗北だ。

 反撃してきたティムを始末して、捉えた人間もさっさと殺してしまえば良かったのだ。

 それを行わなかったのは、数百年間蓋をして封印してきた〈人として〉の甘さ。


 アスラは長い脚を玉座で組み直すと、目の前で震えている人間の男を冷たく一瞥した。


「自分の息子も始末出来ないとは情けない。それに、『死神の鎌』はどうした?」


 半蔵はアスラの静かな恫喝(どうかつ)にその巨体をガクガクと震わせていた。

 彼は半死人(グール)として扱うはずだった。

 しかし、佐久間神社の血筋が災いしたのか、吸血鬼との血の盟約(・・・・)は完成しなかった。中途半端に自我が残る人間は、手駒として扱い難い。


「ノエル、ハンゾウの記憶を全て消せ(・・)


「……やっと言いましたか。半死人(グール)はそもそも知性など持つべきではありません。情も、記憶も──人間らしさなど、余計なものですからね」


 黒いマントを(ひるがえ)したノエルは、敬愛する兄からの命令を受けた喜びを隠そうともせず、甲高いブーツの音をわざと響かせて歩み寄った。

 その顔には嗜虐的(しぎゃくてき)な笑みが浮かび、まるで獲物をなぶる獣のように目を細める。

 絨毯に頭を擦り付けるほど深く(ひざまず)いている半蔵の姿を見下ろしながら、ノエルは愉悦に満ちた声で囁いた。


「さあ、あなたを人ではなくして差し上げましょう。記憶も、情も、すべて燃え残らぬ灰にして──ただの()に」


 ノエルはゆっくりと手のひらを半蔵の額に当てた。その仕草は慈愛にも似ていたが、そこにあるのは冷酷な支配の悦びだけだった。


『我、ティエノフの名に置いて命ず。かの者の記憶を魔へと還し(とき)の狭間へ滅せよ。

──朱の消獄ヴァーミリオン・ブレイク


『ぐ、っああああああっ!!』


「ふふっ。さぁ黒薔薇よ、彼の脳を存分に喰らいなさい。そして貴方は今日から戦闘獣として生きるのですよ」


 ノエルは発狂する半蔵の脳に、黒薔薇の種を植え付けた。

 それはドクドクと頭の中に巡る血を啜りながら成長していく。

 さらに彼の心臓部に薔薇の茎が絡みつき、記憶と、人間としての感情を奪い取っていく。


『お、おおお……アガががが!!』


 刹那、半蔵は全身の血管という血管を浮かびあがらせて目から血を流し、獣のように咆哮した。

 苦悶に喘ぐ彼の額には、黒薔薇の紋章が浮かび上がっていた。漆黒の瞳は紅へ染まり、口からは二本の獣の牙が突き出る。

 短く切り揃えられていた髪は逆立ち、その姿はまるで人狼(ワーウルフ)だ。


 一方、ノエルの表情は冴えない。

 咆哮する獣を前にしても、彼の瞳は冷え切っていた。まるでゴミを見下ろすかのような冷たい視線をその怪物へと向けている。


「……僕は自我の無いペットは嫌いです。アスラの方で調教しておいて下さいね」


 ノエルはそう言うと、黒のマントを翻して懐から小さな手鏡を取り出した。

 その鏡を宙に浮かせて軽く念じると、それは巨大なスクリーンへと変化した。


「さて……僕は、次の騎士(ナイト)を始末するとしますか」


 スクリーンに映る二人の女性を見据えたノエルは、獲物を嗅ぎ当てた猛獣のように目を細め、舌舐めずりした。


「ノエル、分かっているな? 俺達の目的(・・)を」


「えぇ。混血児(ダンピール)を始末する事。そして、始祖様(ウィル)を再び吸血鬼(われわれ)の世界へと戻す。それが、グレイス家に仕えるティエノフ家の仕事ですからね」


 彼の言葉に偽りはない。しかし、久しぶりに起きたノエルは血に飢えていた。


「ですが、それだけではつまらないでしょう。アスラが渋谷区という場所を閉鎖したように、僕にも楽しませて下さいね」


 ノエルは顎に右手の人差し指を添えたまま、クスクスと笑っていた。

 ティエノフ家の中でも一番残忍で狡猾なノエルを止められないアスラは「勝手にしろ」と呟く。

 そして黒薔薇の種に侵食され続け、ただ獣のように咆哮している半蔵を紅の瞳で睨みつけた。


『いい加減大人しくしろ』


 彼の魅了(チャーム)。それだけで半蔵は全ての動きをピタリと止め、赤い絨毯の上に四つん這いになったまま意識を失った。


「全く……手のかかる半死人(グール)だ」


「それでも、アスラが拾ってきたあの人間を解放する時にハンゾウは必要なのでしょう?」


 ノエルの視線の先には、瞳を伏せた女性がクリスタルに包まれている。

 単純な石化は解ける。しかし、彼女にかけられた始祖の術は同じ術を組み合わせなければ解く事が出来ない。


「こいつは『時詠みの神女(シャーマン)』我々の未来をも詠むと思って連れてきたが、誤算だったな」


「ふふっ、貴方らしくない。焦ったのですか?」


(うるさ)い。まあ、この女は混血児(ダンピール)を捕まえる時の餌にでもするといい」


 アスラはこれ以上話は終わりだ、とゆっくりと瞳を閉じ、再び自分の治療へ意識を集中させた。


「ではアスラ。僕も僕のやり方で行って来ます。若き聖乙女の血(ジャンヌ・ブラッド)を手に入れるか、混血児(ダンピール)騎士(ナイト)を始末してきましょう」


 菖蒲色(しょうぶいろ)の瞳を紅に変え、ノエルは城の天井を歪める。

 ぐにゃりと歪んだ空間から、彼は人間の世界へ飛び立った。


「……ノエルなら、若き聖乙女の血(ジャンヌ・ブラッド)を手に入れて来るだろう」


 アスラは塞がった胸の傷を右手でそっと撫で、玉座から腰を上げた。


「……貴様は何を見たのだ。我々の繁栄か、其れとも禁忌の子供が我々に牙を向けるのか」


 返事のないクリスタルに語りかけても、沈黙が返るだけだった。

 「らしくない」とアスラは小さくため息を吐き、玉座に掛けていた黒いマントを肩に掛ける。


 己の信じる未来を胸に、彼は静かに玉座の間を後にした。

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