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ダンピールと血の盟約  作者: 蒼龍 葵
第一章 第一部 千秋編
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第十九話 千秋の抱える闇 三


 千秋は今もたった一人で戦っている。

 彼の戦いは学校だけではない。


『愛菜様は、もうお世継ぎを産まないのかしら』

『佐久間神社は巫女を欲していたのに……男の子なんて』

『確かに、千秋さんの能力(ちから)は凄いと思いますよ。でもねぇ……』

『そろそろ千秋さんが帰ってくる時間よ。こんな話、聞こえたら大変だからね』

『そうよね。一番胸を痛めているのは愛菜様と半蔵様なんだから』


 遠くで交わされた侍従達の会話は、風に乗り、千秋の心に棘のように突き刺さった。

 心の声が聞こえてしまう能力は、望まぬ通常の会話までも容赦なく流れ込んでくる。


 全ての音源を遮断し、殻に閉じこもりたい──

 そう願うほどの情報量が、幼い心を圧迫する。


 まだ能力を制御できない千秋は、毎日聞きたくない声に魘され、日に日に笑顔を失っていった。

 その姿を見た愛菜は、自らの力を分け与えた御守りを息子に授ける。


「ごめんね……ごめんね千秋ちゃん……」

「なんで、母さんが泣くの?」


 だが、愛菜には千秋の心を視ることができなかった。

 自分の存在で、両親に迷惑をかけたくない。

 千秋の強い意志が、決して破ることのできない封印を施していたのだ。

 佐久間神社に望まれぬ男として生まれた自分が矢面に立ち、母と父を悪口の対象から守るために──。


 千秋は強い……

 あの頃から両親を守るために笑顔の仮面を作り続けてきたんだ。


 遥はぎりっと唇を噛み締めたつもり(・・・)で千秋の名前を呼んだ。


「誰?」


 千秋は風の(ざわ)めきと共に、遥の(こえ)を聞いたらしい。


『俺は藤宮遥。未来でお前と出会う親友だ』


 「親友」──その言葉に千秋は顔を顰め、吐き捨てるように笑った。

 無理もない。人間は皆、腹の中と表面の言葉が違うのだから。


「ふうん、どうせお前も俺のことを化け物だと思っているんだろう」

『いや……俺も、それを言ったら人間じゃないし……』

「は? 何それ」


 過去の千秋に、自分が混血児(ダンピール)だと告げれば未来が捻じ曲がるかもしれない。

 言葉を探していると、本堂の方から強面の神主が早足で近づいてきた。


「こんなところで何をしておる、千秋」

「じっちゃん……今、風がね」


 千秋の視線は遥の思念体を捉えていた。同じ方向に男の視線も向けられる。

 その顔──精神世界で夢魔(リリス)と共にいた黒いローブの男。確か、ハンゾウと呼ばれていたはず。


『佐久間、半蔵……!』

「じっちゃん……今、風が」


 千秋は半蔵の袖を引っ張り、「風がじっちゃんの名前を知っているみたいだよ」と嬉しそうに微笑む。

 孫の無邪気な様子に半蔵は「そうかそうか」と頷き、穏やかな笑みを浮かべて千秋の頭を撫でる。

 だがその背中には、黒い陰がまとわりついていた。あれは、死神だ。冷たい風が一瞬、場を凍らせた。


『千秋、戻って来いっ! そいつは、お前のじっちゃんじゃない!』


 遥の聲が届いたのか、千秋は「え?」とこちらを振り向いた。その様子に隣に立っていた半蔵が小さく舌打ちをする。


「ぬぅ……混血児(ダンピール)め、まさかここまで邪魔をするとは」


 半蔵は隣の孫へ突然刃を向けた。袖口に隠し持っていた短刀が赤く染まる。


「じ、じっちゃん……?」


 不穏な空気を感じ、咄嗟にそれを躱した千秋だが、着ていた服の右袖がはらりと地面に落ち、切られた手首からはじわりと血が滲んだ。


「あ、あぁ……」


 尻込みして恐怖に震える孫を一瞥した半蔵は鼻をフン、と鳴らし「忌々しい……」と呟いた。


「わしはアスラ様の配下。この腐った世界はティエノフ家が支配するのじゃ。まずは混血児(ダンピール)の支えとなる鬱陶しいこの餓鬼共を始末しようかのう」


 血のついた短刀をぺろりと舐め、千秋との距離を詰めていく。小学生の千秋では勝ち目などない。


『誰か、誰か……!』


 遥の必死の願いが通じたのか、襖の奥にある部屋から出て来た千里が鬼のような形相で駆け寄って来た。


「半蔵様、何をなさっているのですか?」


 異様な空気に半蔵が人ではないと瞬時に悟った千里は右手に退魔の札を握りしめていた。


「お主が全て悪いのだ。巫女を生み〈聖なる乙女の血(ジャンヌ・ブラッド)〉として、あのお方に捧げる予定だったというのに』


 後半は壊れた機械のようにトーンを変えて奇声をあげた。


「先日から顔色が優れないと思っておりましたが、まさか貴方が化け物になっているとは」


「丁度良い。此処でお主の命も頂こう。さすれば現実世界の(むくろ)は、ノエル様の研究に』


 物騒な言葉を放つ半蔵に、千里は札を咥えながら視線だけを千秋へと落とした。


「……千秋、お前は隠れていろ」

「でも、父さんっ!」


 千秋は必死に抗う。逃げろと言われても、父を置いて走り去ることなどできなかった。

 その幼い瞳には半蔵に対する恐怖よりも、父を信じているという強い意志が宿っていた。


「心配すんな。じいさんの相手くらい俺に任せておけっての。俺にとっての義父(おやじ)だからな。──さあ来い、白虎(ビャッコ)!」


 千里が札に込めた印を空へと吹きかけると、白い虎が咆哮と共に姿を現し、半蔵へと襲いかかる。

 しかし、その式神も僅か十秒ほどで、半蔵が短剣を真剣へと変化させた一撃によって消滅(・・)した。


 それでも千秋は逃げなかった。父の背中に隠れ

、舌を突き出して半蔵に向けて余裕の笑みを浮かべている。

 千里は言うことを聞いてくれない息子の頭をもう一度撫でて次の札を口に含む。


「はっはっは! 闇雲に何度も式神を呼ぶと、お主の寿命が無くなるぞ?」

「──大爺様、ご忠告感謝致します。でもなあ、俺は愛菜との大切な宝を守る為に力をつけてきた。逃げまくるだけの情けない父親じゃねえんだよ」


 〈式神〉は命の吹き込まれた神を呪符に読み込みその力を借りるのだ。勿論ただで発動するものではなく、少しずつではあるが、術者の命を削っていく。

 しかし、神の洗礼を受けている半蔵に式神は効かない。彼を倒すには、もっと別の強力な能力(ちから)が!



 我を呼べ、ハルカ──。



 思念体の遥に炎の魔神(アグニ)が語りかけてきた。

 そうだ、俺は。

 ここは精神世界。だから、とにかく強く念じるんだ。


 千秋を、俺の大切な親友を守る為に……!

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