二十一話 十二の神器
精神世界から現実に戻った遥は丸一日眠り続けていたらしい。
まるで身体がバラバラになったような気分だ。一応手足は動くのだが、船から降りた直後のようなふわふわ浮いているような感覚がまだ残っていた。
多分、これが精神世界に二度も干渉した代償なのだろう。
千秋はどうなったのだろうか。助かったのか、それとも……
自分の部屋で眠っていたので、多分リャナがここまで運んでくれたのだろう。
再び微睡みの中に落ちかけた瞬間、カチャリとドアが開いた。
『ハルカ様、申し訳ございません。起こしてしまいましたね』
リャナの柔らかい笑顔にほっとしつつ、遥は少しだけ身体を起こした。
「千秋は、どうなったんだ?」
『無事に黒薔薇は消滅しました。チアキ様の体力を回復させる為に、先ほどウィル様が佐久間神社のご自宅までお連れしておりましたよ』
「そうなんだ……」
その言葉に安堵して再び瞳を閉じる。
遥が素直に動かない様子を見て、リャナは頭をそっと撫でてきた。
『……ハルカ様、本日はゆっくりとおやすみください。ウィル様からも、『今日は何があってもハルカを家から出さないように』ときつく申しつかっております』
「わかってるよ。どのみち、指一本も動かせない……」
苦笑した遥はおとなしく布団をかぶり、睡魔に身を委ねた。
◇
一方、佐久間神社。
攻撃を受けてから八時間後に意識を取り戻した千里は目の前で胡座をかく少女姿のティムと向かいあっていた。
「……」
千里は目の前にいる少女にどう話を切り出すべきか言葉を探していた。多分、今彼女と戦う理由は無いし、愛菜と千秋を守れなかったのは自分の力不足が原因だ。
それでも、男としてのケジメをつけなければならない。
「……君は、吸血鬼なのかい?」
その返答次第で、例え命の恩人だろうと刃を向けなくてはならない。
少女は真剣な千里の双眸を赤い瞳で睨み返した。
「ボクはティム。吸血鬼の使い魔だよ。主人のウィルに飼われているんだ」
人間の千里には吸血鬼とファミリアと呼ばれる関係性がさっぱり理解できなかった。思わずこめかみに手を当てて黙考する。
妻をクリスタルに包み込んで何処かに連れ去った憎い吸血鬼。だが目の前の彼は敵では無い。
理性では分かっている。彼のような良き吸血鬼もいるということを。
しかし心が追いつかず、憎しみと混乱が葛藤していた。
項垂れる千里の様子を見て、ティムは眉を寄せる。
「あんたさ、生きているだけでも幸せだよ。アスラ相手だと、ボクでも勝てないし、ウィルが甲冑の騎士を召還したのは緊急事態。あれで、あんたと息子が生きているのは奇跡だよ」
「千秋……そうだ、千秋は何処に!?」
突然我に返った千里は、目の前にいる少女の肩をがしっと掴んだ。
激しく揺さぶられ、ティムは眉を顰めると彼の手を乱暴に振り払った。
「す、すまない……」
「あんたの息子は今ウィルがここに運んでいるよ。もうそろそろかな」
ティムが襖の方に目を向けると、誰も手を触れていないのに、音もなく左右へと開いた。
そこに立っていたのは、千秋を肩に抱えたウィルだった。
「ち、千秋っ!」
千里はよろけながら布団から飛び起きた。ウィルの肩からそっと降ろされた千秋を、震える両腕で抱きしめた。
耳を当てると確かな心音が聞こえる。その瞬間、千里は張り詰めていたものから解放され、漸く安堵の息を吐き出した。
「千秋……良かった……」
不覚にも涙が滲み、ぐいっと顔を擦る。
千里はすぐさま正座をして自分達の命の恩人であるウィルに深く頭を下げた。
「改めまして、私は佐久間千里と申します。この神社と、千秋を守って下さり、本当にありがとうございました」
「いいえ……顔を上げてください。私は貴方の大切な奥様を救う事が出来ませんでした。しかし、クリスタルに包んでいるので外的衝撃で殺されるということや、奴らに血を吸われる心配はありません」
あの時、この吸血鬼が石化を早めた愛菜をクリスタルに封印したのはそういう意図だったのか。
万が一、石化を解かれて吸血されてしまえば愛菜は半死人と化してしまう。千里は拳を握りしめた。
「アスラのかけた石化は、必ず解きます。どうかそれまで貴方は千秋くんを守って下さい」
「俺は自分の力不足を痛感した。〈式神〉だけではあいつに勝てない」
ウィルは目を細めると、深く項垂れる千里の肩にそっと手を添えた。
「人間は、吸血鬼に勝てません。それは、何世紀も前から決められている変わらない真実」
「ふっ。厳しい事を言う……俺にも、愛菜を助ける方法を教えて欲しい」
千里の瞳は本気だった。彼はあの時自分の命を燃やし尽くそうとも、〈式神〉を重ねて妻と息子を守るつもりだった。
吸血鬼も人間も、愛する者を守る気持ちに違いはない。
「十二の神器を見つけてください。それが、我々を殺す唯一の武器となります」
その言葉に驚いたのは千里だ。みすみす自分達の弱点をバラすなんて狂っている。
「どうして、あなたは人間を守るのですか? あいつは……」
ウィルは瞳を柔らかくし、千里に凭れかかっている千秋を静かに指さす。
「貴方と同じですよ、千里さん。私もハルを守りたいのです。例え、この命を賭けようとも」
走り寄って来たティムを片腕で抱きかかえ、ウィルはふわりと宙に浮いた。
「ではこれで失礼します。出来ればハルとはこれからも仲良くしていただきたい」
「あ、あぁ……こちらこそ」
ウィルは唖然としたままの千里に一礼し、赤い霧と共に佐久間神社から一瞬で姿を消した。




